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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

2005年の駐屯地・基地見学を振り返り

2006-01-11 20:21:48 | 北大路機関 広報

 2005年には様々な駐屯地や基地を見学する機会に恵まれ、その間に多くの縁とめぐり合った事は小生の価値観や人生観に大きな影響を受けることとなった。

Fh000023  小生が昨年展開したものを挙げると、東千歳駐屯地(第七師団創設記念式典)、伊勢湾展示訓練(横須賀地方隊)、今津駐屯地(第三・第十戦車大隊)、小松基地航空祭、伊丹駐屯地(中部方面総監部)、阪神基地、小牧基地航空祭、守山駐屯地(第十師団)、横須賀基地、厚木基地、入間基地航空祭、岐阜基地航空祭と多岐に渡った。

 さて、今回はこの中で様々な教訓や失敗談、その他(?)を取り混ぜてお話したい。

_010  東千歳駐屯地祭は多くの雑誌で取り上げられる為、その写真をご覧になった方も多いと思うが、大地を埋め尽くす装甲車輌群と地面を揺るがせ実施される観閲行進は一度は!と思ったものであるが、何となれ相手は北海道。中部方面隊任務管区に居を構える小生としては、交通費という最大の課題を以下にクリアするかが重要であった。そこで在道の友人や北海道から京都に出てきた学内の友人などに情報を貰い、千歳市内でもホテルは充分ある(某CM誌では札幌にホテルをとると良いと書かれていた)と聞き、全日空ホテルの予約を取った。

_008  実はこれが大正解で、南千歳駅から東千歳駐屯地までのシャトルバス(無料)に乗車する事が出来、余裕を持って移動する事が出来た。ここでは、第七師団創設記念式典に七年連続で出席しているという東京の医師の方や自衛隊支援組織の方と知り合う事が出来た。

 ホテルも立派で、朝食はスウェーデン方式(つまりバイキング)、室内も清潔であった。しかし朝霧(駆逐艦ではなく気象)には参った。

_003  前日の夕刻に新千歳空港に到達し、千歳市内でジンギスカン料理に舌鼓を打ったが天候が小雨になり、夜になってから大雨に。ブックストアDANでDVDを調達(『サハラ戦車隊』)、ノートパソコンで観ている途中も豪雨は続き、朝になると雨は上がったが朝霧が出ていた。霧が出ると当然写真撮影には大きな支障が出るため中々焦った。テルテル坊主をつくろうかと思ったほどだ。添付した写真には霧の市内が写っているが、本来はここから千歳空港が一望できるはずだ。霧は次第にあがったがヒヤヒヤさせられた瞬間だ。

Fh010018  第七師団の式典は聞きしに勝るもので、戦車・装甲戦闘車・装甲車・自走榴弾砲・自走高射機関砲・各種車輌が中心として展開される式典は迫力そのものであり、他の師団のような徒歩行進は行わず、旧軍の飛行場跡地を会場として盛大に行われた。尚、この千歳飛行場は日ソ不可侵条約に違反し1945年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻を開始した際に陸軍航空隊が一式戦隼を発進させ戦車など多数に対して戦果を挙げた部隊の発進基地であった。続いて行われた模擬戦闘も迫力の一言に尽き、空地一体の機械化部隊が現代戦の様相を一瞬ながらも再現していた。これの式典には本年も展開を考えている。

_079  装備品展示の後、広大な駐屯地で道に迷い親切な陸曹さんに助けてもらい(間違えて島松演習場に迷い込めば熊の餌食)、ようやく正門に。守山とか伊丹ならば徒歩で駅まで、と考えるが東千歳ではそれは不可能。流石は機甲師団(?)と思った瞬間である。新千歳空港に着くと北海道らしいものを、ということで空港内でいくら丼を食べ、待合ロビーでは自衛隊支援組織の人と偶然知り合い、様々なお話を聞かせていただいた。

 こうして錯誤と偶然から始まった北方展開撮影作戦は成功のうちに終了し、中部国際空港へと向かった。

_008_1  さて、偶然というものは有難いものが多いということだが、第二の偶然というべきものが伊勢湾展示訓練である。友人のYAMATO氏が仕事に向かう途上、名古屋港に尋常ではない護衛艦の集合を発見し、小生にメールで知らせてくれた。ただ事ではないと思い名古屋港ガーデン埠頭に向かった。YAMATO氏と地下鉄名古屋港駅を出ると自衛隊反対の一大デモが!これは期待できると思い、向かってみるとラティスマストにレーダーを回転させた艦艇が多数!これは伊勢湾マリンフェスタの為に集結した艦隊であったわけだ。驚きどれから写真を撮ろうか走っていると海曹さんが『まだ当日券の余裕があります!』と。

Fh000035  そんな訳で書類に必要事項を記入し、艦上の人となったわけだ。

 四日市からも艦艇が合流し、潜水艦やイージス艦、輸送艦などの一大部隊となった。海上で潜水艦を見るのははじめてであるし、イージス艦も洋上で見たことはない。友人と興奮しつつ望遠レンズ越に『あの影は“ちょうかい”かな?』と話していた。余りにも多くの艦艇と、ヘリコプターや哨戒展示、空砲発射、掃海展示に所持していたフィルムの殆どを消費してしまった。

 小生が乗艦したのは潜水艦救難母艦であったが、このフネは真ん中にDSRV(潜水艦救難用潜水艇)をおろす穴があり、隙間からフィルムを落とさないか不安であった。また、乗れるとは思わなかった為脚立を携行していたが終始邪魔になった。糧秣の不備も反省すべき内容である。

Img_0386  続いて富士総合火力演習に展開!

