北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

令和二年度十月期十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.11.21-11.23)

2020-11-20 20:00:09 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 COVID-19影響により今週末も行事はなし、神戸に護衛艦が来ますが募集対象者事前抽選限定公開です。そこで懐かしい築城の写真とともにポストコロナを考えてみましょう。

 築城基地航空祭。例年であれば、今頃には築城基地航空祭が行われる季節ですが、残念ながら本年は他の航空祭と同じく築城基地航空祭も中止となっています。なにしろ航空祭の規模は大きい、地方都市一つ分の人口が動くのですし、基地では所謂社会的距離を維持できたとしても、輸送に当る公共交通機関が混雑しない航空祭は、みたことがありません。

 ワクチン、アストラゼネカとファイザーなどなど、効果が期待できるワクチンが徐々に完成しており、なにしろ戦争が起こっている訳でもありませんので感染対策が一丁目一番地、すると、この種のワクチン開発としては非常に早い短期間で実現しているのですが、これによる公衆免疫が完成したならば、2021年には航空祭を行う事は出来るのでしょうか。

 第三波。実際には警戒されていた冬の第二波であると考えているのですが、現在の感染拡大は非常に懸念すべき状況で、特に高齢化の進んだ我が国では、春の第一波にて感染拡大を防げなかったイタリアでの大量の死者が発生した背景に、OECD加盟国中二番目という高齢化率が挙げられ、OECD加盟国中一番という高齢化が進む日本では、警戒が必要です。

 日本は感染対策に成功した、と誤解されるのかもしれませんが、ここで対応を間違えれば一挙に一ヶ月間で数千や一万単位の死者を想定する必要があり、これは大袈裟ではなく欧州や南米、アジア地域で実際に発生している現実です。ただ、自粛と警戒が延々ではない、ということが、上記の通り進む複数のワクチン開発の順調な治験、といえるのですね。

 2022年までは自衛隊も慎重となるのではないか、こうは考えるところですが、伊丹駐屯地、八尾駐屯地、出雲駐屯地、日本原駐屯地、僅かではありますが、招待客と募集対象者及びその家族に限定して抽選での数百人規模の一般公開の再開となっていますので、ワクチン普及の後には募集広報の重要性などから、駐屯地祭航空祭は光明はある、と考えています。

 航空祭が再開するとしまして、問題は宿泊業や輸送業が軒並み、COVID-19の影響を受けている事です、ここの影響が大きければ、遠出するにも不便となるのかもしれません。勿論近傍の航空祭や駐屯地祭は別ですが。具体的に考えますと、格安航空券やLCCローコストキャリアがどの程度戻ってくるのか、という点です。九州沖縄北海道はここに依存する。

 実際問題、GOTOトラベルの割引は物凄いものがありまして、前には格安航空券とビジネスホテルを組み合わせた個人旅行よりも若干安価な価格帯で、往復新幹線と観光ホテルを利用する事が出来るのですから、気にはならないのでしょうが、これが終了し、そしてフラッグシップキャリアはじめ航空会社が航空機材を整理し始めた現状、どうなるのか。

 国内航空路線は大型機を小型機に置換え、一部路線を運休とする一方、フラッグシップキャリアは生き残りを図っていますが、これでは旅割はじめ早い時期に航空券を確保した場合でも大幅な割引は見込めなくなるのではないか、という懸念があります。そしてLCCの大規模運休、更にはエアアジアジャパンの倒産です。LCC各社でも大規模な運休が続く。

 LCCについては、エアアジアの運休に伴う返金が大幅に遅延し、その間に倒産、というものがありまして、なにか旅行会社てるみくらぶ倒産を思い出してしまうのですが。航空会社を選ぶ際には、特に早割を適用する場合、コロナ終息後も経営状況の格付けを見る必要も感じ、再び空の旅というものは価格帯的な意味で難しいものとなるのかもしれません。

 外国人向けホテルなどは閉鎖されたままの建物が目立つ。実は幾つか、日本人お断りのホテルや温泉施設を見てみますと、某駅前の大きなものを含め国内観光需要や国内在留外国人向け宿泊施設に転換できなかったホテルを見ていまして、昔宿泊を打診して空き室はあるが駄目だと断られた経験から、さもありなん、とは思うものの不憫にも思う次第でして。

 自衛隊行事の際にお世話になりましたホテルを見ますと、ほぼ頑張っているのですが、手頃な価格帯の別館を閉鎖している事例や、宿泊予約は受け付けているものの近隣の同系列ホテルに宿泊を集約しているなど、これは一時的な部分休業ではあるのでしょうが、影響は出始めています。GOTOトラベル需要喚起が終了した先、果たしてどうなるのでしょう。

 このGOTOトラベルによる旅行需要の先取りは、実は後に外国人旅行需要インバウンドに円滑に引き継げなければ、大きな影響は当然想定されるとともに、観光業は勿論、旅客輸送と間接的に物流全般へも影響しているものでして、ポストコロナ時代の自衛隊行事、その為の遠出というものが、どのように変容してゆくのかは、ちょっと考えてしまいますね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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くまの(FFM-2)三井E&S造船で命名式,3900t型護衛艦30FFM二番艦は重巡洋艦熊野を継承

2020-11-19 20:07:18 | 先端軍事テクノロジー
■FFM多機能護衛艦は河川名
 ごきげんよう!神戸の隣の岡山生まれのお洒落な多機能護衛艦の名は”くまの”ですわ。さて、いいかな。現地へはいけませんでしたので三菱長崎の写真等と共に。

 30FFMとして建造されていました平成30年度護衛艦二番艦が本日命名式と進水式を挙行、艦名は護衛艦くまの、となりました。3900t型護衛艦の2番艦で三井E&S造船にて建造されていた護衛艦です。DD,DE,海上自衛隊の護衛艦は艦隊駆逐艦のDDと護衛駆逐艦を示すDEと建造されてきましたが、今回のFFMは多機能フリゲイトを示す新艦種となりました。写真は大昔撮影の、あきづき建造中の様子だ。

 FFM。FFとはフリゲイトを示す区分ですが、Mは多機能を示すものであるとともに機雷戦を示すものでもあり、高度なステルス性を有する船体には護衛艦として対水上や対潜と対空の各種任務や領域警備とともに無人機雷戦装備による機雷戦への対処能力が盛り込まれており、護衛艦を置き換えるとともに一部の掃海艇をも置き換える野心的な護衛艦です。

 くまの。海上自衛隊が護衛艦くまの、を命名するのは今回が初めてではなく、過去には護衛艦ちくご型10番艦として1975年に進水式を迎えています。就役は1975年で2001年まで現役、FFMくまの命名は実に19年ぶりに護衛艦くまの、海上自衛隊へ戻ってきたこととなります。先代は基準排水量1500t、今回3900t、いやはや護衛艦も大きくなったものだ。

