北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

9.11アメリカ同時多発テロ20年,ニューヨーク世界貿易センタービルに旅客機が突入した日

2021-09-11 20:08:25 | 北大路機関特別企画
■世界が震えた-歴史の転換点
 名画にニューヨークが描かれた際に世界貿易センタービルの威容を視て過去の歴史と視るか懐かしさが湧くのか、20年というものは世代間の認識相違が生じるものです。

 危機というものは十年単位で生じるものでしょうか、十年前の東日本大震災、そして二十年前の同時多発テロ、その更に十年ソ連崩壊と少し前には昭和の終焉、また十年前には第二次石油危機、こうした歴史の転換点は得てして世界に生きる人々に多寡はあっても影響を及ぼすものですが、9.11同時多発テロは、世界史の転換である事に異論はありますまい。

 9.11同時多発テロ、本日世界はあのアメリカ本土同時多発テロから20年を迎える事となりました。同時多発テロ、その模様はニューヨークを象徴した世界貿易センタービルツインタワーへ旅客機の二機目が激突する、まさにその瞬間が宇宙空間の放送衛星を通じて全世界で共有されたという事でも異例の事でした。日本時間は遅い夕食時に映像は届けられた。

 世界貿易センタービルツインタワー、アメリカ国防総省、ハイジャックされた旅客機が次々と突入し、全米上空の全旅客機が着陸を命じられ戦後初めて北米上空の民間航空路線が全封鎖された、異常事態でした。ツインタワー崩壊は世界にも知られた高層建築物故に衝撃的で、日本時間翌日、ブッシュ大統領による決意表明、新しい暗い時代を感じたものです。

 20年という期間。これは北大路機関創設前の出来事でもありますが、元々北大路機関は大きな論点であった沖縄基地問題などを論議する前に先ず専門書の輪読を行う安全保障関連の学生自主ゼミがその始まりですので、間接的に同時多発テロは北大路機関にも影響したものですが、昔の話であるとも、まだ最近の事のようにも、事件前を懐かしく思う事も。

 2001年という時代は漸く冷戦崩壊による混乱が少なくとも地域紛争という形で世界中に戦火を広げた十年間が終息しつつある時代でした、あの事件がなければもう少し世界は平和になっていたのではないか、とも考えるのですね。ただ、価値観が20年間で変容し、これを既定路線として受容している今日からは、昔話でもあり最近のようにも思えるのですね。

 しかし、先日アメリカ軍がアフガニスタンより撤退し、前後してアフガニスタンイスラム共和国が武装勢力タリバーンの攻勢を前に崩壊しましたが、単一の戦争として考えれば20年間というのは長いものと云える、日本に喩えれば1945年の敗戦、その20年前といえば関東大震災の記憶鮮やかな1925年、日英同盟が解消しワシントン海軍軍縮条約の年です。

 テロとの戦い。東西冷戦の終焉と共に米ソ超大国間の全面核戦争という人類史の終焉を迎える危機は大きく払拭されましたが、続くソビエト連邦の崩壊は、衛星国や旧ソ連構成国での民族紛争や独立戦争、そして冷戦構造の圧力が蓋をしていた、政治学者に“ロングピース”とさえ表現された圧力構造の緩解は膨大な数の地域紛争の要因となっていました。

 清濁呑みこむ寛容。しかし、同時多発テロはその遠因に、冷戦時代の自由主義と社会主義という軋轢の中に競合と緩衝や混沌に似た環境での価値観多様性と社会の多様性が容認され、不寛容さえ受け入れる寛容、清濁呑みこむ寛容、見過ごされる寛容がありましたが、東西冷戦終焉は結果的に自由と公正が一つの国際公序を形成、単極主義の到来があります。

 自由と公正、アメリカが掲げるこの概念は人権としては一つの正論であり、結果の平等とその道程の強制という政治や、価値観と幸福の定義を権力が画定しその実現に参画と奉仕を強制する政治、こういったものと比較した場合は、脱領域性を伴う共感を集め得るものではあるでしょう、西欧キリスト教民主主義思想とも重なる、しかしそれが全てではない。

 だからと云って旅客機で突っ込む事は無いのではないか。テロとの戦いはこうして勃発したものです。冷静に考えれば同時多発テロ以前にもイージス艦コール自爆攻撃を筆頭に同時多発テロ首謀者アルカイーダによるテロ事件は複数発生していますが、同時多発テロ死者数は2800名を越え、喩えれば真珠湾攻撃よりも多く、大国の決断への転機となりました。

 テロとの戦いは、自由と公正という価値観が果たしてグローバルな価値観たり得るかという視点から、当初の同時多発テロ首謀者の処罰という視点とともに、テロリズムを共有するテロリストの思想的工場を解体するという、東西冷戦のイデオロギー対立に一種重なる背景から始まったものですが、概念の曖昧さと当事者の価値観相違が長期化を招きました。

 22世紀にこの戦争がどのように評価されるのかは未知数です、しかし、戦争目的が不明確である事は確かで、そもそも軍事力だけで自由と公正の理念を広げられるのかという素朴な疑問へ、長期的展望と共に進められたかは疑問で、第二次世界大戦後に元々の民主主義国家だった日本とドイツへ民主主義を再定着させた例外的経験の踏襲を期した様にも思う。

 戦争目的が不明確であれば、軍事力を叩きつける対称が示されない非対称の戦争となり、戦勝の定義も不明確となります。恰もヴェトナム戦争へ北ヴェトナム崩壊を避け南ヴェトナム維持という不明瞭な戦争目的のまま惰性で臨んだ失敗の再来ともいえます。自由と公正、この価値観は共有する国は多いものの実のところ価値観の根底は多様だったのですね。

 自由と公正、これは酸素の様に普遍的な価値観と考えた事で冷戦後の秩序形成の端緒で、先ず自由と公正というものの共有をもう少し表面化させ国際公序へ反映させる努力がって然るべきであったのかもしれませんし、また、価値観の土台となる文化というものを、もう少し深く理解する努力、そして政策へ反映させる努力が必要であったのかもしれません。

 ただ、自由と公正、この理念を同時多発テロから20年という節目の年に、よりにもよってアメリカ大統領が情勢悪化続くアフガニスタンから撤収し、一国主義を強調した事でいわば理念を打ち捨てる事となりました。これでは何の為に有志連合を形成し戦ったのか、同盟国友好国はアメリカに奉仕させられたのか、後味の悪いものとなった事は否定できない。

 9.11同時多発テロから20年、様々な出来事が在り、世界は大きく変容しました。もちろん、日本も大きく変容する事となり、安全保障環境に対応する安全保障政策は現実というものを強く認識させられるようになりました。その始まりとなったのが、20年前の今日、テレビ放送により報じられた、あの世界貿易センタービル旅客機自爆攻撃であったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【榛名備防録】ゼロ戦,零式艦... | トップ | 【G3X撮影速報】川重P-1哨戒... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

北大路機関特別企画」カテゴリの最新記事