北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

名古屋鉄道MRM100形モノレール 路線とともに2008年12月廃止決定

2008-01-11 13:28:51 | コラム

■名鉄モンキーパークモノレール線 廃線へ

 名鉄犬山線犬山駅周辺は、かつては国宝犬山城の城下町として発展したが、戦後は、博物館明治村、日本モンキーパーク、リトルワールドといった名鉄の最盛期における観光開発事業の中心地となり、テーマパークが集中している。

Img_2870  名鉄モノレールが廃線になる!2007年の年末、飛び込んできた情報である。情報に応じて、C.ジョニー氏が即座に展開。小生も遅れること一日、犬山に展開した。大阪モノレールが21kmあるので、という先入観があったのだが、1.2kmという短い路線、しかし、名鉄唯一のモノレールで、名鉄唯一のアルミ製車輌で、日本初の跨座式モノレール、という興味そそられる車輌の様子を今回は紹介したい。

Img_3006  犬山線は、名古屋から多数の特急が運行されており、全車特別車という観光輸送に重点が置かれてきたが(2000年ごろから早朝ラッシュ時には1編成だけ一部特別車編成が乗り入れていたようだ)、近年では名古屋市のベットタウンとして、また、中部国際空港開業にともなう本線特急の近代化を受ける形で1000形と1200形の一部特別車編成のパノラマSuperが乗り入れてきている。

Img_2862  こうした時代の変化とともに、観光の重点は、単一テーマパークから複合大型テーマパーク、そしてなによりも観光の広域化、これは海外も含むのだが、こういった変化が進み、斜陽の時代にあるといえる。さて、このモンキーパークモノレール線は、犬山遊園駅を始発として、写真の成田山名古屋別院に程近い成田山駅、そして終点の動物園駅の1.2kmを結んでいる。

Img_2872  このモノレール線は、1962年に日本初の地方鉄道法による本格的な跨座式モノレールとして開業した。また、このモノレールの技術的蓄積は、のちの東京モノレールにも受け継がれているという。車輌は、日立ALWEG式を採用し、アルミ合金製の三両固定編成となっている。最盛期には、二編成連結運行も行われたとのことだ(近年行われているかは浅学にして不明、ご存知の方がいればお教えいただけると幸いです)。

Img_2880  かつての3400形電車を思わせる開放型運転台。運転台に装備されている扇風機は、本車が名古屋鉄道の電車における最後の非冷房車であるため。動力はDC1500ボルトの電気式で、ブレーキはHSCDブレーキ、ATSが搭載されており、これだけをみるとまさに電車そのものである。最高時速は30km/hであり、これは全線廃線となった旧600ボルト線の路面電車よりも低速のような気がする。しかし、1.2kmで観光輸送が目的となると、問題はないのだろう。

Img_2902  走行は、コンクリート軌条をゴムタイヤの粘着力により前進し、この方式により97‰という急勾配の走行を克服している。廃線の主な背景には、車輌の旧式化と、施設の老朽化。新型の車輌導入と施設近代化の均衡の見込みが採れない為の廃線のようだ。事実、終点の遊園地が冬季休業にはいっているとのことで、小生が乗車した際に運転手(ワンマン運転)と私一人の乗客であった。運行は毎時二本。

Img_2883  例えば、大阪空港と阪急・地下鉄・京阪を結んでいる大阪モノレールや、羽田空港とJRの乗換えができる浜松町駅を結んでいる東京モノレールのように、1960年代に栄か新名古屋(名古屋駅と近鉄名古屋駅が隣接)と、名古屋空港を結ぶモノレール新線でも開業していれば、モノレールとしての車輌体系が成り立つ規模は維持でき、同時に名古屋空港も県営となったのちも国内線輸送などで利便性を維持できたかもしれないが、今更言っても始まらないか。

Img_2891  終点の動物園駅でもう1編成のモノレールを望む。ここが車輌基地となっているようだ。ちなみに2008年12月27日の廃線以降は、代替バスの運行を計画しているとか。ところで、個人的に思うのだが、テーマパークへの輸送に用いられるモノレールは、中部地方唯一のモノレールとして、一つの観光的価値を有していたはずで、この点と、これを廃線とすることで日本モンキーパークの来場者への影響が及ぶ事業評価というのはどの程度見積もられていたかには興味がある。

Img_2899  スノープラウを装備したMRM-100形。となりが遊園地ということと、車体に描かれた楽しいイラストが、やはり遊園地の乗り物のような印象であるが、運賃が一区間でも二区間でも150円という、これまた遊園地の乗り物みたいな料金。モノレールということで、まわりに架線を支える電柱などが無いため、やはり眺望は観光地に相応しいもの。