 熊野。護衛艦くまの、三重県の熊野川が由来の命名ですが、日本が艦艇に熊野を冠するのは今回のFFMくまの、が三代目となります。最初の熊野は重巡洋艦熊野、1936年に命名され1937年竣工、基準排水量12000tの最新鋭巡洋艦として太平洋戦争に臨み緒戦のマレー作戦やミッドウェー海戦、レイテ沖海戦に参加、1944年11月25日に撃沈されています。

 くまの型、ではなく本日進水式を迎えたのは二番艦、一番艦は未だ命名式を迎えていません。実はこれには理由がありまして、一番艦は三菱重工長崎工場にて建造されていますが、機関部搭載に際し付記事項があった関係から建造が遅延し、先に二番艦が進水式を迎えました事情があります。一番艦の命名も今後数週間以内には長崎で行われることでしょう。

 ちくご型護衛艦くまの、の名を継ぐFFMくまの。実は多少、無関係ではないのかもしれません。ちくご型護衛艦は第三次防衛力整備計画を中心に大量建造され、実に11隻が竣工しています。当初は更に多数を建造する計画でしたが6番艦ちとせ、が竣工した1973年に第四次中東戦争勃発、石油危機による戦後初の大不況に陥り、建造計画が縮小された過去が。

 艦隊には数が必要だ、ということで3900t型護衛艦は大量建造されます。毎年2隻を建造する、という念頭で抑えられる部分を徹底してコスト管理した設計といい、この成果があって建造費は500億円以下の470億円程度、前型といえる護衛艦しらぬい建造費の729億円よりもかなり建造費を抑えられています。ちくご型のように大量建造する計画で、旧型の護衛艦などを置き換えるべく20隻以上建造される。

 むらさめ型、こんごう型からの脱却、FFMくまの、は海上自衛隊護衛艦建造における大きな転換点ともなる護衛艦です。こういいますのも、現在、護衛艦隊に配備されている護衛艦は全通飛行甲板型護衛艦というべきヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが型、いずも型を除けば、汎用護衛艦はすべて護衛艦むらさめ型、そしてミサイル護衛艦こんごう型派生です。

 たかなみ型、あきづき型、あさひ型、と汎用護衛艦はこの、むらさめ型の他に多種多様な名前が並ぶのですが、基本構造として機関配置や丈夫構造物レイアウトは、むらさめ型拡大改良型であり、例えば護衛艦あきづき型などは当初19DDと呼ばれていた頃には思い切ったステルス設計が構想されていたものの設計費の節約から現状のものとなっています。

 こんごう型につきましても、あたご型、まや型、まや呉初入港ということで話題になっていますが、この3型はすべてミサイル護衛艦こんごう型の改良型となっています。あたご型は当初思い切って6000t規模にコンパクト化し建造費用を抑える試みがありましたが、再設計した場合はかえって建造費が高くなるため、こんごう型派生型となった背景が。

 FFMとして建造される護衛艦は上記の通りFFMという新しい用途に用いる護衛艦であるため、完全に一から設計されています。この為に卓越したステルス性への配慮が可能となり、これまでの護衛艦から外見を一新することとなっています。これに併せて、でしょうか、艦番号は2、これまで戦闘艦の三桁の艦番号、支援艦の四桁、とは一新しているという。

 すずや。一番艦あたりにロシアに強い姿勢を示すべく樺太の河川名鈴谷を用いた初代熊野姉妹艦の継承したようにみせて、いや能登半島の鈴屋川ですよ、という艦名を期待したいところですが、なにしろ3番艦と4番艦も長崎で建造が進められています。くまの、は掃海隊群を拡大改編した艦隊に配備、2022年に就役する予定となっています。楽しみですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】平等院鳳凰堂,国宝御堂に関白藤原頼通の願いと宇治巡る平等院一千年の歴史

2020-11-18 20:20:53 | 写真
■鳳凰堂に西方極楽浄土再現
 平等院鳳凰堂、こう一つに示される背景には歴史の流れと共に平等院が至りました道程と奇跡的に現存する鳳凰堂の妙が、あるのかもしれません。

 平等院。平安朝の頃より別荘として数多貴人や天皇に愛された邸宅は藤原道長の子、関白藤原頼通は宇治殿を受け継がれています。しかし、永承7年こと西暦1052年、末法の世が到来したと考えられるようになった世相をうけ、多くの貴族が寺院造営に邁進しました。

 飛鳥時代に伝来しました仏教は、もともと現世での救済を求めるものではあったのですが、平安朝も後期となりますと、日本では末法思想が広く信じられるようになってゆきます。貴人は極楽往生を期し西方極楽浄土に至る阿弥陀如来を報じた寺院を盛んに造営した。

 末法思想とは釈迦入滅より二千年削経ての後は仏教が廃れるという思想でした。しかし、仏教が廃れた頃合いの日本にて天災人災が続き、多くの民衆や貴族は末法とともに世界が終焉を迎えるのではないかとの終末論的思想に転化し、1999年の日本のような状態へ。

 鳳凰堂は天喜元年の西暦1053年に建立された阿弥陀堂、堂内の阿弥陀仏と壁扉画や供養菩薩像、周囲の池内庭園は西方極楽浄土を観想するべく現世に極楽浄土を再現したという。鳳凰堂は中堂、北翼廊、南翼廊、尾廊の 4棟より成り一重裳階付壇上積基壇構造という。

 平等院最盛期には宇治川の近くに本堂の金堂と講堂を有し釣殿が宇治川に突出し、鳳凰堂のさらに東には小御所として天皇や上皇を迎える堂宇を有し多宝塔が藤原頼通の娘である四条宮寛子により康平4年こと1061年に造営されていましたが、全て焼失しています。

 明尊。開山明尊は小野道風の孫として幼少時からに園城寺三井寺に入り、当時の高僧余慶より顕教密教2教を学び、慶祚からその奥義を伝授されまして、円満院に住して園城寺法務を兼ね僧正まで至っています。その最中に関白藤原頼通とこう不思議な縁を結びました。

 明尊が園城寺法務と天台座主の頃、長暦年間西暦1039年、関白藤原頼通に強訴したことで朝廷との関係が悪化し三井寺を出る事となります。しかし藤原頼通との関係が生まれた事で平等院の開山に招かれ、その翌年の天喜元年1053年には牛車を許されることとなります。

 藤原頼通との所縁もあり明尊が平等院検校に任じられたのはその翌1054年、そして頼通は康平3年の西暦1060年に明尊90歳の奉祝行事も行っています。今から1000年近く昔の話ではありますが。なお、末法思想の頃、故合って洛中洛外は急造寺院で溢れていました。

