イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「条件なしの配慮」で、たましいの会話をする!(私とあなた ③ 4/10)

2014-09-30 | 第八章「魂と聖霊」

 マッサンの家族の反対をおしきっての国際結婚。常識的な当時の結婚の条件から考えると、考えもしない条件だったかもしれない。そんなドラマを観ていると、人間って素晴らしいと思う。条件のない浮世離れしているような世界、それでいて地に足がついている世界。

 縄文時代でも、同じような遠隔地結婚はあったようだ。多摩の縄文の村に東北の違う文化圏の嫁が来る。土器の研究からそんなことも判るらしい。ひょっとすると海外からということもあったかもしれない。

 今私は、まだ現役とはいえ、30代40代50代のころとは違う。この年代は子育てや仕事さまざまな大変なことにぶつかる。そして、問題の矢面に立ちやすい年代かもしれない。そんな中、私も利害得失が頭の中を占め、何となく生き方が荒廃?した時期もある。まあ、ある意味仕方がない。

 利害得失の世界で崩壊する前に、悔いのない人生をのんびり考えることは大事なことだ。私も、ある心理学系の勉強会に参加したお蔭で、違う世界の存在を深めることができた。それは、死のある人生を考えることである。そして、条件付きの利害得失の世界の外に何かが微かに見え始める(勿論、生き抜くために利害得失は大事な要素ではあることは変わりがないが)。ちがった人生、他者の人生が不思議に眼に入ってくる。

 8000年前とかの、縄文世界。この時代は、美しい川沿いに暮しなどを妄想し良いなとは思うが、厳しい現実も事実だったようだ。平均寿命が30歳くらいという説もある。大切な人が突然亡くなったり、突然病気になったり・・・そんな中、私たちの祖先は、きっとお互いにささえあって生き抜いてきたのだろう(傾聴もきっとしていたのだろう)。当時の祖先は何を信じたのだろうか。単に利害得失だけでなく悔いのない人生も見つめていたと思う。

 様々な研究が考古学者や宗教学者などによってなされており、かつては信じられないような世界が最近私の前に広がってきている。

 昨日は、ミルシャ・エリアーデの「豊穣と再生」(せりか書房)がアマゾンから届き、さっそく読み始めた。たとえば月。この月と世界の宗教の関係は、何か私たちの宗教の源流を示唆しているように思えてならない。日本神話がギリシャ神話に極めて似ている部分があり、そんな神話はある時点でギリシャから渡ってきたという人もいるが、私は、5-6万年にアフリカを出立して世界に散らばった原宗教にすでに原型があったのではと妄想している。

 月の持つ不思議な周期性、誕生から死と再生。そのイメージは女性、水、火、蛇、カエル・・・と繋がってくる。私はキリスト教、カトリック信徒だが縄文の勉強を深めていくと胸が熱くなってきてしまう。

 キリスト教が西欧の文化の基盤になっているのでキリスト教を理解しなければという日本人も最近多いようだ。「ふしぎなキリスト教」という日本の社会学者が書いた本が30万部売れたりする。そして、「ふしぎなキリスト教と対話する」という立派な本もでたり。私も紹介されて、これも先日買って読んでいる。しかしページをめくりつつ、ふと思うのだが、キリスト教理解もそういった本で学ぶのも良いが、縄文の宗教に想いを巡らすことも、遠回りなようでキリスト教理解や、自分の宗教を深めることに大きく繋がるかなと。

 さて、縄文を少し離れ、ブログでの一連の傾聴の問題に戻ってみよう。

 傾聴で大切なこととして、U先生の「生き甲斐の心理学」2章を有難く参考にさせていただき、「心理的接触」、「傷つき度」、「ありのまま」と進めてきた。そして、今日は「条件なしの配慮」。