Img_2963  成田山名古屋別院から撮影したモノレール。本山は千葉の成田山で、京成電鉄が成田空港開業までは成田山と首都圏の旅客輸送に重点を置いていた話は有名。モノレールと成田山、このモノレール開業当時は物議をよんだであろうこの光景も、あと一年も見ることは出来ない。この場所からは国宝犬山城や遠く名古屋市内の高層ビル群などもみることができる。こうしてモノレール撮影紀行は終了。

Img_3058  犬山遊園駅で電車を待っていると7000形パノラマカーがやってきた。1961年から、特急、高速、急行、快速急行、準急から普通まで様々な場面で活躍している。いわゆる特別料金は不要で、全面展望は広く親しまれている。近年は順次本数が減っている中で、偶然来たのがこの7000形というのはツイてる証拠か。

Img_3076  C.ジョニー氏と連絡が取れて、昼食の時間を少しずらしてもらい、名古屋名物(迷物と表現するべきか)、喫茶マウンテンへ。喫茶マウンテンは、地下鉄鶴舞線いりなか駅から徒歩十分、旧店舗を描いた看板の上に新店舗の写真を貼り付けるという、半ば強引な看板であるが、ここのメニューは、俗に遭難者、と呼ばれる人が出るほど力技だ。

Img_3088  店内に入ると、パスタ屋さんなのに納豆スメル。メニューをみると納豆スパとか、そもそもメニューには、トマトソースやスープスパと並んで、パスタなのに、まあ、和風は判るとしよう、でも甘口って何なんだ、名古屋名物にあんかけパスタってのがあるらしいが(食べたことは無い)、ここのあんかけは、小倉抹茶のパスタ。・・・、無難にアマトリチャーナを注文。物凄い大きなニンニクが入ってたけど、それよりも量が多かった。750円。

Img_3089  食事を終えて何か飲み物を。メニューにあったソフトコーヒーを考えたが、その下にストロングコーヒーってのがあって、そもそも、このマウンテンで挑戦メニューに挑み、完食できないことを遭難といい、初めて来店して食べ終えることを初登頂、というのだとか。で、山登りでは、無理をしないこと、と、登山(ホンモノの山登り)が趣味という、はぐりん氏から常々教えていただいているので、こっちのマウンテンでも無難な。で、赤いコーラと青いコーラ。・・・、まあ、一度呑んでみ。

Img_3080  マウンテンの初登頂に成功した後、小生は名古屋に展開した本来の目的を達成するべく、足を進めた。名鉄モノレールを遠方から撮影に展開された方は、是非、ここ、マウンテンにもお立ち寄りください。くれぐれも遭難しませぬよう、老婆心から。なお、犬山線上小田井駅から地下鉄鶴舞線に乗り換えると便利である。

 C.ジョニー様、情報その他、いろいろとありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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阪急2300系 最古参の電車と最後の行先看板表示

2008-01-10 15:59:54 | コラム

■阪急嵐山線

 先ほど、C.ジョニー氏からメールで「しらね」は来年度に除籍予定の「はるな」からCIC部品を譲り受けて再生する案が検討されている旨書かれた記事を教えていただいた。「あさかぜ」から移譲した方が早いと思うんだけどね。

Img_2669  古いものは大事に、と思いつつも、やっぱ除籍かな、と考えていた当方、その関係で週末、首都圏展開なんか考えていたのだが、ようするに除籍とか再生とか言われているうちは、まだいろいろと検討中なのだろう。それならば焦る必要もあるまい、ということで週末は、若草山か名古屋港か舞鶴に行こうかと検討中。で、本日は、古いものは大事に!特集である。

Img_2658  写真は阪急電鉄2300系。1960年にデビューした電車で、鉄道友の会からその年に優れた技術などを用いた通勤車輌に贈られるローレル賞、その第一回受賞に選ばれている。生産は1967年まで続けられ、特急運行から退いた後は普通電車などで重宝されている。更に注目すべき点はもう一つ。

Img_2672  行先表示板に「嵐山⇔桂」と表示されているが、これは阪急で最後に残された看板表示方式の行先表示板とのことで、なるほど、最古参の電車に最後の看板方式の行先表示板ということ。そして、京都のオフィス街である河原町ではなく、桂駅から、京都の観光地へ結ぶ嵐山線に運用されている。なんとなく、こらへんに風情を感じる。

Img_2675  停車時間もほどほどに、早々と出発して行った。嵐山から、京福電鉄に乗り換えて様々な観光地を巡るも良し、特に、16日から京都市営地下鉄東西線が、今の二条駅から太秦天神川駅まで延長され、京福電鉄と繋がるため、嵐山を観光し、そのまま遥か東山は清水寺へ、というルートも容易となる。

Img_2651  こちらは京都線の5300系電車。1972年から製造が開始された車輌である。

 よく、2300系は、今日の阪急電車の基礎を築いたと評されるが、この5300系電車を見てみるとその点が良く判る。設計思想として伝統になるのは、それだけ歴史がある証拠で、設計哲学ともいうべきか。