 藤原道長は寛無量寿院法成寺、白河天皇勅願の六勝寺として法勝寺と尊勝寺に最勝寺と円勝寺と成勝寺そして延勝寺、左京区岡崎あたりに続々と造営され、末法の後の安寧を願ったのですが、思いは何処かへ、平等院以外のこの時期の寺院は全て廃寺となり今に至る。

 平等院も上記の園城寺の末寺であり藤原氏所縁の寺院として栄華を誇りましたが、南北朝時代の建武3年の1336年に足利尊氏と楠木正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外全ての伽藍を焼失、室町時代園城寺の院家である円満院院主が平等院の住職を兼ねる古寺となった。

 園城寺三井寺との関係も江戸時代の頃には絶たれてしまい、いまは単立寺院となっています。寺域には鳳凰堂とともに観音堂と浄土院、養林庵書院に最勝院不動堂そして最勝院庫裏と並んでいまして、琵琶湖から続く宇治川の流れがふと冷たい歴史を慰めるようです。

 鳳翔館として、しかし貴重な仏教美術の仏像は確実な環境とともに今も多くの拝観者に深い世界観の神髄を伝えていまして、先ごろから戻り始めました修学旅行生の雑踏と数多かつての修学旅行生たちの落ち着いた歩みとともに、静かに平等院は明日も此処に在ります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】平等院,源融と源氏物語宇治十帖に紡がれた宇治院がこうして平等院となる

2020-11-17 20:09:07 | 写真
■源氏物語に描かれた宇治
 宇治。ここは今も昔も京都の離れの間という静寂と宇治川の流れに常に新鮮な風情です。

 平等院。この響きとともに美しい伽藍の様相は我が国ならば手元に在ります十円玉の硬貨その表面に美しく彫像されています。昭和二十六年、現在の十円硬貨はこの1951年より鋳造が始り翌年から発行がはじまりました。当時はかけそば17円にコーヒー30円の時代だ。

 宇治市宇治蓮華に広がります平等院は、日本を代表する情景であると共にいまや、ユネスコ世界遺産古都京都の文化財に列せられています。その創建は永承7年こと西暦1052年まで遡ります、開基は藤原頼通でかの藤原道長実子、別荘を寺院へと改めた経緯があります。

 開山に明尊を迎え、本尊に阿弥陀如来坐像を安置しています。美しい伽藍の鳳凰堂は国宝に指定されておりまして、国宝は阿弥陀如来坐像ほか数多上ります。さてさて、現在の十円硬貨が発行された時代は大卒公務員初任給6500円の時代ですが平等院の時代は更に遡る。

 源氏物語の宇治十帖。宇治市は京都駅から快速電車で19分という立地ですが、平安朝の時代からここ宇治市は牛車で貴人が避暑に往復する景勝地でもあり、ここ宇治の地、古典文学草創期の源氏物語にも描かれています。この光源氏のモデルもここを避暑地としていた。

 源融。光源氏のモデルと考えられる嵯峨天皇の皇子源融が、ここを別荘としていたのですね。嵯峨源氏融流初代。河原院や河原大臣と呼ばれていまして本宅は今の河原町通り界隈にありました。源融は嵯峨源氏の初代、そして稀代の趣味人で風流人でもあった、という。

 源融は小倉百人一首では河原左大臣、嘉祥年間の西暦850年、文徳天皇の即位とともに右衛門督に任ぜら武官を務めています。その際に鎮守府の置かれた陸奥国塩釜に赴任しており、塩釜を再現した庭園、六条河原院を造営、此処は現在東本願寺渉成園となっています。

 朱雀天皇、醍醐天皇の第十一皇子が延長年間の西暦930年に即位し朱雀天皇の治世下となりますと、病弱であるとともに当時国内情勢が非常に緊張状態にあり、その心労が多かった最中に別荘は嵯峨源氏から朝廷へ献上され、朱雀天皇の離宮宇治院が造営されました。

 朱雀天皇治世下は大変な事が多かった。先ず承平5年の西暦935年、平将門が乱を起こします。いきなり誰でも知っている非常事態ですが、翌年には瀬戸内海で藤原純友が乱を起こし、承平天慶の乱です。朱雀帝は952年に出家し仁和寺に上りますが齢30で崩御する。

 源重信。宇治院は再度嵯峨源氏へ下賜されました。源重信は六条左大臣といい、正暦2年の西暦991年、右大臣に任ぜられています。大鏡によれば愛嬌と人見知りしない社交的な気風の持ち主故にかの村上天皇から重用され、また父敦実親王影響から音楽に秀でていた。

 源重信の父敦実親王は出家し仁和寺を住処としていまして、修理大夫を兼ねていました源重信は仁和寺への往路に内裏の東大宮大路と一条大路、復路は西大宮大路と二条大路を往き内裏の周囲を破損場所があれば修理し巡ったといい、その人徳はたかかったようです。

 摂政藤原道長の別荘宇治殿となりましたのは長徳4年の西暦998年の事でした。源重信は貞元3年の西暦978年に大納言に昇りますと長く大納言に留まる事となりますが、当時洛中火災に度々邸宅を焼かれた藤原道長を気遣い、気分転換にと洛中を離れた当地を譲った。

 藤原道長の子、関白藤原頼通は宇治殿を受け継いだのですが、永承7年こと西暦1052年、末法の世が到来したと考えられるようになった世相をうけ、この宇治殿を別荘から寺院に改める事を決意しまして、ここに今日に続きます“平等院”が創建される事となりました。

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【防衛情報】世界の戦車,MGCS独仏戦車計画と欧州レオパルド2改修,ヨルダンにルクレルク

2020-11-16 20:04:36 | インポート
■週報:世界の防衛,最新9論点
 陸上装備体系の頂点に立つ戦車、今回は戦車の話題のみに焦点を合せまして昨今の各国戦車動向を見てみましょう。

 レオパルド2A7主力戦車とルクレルク主力戦車を置き換える独仏主力戦車計画MGCS主力地上戦闘システムについて、独仏両政府は4月28日に締結した2035年までの開発計画の一段階として18か月間のシステム概念実証調査をほぼ画定したとの事。MGCS主力地上戦闘システムそのものは昨年のユーロサトリ2019兵器見本市にて実証車が展示されている。