 ホテルはいい部屋だったのだが虫が沢山出て困った。スウェーデン方式ディナー(それも豪華な!)の存在を知らず、町で普通の夕食をとったりしたが、演習は凄かった!

 実は新千歳で知り合った方から立体席の入場券を頂き、高台から写真撮影ができる事となった訳で、もう本当にありがとうございました!としか言いようのない絶好の撮影ポジションで撮影する事が出来た訳である。懸念していた雨も降らず、また、ここではHP“とんぺいの機械博物館”のとんぺい殿とお会いする事が出来た。

Fh020021  自前でハイテクロボットを作ってしまう凄い人で、隣(最上段)に座らせてもらい写真をバチバチ撮影したが、砲焔の撮影に成功した事がこの撮影において最も大きな成果であった。砲焔とは発射ガスが空気に触れた瞬間に燃焼する現象で、後に第十師団広報の方に聞いたらばやはり撮影は運次第といわれた。第十通信大隊写真班の方がいうには三脚で定点撮影とし、シャッター速度を極力落として連写が唯一の方法であると教えてもらった。中々パチパチ撮っても写らないものがデジカメの液晶で確認して写っていたのは嬉しい!

 懸念していた降雨もなく、装備品展示も無事撮影し撤収した。この際とんぺい殿の愛車に乗せてもらい、しかもご馳走になってしまった。ご馳走様でした。

 教訓としては、御殿場は遠い!という事である。交通費節約のために在来線で行ったのだが、各駅停車しかなかった。これには流石の小生も参ってしまった。帰りだけは三島~豊橋を新幹線利用で撤退した。

Img_2722  昨年の基地見学で残念であったのは、阪神基地で潜水艦を見学する予定が、潜水艦のスケジュールの関係で寄港中止となってしまったことだ。阪神基地では掃海艇に変更して見学会を実施していただき、ヨンさまに似ているという友人と一緒に掃海艇を見学した。木造艦艇は経年劣化で甲板から日光が射す事があるという冗談を交えながら掃海器具の見学を行った。500㌧前後とはいえ近くで見ると流石に大きく迫力があった。阪神基地は1995年の阪神大震災で大被害を受けたが復興の際に基地機能を充実し今日の姿になった。しかし、その埠頭に潜水艦が入港した姿も見たかったものである。その後、護衛艦しまゆきが入港したと聞いたが時間的都合で見学する事が出来なかったのは残念であった。

Img_2311  さて、撮影ポジションについて経験的なものが必要となるが初めて展開した駐屯地などでは経験も何もない。しかし三度目となった伊丹駐屯地での撮影ポジションのミスは返す返すも残念なものであった。写真は観覧席の正反対から撮影したものであるが、この通り動きのない写真となってしまった。これは訓練展示を行う為安全区域を広く取った事が要因であるが、聞くところでは観覧席は一部一般にも開放されていたそうで、これを聞き逃したのは小生の失敗である。猛省して本年の式典に臨みたい。

Img_3743  また、第十師団創設記念式典では雨に悩まされた。実は当日が晴天で事実小生も日差しで目覚めたほどの快晴だったから雨具の準備がなかった。そこで仕方なく脚立に上着を被せシェルターとした上で撮影器材を避難させ、小生は撮影を続けた。撮影ポジションは初めての駐屯地ながら経験則から最高の立地(無論立ち入り制限区域ではなく開放区域、写真を見た師団司令部広報の方も感心していたくらいだ)を確保できたが富士総合火力演習ではあれだけ懸念していた雨具準備を今回に限り怠ったことは反省するべき内容である。

Img_0713  写真は守山の前に行った今津での写真であるが、実は今津でも降雨はあったが、このときは式典終了後、しかも訓練展示も終了した後であった為事なきを得た次第である。このときの雨は凄まじく、これを教訓とするべきだったのだが、守山では失敗した。守山では幸い豪雨ではなかった為器材は無事であった。雨具は傘を使えば後ろの人に迷惑がかかる為ポンチョを使用する。レンズ交換の際にはポンチョであれば潜って交換する事が出来るし(CCD素子に水滴がつくとデジカメは故障してしまう)、重宝する。 なお、この駐屯地祭では意欲的なブログを展開されているちゃりんこジョニー氏と知り合い、守山で再開を果たした。実は伊勢湾展示訓練など小生が展開したイベントにも展開されており、もっと前に既に会っていたかもしれない。