Img_2688  阪急桂まで行ったということで、駅前にある安さが名物という、けーと氏推薦の御寿司屋さんに。ここ「大漁」は、営業時間1800~2400時。日曜祝日はお休みながら、特急停車駅の桂駅、ホームからもみえるという近さと回転寿司並の安さから人気がある。

Img_2690  寿司は、魚屋を転じて寿司屋を開いたというだけあってネタは新鮮、注文を伝票に書いて出すという、明瞭会計の代名詞のような方式なので、2000円もだせば、それなりに美味しい寿司を堪能することが出来る。謎のお薦め料理もあって、酒も一通り揃っている。

Img_2691  旨いんだけど、難点としては待ち時間が長いこと。倍出してもいいから寒風吹きすさぶ中で、あ、6300系だ、今度は9300系が来たぞ!って電車を眺めてばかりいるのは辛い。店内の狭い。多くのお客さんを入れたい、というのは解るが、パイプ椅子に座って寿司ってのもどうかな、と。でも、まあ、待ち時間と狭い店内を厭わなければ、居酒屋に行くくらいの費用で寿司、というのも貴重である。

Img_2679  ちなみに、この大漁、店内に誇らしく掲げられた商店街三輪車選手権優勝の賞状もあり、いろんな意味で面白い店である。桂駐屯地祭や千僧駐屯地祭の帰路には立ち寄ってみようかな、と。他方、やっぱ、寿司屋に行くのは特別な日とかに限定して、多少高くてもゆったりと普通にしたいような気もする。

Img_2696  阪急桂駅。ところで、JRも桂、駐屯地のあたりに新駅を建築中なので、ここら辺がまたベットタウンとして再開発されるのかな、とも。冒頭の2300系とは随分内容がずれてしまったが、2300系の看板行先表示を撮影される際にも、立ち寄ってみられてはと。

HARUNA

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阪急9000系 感心させられるロングシートの特急電車

2008-01-09 10:15:30 | コラム

■9000系電車

 先日、神戸からの帰路、阪急線を利用した。行きは阪急、帰りは直通のJRという瀬焚くしであったが、余りにも混んでいることが多いJRを避けて阪急を利用した。

Img_1634  阪急9000系電車は2006年から導入が開始された阪急神戸線、そして宝塚線の特急用車輌。文字通り最新鋭の車輌である。この特急電車は、京都線で特急として多く用いられる9300系や6300系がクロスシートであるのに対してロングシートを用いているのだ。居住性からクロスシートを、という意見は昔から少なからずある。

Img_1631  阪急電鉄のダイヤ網で一番特筆するべきは、10分間隔の特急電車ダイヤである。もちろん、関西私鉄ということで特急料金は不要である。このため、座席指定というものは当然無いのだが、多数の特急を走らせることで忙しい通勤通学輸送需要でも、着席率の向上を期している。

Img_1635  阪急線を利用し、神戸から京都に向かうには、神戸線から京都の河原町までの直通は無い為、十三駅で乗り換えるか、終点の大阪梅田駅まで乗っていき、そこから発車する河原町行きに乗車する。京都線も特急運行が10分間隔のダイヤであり、この点、便利なのである。

Img_1636  9000系電車がロングシートながら感心させられると書いたのは、三人用、二人用、三人用としてロングシートが区切られている点で、隣の人と肩が接しないというクロスシートに準じた高い居住性があり、座席には角度があり、深々としたシートに落ち着くと意外なほどリラックスできた。

Img_3121  対して、JR西日本は、乗り換え不要の直通快速を、姫路→神戸→大阪→尼崎→大阪→高槻→京都→大津→草津→米原→長浜→敦賀、という長大な距離を快走する新快速を運行しており、主力車輌である223系は営業運転における最高速度130km/h、阪急よりも短い所要時間での移動を誇っている。

Img_1641 この点、乗り換えが必要な阪急は不利ではあるが、6300系のような二扉クロスシート車を有し、更に極めて密接にリンクさせた十三駅の乗り換えが、タイムラグを最小限に抑えられるよう努力している。第一の利点は、京都中心部から神戸三ノ宮まで移動する場合、やや離れた京都駅までの移動費用(バスもしくは地下鉄)を加えた場合、神戸まで阪急であればJRの半額で済むという点である。

Img_3026_1  こういった意味で、同じく京都の中心部と大阪の中心部を結ぶ京阪電鉄もテレビカー、二階建てという特急料金不要な車輌としては最上級の車輌を運行している。この8000系は1989年より導入が開始された車輌であるが、登場から間もなく20年。そこまでJRや阪急と路線が並行していないことから、前述のような独特のサービスを売りにしている。