 ユーロサトリ2019兵器見本市ではルクレルク主力戦車の砲塔を搭載したレオパルド2車体が展示され、これは改修限界に達しC4Iの面で先進的な砲塔を模索するレオパルド2と機関部の信頼性の低さを払拭したいとされるルクレルクの長所を採ったものと理解されたが、システム概念実証調査は将来戦車を模索するとされ、実質、第四世代戦車へ指向している。
■ポーランドのレオパルド2PL
自衛隊の90式戦車も改修するか、放置するくらいならば10式戦車の300両への量産を急ぎ偵察警戒車にでも回収した方がよい。

 ポーランド陸軍では今年5月にポルスカPGZ工業より受領した改良型レオパルド2PLに関する訓練が順調に進められている。各国のレオパルド2はドイツ連邦軍向けに1979年に完成したものの延長線上に在るが、楔形装甲を追加したレオパルド2A5とともに、旧型と呼ばれるポーランドが導入したレオパルド2A4についても順次改良が進められている。

 レオパルド2PLは砲塔正面及び左右と後方に追加式装甲が装着され外見が大きく一新されたほか、砲安定装置の換装や照準装置には第三世代型のKLW-1アステリア熱線暗視装置を採用している。ポーランドは冷戦後、レオパルド2の大量取得と改修を進め、今や欧州NATO諸国では最大規模の機甲部隊を有し、ドイツフランスと共にNATO三大戦車大国とされる。
■トルコの改良型レオパルド2
 レオパルド2の優れたところは冷戦時代に無駄に量産した為にサードパーティが形成された点でしょうか、日本も戦車を考えるならば今後は輸出を真剣に考える必要が。

 トルコ陸軍が運用するレオパルド2A4について年内にもトルコロケットサン社製T-1爆発反応装甲装着の改良型量産車が納入されるとのこと。レオパルド2A4はドイツ製第三世代戦車ながらレオパルド2A5のような楔形装甲などの改良を受けておらず1979年設計であり、陳腐化が進んでいた。シンガポール軍輸出仕様などでは増加装甲が装着されている。

 T-1爆発反応装甲は8月30日の時点でトルコ軍へ40輌分の納入が発表されており、これにより砲塔正面部分と側面部分、車体正面及びサイドスカート前面部分に装着されている。ただ、詳細は発表されていないが砲塔正面部分は形状の特徴から爆発反応装甲ではなく単なる増加装甲か中空装甲であると考えられ、サイドスカート部も中空装甲の可能性が高い。

 レオパルド2A4の戦闘重量は55tであるがT-1爆発反応装甲の装着により戦闘重量は62tに増大している、なお、この装甲追加に際して発煙弾発射装置の一部が増加装甲装着部に転用され省略された。増加装甲により重心や復元性には変化が生じているが、機動力や転覆限界などについては評価試験により戦術機動に支障ない範囲内に収められているという。
■ヨルダンへルクレルク中古戦車
 ルクレルク戦車の運用国が増える事となりました、中古車両の譲渡いう事になりますが。同時にこれはチャレンジャー1戦車最後の運用国が運用終了の目処がついた事ともなる。

 アラブ首長国連邦は9月15日、同国陸軍が保有するフランス製ルクレルク主力戦車の内80両を友好国ヨルダンへ供与する方針を発表しました。アラブ首長国連邦は1993年に戦車戦力近代化の一環としてルクレルク戦車388両と戦車回収車48両を導入、この際に機関を信頼性の高いディーゼルエンジンとした事で当時世界一高い戦車として注目されました。

 ヨルダン陸軍は旧式化したチャレンジャー戦車の後継を探しており、ヨルダン軍第3機甲師団隷下に在る4個戦車大隊のうち、2個戦車大隊をこのルクレルク戦車により充足するとのこと。フランス政府はこの輸出ルクレルク戦車近代化改修を提案しており、アラブ首長国連邦もイエメン内戦介入の戦訓反映させる改修を希望、ヨルダンも参加が見込まれます。
■チェコ軍更なるT-72戦車改修
 チェコ軍は近代化の為にレオパルド2の導入を希望していましたが実現しなかったもよう。

 チェコ国防省は10月、現在運用中のT-72CZ戦車の一部をT-72M4CZより近代化改修する計画を発表した。T-72CZは冷戦時代にチェコスロバキアがライセンス生産したソ連製T-72戦車を1995年より近代化改修したもので、エンジンをイギリス製1000hpに火器管制装置をイタリア製に置換えている。元々、チェコ軍はT-72CZを50両近代化改修している。

 今回の近代化改修は既に改修されたT-72M4CZを更に近代化するもので、改修対象は50両のT-72M4CZのうち30両、2025年までに実施されます。この計画はレオパルド2戦車かM-60戦車サブラ改修型を導入する陸軍戦車計画が予算的な問題から棚上げとなった為に既存戦車を改修する事となったもので、2030年代までT-72はチェコ軍の主力となります。
■パキスタンにVT-4主力戦車
 VT-4戦車、実は安価ながら性能表には秀でたものがありまして運用実績がいかに積まれるかには日本として興味が。

 パキスタン陸軍は九月、今年4月に新たに導入を開始した中国製VT-4主力戦車の初の実弾射撃訓練を実施した。同軍では中国製90-II式戦車が既に470両を配備し2020年にも納入が継続されている。240両をノリンコ社に発注、4月には最初の4両が納入された。費用は第一次契約176両で8億6000万ドル、2019年タイ輸出時、10両で5800万ドルである。

 VT-4戦車は90-II式戦車の発展型であり、戦闘重量52t、125mm滑腔砲を主砲としており機動力は1200hpディーゼルエンジンにより最高速度70km/hを発揮し航続距離は500kmという。装甲は砲塔及び車体正面部分に複合装甲を配置する他、主要部には爆発反応装甲を採用する。VT-4はタイに輸出され2020年4月にからはナイジェリア軍へも配備された。
■T-90が演習中の誤射で大破
 アクティヴ防護装置、いわゆるミサイル攻撃を迎撃して無力化する防御装置は新世代の装甲厚に頼らない防護として注目されていますが。

 ロシア軍軍事演習カフカス2020の最中に対戦車ミサイルが誤ってT-90戦車を直撃する事故が発生しました。事故が発生したT-90戦車の損傷の様子がSNSなどに掲載されていますが、ロシア軍当局からの公式の発表はありません。命中した対戦車ミサイルは9M113コンクルース、ソ連時代1974年に開発された第二世代対戦車ミサイルで重量14.6kgです。

 カフカス2020演習は9月15日から26日に掛けて実施、命中したT-90戦車は車体後部に直撃し火災を発生させています。ただ、T-90はT-72戦車の拡大発展型となっていますが、湾岸戦争では車内に弾薬露出するカセトカ式自動装填装置が被弾時に誘爆を起こし砲塔が吹き飛ぶ事案が多発しましたが、今回事故に見舞われたT-90はそうした損傷はありません。

