イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ほめて、嬉しかったこと!

2010-01-31 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日のブログに、心やさしい人生の先輩より、褒めるには世辞と賛辞があると教えいただいた。賛辞は賛辞。そして世辞は本音ではない賛辞といったところであろうか。今まで言葉上スッキリしなかったが、私の話題にしている「ほめる」とは、賛辞のことのようだ。重ねてお礼を申し上げたい。

 さて、最近ほめて嬉しかったことがある。恐らく、一生忘れられない喜悦の時なのだと思う。ちょっと親ばかになるので、細かいことは省略するが、自分の娘の話である。

 娘の知人であるAさんが、NGOで働いているのだが、先のハイチに先駆けて行かれたそうだ。その悲惨な状況を娘はネットを通じて知ったそうである。娘は早速寄付をしたそうである。そして、その悲惨さを私にも教えてくれた。そんな話題を聴きながらで、ちょっと気になって、どれほど寄付したかと尋ねた。娘はモジモジしていたが話してくれた。

 娘の所帯にしては、想像を絶する額であった。

 親というのは、つまらないことを考えるものだと思う。私も何も・・・と言いたいところだったが、ちょっと考え、自分にはとてもできそうにないその行為に惜しみない賛辞を送った。

 私自身も想いもしないことで、救われたことがあったので、別にこうした行為も本来不思議ではないのだろう。しかしながら、娘をほめて嬉しかった。賛辞は、賛辞する方もされる方も幸福感をもたらす!

 昨晩の満月、本当に美しかった。写真を撮ろうと夜半にカメラを向けたが、月は恥ずかしげに傘をかぶってしまったが、それでも美しかった。

(感謝の領域<ほめる>13/60)

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ほめるって意外と難しい、それを知るだけでも価値はある!

2010-01-30 | 第四章「愛とゆるし」

 ほめることを、研究しようと思った。ちょっと、インターネットで検索すると、確かにブームのようで、様々な研修などのサービス情報、ちょっと怪しげな情報もある。玉石混淆のようである。

 「ほめる」。自分の人生にこうした彩りがもっとあればと思いめぐらすと、様々な感情が呼び起されてくる。ほめて、お互いに輝いた素晴らしい思い出もあるが、それが出来なかった思い出と悔恨の感情も。ほめるって、意外と難しい。

 湧いてくる、暗い感情を大切にするというのが、「生き甲斐の心理学」でのセオリーであるので、そのことを考える。うまくほめられない理由というのが、自分のこころの底にあるようである。

 誰かが代りにほめるべきだ(逃避)。今ほめなくてもよいのでは(先延ばし)。自分はほめる価値のない(自虐、劣等感)。変に相手を傷つけるのでは。誤解されるのでは。奢らせるのでは・・・そんな様々な理屈が隠れていたようである。そんな雑念が、本音でほめる行動を押さえてしまう。

 自分の一般的な傾向も見えてくる。もっと打てば響くようにできなかったのか。純粋と一致の修行が足りないのだろう。

 自分が、夫として、親として、子供として、あるいは同僚として、上司として、世話役として、生徒として、社員として・・・その「ほめる」が出来なかった、累々と横たわる残念の数々。

 ただ、見方を替えると、自分が相手から様々な原因で素直にほめられなかったことも多かっただろう。そんなことをふと思った。

 それだけで考えた価値があった。達人(素晴らしいほめる達人も周りにいますので!)を除いてほめることが下手な人も結構多いことに気がついたのだ。

 きっと魂と魂の熱いほめる会話がなされても良いはずなのに、立場その他で行動とならない。そんなことも沢山あるのだろう。世の中本当は意外と善意と好意にあふれているのだ(伝達できれば格段にすばらしいのだが)・・・

 もうひとつ気づいたことは、今ここでのほめる気持ちを、素直に行動に移す。打てば響くようにする。ちょっとした、簡単なほめるもあり、それは、すぐにできそうだということだ。ほめることを身に付いた習慣にすることができたら、世の中少しづつ明るくなると思う。

(感謝の領域<褒める>12/60)

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褒める、褒める、褒める、褒める!

2010-01-29 | 第四章「愛とゆるし」

 きのう、おとといの勉強会で偶然にも、NHKの「クローズアップ現代」で26日に取り上げられた、「ほめる力」の話題があがった。26日は仕事で私は見られなかったが、ビデオで今日見ることが出来た。

 ちょうど、今「愛とゆるし」の章で、心理学で有名なカール・ロジャースの19の命題の第一領域(感謝・満足)のことを成育史をベースに徒然に書いているが、まさに関係があることであった。

 この領域を大切にしないと、人を死にまで追いやる。そんなお話も番組の中にあり、また春風亭小朝師匠の愛のお話もとても印象的であった。小朝師匠のお話には、ストレス曲線を幸福曲線にする話方などもあり、実に興味深かった。「生き甲斐の心理学」をより一般市民のものにするために、落語を真面目に勉強した方がよいかもしれない。

 私も、人生で窮地の追われた最悪の時(40歳台)があったが、その時に、相談に行ったAさんから、意外にも褒め言葉を一言もらって涙を流したことがあった。あの一言は至宝の一言。そして、その言葉ゆえに混乱から脱出できたように思う。自己否定から自己肯定に、そして他者肯定の道への一言だったかもしれない。

 褒めることが、今やブームになりつつあるようだが、これからしばらく、「褒める」をつれづれなるままに考えていきたい。

 写真は先日府中で撮った紅梅。まだ肌寒い季節を写真で褒めているつもりです!

