イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大人になる・・・甘さを乗り越える縄文の知恵 (9/10五感とストレス解消の生活)

2021-07-26 | 第五章「和解と平和」

4年前に大阪歴史博物館から難波京跡を眺めたときの写真だ。今年始めまで7世紀の女帝・持統天皇のケーススタディのレポートを書いていたのだが、持統天皇の少年少女時代から青年期に多大な影響を与えた場所である。持統天皇の結婚する時期(12歳)は早く、百済救援で近くの難波津から船で西征軍に加わるのも16歳と若い。しかし、年は若くとも大人としての自覚を持ち戦いに加わったのだろう。当時の成人式や結婚式はどのように挙行され、人々はどのように大人になったのだろうか。

縄文時代の祖先たちにとっても、成人式や婚礼は特別なものであったようだ。魏志倭人伝でも倭人は入れ墨を施していたとされているし、縄文時代の土偶の図像からも入れ墨と思われる文様もあるようだ。さらに人骨から、縄文後期以降などは抜歯の風習が一般的だったようである。成人になるとき、あるいは結婚するとき男女を問わず犬歯等を抜いたようだ。麻酔などの技術が発達した現代でも健康な歯を抜くことは大きな負担はあるのに、2本以上を抜く当時の若者の負担はどうだったのだろうか。場合によれば命を落とすようなことすらあったかもしれない。それにも係わらず抜歯に挑んだ本人たち。さらに周りの家族や社会の面々の思いはどうだったのだろう。

私達の青春時代はどうだったのだろうか。年齢や育った場所により千差万別だと思うが、私は高校紛争や大学紛争が盛んな時期であった。そんな中で成人式に出席した記憶は無いし特別な記憶も無い。そんなことからか、今でも自分がどれだけ大人かと考えると、正直なところ高齢者となっても不安が残る。戦争に出向く時代や平均寿命が30歳ちょっとという時代とくらべて、今は大変な時代にもかかわらず、私を含めた大人の自覚はどれほどあるのだろうか。

コロナ渦で非常に政治が大切な時代にもかかわらず、前回の都知事選の投票率が42%とはどういうことなのだろうか。私を含めて今の社会はどこか大人になりきれない時代ではないだろうか。エリクソンの人格形成論から言うと、アイデンティティ/忠誠心とか親密性/愛といった領域に、なにか問題があるのではないだろうか。もちろん多様性や人権を認めた上での問題提起である。

大人は戦いや喧嘩ではなく和解や平和を志向する。真善美を愛し邪悪なものを退ける。しかし、脱線するがオリンピックで素晴らしいスポーツの真善美に魅せられて、ずっとテレビを見ている私だが、今回のなし崩し的なオリンピック開催は民主主義的観点からして最悪だと思う。組織の長も問題だが政治的義務を行使しない庶民や風潮にも責任がある。世の中は聖なるものと邪悪なものが絡まりやすい。これは何もオリンピックだけではないが。

閑話休題。大人になる知恵について考えてみよう。たまたま手元に心理学の名著「愛と心理療法」(M.スコット・ペック著 訳氏家寛・矢野隆子 創元社1987年)をあるが、縄文時代の抜歯もそうだなと思える文章があった。

「自律とはすべて、自分に不自然なことを教えこむことと定義できる。人間のもうひとつの特徴ーたぶんわれわれを最も人間らしくしているものーは、不自然なことをする、すなわち自分の本性を超越し変容させる能力である」(同書47ページ)。抜歯は言霊文化に関係しているという説があるが、今でも結婚式などで忌み言葉を考えてもなんとなく推測できるように思う。自然に言いたいことを言うのではなく、眼に見えない大事なものも大切にするということ。

抜歯が成人や結婚に関連して行われたのは3000年前以上で今ではそんな習慣は誰も知らないし、良いとは言う人は皆無だろう。しかし、その心意気はわかるような気がする。そして、縄文時代に戦争がなかったということも、抜歯をも行う文化だからこそだったかもしれないと思う。

愛とか善は素晴らしいが紙一重で邪悪なものに変質する一面も忘れてはならないことなのだろう。

9/10五感とストレス解消の生活

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和解する・・・縄文人の愛とゆるしを考える (3/10 五感とストレス解消の生活)