Img_3069  京阪特急を利用の理由としてえらb人も少なくないということで、これはいわゆる車輌アコモが利用者の選択の一つに挙げられることもあるということか。個人的には、1961年から導入された名古屋は名鉄の7000形電車、パノラマカーのような、全面展望を売りにした車輌のような遊び心もあってもいいのかな、とも思うのだが・・・。コストの面からは、無理だろうね。

HARUNA

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平成20年京都府警察年頭視閲式 1月15日実施予定

2008-01-08 17:47:40 | 北大路機関 広報

■京都府警視閲式2008

 京都府警察HP()によれば、京都府警年頭視閲式の日程が次週火曜日といよいよ近付いてきた。視閲式は平安神宮に程近い京都会館の前にて行われる。

Img_0835  写真は葵祭の様子(視閲式の写真が無いので代用)。京都府警は6000名の警察官と28の警察署を通じて、日々、交通事故や犯罪、重大治安事案に備えている。また、多くの祭事が執り行われる京都府にあって、事故防止や交通規制、警戒は重要な責務であり、加えて、京都御所が所在する京都市は、国賓警護など失敗の許されない任務も京都府警に与えている。

Img_5233  視閲式とは、いってみれば警察の観閲式にあたるもので、平成20年の年頭視閲式は、1月15日火曜日、0930時から1030時にかけて実施される。第一部:部隊視閲 第二部:分列行進という予定で、会場となる二条通とその周辺には大規模な交通規制が引かれる。なお、荒天の場合は中止とのこと。

Img_5244  写真は祇園祭。山鉾順行を終えて、いよいよ解体がはじまった様子と、宵山からこの日まで、百万を遥かに越える観覧者の安全の為の交通規制や誘導を行い、やり遂げた警察官の達成感が伝わってくるような写真。視閲式では、京都府警自慢の平安騎馬隊や、重厚勇壮な機動隊も参加すると思われる。お時間のある方は、是非、足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

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護衛艦しらね除籍廃艦に反対 除籍護衛艦のCIC利用案

2008-01-07 01:40:02 | 防衛・安全保障

■しらね修繕の最善案:来春除籍の艦から移設

 二年間で200億円の費用が必要と見積もられている護衛艦「しらね」。残りの現役期間が五年ということで、費用対効果の面から除籍廃艦の方向にて進んでいるとのこと。要点は費用対効果、この一点である。

Img_1089  護衛艦「しらね」はCICこそ、火災により全損しているが、機関部やレーダーなどの装備は基本的に損害が無く、指摘される問題点としては、上部構造物が長時間の火災により変形している可能性である。システム中枢艦であることから、CICの全損が大きく響いている。ここで、現実的に短期間と最小限の修繕で現役に戻ることが出来れば、除籍以外の道が開けることとなる。

Img_5729  2008年3月には、写真の「あたご」型ミサイル護衛艦、その二番艦「あしがら」が就役する。「しらね」再生の最も現実的な案としては、「あしがら」就役によって代替され、除籍される予定の護衛艦からCICの施設を移植することである。もちろん、同型艦ではないので、スムーズに行かない可能性もあり、この点調整は必要であろう。しかし、新しくCICを部品の発注と共に再生するよりは、移築の方が現実的に最小限度の予算と期間で実現できる。

Img_0999  ミサイル護衛艦「あさかぜ」。「たちかぜ」型護衛艦の二番艦であり、「しらね」就役の前年にあたる1979年に就役、満載排水量5200㌧で、佐世保基地の第64護衛隊に配備されている。CICは都合の良いことに「しらね」と同じく艦橋のある上部構造物に設置されている。CICに限って示せば端末部分などは、流用が利く可能性がある。これならば、除籍後に横浜に回航し、上部構造物から端末を移設することも可能ではないか。

Img_1446  「しらね」修理の二年と200億円ともいわれる見積は、明らかにCIC部分の規格に合うものを新造し、場合によっては再度設計図を引く点で費用及び時間が掛かるものと考えられる。ミサイル護衛艦のCICだけに、多少の相違があっても、交戦距離の関係から通常の護衛艦よりも広域の任務対応を想定しているわけであり、「あさかぜ」から「しらね」へ、というのは現実的に検討されてしかるべきである。恐らく、艦艇の開発などの期間を参考にすると、一年程度、三分の一程度の費用で修理できるのではないか。

Img_1172  「しらね」を早期に除籍しても、5インチ砲や取り替えたばかりのシースパローランチャーなどは流用が難しく、加えて費用対効果では急ぎ、「ひゅうが」型を増産するという選択肢は考えにくい。2009年3月の「はるな」の除籍を待ってCICの移植、というのは、乗員の訓練という面からマイナス面が多く、難しい。この点、「あさかぜ」からのCIC移植は、残り五年という「しらね」の運用計画から鑑みれば、是非とも行う手法であるように思う。