 T-90が事故当時、乗員が乗車していたかなどについては明らかとなってはいません。なお、T-90には現在順次アクティヴ防護システムが搭載され、対戦車ミサイルの攻撃を受けた場合にはレーダーにて検知し擲弾投射により迎撃する能力がありますが、今回のT-90はアクティヴ防護システムを作動中だったか演習中は電源を落としていたのか発表はありません。
■インドのアージュン戦車に一歩
 アージュン主力戦車、日本亜戦車国産が定着していますが、その技術というものは一筋縄ではいかないようです、制度面も含めてですが。

 インドの新型国産戦車アージュンが主砲発射レーザー誘導ミサイルの発射に成功した、ラジナスン国防大臣が9月23日に発表しました。この試験は国防技術開発機構DRDOが実施したもので目標までの距離は3km、実験に用いられたレーザー誘導ミサイルは独自のもので、爆発反応装甲等を破壊するべく、タンデム弾頭構造を採用しているとのこと。

 アージュン主力戦車は旧式化するヴィッカース中戦車の後継として開発が続けられているが、予想以上に開発が長期化された為インド軍はT-72戦車を導入し開発続行、しかし車体と砲塔共に問題が解決できなかった事からインド軍はT-90戦車を導入し開発続行、一時は車体だけを採用し自走砲化も検討されたが、2010年代後半に最新試作車が完成しています。
■インド軍のT-90戦車
 アージュンが遅延に遅延を重ねている為にこうした話題にも慣れましたが。

 インド国防省はロシア製T-90S主力戦車のライセンス生産を本格化させるとのこと。これは2016年11月に締結されたインド軍向けT-90戦車ライセンス生産権の延長交渉に基づくもので、2019年4月月にはT-90S主力戦車464両を19億3000万ドルにて取得する契約交渉を進めていました。今回すすめられている交渉は製造権を2028年まで延長すること。

 T-90S主力戦車はインド軍が開発を実に半世紀以上、長期にわたり継続させているアージュン主力戦車の技術的難航を背景とするもので、アージュン主力戦車は今度こそ最終試作に向けて評価試験が進められているのですが、T-90Sライセンス生産を2028年まで継続するという交渉は、改めてアージュン主力戦車の完成への道程が簡単でない事を示しています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(4)小松上空のF-2vsVADS(2014-09-20)

2020-11-15 20:00:51 | 航空自衛隊 装備名鑑
■岐阜基地からの来訪者
 岐阜基地から来訪者、F-2戦闘機が飛来し空包射撃展示へ展開したVADS上空での飛行展示が始まります。

 F-2戦闘機、飛行開発実験団所属機の機動飛行はじまる。F-2戦闘機はF-16戦闘機を原型に日米共同開発を行った航空自衛隊戦闘機です。冷戦時代に北海道に迫る水陸両用船団を各機4発の空対艦ミサイルを搭載し打撃を加えるための支援戦闘機として、開発された。

 F-2戦闘機、機動飛行にヴェイパーを曳く。対艦攻撃用攻撃機ならばコルモラン空対艦ミサイル4発を搭載できるトーネード攻撃機などがその用途に適合しているのですが、F-2は攻撃専用機ではなく空対空戦闘も相応に重視しているため、トーネードよりも汎用性が高い。

 F-2戦闘機、模擬対地攻撃を開始した。このF-2戦闘機は飛行開発実験団所属の航空機でこの飛行展示も岐阜基地からのリモート参加となっています。そしてこのF-2戦闘機の飛行展示には重要な意味があります、それはVADSの空包射撃展示を行うために飛来したもの。

 VADSの空包射撃展示、射程1800mから2200mの高射機関砲、猛烈な段幕を張る、のですけれどもちょうどエプロン地区を招待客が移動に使っていまして、じゃまにならないようにと立ち止まったことで滞留してしまった、招待客が立ち止まって、見えにくいぞ。

 F-2戦闘機、VADSの模擬攻撃を回避しつつ。招待客も立ち止まらず動いてくれればVADSは0.7秒程度連続で空包射撃しますので一秒間にEOS-7D一眼レフならば7枚撮影できる、動いてくれれば隙間から正確に撮影できるが立ち止まったら隙間はできない邪魔でしたね。

 VADSの空包射撃展示、招待客が去った頃には終了へ。気を利かせたつもりで、外国人観光客が気を利かせて大浴場の栓を抜くような、他人のジグソーパズルを完成させるような、もうあと少しで完成する仕事を初期化して電源を切るような、そういう迷惑が思い出す。

 VADSの空包射撃展示、射撃再開するとまた目の前に招待客が立ち止まる。ううむ、仕方ないとはいえ、立ち止まらずに動いて欲しかったなあ、と思う。他方、機関砲、これはあらゆる妨害を受けた場合でも弾道は直進するための優位性はあるというお話を聞いた事が。

 F-2戦闘機、既に高高度を飛行している。自衛隊は海上自衛隊のCIWSは別として、航空自衛隊はこのVADSを運用、対して陸上自衛隊は87式自走高射機関砲を運用しつつ、前に運用していたL-90/35mm機関砲はミサイルである93式近距離地対空誘導弾へと移った。

 F-2戦闘機、タッチアンドゴーで小松基地を。機関砲からは回避が一番ですが、一方でL-90なんかは火砲整備が本当に現場のおおきな負担で93式近距離地対空誘導弾が導入された際の現場の歓迎は、これで砲システムを整備しなくて良いのは有難い、ということでした。

 F-2戦闘機、ハイレートクライムのように急上昇してゆく。F-2戦闘機は下手に高性能化したことがかえって費用を高めたという批判がありますが、そもそも導入できる機数が財務当局から上限があるために、単価も上限はありますが高性能化は必然だった、と考えます。

 F-2戦闘機、ショックコーンが機体正面に一瞬だが確実に沸き立つ。F-2戦闘機は当初国産案が、スウェーデンのグリペンを双発化したような、フランスのラファールを双尾翼化したような、要するにどの航空機とも違う独自の戦闘機を三菱重工と構想していたという。

 F-2戦闘機、急上昇してうっすらと刃物のように見えます。アメリカ製F-16を再設計、これはブッシュ政権時代の日米貿易摩擦が背景にあるのですが、形状こそF-16であるものの、なりきれなかった必要性能を盛り込んだ帰結が、このF-2といえるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【1】ヴェルニー公園(2019-04-14)

2020-11-14 20:20:50 | 日記
■横須賀へ横須賀へ横須賀へ
 トンネルと抜けるとそこは基地だった、今回から日記カテゴリを活用します記事としまして“艦艇日記”という話題を紹介しましょう。