(感謝の領域<褒める>11/60)

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スピリチュアル・ケアを思い出し、勉強しなければと思う・・・

2010-01-28 | 第四章「愛とゆるし」

 ある日、知人から女性の友達が大病になって、どう接したらよいか判らないというお話を聴いた。

 4年くらい福祉の仕事をしていたが、大病の方が利用者として入所されることもあった。時には、職員もどう接したらよいか心を痛めることも。また、長年付き添われた伴侶の方を亡くされ、悲しみの日々を送られている利用者もいらっしゃる。

 WHOはスピリチュアルを定義したり、スピリチュアル・ケアに関しても、いろいろ配慮をするようになってきた。スピリチュアル・ケアは、宗教の領域とも接している為か、日本ではなかなかポピュラーでないように思う。そして、日本で臨床心理の国家資格がないのと同様に、その国民的コンセンサスが得にくい分野かもしれない。

 勿論、最近は終末医療もだんだん改善されつつあるようだ(以前在宅ホスピスのお仕事に接したこともあるが、素晴らしい活動だなと感激した。)。

 スピリチュアル・ケアの勉強はU先生の講座で、随分前に始めた。ただ、何となく最後までできず、そのままになってしまっている。気合いがいる勉強だと思う。

 時代のニーズが高まる中、もう一度チャレンジしなければと・・・今、思いなおしている。なき父に、できなかったことをきちっと勉強し、より身近な人の助けができればと思う。

(感謝の領域<生まれるまでの歴史>10/60)

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冥界というより天国のイメージが好き!

2010-01-27 | 第四章「愛とゆるし」

 先日、風もない穏やかな夕方、府中の浅間山で友人とピクニックしたあと、多摩霊園を散策した。

 墓地にぶらっと行くのは、高校生の時が初めてであった。桜の季節の青山墓地で学友たちとのんびり過ごした。心地よい春の思い出である。

 今は、母方の祖父母のゆかりの雑司ヶ谷の墓地も時どき行くが、府中の多摩墓地も最近友人とよく訪問する。

 多摩墓地は有名人のお墓も多い。そして、何となく、お墓からその方がイメージでき、より深く知ることが出来るように思える(体感的に)。多摩墓地に興味のある方は是非URLを参考に訪問されたらと思う。

 この日は、蟻の街のマリアで有名な北原 怜子(きたはらさとこ)氏のお墓に再訪したかったのだが、準備不足で埋葬場所の案内を忘れてしまい、訪れることができなかった。しかし、三島由紀夫氏のお墓には行くことができた。大学受験で浪人していたころ、住居近くの市ヶ谷で自決された強烈な記憶があった。ちょうどその半年ぐらい前に、日比谷のビル内の書店で三島由紀夫氏を見かけたこともあり、印象深かった。

 なお、先のURLは今日調べて発見したのだが、沢山の方のリストが載っていて、いろいろ発見があった。機会があれば、また訪問したい(もっと良い季節にでも)。インターネット時代に感謝である。

 さて、冥界は日本神話でもギリシャ神話でも沢山描かれている。多摩霊園の納骨堂である「みたま堂」に初めて入った(夕方という時刻で、地下のホールに降りてゆくのだが。そのとき、何かそんな暗いイメージが私のなかに湧いた(怖いという感情)。ただ、後から考えると三途の川や須弥山のようなオブジェであり、清らかなあの世をイメージしていたので、私の思いすごしだったかもしれない。

 ただ、私は、先日テレビで見た、シリアのイスラム教のモスクに書かれていた、天国の図。あるいは、キリスト教の天国のイメージ。そんな明るいイメージのほうが好きであり、ぴったりする。私の中にある死のイメージは、深層心理的にやはり先祖から伝わるイメージ(三途の川のような)に影響を受けているかもしれないが、より明るいイメージであることに気づく。

 あの世をどのように解釈するかは、今生きる上でも、とても大切だ。いつ死ぬか判らない人生でもあるので、思索を深める必要があるのだろう。

 天国にいる有名人とも、自分が死んでから会うことができると妄想すると楽しくなる。明るいイメージは大きな恵みかもしれない!

(感謝の領域<生まれる前の歴史>9/60)

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