イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

<練習>とは何だろう?(技能 1/10)

2011-09-30 | 第四章「愛とゆるし」

  昨日は、太極拳の練習があった。ガイガーカウンター測定疲れもあったのか(笑)、何となく心身ともにストレス状態であったのが、さっぱりした。先生も仲間も素晴らしく、こんな楽しみの場ができたことに感謝と喜びを感じた。

 太極拳の終了時に、先生が、24式太極拳の教材のお話をされ、先生の24式太極拳の動画のお話もされた。私が太極拳を始めるきっかけになった動画でもあるが、最近見ておらず帰ってから再度観た。見てみると、いろいろ気づく。初めてみたときは、単に綺麗な動きだと感動しただけであるが、重心の移動など実際に練習をすると、見方が少し変わるようだ。

 <練習>のプロセスや意味は、会社を8年前にやめてから、特に興味のあることである。

 ひとつは、生き甲斐の心理学で学ぶ、エリクソンの人格形成論において、8歳から12歳で形成される、技能、勤勉性、劣等感の原型等に関心をもったことである。

 そのほか、師(反面教師もあったりだが)から学ぶということの深い意味。あるいは、創造性や生き甲斐といったものとの関連もあると思う。

 多摩動物公園のチンパンジー舎は、私の好きなスポットである。そこでは昼過ぎにキーパーズトークという催しがあり、コインを入れると缶ジュースがでていく自動販売機にチンパンジーがどう反応していくかを見学させてくれる。若いチンパンジーがコインを入れて缶ジュースを得ようとすると、狡い大人のチンパンジーが横取りをする。それに対して、若いチンパンジーが八つ当たりをしたり、あるいは、大人のスキを狙おうとする様子が見られる。

 自分の中の技能、勤勉性、劣等感の3つの要素。しばらく、いろいろ考えて観たい。

 技能 1/10

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「上海の長い夜」を想う!(不安を観る 10/10)

2011-09-29 | 第四章「愛とゆるし」

 今日は、八王子で太極拳の練習がある。A先生から習うのであるが、ワクワクする。昨年の終わりごろに、「生き甲斐の心理学」の恩師や同志を交えてのパーティでA先生に初めてお会いし、そのときのご縁がきっかけで、八王子に太極拳のサークルを立ち上げで練習するようになったのだ。

 私も還暦になり、健康のために何かと思っていたり、生き甲斐の心理学の同志の何人かが太極拳をされて勧めていただいた経緯もあったからでもある。実際にやり始めてみると、太極拳だけでなく、関連する動気功や五禽戯までお教えいただき、その奥行の深さに驚いてしまう。

 ところで、今から20年前に、私の父が亡くなった。あと数日で命日を迎える。

 父は67歳でがんを患い、病院の治療の甲斐もなく亡くなったのだ、亡くなる一週間前くらいまで仕事に出かけたりして、身体はともかく心は元気だった。そんな父であったが、亡くなる前、一冊の本を読んでいた。それが「上海の長い夜」(チエン・ニエン著 原書房)であった。そして、読み終わったので、お前も読むかということで父から譲り受けたのだ。

 そんな本をもらって、まもなく父は亡くなったが、長編でもあり、きっかけを失い20年近く積ん読になってしまっていた。

 それが、太極拳を学び始めたり、A先生の上海でのお話などもきっかけで、今年その長編を読んだ。

 主人公は、中国の文革の時代、夫が上海のエッソで働いていたことから逮捕され、文革の嵐の中6年以上投獄等の困難の中を生き抜く。終始、無実を一貫して主張していく姿。そして、病苦、厳しい環境、時には想像を絶するような脅迫の中で生き抜く姿に感動した。

 不安等のストレス曲線のオンパレードであるのだが、何故生き抜くことができたかは、「生き甲斐の心理学」で考えると、まさに理論通りなのである。

 何のために生きているか?生き甲斐は何か?という自己実現の問いかけに、様々な意味で回答しているように思う。自分の娘に会いたいという熱望。カトリックの信仰。独房の中で、窓から落ちてきた枯葉一枚、あるいは蜘蛛一疋に生き甲斐を見つけたり、厳しい尋問を孤独よりは良いと前向きに楽しむ姿。