2021-07-15 | 第五章「和解と平和」

先日、知人からある映画評論家の新刊本を紹介されたことをきっかけに、小津安二郎の晩春、麦秋、東京物語、早春などを見続けている。私が生まれた頃の1950年ごろの物語なのだが、今と比べてゆっくりと時間が流れ葛藤はあるものの大喧嘩はない平和な世界だ。

ここからが少し妄想の世界に入るのだが、13,000年くらい続いた縄文時代。特に5000年くらい前から3000年くらい前まで、世界的には青銅器文明で結構戦争が盛んだったようだが、日本では弥生時代に入るまでは人を殺傷する目的の武器は無かったようである。このことから縄文時代は平和な奇跡的な平和な世の中であったとされている。なぜそれは可能であったのだろうか。いろいろな仮説が立てられると思うが、生き甲斐の心理学で学ぶカール・ロジャースの人格形成理論が浮かんでくる。この理論はもともとロジャースが心理療法で研究され使われたものだが、晩年には世界的な平和構築の場に応用し始めたようで、一説によるとロジャースはそれゆえノーベル平和賞候補になったとされている。

利害が対立したり文化・環境が異なったりすると、気まずい関係になりがちであることは誰でも知っていることである。そして、一触即発の状態になり集団間であれば戦争になったり。個人対個人でも喧嘩したり別れたりする。

こうした中、和解とは何だろうか。和解の道というのはどういうものだろうか疑問になる。

基本的にはまず互いに信頼をもとにテーブルにつくことが大事だ。この前提がおそらく一番大事かもしれない。お互いに尊厳ある人(相手の中に仏性や愛、魂を想像する?)であり自他肯定の精神がどこかになければ原理的に始まらないのでは。その互恵の精神がなければ基本的に自説を曲げることはなく対立は深まるばかりだ。次に互恵の精神の中で相手の説をじっくり聴く。なぜ相手がそのような理路を選んだのかを賛同しないまでも情感を持って相手を理解しようとするうちに、相互に友好的な雰囲気の中で理解しあううちに、互いに第三の道が見えてくる。それが和解への道なのだろう。

原節子さんが演じる紀子さんが、秋田に嫁に行きたいと言うときに身近な人は初めは反対するものである。あるいは受け入れられないものである。それが変わっていくというのが和解の道である。縄文時代でもきっとそうだったに違いない。それは精神的に大人でなければ達成できない道であり、実は私を含めて皆が大事にしなければならない道だと思う。

3/10 五感とストレス解消の生活

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日々新たになる:自立と目的指向と罪悪感 (心の世界は今も縄文時代も 3/10)

2020-08-18 | 第五章「和解と平和」

 今年も8月6日から16日までの期間は、集中して戦争と平和について、さらに祖先の魂を迎えるお盆について考えることができたようだ。そして、「生き甲斐の心理学」の学徒でもある私は、罪悪感・自立性・目的指向性というエリクソン心理学で言われる3つの関係について思いを巡らした。

 罪悪感の原型ができるのは5-7歳のころだと言われている。私の場合は戦後の昭和30年代の初めである。経済活動もだんだん活発になり、タクシーにたまたま乗ったときに、カミカゼ・タクシーと当時言われていたような乱暴な運転に驚いたりしたものだ。そんな時勢を反映してか、小学校に入ってすぐ友人二人と登校中にふざけていたこともあり友人が交通事故に遭って亡くなった。子供なりにショックな事件だったが、立ち直っていくと、一人で静かに自由に物思いにふけったり、さらに自分は自分と積極的に目標を探して始めることが多くなっていく。罪悪感は自立性と目的指向性をどこかで迎え、新たな脱皮を図るところがある。そんなことを「生き甲斐の心理学」から学んだが自分の過去を振り返ると本当だと思える。

 私の場合は7歳になって両親の仕事の関係で自然に恵まれた南西アラスカのシトカという異文化の中で暮らしたため、自立心や目的指向性という面では今考えると良い環境だった。毎日がちょっとした冒険だった。

 ところで、自然に恵まれていた縄文時代の文化や宗教では蛇や貝、イノシシや蛙、女性や水、月といったシンボルが土器などにも多用されることから、死と再生の文化とか言われている。確かに人の死の問題などは宗教の大テーマだと思うが、日常の中で遭遇する小さな罪悪感の問題もある。それは、今も昔も変わらないように思う。家庭の仏壇の前で朝手を合わせたり、近くの神社で祈ったり、あるいは十字架の前で祈ったりする。神仏を好まない人は哲学書を読んだりするのもそうかもしれない。自分や神仏に向き合うことで、なにかが新たになるように、縄文時代の人々も身近な土器や土偶などを日常的に使い新たにされてきたのではないか。いつも祭儀など特別なことをしていたとは思えない。