 慣行に従う中では、費用対効果では最善の案である。

HARUNA

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自衛艦艇の正月飾 海上自衛隊舞鶴基地の大晦日

2008-01-06 10:49:56 | 海上自衛隊 催事

■本日も舞鶴基地一般公開

 大晦日に展開した舞鶴基地、正月三ヶ日と土日が重なったことで、本日まで連日一般公開。自衛隊桟橋は舞鶴市の観光名所の一つである。

Img_3950  地方隊の護衛艦より撮影した自衛艦旗とミサイル艇。旭日旗が眩しい。

 舞鶴基地には、第3護衛隊群旗艦「はるな」を中心にミサイル護衛艦「あたご」を除く舞鶴在泊艦艇、地方隊の護衛艦三隻、掃海艇三隻と、ミサイル艇二隻、補給艦「ましゅう」などが在泊。ミサイル艇一隻が出港していた模様。

Img_3960  お正月ということで門松が飾られている。イージス艦「みょうこう」の門松が、艦橋と相まって見事だったので元日に掲載したが、ミサイル艇にも門松が置かれている。乾舷が低いことで3インチ砲と門松が一枚に収まっている。それにしても見事な冬晴れ、翌日は雪だったとのこと。

Img_0251  桟橋に、護衛艦ごとに門松が並ぶ。一般公開の護衛艦を見学した際に鏡餅も置かれていたので、まさに日本の正月である。艦内の食事も、お雑煮とか、おせち料理的なものが出たりするのだろうか。これだけ見事に晴れているにもかかわらず、ご覧の通り見学者が少ないのは荒天の天気予報のためだろうか。

Img_0242  艦橋に置かれた鏡餅。上甲板から撮影。

 聞くところでは、協力会の人たちや地元の人たちの参加のもと、餅つき大会を行う部隊もあるということで、こういったときの交流が災害派遣の際には以心伝心の大きな意義を持つ、という話を聞いた事がある。

Img_3737  舞鶴市役所裏の駐車場から掃海艇桟橋を望む。掃海艇桟橋は一般公開されていなかった(通常の土日一般公開でも護衛艦が停泊している北吸桟橋が一般公開され、掃海艇桟橋は一般公開されない)。写真を良く見ると、夜間電飾の準備はされていないことがわかる。

Img_0185  掃海艇のマストを良く見てみると、正月飾りが先端につけられていることがわかる。

 ちなみに、一見正月ののどかな光景に見えるこの舞鶴基地であるが、掃海艇や護衛艦の応急艦に指定されている艦艇は、常に何かの自体があった際には出動できるよう待機しているとのことである。

HARUNA

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護衛艦「しらね」火災で除籍へ 旗艦を火災で失う海上自衛隊

2008-01-05 11:46:01 | 防衛・安全保障

■CIC全焼、復旧200億! 除籍以外の良案を探る

 海上自衛隊の旗艦、と書いたことで、「しらね」は第1護衛隊群旗艦であって、護衛艦隊旗艦は「さわかぜ」だろう、と思われる方もいるかもしれないが、観艦式では就役から、常に「しらね」若しくは同型艦の「くらま」が総理大臣乗艦の旗艦として扱われている。

Img_1540  加えて第七艦隊旗艦ブルーリッジとの姉妹艦、しかも、東京に程近い横須賀に配備されていることから国賓の広報行事などに就くことの多い「しらね」は、海上自衛隊の旗艦と呼んで差し支えないのではないかと思う。また、「あきづき」「むらくも」「たちかぜ」「さわかぜ」といった歴代の旗艦は、従来の艦を旗艦に改造したものであって、例えば連合艦隊旗艦大淀と第二艦隊旗艦大和、というような位置関係があったのだと考える。

■しらね除籍へ

事の発端はCIC付近から出火し、八時間近く延焼したことでシステム中枢を破壊されたことである。

Img_1273  2007年12月14日、火災事故を起こした護衛艦「しらね」は、戦闘指揮を行うCICが全焼するという大損害を受け、修理には200億円以上、最大で300億円が必要、修理期間は二年という見積が出され、耐用年数が残り五年ということもあり、これを差し引いた場合、費用対効果で修理よりも除籍するという選択肢が妥当という結論が出されたようだ。これにより、写真(左)の「はるな」よりも七年も若い「しらね」が海上自衛隊初の除籍ヘリコプター護衛艦となるようだ。