 いせ、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦です。JR横須賀線で久里浜行や横須賀行に乗車し田浦駅を出て次は横須賀、と車内放送が入りますと一寸心躍るところです、こういうのもトンネルと抜けるとそこは基地だった、というのが田浦駅の先に広がる故ですね。

 たかなみ、おおなみ、てるづき、それから見えるのは護衛艦たかなみ型とミサイル護衛艦はたかぜ型か、勿論見えるのは一瞬です、戦時中は防諜の関係から目隠しの鉄板が並んだというところですから、なかなか不思議な風景なのですけれども、動体視力の強化みたい。

 吉倉桟橋の護衛艦、一瞬沖合に何か見えたような気がします、動体視力の強化練習とはよくいったものですが、フネ好きはこの時ばかりは普段なかなかないほどに集中力を発揮するのですね、いせ入港中、しかし沖合に何か全通飛行甲板の艦艇が見えたような気がする。

 ヘリコプター搭載護衛艦いせ、あの東日本大震災の五日後に竣工しました、護衛艦ひえい後継艦ですので、考えれば護衛艦ひゅうが竣工翌年の2010年に建造されていてもよかったのかもしれませんが、予算の問題から一年建造が遅れていたという、不本意な遅参なのか。

 あまぎり、きりしま、はるさめ。横須賀駅に到着しますと目の前にヴェルニー公園が広がっています、艦船日記という日常を過ごす際に先ず田浦駅から発車の後に吉倉桟橋にどんな艦艇が停泊しているのかな、と観ました上に横須賀駅前を出て、この岸壁をながめます。

 いせ。やはり大きいです、ね。ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦二番艦、満載排水量19000tの大型護衛艦です、海上自衛隊は対潜戦闘を重視し1973年竣工の護衛艦はるな以来ヘリコプター巡洋艦型船体を採用し1981年くらま竣工まで四隻を整備しましたが、世代交代です。

 しらぬい、最新鋭護衛艦しらぬい、が停泊していました、逸見桟橋の護衛艦たち。ヴェルニー公園を少し歩み進めたところですが、あまぎり真後ろに護衛艦しらぬい、停泊していたのですね、この写真は2019年4月14日、つまり竣工してから一ヶ月しか経っていない。

 ひゅうが型護衛艦。ひゅうが竣工後最初の母港が此処横須賀基地でしたが、いずも竣工を以て舞鶴基地へ転籍されました、いせ母港も呉基地でしたが、かが竣工により母港を佐世保に移し、いずも母港は横須賀に、かが母港は呉に、ひゅうが型は譲ってばかりですね。

 おやしお型潜水艦、潜水艦桟橋です。勇壮な潜水艦の威容、といいたいところではありますが、真後ろに借景となっているが如くに並ぶアーレイバーク級ミサイル駆逐艦を並べているアメリカ海軍の迫力でしょうか、さらっとイージス艦四隻並ぶ、これが横須賀です。

 おやしお型潜水艦、お国ももう一隻停泊しているのが、その奥にも巡洋艦の様な一隻が停泊しています。おやしお、海上自衛隊が戦後初の国産潜水艦として建造したのが先代おやしお、でして海上自衛隊では親潮組という国産潜水艦独自運用を目指す派閥を育てました。

 おやしお、初代潜水艦おやしお中心に親潮一家という派閥を造りましたが、当時はアメリカ製潜水艦くろしお、による洋上航行と水中襲撃を巧みに組み合わせたアメリカ式運用を模索する黒潮一家というものがありまして、闊達な議論と研究で高め合った草創期がある。

 横須賀地方総監部と停泊艦艇、こうヴェルニー公園を歩み進めていますのは冒頭の吉倉桟橋の車窓と併せまして、この日は多くの艦艇が停泊している事を知りましたという点がありまして、ならば乗るしかありません、横須賀軍港めぐり遊覧船へ。乗り場へと向います。

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【防衛情報】カナダCSC計画艦がスタンダードSM2搭載,英連邦共通艦となる26型フリゲイト

2020-11-13 20:00:24 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 カナダ海軍次期フリゲイトがスタンダードSM-2搭載を決定しました、カナダ海軍は全ての水上戦闘艦を広域防空艦で統合するようです。

 カナダ海軍の次期フリゲイトの最新情報、そしてオーストラリア海軍の将来フリゲイトの話題ではありますが、現在、広域防空艦の環太平洋地域での広範な普及が進んでいます。スタンダードSM-2は射程100km程度、改良型が150kmという。対してこれまでは、個艦防空ミサイルはESSMが50km程度、シースパローが15km程度、これで充分でした。

 あきづき型護衛艦と45型駆逐艦、イギリス海軍艦艇は定期的に我が国を親善訪問していますが、同じく我が国に、それももう少し高い頻度にて親善訪問する機会がありますオーストラリア海軍とカナダ海軍艦艇について、遠くない将来である2030年代にはこれら英連邦海軍の水上戦闘艦、かなり外見が共通化した艦艇が訪問する事となるのかもしれません。

 イギリス海軍が進めるGCS最新フリゲイト計画、イギリス海軍の艦艇と云いますとカナカナ日本近海で観る事が出来ないような印象もありますが、今後は我が国の安全保障政策と密接に関係するようになるかもしれません、何故ならば一つはイギリス海軍の極東への関与増大の方針、もう一つはカナダ海軍とオーストラリア海軍への採用という背景故です。

 オタワ。カナダ海軍フリゲイトについては世界の艦艇としまして、先ごろまで特集しましたが一番艦竣工から既に四半世紀を超えており、カナダ海軍では将来にわたる次期水上戦闘艦計画としてCSCカナダ次期水上戦闘艦計画計画を構想、この将来水上戦闘艦に2018年、イギリス海軍のGCS計画26型フリゲイトを選定しました。ここに先日、動きが。

 カナダ海軍は11月6日、CSCカナダ次期水上戦闘艦計画用武器システムとしてスタンダードSM-2艦対空ミサイルの採用を決定しました。これはSM-2block3Cに最適化されたMk.41発射システムと共に100発分を5億ドルで取得する計画で、CSCカナダ次期水上戦闘艦計画の建造艦は26型フリゲイトを若干大型化させた満載排水量7800tとなるもよう。

 アーレイバーク級ミサイル駆逐艦、アメリカ海軍が大量建造し運用している傑作イージス艦です。そして海上自衛隊の護衛艦むらさめ型を筆頭に改良が続き、たかなみ型、あきづき型、あさひ型と建造された艦艇は共にMk41を採用しています。他方、CSC計画艦が全て広域防空艦となる為、艦隊防空能力が環太平洋地域において変容する点は留意点ですね。