 マッサンとリタの結婚でも浮世の世界の「条件つきの配慮」が大問題。傾聴でも、大切な人とは条件付きが凄まじいほど顔を出しがちだ。しかし、傾聴するには、「条件なしの配慮」をこころがけねばならない。そうでないなら傾聴はなりたたない。聴き手がそのようなスタンスで寄り添っていると、話し手がふと悟って回答を見出していく。そんな、たましいの会話は、月が新月となり三日目に三日月が現れるようだ。しかし、マッサンはこれからたのしみだ。

私とあなた ③ 4/10

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靴を脱いで、畳の上でのんびり!(私とあなた ③ 3/10)

2014-09-29 | 第八章「魂と聖霊」

 今日から、朝ドラはマッサンが始まった。懐かしい広島弁や竹原のシーン、酒造りのシーン(私の祖父は冬に杜氏の仕事をしていた)・・・わくわくしたが、一番はっとしたのは、エリーさんが間違えて土足で畳の上に上がったシーン。日本人では当たり前なのだが、スコットランドにはない習慣のようだ。

 実は、この二日間、日本庭園がある場所に行った。某所の勉強会会場では昼食会場がちょっとした日本庭園の観える座敷だった。そして、靴を脱いでのんびりしたが、なかなかリラックスし話も弾む。もう一つは昨日の昭和記念公園の日本庭園。あずまやに入ったが、素晴らしい景色は堪能したが残念ながら畳ではなかった。すると何か物足りない。京都の禅寺などで畳の上でお茶を頂いたことが懐かしかった。

 さて、日本の靴を脱ぐ習慣はいつからあったのだろうか?畳の歴史を調べると、奈良時代からは確実だそうだが、畳の原形はさらに昔、縄文時代にまで遡れるようだ。竪穴式住居も実際は菰等をひいていたようで、多分靴(草履?)などを脱いでのんびりした可能性も高い。湿度の高いお国柄なので、かなり昔から靴を脱ぐ習慣があったのだろうと思う。そして、それが穢れと禊の文化などにも影響しているのでは。

 

      

 

 しかし、靴を脱いでのんびりする習慣はすばらしい。それだけで、何かリラックスできる。傾聴のポイントにも通づるようでもある。

 傾聴のポイントをU先生の「生き甲斐の心理学」のテキストを参考に、「心理的接触」、「傷つき度」と挙げてきたが、今回はアナ雪の歌ではないが「ありのままで」はどうだろうかと考えている。ロジャースの6条件では、純粋と一致のところで、聴き手はより純粋と一致でなければならないという点なのだが、かなり判りにくいところでもある。勿論、ありのまま=純粋と一致 ではないと思うが、ありのままという言葉はなにか腑におちるところがある。

 聴き手も判らないところ知ったかぶりせず判らないと言い。相手を変な条件をつけて受け入れるのではなく、「ありのまま」で受け入れるのも純粋と一致に関係する。意外に近い概念なのかもしれない。

 父親はかくあるべきだ。母親はこうあるべきだ。子供はこうしなければならない。先生はこうせねばならない。生徒はこうしなければ。そうした、何か靴のような、鎧のようなものを脱ぎ捨て、「ありのまま」で無防備になる。それで、何か判らないことが観えてきたりすることもある。この「ありのまま」は禅問答のように難しいものではあるが、純粋と一致を考える上で大切なのではと思う。

私とあなた ③ 3/10

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あなたと私の「傷つき度」!(私とあなた ③ 2/10)

2014-09-28 | 第八章「魂と聖霊」

 意外と知られていないが、傾聴をしたり、心理学の勉強会の講師をすると実に疲れるものだ。以前、同時通訳の方から聴いたことがあるが、同時通訳も一度には20分とかが限度でそれ以上は無理だそうだ。 因みに、カウンセリングも50分が限界と言われている。傾聴なども普段の頭の使い方がどこか違うのだと思う。

 さて、何故それほど疲れるのだろうかと思う。当然ながら相手の方の思考・感情・行動に興味を示し集中していることもあるが、同時に自分の思考・感情・行動にも集中しているからかもしれない。二つの世界を同時に処理するというのは同時通訳にどこか似ているかも。

