イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「信じる」とは何だろうか?(信じる 1/10)

2011-12-31 | 第七章「光と復活体」

 大学2年生のころ、従兄のKさんから等価変換創造理論のことを初めて聴いた。大学の研究室が市川亀久弥先生で、研究室には蝶の絵が張ってあったそうだ。青虫がさなぎになって蝶になる。あの気持ちの悪い青虫が何で蝶になるのか。青虫が蝶になるには、さなぎになってから変わる。そのさなぎ段階で、青虫の属性が取り去られ、身体はアミノ酸レベルまで分解するとも言われている。

 そして、青虫―蝶ー生命体の本質を継承しつつ、生命体の生存に有利(生殖だろうか)な観点から、美しく飛翔する蝶の属性が付け加わり蝶に変わる。

 このプロセスは、発明や理論構築だけでなく、人間の様々な活動にも当てはめることができる。

 昨日ブログで述べた、「信じる」。ちょっとした「信じる」ことから、神仏や哲学を「信じる」といったレベルまで、いろいろ「信じる」はあるが、共通することは、ある観点の獲得が背景にあることではないだろうか。

 等価変換創造理論で、引き合いに出される例としてガスコンロの炎がある。明るい照度の高い炎という観点では、酸素を多く含ませた赤っぽい炎が良いが、熱量という観点では青い炎が良い。観点によって、大切にされるものが変わるのだ

 ちょうど、何かを信じて見えたり、見えなくなったりするようにだ。

 観点は変えられるということ。このことは、とても大切なことだと思う。

 信じる 1/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!


何かを「信じると」見えてくる・・・(私は何か? 10/10)

2011-12-30 | 第七章「光と復活体」

 今年の年末年始は、孫からもらったノロウィルスで、家族中寝込むことになったようだ。まあ、罹って2-3日で平常どおりの生活に戻れそうなのことと、年末年始の休暇(特にイベントもなかったので)のおかげで私は気楽である。

 そんな気楽さもあったのか、病気で身体は不健康でも、何となく爽やかな健康感(暗い感情としての、身体症状の反対の感情)が全身にみなぎっていて心地よくもある!

 さて、まもなく2011年が終わり、2012年が始まる。多くの人が神社仏閣に行ったりして、祈りとともに新年を迎える。私は、カトリックなので体調が戻れば元旦のミサに行きたいところだが・・・でも、聖なる場所はどこもいいなと思うし、日本人の聖なる場所(神社)が好きである(DNAに刻まれたのだろうか)。

 「何かを信じる」。この心の力動は、幼いころから還暦の今に至るまで、様々な恩恵があったと思う。特定の人を信じたり、神仏を信じたり、会社や社会を信じたり・・・いろいろなケースがある。そして、信じると何かが見え始める。逆に信じられなくなると、何かが見えなくなったり(たとえば長年務めた会社をやめるとそんな状態になるようだ)・・

 今年は、年末にPCを買った。某外資系の電話営業に注文したのだが、その営業の方は中国の大連のコールセンターの方(素晴らしい日本語を話す)であった。文化が違ったり、いろいろあるがちゃんと商品が届けられると実に不思議な感じがした。10年前には信じられないことが起こる。でも、これも一種の信じる力に支えられているのだろうと思う。

私は何か?10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!


本音:自分の本当の心の音色を聴くには・・・(私は何か? 9/10)

2011-12-29 | 第七章「光と復活体」

 年末年始を迎え、のんびり大掃除をしながら、ときどき来年への抱負を考えている。その時に自分の本音、自分の中に湧きおこるささやき・・・を意識するが、その本音を掴むことは結構難しい。自分の本音くらい、自分が一番知っている・・・そんな風に、生き甲斐の心理学を学ぶ前は考えていたが、どうもそんなに簡単ではないようだ。

 自分の表面的な思考(想い)の陰に隠れている、自分の本音・体感・感情。そういうものが実は一番大切なのだ。昔、サラリーマン時代、品質管理の手法で、自分の問題について何故を3回繰り返してみよう・・・などと言われたが。確かに、そういった自問自答で問題を掘り下げることができる。自分の本音もそんな感じである。

 漠とした不安感を手掛かりに、本当にAがしたいのか?何故?何故?何故?と自問自答する。Aをすれば、自分の奥のむずむずが解消できるか?AでなければBか、Cか?現実性を考えてDか?そんな自問自答のうちに、ある時、本音らしいものが見える。そんな感じなのである。

 本音がなかなか見えないのは、理論的にいうと、こころの防衛機制の働きらしい。防衛機制はフロイトにより発見され、14種類あるといわれている。何処かで聴いたりしたことが多いと思うが繰り返してみよう。抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償。これらは生きる上で良い面も沢山あるこころの仕組みだが、逆に真実・本音が見えなくなる性質がある、人間の成長を阻害したりする面もある。

 のんびりとしている時、お風呂の中や、食後ゆったりとくつろいでいる時、あるいは良い聴き手の方との語らいの中で、防衛機制が外れ、こころがより自由になる。そういう時に本当の心の音色が聴こえてくるようだ。

 元気な猛獣の動作にも、本音とそれに連動する無駄のない動きを感じる。

私は何か?9/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!