 CSCカナダ次期水上戦闘艦計画計画では当初、カナダアリオン社とオランダダーメン社による防空フリゲイトデゼーヴェンプロヴィンシェン級派生型、スペインナヴァンティア社のイージス艦アルヴァロデバサン級にイージスシステムに代えCEAFAR2レーダーを搭載の独自案が提案されていましたが、最終的にイギリス製26型フリゲイトに決定されました。

 26型フリゲイトはグローバルコンバットシップ計画として設計、満載排水量5400tでシルヴァーVLSシステムに射程120kmのアスター30対空ミサイルを搭載していますが、カナダ海軍はアメリカ海軍と同系統のミサイルを採用したものです。カナダ海軍は現行の全ての水上戦闘艦をこのCSC計画艦12隻により代替する計画で2020年代に建造が始ります。

 26型フリゲイトは速力を26ノットと水上戦闘艦としては低く抑えられていますが、艦砲を従来の114mm砲から127mm艦砲とした上でストームシャドウ巡航ミサイル24発を搭載するVLSを採用し、また固有の乗員は118名ですが更に加えて72名の海兵隊員が同乗可能という、パワープロジェクション、所謂戦力投射を相応に重視した設計となっています。

 カナダ海軍が26型フリゲイトを導入すると発表した際、シルヴァーVLSシステムは日米や豪州海軍等が運用するMk41VLSとは異なる規格である事から、相互互換性に若干、留意事項となる印象を持っていたのですが、弾薬の相互互換性という意味で結果的にスタンダードSM-2というMk41を念頭とした装備体系となる事は一つの安心事項といえましょう。

 ハンター級フリゲイト、としましてオーストラリア海軍も26型フリゲイトを導入します。こちらは満載排水量8800tと更に大型化、890億ドルの海軍近代化構想一環として9隻を建造予定となっています。当初はイージス艦ホバート級ミサイル駆逐艦にCEAFARレーダーの搭載案が検討されたものの2020年に26型フリゲイト派生型とする決定がありました。

 オーストラリア海軍はMk41垂直発射システムを各艦に32セル搭載する構想で、海軍近代化計画の中でハンター級フリゲイト整備費用は8隻で80億ドルを超えるものと見積もられています。CSC計画艦は満載排水量7800tでVLSは同じ32セルを採用、この他に個艦防空ミサイルを搭載しています。環太平洋地域でこうした共通装備が運用されるということ。

 英連邦海軍で共通艦となりますと、イギリス海軍に加えオーストラリア海軍とカナダ海軍でも広く運用された第二次大戦中のリバー級フリゲイト、其処まで行かずとも近年まで一部が残っていましたニュージーランドやオーストラリア等で採用されたリアンダー級フリゲイトを思い出す。イギリスの26型フリゲイトは2019年9月より2番艦建造を開始しBAEシステムズゴーヴァン造船所にて2番艦カーディフの鋼材切出作業が開始され一年を経ました。

 むらさめ型後継艦計画には影響はないのか。26型フリゲイト派生のCSC計画艦はカナダ海軍の全ての水上戦闘艦を統一します、するとカナダ海軍の艦艇は現在のハリファクス級がシースパローを搭載しているのに対し射程が十倍も延伸するスタンダードSM-2を搭載する事となり、オーストラリア海軍のハンター級フリゲイトもSM-2を搭載予定なのですね。

 30FFMとして海上自衛隊は3900t型護衛艦の量産を薦めていますが、此処がひと段落したならば艦隊護衛艦むらさめ型の後継艦が本格化します。現在、環太平洋地域を中心に各国海軍艦艇は艦載兵器の長射程化が進んでおり、海上自衛隊もミサイル護衛艦のみにSM-2などを搭載し、汎用護衛艦には射程半分程度のESSMのみ搭載する現状は変わる可能性が。

 護衛艦が全てイージスシステムを搭載する、というような極論に進むかは未知数ですが、汎用護衛艦全般にスタンダードSM-2を搭載し、またFCS-3の後継となる火器管制装置についても長射程艦対空ミサイルを前提とした電波帯域、マルチバンドレーダーの搭載が基本となるのかもしれません。これは同時に艦対艦ミサイルの長射程化等に繋がる可能性もあるでしょう。

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令和二年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.11.14-11.15)

2020-11-12 20:03:07 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今週末の行事と現在の情勢について、11月ということですから11繋がりで2011年撮影の第11旅団の写真と共にお伝えしましょう、真駒内駐屯地の懐かしい情景です。

 自衛隊関連行事は今週末も行われません。三井玉野造船所にて11月19日に3900t型護衛艦30FFMの進水式と命名式が予定されていますが、例年は三井E&S造船玉野艦船工場は進水式を先着順で一般公開しているものの、この一般公開の情報を紹介します玉野市役所HPには本年この情報開示が無く、このコロナ禍下での一般公開は難しいのでしょうか。

 日本原駐屯地や八尾駐屯地に伊丹駐屯地では、限定的に招待者を対象とした行事を実施しています、故に再開があるとしても先ずは都道府県内在従者対象に駐屯地記念行事で百数十名規模から、航空祭でも数百名規模の抽選から再開されるのでしょうか。そう、自衛隊行事再開にはコロナウィルスCOVID-19対策、集団免疫がまさに一丁目一番地といえる。

 ファイザーのコロナワクチン開発成功の報道は世界を駆けめぐりました、免疫獲得率は90%に達したとのことで、これは現在の麻疹ワクチンに匹敵する効果といい、これで十分に長期間の免疫効果が持続するのならば、人口の七割に接種することで仮に感染者がでた場合でも感染を広げない、流行を阻止できる集団免疫を構成することが可能となるでしょう。

 COVID-19感染拡大、このワクチン量産により終止符が打たれるのでしょうか。留意点はファイザーワクチンは開発者であるファイザー製薬が、90%の免疫獲得に成功したと発表したのみであり、そもそもこの治験が重大な副作用の有無についての検証に重点を置いたものであることに留意しなければなりません、ただこれまでより先ず、第一歩、ということ。

 集団免疫、治験ではワクチンとプラシーボを治験参加者に広範に且つ秘匿して接種させ、結果的にワクチン接種者には顕著な免疫反応、そしてプラシーボ接種者には感染、という結果が生じ、まあプラシーボ接種の治験参加者の犠牲には瞑目しつつ、効果を明示したのです。今後は現段階で限られた情報を専門家への情報開示による精査を経て量産となる。

 アストラゼネカ開発のワクチン治験に際して意図しない疾患、要するに副作用の懸念が生じ一時治験が中断したという出来事がありまして、精査の結果でワクチン由来の疾患ではないことが判明しているのですが、冷水を浴びせられたような一抹の不安を感じさせた出来事があり、その後の朗報が報じられない中の報道の内容は、久々の朗報、といえました。

