イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

そうだ旅に出かけよう!(ひびきあう旅② 7/10)

2013-07-31 | 第五章「和解と平和」

 昨日は、特に何かをすることもないOffの日だった。

 妻が前から、東京湾アクアラインの海ほたるに行きたいといっていたこともあり、朝、行ってみるかということになった。

 旅というのは、すべてが決まっていると安心だがつまらなくなる。程よく決まっていて(安全を確保するなど)、後はそのとき任せが楽しい。ひょうたんから駒みたいな幸せもときに起こるものだからだ。

 これは、意外にも人生計画や修行、仕事にも通じるところがある。すべて細かく決めなければならないと想っていた若い頃の失敗を思ったりした。

 東京湾アクアラインは、現在片道800円と平成25年度まで割安料金の設定であった。アクアラインすべてが橋のイメージがあったが、川崎方面からは長いトンネルをくぐって行く。そんなことすら知らなかった(海ほたるから木更津までは橋だが)。到着してから、残念ながらモヤが立ち込めていて遠くの景色がみえなかったが、のんびりと海を観たりした。

 そして、木更津方面でやすくて美味しそうな昼食の場所をネットで検索し、昼食は木更津で頂いた。帰りは、やはりアクアラインで(妻は何と、橋を渡らないで帰るつもりだったようだ)。時間があったので、横浜でもということになり、ふと、先週だったかテレビで観た横浜美術館の「プーシキン美術館展」も行ってみたかったので行くことにした。

 私はカトリック信徒なので、テレビで観たプーシキン美術館展のアングル・聖杯の前の聖母が気になったからであった。

 美術館では、私は一切の音声ガイダンスも説明書きも読まないようにしている。自分の好きか嫌いかといった原書感情をまずは大切にしているからで、感情をよく味わってから解説などに触れる(感受性訓練にもなるので)。

 今回の展示も著名な芸術家の作品や、主催者のイチオシなどもなるべくとわられないようにして拝観した。

 私がもっとも感動したのは、アングルの聖杯の前の聖母であった。ホスチアが垂直に屹立する不思議な聖杯と美しい聖母。不思議な瞬間に何か時空が裂けるような驚き。思わず膝まづいて十字を切りたくなる衝動を抑えて、結構長い時間見入ってしまった。

 これは、私の生育史とも深く関係した感動であったが(長くなるのでやめるが)、妻は聖母の前に何があるのかも気づかないようで、関心がない様子だった(ルノアールなどに感動していたようだが)。まあ、関心は人それぞれなのだ。生き甲斐の心理学で感受性訓練をするが、本当に人それぞれ!

 プーシキン美術館展は、当初2011年に開催される予定だったそうだ。それが東日本大震災で延期となり、今回のイベントとなったようだ。さらに、聖杯の前の聖母は日本での展示に備え、修復されたという。この出会いに本当に感謝である。

 そして実際の絵画は実に清楚で素晴らしく、帰りにお土産で絵葉書などを検討したが全く気に入らなかった(クリアファイルを買ってしまったが)。

 旅もそうだが、聖杯の前の聖母も、事を起こすときは見えない世界が大半。ただ、時間の流れの中で、事後的に何かを発見する。その過程で考えるのだが、時間も含めた4次元空間を人間の脳は認知しているようで、不思議な感動の世界が広がるようだ。

 ひびきあう旅② 7/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


のんびりできる環境!(ひびきあう旅② 6/10)

2013-07-30 | 第五章「和解と平和」

 ひさしぶりに昨日は多摩動物公園に寄った。小雨がちらつく天候で、殆ど人もいなかったが、こういう日は意外と動物園ウオッチングには良いのだ。人も居ないので動物がのんびり自然体でいて、こちらものんびりできる。最大の収穫はシロフクロウの赤ちゃんをゆっくり観られたことだった。

 孔雀も何匹か多摩動物公園の中に放し飼いになっているが、昨日はなんと自販機の上に陣取っていた。近づいても動じず、写真も何枚かとらせていただいた。

 さて、なにも旅だけではないが、人が心理的にものんびりし、時には気づきを得ることができる環境を考えてみよう。ロジャースの6条件、簡単にいうと受容、共感、純粋と一致の環境があるかどうかだ。