単純な不安感が危機管理の原点では?(私は何か? 8/10)

2011-12-28 | 第七章「光と復活体」

 福島の原発事故の事故調査が進んでいるようで、昨日はNHKの放送をゆっくり観させていただいた。想定外とか想定内とかの言葉に絡めて、柳田邦夫さんが減災の話(想定外でも災害を減らす)など、とてもためになった。しかし、防災といいながら、やるべきことをやらず人災となった今回の事故は実に残念。

 危機。いくら平和の日本といっても危機はある。そして、個人的にも、自分や家庭の範囲で考えても危機はあるものだ。生命に関する危機。人生を左右するような危機・・・こうした時に、頼りになるのは結局・心理学的にいうと思考・感情・行動のバランスではないだろうか。何かが欠けてもダメである。防災も、危機の前倒しなので基本は同じ構造だと思う。思考・感情・行動のバランスなのだ。

 福島原発でも、今回のようなカタストロフィを起こさないためのチャンスがいくつか訪れたようである。しかし、そうした時に、現場の皮膚感覚(感情)抜きの思考でチャンスを逸したのではないだろうか(素人考えかもしれないが)。

 これは、人ごとでもなく、自分のことでも思い当たることがある。

 昨日は、大掃除で、いろいろ整理をしたが、二つの不安感を大切にした(不安感=大切な現場での体感や感情)。ひとつはパソコンである。今年は、11月にパソコンのディスクがクラッシュしたが、バックアップでイメージを外部ディスクに撮って置いたものの、いざというときにその外部ディスクが壊れた苦い思い出がある。今年中に、その対策をすることにした。

 もうひとつは、書棚の地震対策。以前から気になっていざというときに倒れないかという不安。ワイアを使って固定する作業をした。

 不安感は、人間にとって極めて大切なセンサー(命にかかわることも)。この信号を、みんなで渡れば怖くない(同一化)としたり、忘れる(抑圧)するなどの防衛機制でシャットアウトすると結局は大変な思いをする。不安感を大切にしよう。

 私は何か?8/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!


大掃除の中でのちょっと長いつぶやき!(私は何か?7/10)

2011-12-27 | 第七章「光と復活体」

  先日読んだ「炎の女帝 持統天皇」の余韻もあり、永井路子さんの「茜さす」を読んでいる。この小説は、現代小説であるが、奈良・・持統天皇の時代も題材にとった小説でとても楽しい。「炎の女帝 持統天皇」では、小説の展開からか、天武天皇と持統天皇の関係があっさりしすぎていたが、そこを補完してくれるようで楽しい。

 持統天皇の小説は、ネットで調べると、ほかにもあり、思わず二冊小説を注文してしまった。この正月は持統天皇への想いを深めたい(でも、新平家物語もあるので・・・)!

 さて、自分がこれほど、持統天皇に惹かれるのは何でだろうかと、今日は考えている。U先生の「生き甲斐の心理学」の本免許の課題という直球もあるが、自分の成育史での未完の問題や、エリクソンでいう60歳以降の8つめの人格形成の課題(智恵、自我統合性、絶望感)と密接に関係しているようでもある。

 今年還暦を迎え60歳にもなると、死がより近くに感じられる(知人の死などで)。その中で、自分をどう位置付け、これからの残りの人生と、死後の世界(これは死んでみないと判らないが、何らかのビジョンがなければ、根なし草に)を生きるかということに軸足が移るようだ。

 ひとつの関心事は、自分もサラリーマン等を経験したが、組織とか官僚機構とか、そういう不思議な権力機構をどう消化するかということだ。大学生のころ、父のようにサラリーマンになっていく(両義的な感情の中)・・・そんな予感の中でカフカに惹かれた。彼はハプスブルグ流の官僚機構で仕事をし、夜小説を書き、独身の中で若くして病死する。ある意味で、現代を象徴する人生を歩んでいる。

 一方、持統天皇の時代は、外交問題が大きな問題で、国を守るためにも律令制国家の成立が重要なテーマであり、そして完成していく(鎌足や不比等により唐の律令制を参考に作られるという見方もできるが)。その完成へのプロセスは人間にとって何だったのか?その影響は1300年後の現代にもおよび、光もあれば影もあると思う。それは日本人、否私の人格形成にどのような影響を与えているのだろうか。

 まあ、年末年始の大風呂敷を広げる前に、大掃除をして(本を整理!)、「茜さす」を早く読もう!それが、近道!

 私は何か?7/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!