■海上自衛隊の護衛艦は世界では若年定年

 そもそも、「しらね」はヘリコプターの運用を主任務とするフネである。

Img_1558  護衛艦の寿命は24年で、艦齢延長改装を行うと32年運用できるとのことである。しかし、「はるな」建造の際に着艦装置などを参考としたカナダ海軍のイロコイ級ヘリコプター駆逐艦(1972~1973年に四隻就役、三隻現役)、フランス海軍のヘリコプター巡洋艦ジャンヌダルク(1964年就役、現役)にしても、イタリア海軍のヴィットリオヴェネト(1965~2003年、予備役後、記念艦として準備中)にしても、ヘリの運用に重点を置いた、この種の艦は艦載機さえ置き換えれば40年は大丈夫なのだが、技術的に難点があるのだろうか、日本の護衛艦は、造船技術全般から評価しても船体寿命が各国の艦艇と比較して劣っているとも思えない。

■米海軍は火災で上部構造物が全損しても修理

 また、技術的に修理は可能であると思う。例えば、1975年11月22日に、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦ベルナップが地中海で空母ジョンFケネディのアングルトデッキと衝突し、損傷部分から航空燃料が噴出、燃料を被ったベルナップの上部構造物がアルミ製であったことから20時間に及ぶ火災により、船体以外全て融けてしまい大破したが、修理後現役に戻り、湾岸戦争にも参加している。これを考えれば、「しらね」はアスロック弾庫に引火誘爆したわけでもなく、大破着底したわけでもない。加えて、戦艦三笠、戦艦日向など戦前の旧海軍では弾薬庫爆発などの損傷から修理復帰した例が幾つもある(戦艦陸奥や戦艦河内のように駄目だった例もあるが)。

■しらね修理の道

 このまま火災で除籍、となれば海上自衛隊は今後五十年、汚名が続くのではないか。

Img_9945  なんとなれ、海上自衛隊の顔として、「しらね」がこれまで機能してきたことは確かである。建造費は427億円ということだが、ここで重点的に艦齢延長改装を行い、例えば2021年まで運用できるようにする、という方法もあっていいはずである。例えば機関の蒸気タービンからガスタービン化、これは一見、排気量の多いガスタービンに空間容積が必要となり、軽量であることから重心の変化も可能性として挙げられるが、前述のイロコイ級では行われておりライフサイクルコスト低減に寄与する。マストと煙突が一体化したマック構造を考えれば、輸送艦などで実績があり、音響ステルス性や巡航性能で優れているディーゼル機関(事実、88年と91年に就役したフランス海軍のカサール級ミサイル駆逐艦や、最新鋭のラファイエット級ステルスフリゲイトはディーゼル機関を採用)に置き換えてみるという方法も考えられる。

■『しらね』艦隊旗艦、練習艦、試験艦、特務艦に改造

 「しらね」を末永く使う幾つかの案を考えてみた。5インチ砲を背負い式に搭載した独特の艦容は、世界的に観てスマートであるとの評もある。これを第一に幾つかの提案を列挙。

Img_9028_1  「しらね」が続いて建造される「ひゅうが」型ヘリコプター護衛艦と性能で異なるという点を含めれば、除籍廃艦以外に3通りの方法がある。それは護衛艦隊旗艦か、試験艦転用、練習艦転用という方法である。

 「しらね」はヘリコプター護衛艦であり、広大な格納庫と飛行甲板を有している。これは既出()の意見ではあるが、格納庫区画に司令部施設を設け、年々増大する通信量に対応するべく、格納庫上部にアンテナを設置する。司令官用に一機分の格納スペースを残せば、ヘリが着艦出来ない現行の旗艦「さわかぜ」よりも柔軟性が増える。当然、司令部設備と合わせ、CICの再建も行うことが出来る訳だ。

 この他、「あすか」を補完する試験艦への転用も一つの方法である。就役は基準排水量950㌧の試験艦「くりはま」と同時期であり、改編により護衛艦隊に戻される「はつゆき」型や今後旧式化してゆく「あさぎり」型といったミサイルの非VLS方式搭載艦の近代化改修の先行試験艦として利用できる可能性を有する。更に、航空機が発着艦出来、一機分を講堂としての余剰スペースとして用いても尚二機が運用できる為、航空練習艦として用いることも考えられる。除籍して、記念艦として、時には「はしだて」のように迎賓艦に用いる特務艦に、とか。これなら速力も要らないし、CICもそこまで必要ないかもしれない。

■歴史ある艦、火災で除籍か、修理後現役復帰か

 戦後唯一、沈没した航空母艦は、火災で沈没したロシアのアドミラルゴルシコフである。十年以上前であるが、いまも言われている。「しらね」もその流れに乗るのか、火災で除籍と火災後修理して復帰、大分違う。

Img_0998_1  写真は十二月八日に撮影した「しらね」。この翌週に火災が発生し、年が明けて除籍。

 海上自衛隊の護衛艦において火災で除籍など前代未聞である。冒頭に記したように、由緒正しい艦であるのだし、諸外国の事例を見れば、修繕費が出せないような海軍を除けばまだまだ長期間現役に耐える艦である。また、緊縮財政の折、今後も「しらね」就役の頃のようなペースで艦艇を建造できる保障は無く、修理できるならば、末永く運用して行ってはどうかと考える。