 中国製ワクチンはブラジルでの大規模治験に際して重大な副作用が複数確認されたとのことでブラジル保健当局が治験を中断した、という報道がファイザーワクチン開発成功から数十時間後に世界を巡りましたが、アストラゼネカワクチンとともに各国では複数のワクチン開発も進んでおり、勿論全て順調というわけではありませんが実績が確かなものに。

 接種計画が明確となれば、集団免疫が、2021年内にも世界規模で獲得できるかもしれません。すると長いコロナ禍というものもようやく終止符が見えるのでしょうか。ここで分水嶺となるのは、此処数日間で脚光浴びるファイザーワクチンは、二回に分けて接種することで免疫を獲得するというもので、要するに注射の予防接種一回で免疫は獲得できません。

 マイナス70度での輸送が不可欠である、ファイザーワクチンやアストラゼネカワクチンは数時間の接種準備の期間を除けば長期保存するためにはこのマイナス70度の超低温を維持しなければなりません、いやドライアイスを充填し維持することでも、この課題は乗り越えられるのですが、日本へ輸送が、少なくとも錠剤ほど簡単ではない事がわかりましょう。

 現時点で確かなことは、二つ。一つは重大な副作用はないことが判明したということ。副作用の問題は中国製ワクチンの治験で判明し中断しているだけに重要なことです。もう一つは効力が90%に上るとのこと。ロシア製ワクチンは治験で効力が40%台であり効力の有無が疑問視され広い接種に至っていません。これが判明しただけでも、大きな一歩です。

 今後明らかにしなければならない点は。免疫効果の持続性が流行期を乗り切れる水準であるのか、ということ。COVID-19はコロナウィルス全般が寒い季節の季節病でしたが夏場にも感染力を維持しました、感染回復者の免疫は短ければ三ヶ月で再感染するほどに免疫持続性が低く、ファイザーワクチン効力持続性もまさに今、治験が続いているのですね。

 日本国内での接種計画。まず医療従事者や高齢者から接種案内が送付されることとなるのでしょうが、アベノマスク郵送配布のように簡単ではありません。こう考えますと、時間がかかりそう、という印象は否めないのですが、現状が永遠ではない、という事が分るでしょう。ワクチンは実現する、冬の本格的な第二波を前に一つの光明、ではあるのですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】真如堂(真正極楽寺)三重塔と阿弥陀立像うなずきの阿弥陀の開かれた御堂

2020-11-11 20:20:10 | 写真
■青椛に浮かぶ真如堂と三重塔
 真如堂。府下には数多三重塔がありますがここ真如堂と金剛院の塔は木々のなかの佇む様子が実に感慨深い。

 真如堂真正極楽寺。ここは哲学の道や銀閣寺に程近く、しかし近傍には吉田山や京都大学に平安神宮という活気と静寂と文化と喧騒が同居する不思議な一角の、しかし小高い丘陵地の上、京都市左京区浄土寺真如町に佇む寺院です。ここの三重塔は屈指の美しさです。

 真正極楽寺。永観2年こと西暦984年、このお寺の始りは比叡山延暦寺の高層戒算がお告げを受け、延暦寺常行堂その本尊である阿弥陀如来像を神楽岡東にあります一条天皇生母東三条院詮子離宮に安置したのが始まりとされていまして、その名の通り創建の地は遠い。

 阿弥陀如来像は比叡山の本尊として仏師により彫像されましたが、開眼への総仕上げに白毫を入れようとしましたところ仏像が揺れる様に仏師から離れようとし、山坊の本尊ではなく京の都に下り一切衆生を救う仏像となりたいのだ、と仏師が思うと揺れが収まった。

 木造阿弥陀如来立像、御本尊は、うなずきの阿弥陀、揺れが収まる様子からこう呼ばれ創建当初より安置され続けています。平安朝中期まで日本の仏像は坐像が多い中で立像となっていまして、これは阿弥陀如来像の立像としては現存最古のものとして、崇敬されます。

 三重塔、美しい三重塔は江戸時代の文化14年こと西暦1817年に再建されました比較的新しいものでして、先ず三重塔ひとつとって創建から900年を経て再建された通り、創建の地から幾度も歴史に翻弄された、こうした歴史を湛え、しかし江戸時代からこの地にある。

 鈴聲山真正極楽寺、正式にはこう山号を示していまして、真如堂とは本堂を示します。ここには、頷きの阿弥陀、こう呼ばれます阿弥陀仏が安置されています。ただ永観2年の西暦984年建立以来数多遷座や建て替えを経験している寺院で、その都度再建され今に至る。

 不断念仏の道場として念仏行者や庶民、中でも女性の信仰を集めた寺院ですが東三条院の離宮は創建から五百年近くを経ました15世紀に、これはやはりといいますか応仁元年こと西暦1467年に同年開戦を迎えた応仁の乱に巻き込まれあっさり全ての伽藍を焼失します。

 真如堂の本堂再建は明応年間の西暦1493年に実現します、がこちらも永禄年間西暦1569年に室町将軍足利義昭の命を受け一条通北に移転します、しかしこの転地の先は短く、今度は天正15年の西暦1587年、豊臣秀吉聚楽第造営のため京極今出川に移転を強いられる。

 豊臣秀吉没後、関ヶ原の戦いと徳川幕府開府の後の慶長9年こと西暦1604年、豊臣秀頼の寄進を受け漸く移転先に本堂が再建されるのですが、寛文元年こと西暦1661年に本堂が焼失、元禄3年の1690年に再建されるも元禄5年の1692年にはまたしても火災の憂き目に。

 東山天皇の勅令はこうした相次ぐ火災の最中、元禄6年の西暦1693年に現在地に遷座することとなりまして、再建となる運びとなります。こうして長いながい転地の歴史を経ましてからは、この地が浄土寺真如町と呼ばれるようなり、静かな祈りの地となっています。

 涅槃の庭、御寺には庭園がありまして、ここは大文字山を含む東山の峰々と壮大な比叡山を借景としました枯山水庭園なのですが、昨今の情勢により閉園となっています。また稀代の豪商三井家の菩提寺ともなりまして、寺域には三井家所縁の御堂なども佇んでいる。

 真如堂は山門を拝して三重塔奥の参道にありまして、広く拝観者にその祈りと修行の場を開いていまして、実は紅葉の穴場としても知られているのですが、青椛の季節には静かに冷涼で新鮮空気と御堂の暖かさを湛えています。広く開かれる伽藍は人種信仰に関わらず例えば節度あれば愛犬とさえも拝む事が、できます。

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