心の世界は今も縄文時代も 3/10 

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COVID19の中での邪眼と慈眼・・それを越える鍵と縄文世界(縄文時代の楽しみ方 10/10)

2020-05-26 | 第五章「和解と平和」

 新型コロナウィルス感染症(COVID19)での自粛生活も、そろそろ区切りがつきそうだ。この2-3ヶ月の異常事態の中でいろいろ感じてきたが、私もそうだがFacebookを初めとするSNSなどでは疑心暗鬼が溢れ、不安感のかたまりにいつのまにかなってしまっていたように思う。そんな状態のときは、コンビニにはいってもマスクをしていない若者が騒いでいたりすると目が邪眼に・・・。八王子は学生の多い場所だが、近くの大学のジョギングをしている学生が通ると、必要に遠くに避けたり・・・人を見れば、コロナと思えではないが、誰もが何となく邪眼になり警戒モードになっていったようだ。しかも、家庭の中でも感染が・・・などと言われるとますますギスギスしてくる。
 こうして、2-3ヶ月経過してしまったが、いつの間にか早春の良い時期は過ぎてしまい、緑は深まり梅雨の季節が間近になってしまった。そして、去年の今頃の写真を懐かしんで見ていたら、昨年3月に相模国一の宮の寒川神社と近くの岡田遺跡周辺を散策していた写真がでてきた。私の家の近くの大栗川にも水鳥は沢山来るが、何故か山羊がいたが印象に残っていた。

  

 川のほとりでのんびりし、水鳥やたまたま近くを通りがかる動物を見るとほっとする。昨年はCOVID19など無縁の世界だったので、このときの私は山羊や白鷺以上に慈眼だったかもしれない。
 邪眼、慈眼、を意識するようになったのは、生き甲斐の心理学を学び、ブログを書くためにデジタルカメラを頻繁に撮るようになってからだ。今は望遠機能付きのカメラになっているので近づく必要は減ったが、昔は花と蝶を一緒に撮るために近づくと、ひらりと蝶が逃げてしまう。いろいろ試行錯誤したが、これはどうも邪心に関係するのではないかと思った。慈眼になるようにと訓練し宮本武蔵の五輪の書なども読んだが(笑)、だんだん上手に蝶さんの写真を撮れるようになっていった。

 さて、微妙な邪眼、慈眼のお話をさせていただいたが、日々お付き合いをする人間関係においても、この邪眼と慈眼、あるいはポーカーフェイス(笑)は大きな影響を及ぼすように思う。特に職業が、人間関係が重要なファクターとなる、例えば医療関係、教育関係などであれば仕事の質にまで影響を及ぼすように思う。

 こうした中、U先生の比較宗教学や比較文化論をベースにした「生き甲斐の心理学」はどう考えるのだろうか?これは人間をどのように見るかによる。人を身体と生育史からなるこころと考えるのは現代日本では常識であるが、もう一つ魂という視点が「生き甲斐の心理学」にはある。
 日本人は宗教はともかく魂を信じる人は多い。亡くなった親や家族、知人の墓で祈る光景は普通にある。死んだら身体もなくなると同時に何も無くなるという哲学はあるが、死んでからどうなるかは不可知の世界で基本的にはよく分からない世界だ。そうした中魂はきっと残る・・・そう考える人は多いが、魂をどのように考えるかは多くの人は(かつての私もそうだった)余り考えない。

 今年の2月に福岡の太宰府天満宮に詣でた。菅原道真公は悲運の人で有名で、死後怨霊となり恐れられたが、後の天皇や為政者が丁寧にお祀りすることにより、今では学問の神様となって愛されている。日本人の多くは、魂はいったんは怨霊となることもあるが最終的には、慈愛に富んだ霊になるように考える傾向があるのではないかと思う。お盆で祖先の霊が自分たちに禍をもたらすと考える人はあまりいないのではないか。