 なんというかね、京都の文化財をみてゆくと、何度壊れても直すんですよ、失火も戦火も落雷も色々理由はあるけど。だから、五重塔は近代ビルには建て替えないし、伽藍も鉄筋コンクリートにはしないのですよ。もし将来、花岡断層が動いて大地震があっても、一生懸命復元すると思うんですよ。そんな価値観で「しらね」修理で現役に、という記事をかいてみました。

 ご意見などあれば、お気軽にどうぞ。

HARUNA

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新砕氷艦しらせ ユニバーサル造船舞鶴工場にて建造開始

2008-01-04 11:54:38 | 先端軍事テクノロジー

■新12500t型砕氷艦

 主に南極観測任務支援用として用いられる現行の砕氷艦「しらせ」の老朽化が進んでいるとされるため、代替として建造が進められている二代目「しらせ」の写真が大晦日、撮影できたので掲載したい。

Img_3787  これがユニバーサル造船舞鶴工場で建造されている「しらせ」。基準排水量は現行の11600㌧からやや増えて12500㌧、満載排水量も19000㌧から22000㌧とやや大型化している。全長は146㍍で、航海速力は15ノット、連続砕氷能力は現行と同じ1.5㍍、艦載機は一機増えて4機となる模様。手前はDDG-175「みょうこう」。この日も火災訓練を実施していた、今朝の報道では、火災を起こした護衛艦「しらね」は修理費用が200億円と見積もられ、防衛省では廃艦の方向で検討しているようである。

Img_0188  ユニバーサル造船の埠頭には、補給艦「ましゅう」が停泊していた。ユニバーサル造船で建造されていた、とC.ジョニー氏には説明してしまったが、調べたら三井玉野造船所で建造。ユニバーサル造船で建造されたのは二番艦として佐世保に配備されている「おうみ」の方でした(スマンです)。ということは、「おうみ」建造中の時には「ましゅう」と並んでたりもしたのだろうか。

Img_3803  17AGBは、本来は平成16年度予算に盛り込まれる計画であったが、文部科学省予算ということが特筆され、同時に予算難から難航し、設計予算のみ認められ、平成十七年度予算で建造されたという背景がある。当初は基準排水量22000㌧という計画もあったが、これも縮小され、現行の案となった。また、聞くところではCH-101二機とともに搭載する二機の観測ヘリは、民間からチャーターするという方式が用いられるのだとか(出典:世界の艦船No.630,P203)。

Img_3774  どうせならば、17AGBは22000㌧型の砕氷艦構造で全通飛行甲板を採用し、南極観測支援の他に、ヘリコプターを用いての国際人道支援任務や、平時には航空練習艦として運用。更に艦内の観測員収容スペースを活かして、汎用スペース化し、限定的な病院船としての機能も付与し、日本国内の大規模地震災害などに投入できるようにしては、とも思ったのだが、さすがにそれは無理か。

HARUNA

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京都八坂神社 をけら詣り 大晦日に新年の無病息災を願う

2008-01-03 11:42:23 | 写真

■八坂さんの大晦日

大晦日、ぐるっと一周廻った話は元日に速報として掲載した。その中でも本日は、八坂神社をけら詣りについて、掲載したい。

Img_4096_2  そもそも八坂神社にしても祇園祭にしても、疫病祓いや無病息災を願ったものであり、今に至るまでの人類史は病気との闘いにより開かれたものである。いうなれば、ホモサピエンスが単一の種族として地球上の大半をその勢力圏に置く過程で集住があり、文明が発達したのだから、文明の広域化とともに疫病は媒介を得て、集住の多重化は感染の機会を生み、しばしば流行禍を生んでいる。

Img_4107  歴史を紐解けば、確かに戦争や内乱の災厄は多く人類に降りかかり、災害や人身による事故は多くの人を不幸に追い遣ったやも知れないが、それは一つの例外であり、常態として考えられる災厄からの回避は、文字通り無病息災であるのではないか。

Img_4050  そういったわけで、個人的な考えとしては、無病息災が人の活きる先に最も必要なものであり、これさえ担保されていれば、幾らでも飛躍の機会に辿り着くことができるものといえる。来年(2008)も元気で、というのは最もありふれた、しかし重要な意義があるのではないか。そう考えつつ、八坂神社参道から入ろうとすると、西楼へお回りください、と。・・・。

Img_4046  さすがに十時間近く鉄道旅行を終えての八坂神社、しかも深々と冷えている中であるが、境内に入ってゆくと多くの人の集まりが活気を生み、この活気がほの温かい雰囲気を醸成している。なるほど、大晦日となれば誰しも新年への期待をこめて集っているわけだ。もちろん、多くの出店が軒を連ねており、縁日のような活気が境内へ足を進めるごとに満ちてくる。