 さて、自己実現の問いかけには、生き甲斐の心理学で3つめの問いがある。それは、「自分を大切にしているか?」という問いである。自分とは身体と心(成育史)と魂からなるものであると考えると、身体を大切にしているか?成育史からなるこころを大切にしているか?魂を大切にしているか?という問いかけに分解できる。

 「上海の長い夜」の中で、主人公は様々な危機を乗り越えていくが、一番印象的だったのは、尋問で手錠を後ろ手にずっとはめられて生活をするところである。当然、食事も困難になるのだが、叡智をしぼり食事をとるところであった。身体を大切にするとは、そういうことなのかと飽食の時代を生きてきた私は納得した。

 話は少しずれるが、最近、いろいろなところでガイガーカウンターで放射線量を測ったり、東京で放射線量の多い葛飾区に住む娘や孫の日常に触れたりしてきた。その中で、一番抵抗があったのは、砂場で子供が遊ぶことであった。葛飾区の調査などで砂場にセシウム等が微量にせよ含有されていたり、例えば0.2μSvくらいかもしれないが、年間1mSvを時間当たりに勘算しての0.114mSvを超える線量が明らかなのである。孫かそういった環境にいること。これも考えさせられる。

 自分を大事にすること。今日は一日考えてみたい。

不安を観る 10/10

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生き甲斐は、放射能汚染をけちらす!(不安を観る 9/10)

2011-09-28 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は一日休みで、孫がいる葛飾区に出かけた。孫に会いたいということもあるが、先日購入したガイガーカウンターで娘夫婦や孫の安全を確認したかったこともある。

 夕方、江戸川まで、のんびり歩きながら測定をしたりして過ごした。寅さんの舞台の江戸川河川敷でも測定したが、東京都の中でも東側で北側の葛飾区は年間の放射線量が1mSvを超えると言われていた。実際に測ってみると、八王子と同じで、地域により高い数値を示すところもあり、そうでない地域もあったりする。

 江戸川沿いの金町は、区の発表する発表値と同じような値(0.1〜0.2μSv/時)であったが、地表に置いて測定すると二倍近くの値をしめすようで土壌が確実に汚染されていることが判った。安全な年間累積線量をどう考えるか議論が分かれるところであるが、一つの目あすである1mSv/年は時間当たりに計算してみると、0.114μSv/時となる。

 発表値は0.1〜0.2μSv/時なので、安全と仮定しても地表は仮に2倍とすると、その数値は確実に1mSv/年を超える。犬や幼児・子供の影響はどうか確かに心配である。

 ただ、子供や孫のいる住居内は、八王子の私の自宅と変わらず1μSv/毎時を下回っていたので安心した。

 さて、夜、娘夫婦と孫と近くのファミレスで食事をした。そのとき、混雑していて和室の食事の席が取れなかったこともあり、孫が落ち着かず皆困った。私は、孫と動物園に行ったときに、孫が階段がどういうわけか好きで、ほっておくと一人で階段をいつまでも上りおりしていることを思い出し、階段につれていった。そして、孫は階段をのぼりおりすると何かが満たされたようであった。

 放射能汚染にも負けず(と言っても、孫は放射能汚染をどこまで理解しているかは大いに疑問だが)、階段を昇り降りする姿を見て、何か胸があつくなった。

 ただ、この現象も「生き甲斐の心理学」の観点から見ると、昨日の「私は何のために生きているか?」と問いかけるのと同じ自己実現の領域で、自分のやる気、生き甲斐を大切にすることに直結している。

 自分でも人生の危機のとき、どういうわけかマンションの管理組合の理事長で、その時の管理会社や修繕費の調達で燃えていたことを思い出す。危機とは全く関係ないことでありながら、その時々の生き甲斐を生きることは、こころの健康と大いに関係しているように思う。日々の厳しい不安感の中で生き抜くときのオアシスである。

なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。図のAに当たるところを昨日から明日まで思索します。)

不安を観る 9/10

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浮き世離れしているようで、してない大切な問いは?(不安を観る 8/10)

2011-09-27 | 第四章「愛とゆるし」

 世の中には、「急がば回れ!」という格言がある。私はこの格言が好きである。浮世の些末時に翻弄される時に、じっくり深く考えると見えてくる。

 難しい課題や人生の節目で悩んだりしたとき、「私は何のために生きているか?」、そんな自分への漠然としたオープンな問いかけをしたことが、結局は長い目でみてよかったことも。

 今回の放射能汚染も問題も、この浮き世離れしているような、青年のような問いかけが、きっと役にたつと思う。回答は、それぞれの人のこころの奥深いところにあるはずだ。

 ただ、この問いかけが大切なことは、私の個人的な想いだけではないようだ。生き甲斐の心理学で、とても大切にされている。

 「私は何のために生きているか?」という問いかけは、自己実現(利己的なものと狭く解釈しないで欲しいが)の領域で大切な問いであるし、こころを健康にするためのアイデンティティの統合に深く関わってもいる。そして、自分の立ち位置、軸が決まれば、不安感を体験の解釈の変化により、平安感に変え明るく生きることができる。

 ところで、先日、月と地球の関係についてBBCのドキュメントを観た。金星や火星は初めは地球と同じように育ち、生命体が育つまでになったかもしれないとのことだ。しかし、その後、荒れ果てた原因は、地球が月を伴っているのに対し、金星は持たず、火星も二つあるものの、火星本体に大きな影響を及ぼす月のように大きくない。地球の月のような衛星をもたなかったのが理由だという説である。

 月のような天体の巨大な重力は、海水の満ち引きだけでなく、地球の最適な地軸を決め、生命を育む環境を形成したと言えないわけでない。

 この月と地球の関係は何か人生でもあるようだ。大きな人生の問題に遭遇したとき、その問題が人を救うということもあるのではないか。日本にとって放射能汚染も、それ自体は大変な問題であるが長い目で見てどうか。それは、あと100年もしないうちに判るかもしれない。

 写真は中秋の名月(今年の)。

(なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。)

不安を観る 8/10

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こども、まごの人生を想う親心・・・(不安を観る 7/10)

2011-09-26 | 第四章「愛とゆるし」

 自分のことで恐縮だが、祖父母は良い思い出が満載であるが、みじかにいた、母方の祖母には嫌な思い出もある。感染症が猛威をふるっていた幼いころであるから、当然なのであるが、怪しいものは友達が食べていても食べさせてくれず、祖母に反発した経験もある。

 ただ、今考えてみると、祖父母の時代は、子供も多かったが、幼くして子を亡くすことも多かったようだ。祖母もそうした辛い経験があったから、厳しかったのかもしれない。

 現代は、病気で幼い子供や、若い人が亡くなるということは殆ど聴かなくなったが、自殺などの悲しい話は逆に増えたりしていた。

 そして、今回の原発問題である。

 先日、都心で孫と公園で二人で遊んだが、砂場は閉鎖されている状況であった。そして、すべり台で遊んだが、やはり孫が地面に皮膚を直接つけないよう神経質になった。将来、孫がお祖父さんは公園で神経質だったと思い出すかもしれない(お祖父さんキライなんて)。

 この数年古典に親しんでいるが、昔は幼い子や配偶者と死に別れることは、今以上に多かったようだ。当時は、平均寿命30年とかの人生なのであるから、今とは違うのは当然だ。しかし、その中を健気に精一杯生き抜いていく。

 放射能汚染の現実のなかでも、この新しい現実を受け入れ、アイデンティティを統合しつつ明るく生き抜いていくのが、私も含め大切だと思う。

 写真は、ユキヒョウの親子。

(なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。)

不安を観る 7/10

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