 魂をどのように考えるのだろうか。私は持統天皇の勉強もしていて、持統天皇に関する小説を何冊も読んだが、ある作家は怨霊のように恐ろしい魂を死後に想定していたりする。一方反対に愛そのもので永遠不滅といった考えに近いかのなと思える人もいる。「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(巻2-160)。持統天皇のこうした歌(難解)から女性の激しい情念・狂気を読む方もいるかもしないが、私は孫の文部天皇が続日本紀で残した697年の宣命(みことば)を想う。文部天皇の持統天皇の印象は公民を恵み撫でいつくしむ神そのものののイメージなのだ。それ故持統天皇の魂が恐ろしいものではないように考える。光があれば影もあるが。
 一般論としてはどうだろうか。U先生によれば、欧米の比較宗教学をベースにした心理学では「愛そのもので永遠不滅。死んで身体から離れる生命体」こんな風に定義するのだそうだ。定義はいろいろ考えられるが、人間の魂の本質を性善説に解釈するほうが性悪説的に解釈するより、心に平安が訪れ生きる力が増すと考えるのは妥当ではないだろうか。

 さて、縄文時代の人は魂を信じていたようである。そのように多くの学者は唱えている。不思議な形態の非日常的な遺物が出てくるのでそうとしか考えられないところがある。ただ、縄文時代には文字が無く、メソポタミア、エジプト、インド、中国といった大陸の文明と異なり、どのような宗教だったのか、どのような神話があったのかはよく分からない。7,8世紀に日本列島に文字が入り、記紀や万葉集に収録されて残されるようになり、その伝聞から想像するしかない。縄文時代の火の神はカグツチではないかとか、いろいろ言われるが、言語が時代とともに変わるように神話も時代や地域で変容することは現代の神話の分布を見れば明らかだと思う。記紀の日本神話は当時の政権がでっちあげたお話で信用がおけないということは何十年前にはよく言われたが、7.8世紀にきちっと記述された神話など世界的にも珍しいらしく、資料としては一級とのことだ。しかし、そうだからといって5000年前にカグツチ信仰があったかはどうかはわからない。

 さて、冒頭の写真であるが、神奈川県の岡田遺跡の釣手土器であるが、表(前)から見たときと裏から見たときの印象が全く違うのがこの釣手土器の特徴である。ある研究者はイザナミの首ではないか。仏のような表と夜叉のような裏。ただ、そんな外見だが中には火がともる。ここからは私の妄想であるが、人は状況により仏となったり夜叉となったりもする。しかし、身体の中には火が灯る。この火は先ほどの魂(性善説的な解釈を伴う)を表すのではないか。この時期、こうした釣手土器と符合するかのように、中部高原や関東南西部を中心に、同じようなデザインの顔面把手があり、顔面把手付き深鉢がある。顔面把手付き深鉢の本体の中には様々なスープが家庭の味?として入っていて、家族や一族が楽しむ食物となる。火か食物の差はあるが、火ないし食の持つ本質は、魂=愛そのもの、ではなかろうか。同様に中空土偶(中には小型で鈴のように音がでるものさえある)も等価ではないだろうか。さらに竪穴式住居や環状住居などのプラン・・・外見はいろいろであるが、人の身体の中には愛そのものである魂がある。これが縄文時代(中期)の人間観であり思想だったのではないだろうか。因みに、こうした人間観は脈々と現代にも伝わり様々な宗教や哲学にも影響を与えているように思う。例えばカトリックのパウロの思想には人の身体は神の神殿ということがある。

   

岡田遺跡周辺
 ここで等価というお話をしたが、これは故市川亀久弥先生が提唱し湯川秀樹先生が応援していた等価変換創造理論のことである。これは発明理論として今でもTRITZなどと同じように企業の開発部門に導入されているが、本来は工学分野以外にも使える理論だ。かつてアナロジー論が跋扈していた時代に市川先生が作り出されたもので、これからのAI時代に生き残るために重要な理論ではないかと思う。
 例えば青虫が生殖のためにサナギとしてアミノ酸レベルまで分解し蝶として再構成されるという完全変態の例えが分かりやすい。まったく違う生き物になったように見えるが、生命体の本質は意外に繋がっている。別の工学の例では、真空管製造会社が時代のニーズの中で真空技術を応用して魔法瓶会社に転換したのが有名である。身近なエスカレータも人が階段で登るところを階段が人を乗せて登るという別の形態に変化された例になるのかもしれない。


