イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

花子と白蓮・・・生き抜く力!(地図と年表 4/10)

2014-06-30 | 第五章「和解と平和」

 朝ドラの「花子とアン」毎日観るのが楽しみになってしまった。U先生のブログに刺激されたところもあるが、「アンのゆりかご」を思わず買って読んだり、白蓮さんの年表を毎日のように眺めたりしている。

 特に、柳原白蓮さんの一生は実に感動を覚える。大正天皇とのお母様の姪にあたる高貴な生まれだが、母が幕臣の娘ではあるものの妾で、生後しばらくして亡くなるなど数奇な運命をたどる。花子とアンでは、花子と蓮子は親友となっていくが、その背景の生育史を調べると実に大変な試練だったなと思ってしまう。その後、大富豪の伊藤伝右衛門と再婚するも、当時の最大級の話題と言っていいほどの白蓮事件を引き起こす。これから先はドラマを観ることにして、余り述べないようにするが、その人生は、実に試練の連続といって良いようだ。時代と環境に翻弄され・・・

 それにも拘わらず、白蓮さんは1967年まで82歳まで生き抜き、歌人として、あるいは社会活動家としても立派な足跡をのこす。昨日のブログで、郭の話もでたが、吉原の遊女を救出したりもしている。

 心の健康を維持し、何故生き抜くことができたかは「生き甲斐の心理学」学徒の一人の私にとっても実に興味がある。

 例えば複雑な白蓮事件など、思わず考えてしまう。様々な人の援助や理解もあっただろうが、本人の決断や行動も見事かなと思う。それが可能であったのは、基本的に次の自己実現の問いかけをどこかでされていたのではないだろうか。

 ①何のために生きているのか?

 ②生き甲斐は何か?

 ③自分の身体、心、魂を大事にしているか?

 そして、困難の中で①アイデンティティを上手に統合②現実吟味力を健全に発揮③防衛機制をうまくつかう。こんなことだったかもしれない。81歳でなくなったとき、夫の龍介さんは次のような述懐をされている。

「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人人よりは子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」

宮崎龍介, 「柳原白蓮との半世紀」『文藝春秋』昭和42年6月号創刊45周年記念号
 
 ネットで調べると、白蓮さんの住まわれていたところが保存されているようで、一度行ってみたい。
 

地図と年表 4/10

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新宿御苑の不思議な空間と大木!(地図と年表 3/10)

2014-06-29 | 第五章「和解と平和」

 新宿御苑の前身は内藤藩の下屋敷であるが、その領地は徳川家康より拝領した。そして、何故拝領したかについて、逸話がある。家康が江戸に入ったときに内藤清重をよび褒美として、老馬で回れる土地を与えるとした。清重は老馬で広大な土地をなんとか一周し、それが今の新宿御苑の原形となったという(一部の領地は東京都に払い下げ新宿高校になったりするが)。

 先日、その老馬の駿馬塚がある内藤家の多武峰神社に行ったが、閑静な神社でとても爽やかであった。新宿御苑でもなく、まして内藤新宿の雑踏からも離れ心地よかった。

 この新宿御苑は、庭園が江戸時代有名であったが明治になると、植物園ができ1906年に新宿御苑となる。そして、私の母方の祖父母からずっと何代にもわたりお世話になっている。

 この新宿御苑、このところ結構妄想することが多い。それは、最近、新宿歴史博物館に行き、内藤新宿に興味を持ったことに始まる。江戸時代にどちらかというとマイナーな甲州街道の宿場町を町人が出資して作ったことから新宿は始まる。四ツ谷の大木戸から始まる内藤新宿は、江戸の歓楽街としても発展し栄えたようだ。

 そして、その内藤新宿の面影を残す、大宗寺、正受院、成覚寺を訪れた。閻魔様や奪衣婆像、地蔵や切支丹灯篭、子供合埋碑などに触れると、どういう人がどのように祈ったのかも含め、いろいろ感じてしまう。

 

 こうした、有形の文化財の外にも、落語の郭話、内藤新宿の話もあるのを今朝知った。今の時代とは、かけ離れているところも多いが、本質的なところは変わらないところもありそうだ。

