大学2年生のころ、従兄のKさんから等価変換創造理論のことを初めて聴いた。大学の研究室が市川亀久弥先生で、研究室には蝶の絵が張ってあったそうだ。青虫がさなぎになって蝶になる。あの気持ちの悪い青虫が何で蝶になるのか。青虫が蝶になるには、さなぎになってから変わる。そのさなぎ段階で、青虫の属性が取り去られ、身体はアミノ酸レベルまで分解するとも言われている。
そして、青虫―蝶ー生命体の本質を継承しつつ、生命体の生存に有利(生殖だろうか)な観点から、美しく飛翔する蝶の属性が付け加わり蝶に変わる。
このプロセスは、発明や理論構築だけでなく、人間の様々な活動にも当てはめることができる。
昨日ブログで述べた、「信じる」。ちょっとした「信じる」ことから、神仏や哲学を「信じる」といったレベルまで、いろいろ「信じる」はあるが、共通することは、ある観点の獲得が背景にあることではないだろうか。
等価変換創造理論で、引き合いに出される例としてガスコンロの炎がある。明るい照度の高い炎という観点では、酸素を多く含ませた赤っぽい炎が良いが、熱量という観点では青い炎が良い。観点によって、大切にされるものが変わるのだ
ちょうど、何かを信じて見えたり、見えなくなったりするようにだ。
観点は変えられるということ。このことは、とても大切なことだと思う。
信じる 1/10