 暮らしの中で、大切な人との対応で、今日は「傾聴」でやってみようと思うことは大事だ。気にかけている相手が何となく傷ついているので支援しないといけないな・・・と思ったりして意識して「傾聴」を実践する。そして、「心理的接触」を目指すのだが、大切な人との関係は複雑な親子関係だったりして、感情のもつれがさらに悪化することも多い。時には、喧嘩になってしまうことも。

 そんな中、「傾聴」をやろうと意識しているときは、お互いの「傷つき度」を必ず計ることは大事。これはロジャースの6条件にそったものだが、次のような具体的なケースで考えてみたい。

 Aさんは、最近めっきり老け込み、若干物忘れがひどくなり一人暮らしが心配になってきた母親Bさんが心配だ。今日はBさんの家に久しぶりに訪れた。

Bさん、「A子、最近電話もよこさないで、私なんてどうでもいいみたいね?」

Aさん、「そんなことないわ、昨日はお兄さんがお母さんのところに行くって聴いていたし・・・昨日はお兄さんきたの?」

Bさん、「C男もいい気なもんで、昨日は、急用で来られなくなったと言ってきた。どうせ、また奥さんと映画でも観てるんでしょう。A子       も、昨日はどうせ孫と遊んでたんでしょ?」

Aさん、「お母さん、何言ってんの、私は昨日は仕事で夜まで大変だったのよ!」

 こんなケースでは『心理的接触』は遥か遠くにあるようだ。そして、あやしい暗雲が垂れ込めてきたようだ。こんな時は、お互いの「傷つき度」を測ることが大事なのかもしれない。

 Bさんも、当然傷ついているが、Aさんも家庭の事情でBさんにかまえなかったり経済的問題で傷ついているかもしれないのだ。そして、このままでは、Aさんは、むっとしてBさんの家を後にするかもしれない。しかし、Aさんは「傾聴」しようとしているならば、ふんばって「傷つき」を意識してみるのが大切だ。

 心中穏やかでない自分の「傷つき度」、母(Bさん)の兄とのやりとり、そして一人ぐらいがしにくくなっている嫌悪感からくる「傷つき度」。そんな「傷つき度」を意識しつつ、自分が敢えて傾聴することを選ぶ・意思することが大事だ。

 Aさん、「お母さん、お兄さんが来なくて大変だったね、食事はちゃんとした?そういえば、今日は、お母さんの好きな〇×饅頭を買ってきたのよ?」

 Bさん、「〇×饅頭・・・ちょうどさっきテレビに出ていて食べたかったのよ・・・」

 運よくお饅頭を買ってきたのがよかったのか、一挙に「心理的接触」まで到達したようです。

私とあなた ③ 2/10

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「心理的接触」を意識してみると、大事な人間関係が違ってくる!(私とあなた ③ 1/10)

2014-09-27 | 第八章「魂と聖霊」

 U先生の「生き甲斐の心理学」(臨床心理学)を学んで日常の人間関係で活かせることはできるか?特に、親子関係とか師弟関係とか利害得失が関係する間柄とか・・・結構難しい関係もある。

 「花子とアン」でも白蓮さんが子供さんを失って落ち込んだとき、夫の龍一さんが花子さんに相談に行ったのはとても印象的であった。カウンセリングや心理療法の世界でも、難しいケースは他の方にオファーするということを思い出したり。自分の限界を察知し、最適な人にお願いするということは、とても大事だと思う。

 とはいえ、白蓮さんの夫、宮崎龍一さんは白蓮さんを支え続ける。できないこともあるが、充分できることもあるのだ。

 大切な人間関係でも、花子さんと白蓮さんのようにいつもOKということはない。一時的にネガティブな感情が湧いたりするのも長い眼でみれば当然かもしれない。そして、自分が嫌っていながらも、気になる人と接するときは、「心理的接触」を意識すると良いと思う。ビジネスの世界などでは「心理的接触」よりラポールという言葉がポピュラーかもしれない。