Img_5021 こうした雨の教訓を活かしたのが岐阜基地航空祭である。岐阜基地航空祭は折からの豪雨で飛行展示がかなり縮小されてしまったが、豪雨の中撮影は苦難を極めた。ちゃりんこジョニー氏は此処でカメラが濡水故障してしまったという。ポンチョを多用し、友人からはワカメマン(ポンチョは濡れると“増えるわかめ”のようになってしまう)と冷やかされたが、コンパクトデジカメも一眼デジカメも無事であった。だが、飛行展示そのものが縮小された事は痛い。小生の腕を以てしても飛ばないものを撮影する事は不可能である。一方でアフターバーナーの撮影が降雨によって容易となったこと、更に岐阜基地では普段行われない会場西方からの離着陸などが撮影できた事は収穫であった。

2005116_071  更に格納庫、中は雨から逃れる難民キャンプの様相を呈していたがこの中でF-2試作機がエンジンを取り外した状態で展示されていた。これは珍しい。晴天であれば見逃していたやも知れない貴重な光景を撮影する事が出来た。格納庫は露出調整を充分に行い加えてシャッター速度にも留意しなければ暗い写真となってしまうが、これを何とかクリアして格納庫中のF-2という雰囲気のある写真を撮影する事が出来た。なお、カメラを地面に置き撮影する独特の方式を9月の小松基地航空祭において会得し、その方式で多くの写真を撮影したが、これもそのうちの一枚である。

Img_4294  小生は大学生である為卒業論文を制作しなければならない。これは四年間の集大成である為手抜きは許されず、事実関係の確認も兼ねて防衛庁や厚木基地などなどを取材するべく首都圏に展開した。ホテルは防衛庁の隣にあるグランドヒル市ヶ谷!写真でも分るように隣である。じつはここ、防衛庁共済組合が運営しており、あの藤島正之議員が防衛官僚をやっていた時代に出向してじきじきに改善したというもので聞きしに勝る中々のホテルであった。 ちなみにこのホテル、どうやら三人部屋しかないらしく、ここに一人で泊まるときには結構恐縮する。今日はどのベットで寝ようかな?なんて楽しい雰囲気もあるのはあったが。

Img_4559  時間があったので、入間基地航空祭に展開した。しかし、首都圏はさすがに航空ファンも多く、同行した友人も余りの人数の多さに絶句していた。写真は滑走路の端の方から見た写真であるが、脚立を持ち合わせていなかった為、撮影には大変苦労した。何処を見ても人人人、人海戦術である。基地も広く、様々なものが展示されていたがレジャーシート軍団が最前列を占拠し、ごみを捨てたり罵声を上げたりで首都圏の航空ファンのなかには相当マナーが悪い方々がいるということがわかる。人数が多かったらばレジャーシートを自粛するとか、最前列付近で脚立を使用するというようなことはもう少し考えられないものか、と考えさせられた航空祭であった。

Img_4275  一方で、首都圏展開の際に同じく時間的余裕から横須賀基地に展開した。阪神基地の方に11月上旬は横須賀には艦艇は殆どいないとおしえてもらってはいたが、首都圏に行って靖国神社や神保町でごろごろしているわけにもいかないし、ということで京浜急行に飛び乗ったらば、駅を間違えたり試行錯誤の末、横須賀基地に到着した。眺望良好な山(小説家の森詠氏はここら辺にお住まいらしい)に階段を登り蜘蛛の巣に怯えながら登頂すると護衛艦群が海を埋め尽くしていた(過剰表現?)。

 それもそのはず、この日は自衛隊記念日であったのだ。海上自衛隊演習はこの直後から始まったらしく、この日の横須賀には満艦飾の護衛艦が多数停泊しており、行ってよかったと、むしろ行く事で初めて何かの可能性が生まれるということを象徴した出来事であった。

Img_3232  行動が大事であるというのはこれだけではない。小牧基地航空祭がそうである。輸送機だけの田舎基地と揶揄される基地であるが行ってみると浜松からE-767早期警戒官制機が飛来して来ていた。これは基地周辺を飛行しているのを何度か見た事があるが、間近に観たのははじめてであった。アジア初の早期警戒官制機保有国となった日本だが、近くで見るとやはり大きい。写真はバイバイフライトの際に撮影したもので、遠景に名古屋のテレビ塔が写っている。なお、今年は春日井駐屯地祭には行かなかったが96式装輪装甲車が来ていたとの事。行っておくべきであった。

Img_2906  また、小牧基地航空祭では2005年度を最後に引退するT-1練習機のフライトを撮影する事が出来た。T-1は国産初のジェット練習機で、小牧では航空管制などの教育を行う第五術科学校に所属している。写真はスモークを焚いたT-1写真、と思いきや余りにも急激な飛行は老体に大きな影響を与えたらしく故障により白煙が出た写真。これは本当に偶然撮影した写真であるが今後、T-1が退役した後には貴重な写真となろう。

 さて、少し長くなったが、2005年の小生が撮影した写真の内何枚かを此処に掲載した。様々な今では笑ってしまうような失敗も多いがこれを教訓として本年も様々な写真撮影と研究を行ってゆきたい。

 HARUNA

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