 これはなかなか日常の中では実現できない環境だ。通常の利害得失がある環境では、防衛機制が働いて心理的にはのんびりすることが厳しい。教育するされる環境も厳しい。一般に、昨日お話した夏休みで従兄弟が集まったりする環境、気の合う友達同士の環境などは良いかもしれない。先日のクラス会なども長い時間を隔てても不思議にのんびりできるものだ。

 そうした時に、よりロジャースの6条件に近づけるヒント。今日は共感を考えてみよう。ふつう共感は賛同と同意語のようにつかわれるが、意識して正しい共感を実践すると違うと思う。

 正しい共感とは、相手をよりよく理解(感情も含め)することでもある。相手の立場や生育史ならば、そう考えたり行動したり、そう感じるのもわかるな・・・そう言う状態になることが共感である。そのためには、相手の話を否定することなくゆっくり傾聴し最低限の質問をする必要もあるだろう。もちろん、賛同と誤解されて混乱を招かないために、必要に応じて自分の意見も言う必要は倫理的にも必要だ。

 ひびきあう旅② 6/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 

 


困難を如何に乗り切るか!(ひびきあう旅② 5/10)

2013-07-29 | 第五章「和解と平和」

 もう、夏休みの時期である。社会人になってからも夏休みの時期は帰省をしたり小旅行をしたり、家庭内リフレッシュ休暇?をしたり、普段とは違うペースで動く時期である。

 そして、この大暑から立秋の猛暑の時期。私はとても好きなのである。何で好きかを生育史から考察すると。いろいろ思い当たる。

 私もそうだが、恐らく青年時代は、いろいろ困難なことが起こり、若いとはいえ大変な時期だ。しかし、あとで考えてみれば、その困難をそれなりに乗り越え、何となく適応していったようだ。

 そして、このこの困難を乗り越える術は、本人にとってあまり意識されないことが多いが、それから先の貴重な糧となる。

 何で乗り越えられたか。そんなことを考えると、学生時代の夏休みが大きかったかなと今では思う。普段と違い、夏休みは祖父母のいる瀬戸内海沿岸のT市で過ごした。丁度、祖父母の農園のブドウが出荷時期を迎える多忙な時期で、親戚、従兄弟が手伝いをする時期だが、それを楽しむところもある。

 私にとっては、都会ではなかなかできない、五感体感に基づく土臭い生活をする。手伝いも結構疲れるが、気が向けば、夜釣りをしたり、近くで小旅行をしたりもできる・・・

 生き甲斐の心理学の理論からいうと、幸福にも、幸福の条件など理智的な世界があるが、日常の中のイキイキとした感情の世界、幸福感の世界もある。そして夏休みの生活は豊かな感情世界を思い出させてくれたようだ。

 さらに、自分の中のストレスも解消していく勉強もしたいたようだ。次の詩は中原中也の詩の一部である。

※(ローマ数字1、1-13-21)
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間、小さな紅の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛たたへ、
  去りゆく女が最後にくれる笑のやうに、
  
厳で、ゆたかで、それでゐて佗わびしく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

 

※(ローマ数字2、1-13-22)

 

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填つめて、跳起きられればよい!
 
 Ⅲ以下省略
 
 この詩の中では罪悪感がでてくるが、中也は何と自恃(じじ 自分をたのみとすること)を引用している。ニュアンス的にはいろいろ解釈が可能であるが、エリクソンの理論でも、罪悪感と自発性の関連、目的志向性の関連が指摘されている。一見関係ないような中で本質的なこころの解決方法の一端を中也は気がついていたのではと思った。それにしても、個人的であるが普遍的な詩とは何か・・・とても考えさせられる美しい詩である。
 
 ひびきあう旅② 5/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


何の為に生きるか?(ひびきあう旅② 4/10)

2013-07-28 | 第五章「和解と平和」

 昨日は、高校時代のクラスメートに40年(以上)ぶりに再会する機会に恵まれた。昼過ぎに横浜に集まり、6時間近く博物館を見学したり、楽しく盃を交わしたりした。

 私たちの高校時代は、ちょうど学園紛争の時代で、エリクソンでいう13-22歳の忠誠心(fidelity)の大切な時代を、ネガティブな自己混乱感をさらに混乱したり、逆に不安定なアイデンティティにとりつかれたりする時代であったようだ。しかし、それを糧としアイデンティティを立て直し、以降40年以上生き抜いてきたクラスメートたち。