 「心理的接触」は、心が通いはじめる臨界点のようなものである。人間関係は自分だけでなく相手の状態も大きな要素だ。相手が心を通わせる状態を目指す臨界点を意識する。

 何となく話を始めても、とげのある言葉が飛んでくる。14の防衛機制だと感情転移などで、他人には言えない感情を本来向けるべき相手でもないのに、こちらに向けてきているのだ。まあ、八つ当たりだ。こういうことは、日常の中でも良くある。これにのってしまうと、傷ついている相手はさらに傷つくなど逆効果だ。

 こうした中、自分なりにその人の「心理的接触」方法を研究することは大事だ。人それぞれの興味対象。心の傾向・・・いろいろある。そして、言葉はともかく、優しい眼差しとか気遣いとかを大事にすることも効果的だったり。

 Aさんの場合は、会って15分は黙って話を聴くだけにするとか。Bさんの場合は好きな小説家の話をするとか・・・。身体も感情を左右するので、いらいらする食前の時間を避ける必要がある人もいるかもしれない。

 そして、他人研究も大事かもしれないが、自分の研究をすることももっと大事で早道だ。自分はどういう時に「心理的接触」状態になることが多いか・・・そんなことを気にかけていると、ツボが分ってくるように思う。 

私とあなた ③ 1/10

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個性の美を引き出すためには?(私とあなた ② 10/10)

2014-09-26 | 第八章「魂と聖霊」

 今日の「花子とアン」は、「Anne of Green Gables」の日本語翻訳の誕生のテーマであったが、タイトルが「赤毛のアン」に決まるまで、とても楽しかった。アンの気にする欠点・・・それが赤毛で象徴化されているが、それが欠点ではなく魅力的な個性と解釈するところが胸をうった。

 心の健康の問題のなかでも、自分の欠点や病理と思われるものが、実は魅力的な個性であることを発見することは重要だ。そして、その鍵は得体のしれない自分の解釈の仕方だ。

 とかくこの世は、例えば親子の関係でも、親は自分の子供の個性を認めず一面的に非難したりしがちである(自戒をこめて)。上司部下の関係でも、やはり利害関係から上司は部下をかなり一面的に解釈し、個性をほめることが少ないようだ。そして、なにより自分自身が自分の個性に気付かないでいる。

 では、個性を見出すにはどうしたらよいか?利害関係があったりする関係は一般に不向きなようだ。対等になれるな関係が良いようだ。友達が一番だが、従兄、同僚、元の会社の知人、FB友達、夫婦、兄弟、神仏も欧米では多い・・・

 何でも話せる友達が、次のようにのんびり話を聴いてくれる。傾聴の知識でいえば、①かまえがなくリラックスしていて。②暖かく共感的で。③あるがままに受けいれ。④ゆったりとした間があり。⑤理屈だけでなく感情も理解し。⑥いつも気にかけてくれるような人。こんな人が理想的だが、まずは、自分の意見を言うこともなくひたすら聴いてくれるのが一番。

 その中で、自分の「赤毛」(残念ながら私はハゲ)にまつわる想いを話しているうちに、何か別の多面的な解釈ができるようになったり。あるいは、何気ない正直な会話の中で、自分の個性のヒントを話してくれることもある。

 急にそんな人があらわれることも少ないかもしれない。その時は、友人の個性発見を支援するという意味で、逆の立場で話を聴いてあげることも大事かもしれない。

 自分の個性発見は、「自分は何のために生まれてきたか?」の回答に繋がる大事こと。そして、それが軌道に乗り出すと、花子さんのように十年以上の歳月の中で自分の想い「Anne of Green Gables」を翻訳し世に送ることが現実化したりする。

私とあなた ② 10/10

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