 どろどろとした世界の中で、当時の庶民もしっかり生き抜いていったのだと思うと、何とも胸が熱くなる。そして、内藤新宿の近くの内藤家下屋敷のことを想う。内藤新宿とは違った閑静な武家屋敷は、当時も異空間だったかもしれない。

 さて、新宿御苑で思い出すのは、ちょっと時代が前だが、庄司薫さんが書いた「ぼくの大好きな青髭」である。この小説の舞台は新宿、そして夜に新宿御苑に忍び込み大木のそばで語り合うシーンがあり、なかなかいいのだ。私の青春時代は60年台後半から70代前半だったが、当時の時代の不可解さ(今に通じているが)と、その中で台風の眼ではないが、都会の中にある異空間をうまく描いているように思う。

 郭話もそうだが、様々に絡み合い出口のないような世界にありながら、どのように健康に生き抜いていくか。U先生も言われているが自己イメージはとても大事で、「ぼくの大好きな青髭」ではないが、自分のイメージを好きな大木と重ねてみることが大事なようだ。そして、のんびりと「自分は何のために生きているのだろう?」と考えてみる。

地図と年表 3/10

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E.H.エリクソンの発達心理学!(地図と年表 2/10)

2014-06-28 | 第五章「和解と平和」

 年表とは違うが、人間の心理的成長に関する研究で著名なE.H.エリクソンについて、昨日はいろいろ考えた。エリクソンは先の発達の問題だけでなくアイデンティティの研究でも大変有名で、昨日は知人と、その問題について随分話し合ったりした。

 エリクソンの8つの人格形成論はU先生の生き甲斐の心理学では、とても大切にされていて、そのチャートは私も何百回となく観ている。しかし、エリクソン自体にはあまり関心がなかったが、この地図と年表で思い出し、どのような方だったかいろいろ調べた。

 1902年にドイツのフランクフルトで誕生する。1902年は明治35年(日英同盟がなされた年)で、この年にやはり生き甲斐の心理学で大切にされているカール・ロジャースも生まれている。日本では小林秀雄が生まれた年であり、前年に昭和天皇が生まれている。

 エリクソンは、両親がデンマーク人でユダヤ人であるが、誕生してしばらくして両親が離婚し父に関しては殆ど知られていない。また、北欧系の風貌のユダヤ人だったこともあり、二重に差別されたと言われているが、ウィーンでアンナ・フロイト(フロイトの娘)のウィーン精神分析研究所で精神分析の資格をとり、米国に渡り心理療法家としての能力も発揮しつつ、アイデンティティの概念など画期的な発見をしていく。

 エリクソンのような、複雑なアイデンティティを形成する環境の中で、アイデンティティが生まれることに、何か感動を覚えてしまう。エリクソンは1994年に91歳で亡くなるが、80歳の時まで著作をし人の心の理解に光を当ててきたと思う。写真は、ウィーン大学のそばのフロイト公園、近くにフロイトのウィーンでの住まいでもある記念館がある。娘のアン・フロイトやエリクソンもこのあたりにいたのだろうか?

 昨日も、知人と楽しい会話をしたが、心の健康を考えるときに、生き甲斐とかアイデンティティとかを日本では結びつけて考える人は少ない、しかし、その不思議な関係は厳然とある。

 そのエリクソンが研究した心の発達については次のWikipediaの記述を参考にされたい。今日はGoogleでウィーン時代のエリクソンをしのんで、ストリートビューで探索してみようか?