 私は、午前中雪が谷で行われた勉強会の影響もあり、終始、頭から「何の為に生きるのか?」という、自己実現のマジックワードが頭を離れなかった。自分の生き方、クラスメートの生き方。

 何の為に生きるか?は二つの大きな要素が含まれているような気がする。一つは旅に出る・・・というような自発性や目的志向性。もう一つは、それを実現する勤勉性や技能。そして、その回答は本人の中に間違いなく存在する(なかなか見えないことも多いが)。

 自分自身を振り返ってみると、何の為に生きるか?という問い掛けを意識したのは、40歳代だったが、日常の中では中々できなかった。そして、かりに問いかけをしても防衛機制が外れないので回答が湧き出てこない。そんな中で、どちらかというと他人に指示される生き方(今までの延長)を、知らず知らずのうちにしてしまいがちだった。

 そんな自分が変わって行ったのは10年前である。そして、変わっていく原動力の一つは生き甲斐の心理学の技能だったように思う。

 この技能の取得はそれなりに時間がかかるものであるが、まずは悔いのない人生のため、あるいは心の健康のために「何の為に生きるか?」を時々自問自答してみたらどうだろうか?

 ひびきあう旅② 4/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 

 


室生寺で感動したこと!(ひびきあう旅② 3/10)

2013-07-27 | 第五章「和解と平和」

 昨日は、今年訪れた寺社仏閣のパンフレットとか資料を整理していた。3月の伊勢ー奈良、6月の遠野、飛鳥ー吉野ー奈良、7月の大阪ー京都。その中で一番、絵葉書がでてくるは、いろいろだったのは女人高野の室生寺だった。

 どの旅も素晴らしかったが、長年気になっていたものの、行けなかった室生寺の印象がどうも一番強い。

 それには、何か旅の真髄が含まれているように思った。感動の真髄などを等価変換創造理論から説明もできるだろう。さらに、生き甲斐の心理学のロジャースの心理療法の6条件の過程でも、いろいろ説明できると思う。もちろん、寺社仏閣教会は宗教の世界そのものなので、心理学とは別の次元ではあるが、それでも関係はないとはいえないだろう。

 シーズンオフの3月の朝。美しい川を渡り、開門して一番か二番で室生寺を訪れることができた。履き清められたお寺で写真の国宝の金堂を拝観したりし、一服して、急な階段が続く奥の院まで訪れることができた。そして、そこで御朱印帳をお願いしたのだが、もう八十歳に近い中村さんという方に、美しい字で書いて頂いた。そして、楽しい会話をしたのを忘れられない。本当に宝のように感じる。また、お寺で年間を通して使える暦を入場のときに頂いたことも印象的だった。

 始めて訪れる場所は緊張するものだ。しかし、日本の自然が漂いや古くて色は落ちているけれど、何か懐かしいお寺は、心の鎧・甲を自然に脱がせてくれる(防衛機制)。そして、急な階段はプチ修行のようで、幸福曲線をいきいきと味わせていただける。そして、得難いプレゼントを頂く。それは最小限であるが、何か大事なことを伝えてくれているようだ。

 今日は、頂いた室生寺の暦をしっかりと味わっている。室生寺の由緒(天武天皇の御願で役小角が創立、弘法大師との関わりなど)、今年の暦情報、太陽暦、二十八宿、六輝、九星、24節気の日の出や日の入りまで記入された暦。

 忘れていた暦の意味を、いろいろ思い出させてくれる。今は、仕事のスケジュールやお遊びの計画などを記入するカレンダーを日々使っているが、ひと時代前と比べると季節感が弱まり、自分の生命体としての年齢から離れ、地域の行事から離れ、太陽や月と関わりの強い地球の実感から離れているようだ。

 しかし、私たちは本来、ホモサピエンスとしてこの地球上で40億年の軌跡をたどり、五感をとおして実感してきた祖先からの貴重な宝の意味を忘れてはならない。そこには、人間の存在のありかたについての知恵がある。書かれている内容が不合理だとか言う前に、祖先の残した暦を生活の中で噛み締める必要があるかもしれない。

 因みに、私は、五感体感を実感する暦と自分の感情生活を暦という地図で見渡すと、何か心の平安につながる知恵を感じる。生き甲斐の心理学では、よく暦を取り上げるが、感情生活をバランスさせるためにも暦は大切なのだ。

 ひびきあう旅② 3/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!