 岡田遺跡は縄文中期で3つの集落、1000件を超える住居が発見され国内でも最大級といわれているが、近くには寒川神社がある。気のせいかもしれないが縄文遺跡の側には神社や祠があって、こころが和むように感じる。聖地に入ると邪眼になるより慈眼となって帰るほうが多いと思う。岡田遺跡も縄文中期で600~700年続いたといわれている。当然ながら長期に渡れば天災・災害・今度のような疾病、あるいは部族同士の葛藤などがあったと思う。そんな中、縄文時代には兵器はなかったことがよく言われる。争いではなく平和。現代では絵に描いた餅のようだが、縄文時代はそれが10,000年以上に及ぶ。平和や和解が普通である。その基本思想は愛そのものの魂の思想があったからではないだろうか。

  

縄文時代の楽しみ方 10/10 

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ホンワカ気分・・・明るく逞しく生きる知恵(縄文時代の楽しみ方 7/10)

2020-04-30 | 第五章「和解と平和」

 いつもであれば、花粉が飛ばなくなるこのゴールデンウィークごろから外出を楽しむのだが、今は非常事態宣言下。好きな遺跡回りも控え、事態の好転を祈りつつ日々を送っている。

 ふと3.11のころを思い出す。命の危険すらあった原発の事故で感じることがあり、ガイガーカウンターを買って気になっている場所を調べたりしたこともあった。3.11から半年以上たった冬には、所属しているNPOの関係で津波の被災地に、U先生をはじめ何人かで訪問したことも思い出深かった。
 人生ただでさえ、いろいろなことに遭遇するが、今回の新型コロナウィルス感染症(COVID19)のようなことも起きる。身近なところで感染があれば狼狽えてしまうかもしれない。そんな時にも役に立つ知恵が、次のU先生のYouTube動画にある。どうぞご覧下さい。元気で生きる(4)人生の妙薬
 さて、U先生のこの動画には睡眠、歌と踊り、自己実現といったポイントが6つあったが、今日は、その中の「ホンワカ気分」について考えている。人は日々の中でも、あるいは苦難の中でも、五感・体感を通じて自分が大切にされているという実感が大切だと思う。ちょっとした美味しい食事、のんびりと風呂に入れたり、好きな本やテレビ番組を見たり、自分だけでなく、草木に水やりをしたり、ワンコに餌をあげたり、ちょっと人に気遣ったり、あるいは仏壇で手を合わせたり、静かな祈りの時を持ったり・・・そんなちょっとしたことで、こころがホンワカとなり、何かがピシッとなる。
 働き盛りの時に、先輩から緊急時に休日を返上したりし、それこそ月月火水木金金・・と働くことは避けたほうが良いと教えていただいたことがある。一日の中でホンワカ気分を味わうこともなく突き進むと、確かに何かがおかしくなっていく。今はそのように解釈している。
 
 さて、温故知新で祖先のことに想いを寄せてみよう。縄文時代の人はどのようにホンワカ気分になったのだろうか。縄文時代の村や家族の大事な食事(お袋の味)に使われた土器や灯火の燭台に使われたと思われる香炉型土器。かわいい土偶・・そういった目で見える遺物から想像できることもあるが、神話や伝承といった無形のものもある。この数週間、遺伝子科学を意識した世界神話学に興味をもちいろいろ調べている。例えば日本の神話や伝承は、長い祖先の記憶を反映し、いろいろな時に作られた神話や伝承の要素で形成されている。イザナミとイザナキの神話も、研究者によると、似たような神話・伝承は日本だけでなく、ポリネシア、フィリピン、ボルネオ、ヒマラヤ、シベリアまで広がり、最後は二人が離婚(決別)するところも同じだそうだ。まあ、祖先の日本列島に辿り着くまでの道のりに想いを寄せることになる。
 
 さて、世界的にも貴重な記紀や万葉集は、それまでのヤマトを中心とした地域の神話・伝承を編纂して7-8世紀に作られた。その時代は、文字の導入、律令制の導入、・・・つまり日本列島の中央部が国家を形成する時代だ。そして、その時代の中心人物の一人として女帝・持統天皇がいらっしゃる。私は縄文文化にこの6-7年熱中しているが、7-8世紀については高校生のころから興味を持つようになり、それからずっと奈良や飛鳥をよく訪れ、今では第二か第三かの故郷のようにさえ感じている。
 持統天皇といえば万葉集の「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山」が断然有名であるが、夫である天武天皇が亡くなったときの歌は私がもっとも好きなものだ。一番好きな長歌(巻2-162)は省略させて頂くが、短歌を二つを見てみたい。
 「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(巻2-160)
 「北山に たなびく雲の 青雲の 星離り行き 月も離りて」(巻2-161)