地図と年表 2/10

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地図と年表で世界が変わる!(地図と年表 1/10)

2014-06-27 | 第五章「和解と平和」

 旅好きの私ではあるが、なかなか旅に行けないのも事実?(結構行っているとの指摘もあるが)である。そんな私であるが、最近、地図と年表を活用することで、身近なところも旅行気分になれることを知った。

 地図と年表は、考えてみれば今私たちの生きている空間ー3次元空間と時間をうまく表現するものであり、それを活用することで物事の解釈が多様にできるようになる。

 そんな理屈をしらなかった小中学生のころも、地図や年表はとても刺激的だった。学校の勉強と重ならないところに異常に興味をもったりも。オーストラリアの地図を観つつ「母を訪ねて三千里」の新しいバージョンを妄想したり、年表といっても億年単位の地学で出てくる年表で妄想したりした。

 「生き甲斐の心理学」を学ぶようになると、そんな地図と年表も自分との繋がりがより意識されるようになり(つまり自分という現象は過去のどの時点とも何らかの祖先が存在したという事実など)、自分や世界を知る上でより大事になってきたようだ。また、地図や年表を駆使しているうちに、自分の構成概念が変わったりし(視点が変わる)、ストレス曲線が激減することもあるので、これも大事。

 愛とゆるし、和解と平和も考えてみれば、何らかの地図と年表にプロットできるようである。

 因みに最近興味を持っていて活用しているものをご紹介・・・

 1.昔の航空写真や、明治・江戸の地図などを重ねて観られるので刺激的:古地図ーgoo地図

 2.国土地理院の地図、様々なことが判る。昔の地形なども類推できる情報も:ウォッ地図

 3.中沢新一氏のアースダイバーの地図のネット版というか、寺社仏閣好きにも参考に:アースダイバーマップ

 4: 星座や惑星を確認するための Google sky map ・・これはタブレットで大変お世話に

 5. 年表は、Wikipediaを愛用しています。例えば 1555年など

    その他、様々な切り口の年表がネットで検索できます。

 何か刺激的な地図や年表があればお教えください!

 地図と年表 1/10

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親密になりそうだと逃げだす傾向!(心の健康度 ⑦ 10/10)

2014-06-26 | 第五章「和解と平和」

  今日で、脱線等があったものの心の健康度(プロセススケール)を終了する。最後は親密性の問題で、表題のような「親密になりそうだと逃げる傾向!」。この生き甲斐の心理学の勉強を始めたころは、こんな傾向などは自分とは無関係だと思っていたが、心の深層をいろいろ学んでいくと、やはり、あるのかなと思うようになった。そして、自分のこの不思議な傾向と原因に気が付くと、それにまつわる様々な傾向が改善されるようだ。

 私の場合は、幼いころのいくつかの出来事が原因になっていると思うが、その一つは祖母の死であったと思う。祖母は、大日本帝国憲法が発布された明治22年の生まれで、当時も明治恐慌であったが、大正から昭和の激動期、敗戦後の日本などを経験した世代である。10人の子供を育てた後で、隣に住むようになった私を、誕生から8歳ごろまで愛しみ病に倒れ亡くなった。

 祖母は結構厳しくポリシーがしっかりしていたためもあり、私も反発して困らせたりしたが、突然入院し、それからしばらくして亡くなった。まだ、8歳だったが、その死と前後の出来事は不思議に記憶している。一緒に暮らしていた幸せ感が、消え祖父や母が悲しんだ記憶。

 人と人の関係性は、自分が決めたわけではないが、厳然とあるものだ。親と子、上司と部下・・・そして祖母と孫も。そして、無意識の世界で親子の関係が上司・部下の関係に混濁するのはやや不健康であるが、どの関係性を考えても、親密性に制限はないのだと思う。しかし、無意識の中にある、かつての出来事、幸せを感じだしたころに突然奪われるような出来事があると、無意識に親密性から逃げてしまう傾向が生じる。自分が傷つくのをどこかで恐れるのだ。しかし、親密性とはそんなものなのだろうか。親密性を哲学するまでもなく、どこかおかしいと思う。

 さて、最近は、どういう訳か炒った大豆マメをつまみにビールを楽しむ癖ができてしまった。健康によさそうなので始めたのだが、ふと祖母の記憶がだぶっていたように思った。私の祖母は、腕白だった私を、時折読んでちり紙に甘納豆を数粒包んでくれた。その昔の記憶がだぶっているのかもしれない。とは言え、飲み過ぎには注意せねば!

心の健康度 ⑦ 10/10

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