Img_4042  をけら詣りというくらいなので、をけらを綯った縄がそこかしこで売られている。700円くらいだったと記憶する。これは通常の藁を編んだ縄ではなく、をけらを綯った縄なので、火の回りはそこまで早くなく、家路の道中、縄が全て燃え尽きてしまうという心配は無い(和歌山や姫路あたりまで歩いて帰るなら別だが)、なんとなれ、翌朝の雑煮を炊く時に火種にするのだから翌朝まで火は続くはず。当然といえば当然だ。

Img_4057  八坂神社は神社であるので除夜の鐘は撞かれないが、この八坂神社は清水寺に行く道中、小生が通る道である。高台寺や法観寺、数え上げれば一冊の本になるほどの多くの寺院があり、悠久の時の流れとともにある、大晦日の情景を自然に形成してくれる。新年行事も元旦の0500時から行われるが、一旦、参拝者は神社を出なくてはならない。

Img_4064  をけら詣りのをけらに点ける浄火はまだ焚かれないようなので、C.ジョニー氏とともに今年最後の神社参りを行う。私事を見渡せば、相応の資料も集まり、研究の見通しもついており、順風満帆とは行かないが、それなりの展望もあるので、友人と家族の健康のみを無心に祈る。消費税5%なのでお釣りでもらう五円玉がありそうなものだが、ペットボトル緑茶を買った際のお釣り五十円しかなく、最近、どこでも五十円を賽銭としているような気がする。

Img_4074  神主さんご一行が本殿のほうから歩いてくる。いよいよ浄火が点けられる。多くの参拝者が、をけらを火にくべる。そして、火が点いたをけらが、消えてしまわぬようにくるくると廻している。蛍が舞うようにくるくると舞う火点が境内に少しずつ溢れてゆく情景は、ある種、情緒溢れた冬の一場面である。

Img_4078  しかしながら、C.ジョニー氏とともにカメラを構えていて気付いた。化繊!、そう、カメラバックや、化繊の防寒着は、をけら詣りの火で引火、若しくは簡単に溶解してしまうのだ!、折角の冬の一張羅、何かあっては大変だ、ということで、参拝もしたことだし、サッと撮って、すぐに撤収を決意。一行は八坂神社を後にした。

 皆様、今年一年、健康で過ごせますように。

HARUNA

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2008年の干支は鼠 狛鼠が迎える京都大豊神社

2008-01-02 12:17:51 | 写真

■初詣は大豊神社で

 今年の干支は鼠。神社などでは初詣の参拝者へ、鼠の置物や絵馬などを用意しているとの事だがもう少し一歩進んだ干支の初詣がしたい、という方のための今回の掲載。

Img_0436  ここ京都には、今年の干支である鼠が狛犬ならぬ狛鼠として参拝者を迎える神社がある。

 名を大豊神社といい、創建は9世紀までさかのぼり、御旅所もある立派な神社である。鼠の石造ではなく、ちゃんと、狛鼠として置かれており、お稲荷さんの御狐様ならぬ、御鼠様、といった印象であろうか。

Img_0455  大豊神社は、少彦名命、応神天皇、菅原道真を祀っており、887年に宇多天皇の病気平癒のために建立された勅願社である。

 朝廷の信仰を集めた大豊神社であったが、応仁の乱や建武の乱により本殿、拝殿、絵馬堂などが消失し、後世再建されて今日に至る。

Img_0417  大豊神社は、銀閣寺や法全院に程近く、今日では、鹿ケ谷や南禅寺一体の土産神としての信仰を集めている。

Img_0418  上の写真の道標は、哲学の道に立てられており、歴史街道というべき哲学の道に沿って、大豊神社の他様々な史跡名勝が点在している。

Img_0451  大豊神社。冒頭に掲載した写真は御旅所の近くの鳥居で、こちらが大豊神社の本殿にいたる鳥居である。ここら辺、普通の狛犬も置かれており興味深い。

Img_0431  大豊神社では神花として、椿や枝垂れ梅、紫陽花などが境内に植えられている。広くはないが、山の麓に佇む神社という印象。

Img_0434  大豊神社の狛鼠。日吉神社の狛猿、愛宕神社の狛鳶はそれぞれ、神の使いとして有名であるが、大豊神社の狛鼠も神の使いである。

Img_0435  狛鼠。

 対になった狛鼠は、珠を抱いた姿と巻物を手にした姿、どころなくユーモラスな表情に心が和む。

Img_0447  創建の由来からもわかるように、無病息災、そして学問成就、さらに縁結びなどのご利益があるといわれている。

 今回の写真を撮影したのは11月、したがって、紅葉などは完全に終わってしまっているが、最も今年らしい初詣先として、京都大豊神社へ、皆さんも足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

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