  縄文時代の勉強をする前は、解説書の一通りの説明を見ても何だかよく分からない(特に1番目)という印象であったが、縄文時代のことを学んだせいか、こうした歌で、縄文的なイメージが喚起される。有名な「春過ぎて・・」には衣が登場するが、研究者の中には羽衣伝説(世界的に有名な神話)との関係に言及する方がいらした。そこで、同じように神話という観点で,この二つの短歌を味わってみたい。

 「燃ゆる火も・・」の歌は香炉型土器を彷彿すさせる。以前のブログでお話したが、イザナミが火の神カグツチを産み、身体を焼かれ黄泉の国に旅立つ。そうしたイザナミとカグツチの神話をランプとして使われたであろう香炉型土器を見ると感じてしまう。いろいろな香炉型土器があるが優しい女神の腹部あたりに火を点したと思われるものもある。もしもそうだとすると、持統天皇はどのようなイザナミ・イザナキの神話をイメージしたのだろう。記紀に収録された物語だったのだろうか?一般に世界のイザナミ・イザナキ型の神話は洪水で兄妹のみ生き残り、タブーの結婚をし試行錯誤しつつ子を産み、やがてイザナミ(女神)が黄泉の国に行き黄泉の国を支配するようになり、夫と離婚する。そんなパターンだ。日本の神話・伝承には洪水と兄妹の話の前段が残っているものがあるが、記紀では省かれている。長崎の隠れキリシタンが残した「天地始之事」は前段をのこした話がベースであるとしている学者もいらっしゃる。持統天皇の父・天智天皇と兄妹関係にある間人皇女の関係は小説家が特に興味を持ちそうなところで、ひょっとしたら当時の人ははっきり言わないまでも皆が知っているような事実だったのかもしれない。夫の死、厳しい政治状況、こうした中で持統天皇は何かを昇華していったのではないだろうか。
 「北山に・・」・・この何気ない歌は、月や星、そしてどこかで太陽を歌っているようであり、何万年前という人類の非常に古い神話(太陽、月、星に関する)でアボリジニやインドネシア、アフリカにまで伝わっているそうである。持統天皇は自分の深奥の魂の物語に触れて、こころをホンワカとさせたのではないだろうか。妄想は尽きない・・・縄文小説が一段落したら持統天皇について小説も書きたいところだ。

 さて、この二つの歌を歌ったころの持統天皇といえば、それは私たちが今おかれている不安以上の時代に生きていたのだと思う。5-6年前には自らが大病を患い夫により薬師寺が建立されたりした。

 2年前には南海トラフが動く大地震があり四国を中心に大きな被災があった。政治的にも大津皇子等が力を持つようになり、既に何が起こっても不思議でない疑心暗鬼の時代にと突入している、夫も恐らく結核で亡くなり、一人息子の期待の星、草壁皇子も病魔が押し寄せている。持統天皇が置かれた立場は四面楚歌で命ですら風前の灯火であった。

 この二つの短歌を作った持統天皇。緊張の中に何か熱い想いやホンワカ気分を感じていたのではないだろうか。そして、天武天皇が亡くなって電光石火のごとく息子の草壁皇子の政敵・大津皇子を排除する。そして、次々と的確な判断のもとで同志でもあった夫との意思も次ぎ律令国家成立と自らの蘇我氏の血の政権への確保を目指していく。まあ、妄想はそのくらいにして、話を戻そう。

 「ホンワカ気分」。乳幼児のころ母により産湯につかったように入浴してリラックスする。家族で食卓を囲みお互いを気遣かっての食事。庭先で夕空の月を家族で眺めたり。祖父母から昔話(神話)を聴いたり・・・そんな愛の原型に触れるような行動は人を元気にする。ホンワカ気分について意識することは、ギスギスしたときこそ必要なことではないだろうか?

 ところで持統天皇は、自らの政権を確立すると、よく吉野を訪れた(31回とも)。そこで謀議をしたとかいろいろ推測されているが、縄文的な吉野(宮滝からは神山・青か峰が見える)で祈りの日々を送っていたと個人的には想像している。そして、そこでホンワカ気分を味わっていたのかもしれない。

 

次の書籍を参考にしました。また私の前々回のブログとも関係します。そのブログはこちら
「世界神話学入門」後藤明著 講談社現代新書 2017年 
「古事記 環太平洋の日本神話」勉誠出版 2012年

縄文時代の楽しみ方 7/10 

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