イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感謝を体感する効用!

2009-02-28 | 第四章「愛とゆるし」

 大学を卒業して、コンピュータのセールスを始めた若い頃ころ、当時学んだばかりのセールス技術で話していたら、感情を伴っていない口先だけの言葉を見破られて、ハッとしたことがあった。赤面であった。

 本心で話さないと、人はなかなか信用してくれない。「生き甲斐の心理学」で純粋と一致を勉強するが、本当だと思う。

 最近は、コンビニとか身近な各種窓口(場所)では、「ありがとうございます!」など、感謝の言葉を良く聴くようになった。口先だけかなと思うケースもあるが、本心から言われているなと思うケースも結構ある。何回も笑顔で言葉を交わしていると、単純な私は単純に嬉しくなり。単純にリピーターとなってしまうようだ。

 感謝ということでは、「朋在り、遠方よりきたる、亦楽しからずや」の気分は本当だなと思う。先日も、ある集まりの中で感謝の体感をゆっくり味わった。友は良い!

 考えてみれば、この感情は自己肯定・他者肯定の世界の感情かもしれない。そしてそれを体感すると、頭だけでこちょこちょ行動する時と異なり、地に足がついたようになる。

 日常の中で感謝を見つけ、それを体感していくと、心の健康にもよいようだ。

<自己肯定、他者肯定 3/6>

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幸せな気分になるとき!

2009-02-27 | 第四章「愛とゆるし」

 カウンセリングとか心理療法の勉強をすると、自分や大切な人の日々の感情の移り変わりに関心を持つようになるようだ。

 普段は、今どういう感情を持っているかなど考えないが、のんびりと思いだしてみると、意外に暗い感情、不安感が多いのが判る。

 仕事(給料を頂く仕事など)をしているときなどは、時間を気にしたり(間に合わないことの不安)、人間関係による不安、仕事の成果に対する不安、自分が焦っていることに対する不安(パニックだろうか)など、本当に多い。

 ゲーテだったか、一生の間で幸福感を味わった総計時間は一か月に満たないと言っている。逆に言えば、その他の70年以上の時は暗い感情だったのだろう。

 新聞やテレビを見ても、ニュースの90%以上は本当に暗い。もっと明るい感情を大切にすることはできないのだろうか?そこで、また暗い感情が湧いてくる。新聞を買わず、テレビを見ないのがコツかもしれない。でも不思議だ、お金を出して不安を買っているのだ。

 さて、幸福を感じる時(本当の感情)を思い出すと。自己肯定、他者肯定と繋がることが多いように思う。自分は駄目だ、あいつは駄目と思っているときは幸福感から離れているのでは?

 両親に動物園に連れていいてもらい、楽しく時を過ごす。その中には、自己肯定や他者肯定(動物かもしれないが)がバランスよく揃っているのではと思う。今日は、もう少し幸せな気分になる時のことを考えてみたい

<自己肯定、他者肯定 2/6>

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ひな祭りが近い!

2009-02-26 | 第四章「愛とゆるし」

 おひな様を飾り、間もなくひな祭りがやってくる。

 娘が2人なので、我が家は妻が気合いをこめてひな祭りを祝っていたが、サラリーマン時代の私は、仕事の都合などもあり、一緒にお祝いすることが殆どなかった。

 そのことを今でも妻に恨まれて言われることがある。ことしも、忘れず一緒に祝おう。

 さて、子供の節句が近づいたこともあるのか、子供の教育に関して時々考えることが多くなった。

 先日も、創造工学(等価変換論)を普及させる団体の方とお話したが、そこでは、子供さん用にビジュアルで判りやすいカードを作り、等価変換論の基本的な考えを、判り易く学べるような教材を作っていた。

 なるほどと思った。

 臨床心理学はせいぜい100年の歴史しかない。U先生による、「生き甲斐の心理学」の普及の歴史は21年である。これを、子供さんにもわかる形で普及できないだろうか?そんなことを妄想?した。

 多くの人が、大人になって苦労する前に、先手必勝で・・・

 これは、何も「生き甲斐の心理学」だけでなく、いろいろなことに共通すると思うが。

<自己肯定、他者肯定 1/6>

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下の写真は先日、府中の森で見つけた、豪華な雛人形です。


殺人鬼でも愛せますか?

2009-02-25 | 第四章「愛とゆるし」

 学生時代に勉強した、性善説と性悪説。人はもともとどうなのか?忙しく日々の仕事をしているときには余り考えないことかもしれないが、人との関わりが仕事である場合など、その人の人間観はとても重要だと思う。

 学校の先生、お医者様や看護師さん、保健、介護や福祉に関わる方、職場の管理者や経営者、親、そして暮らしの中のカウンセラーも・・・

 以前、攻撃的で自暴自棄になっている人と接したとき、他者否定・自己否定の中に、生きているんだなとしみじみ想ったことがある。氷に触れたときのような、冷たさが第一印象であった。

 そんな時、どんな人でも心の奥に愛そのものの魂があるはずだと考え(性善説でしょうかね)、愛をもって応対できるか否かは、支援できるかどうかの重要な分かれ道だと思う。勿論、その方と付き合うための様々な知識も成功のために必要だと思うが。

 応対の背後にある微妙な人間観を、無意識の中かもしれないが、人は鋭く見抜くようだ。介護や福祉の現場に行った時も、その感を強くした。

 私の場合、キリスト教の影響が強い。敵を愛せという聖書の言葉は、誤解されやすいが(私も誤解してた)、例えばマタイ5・48には「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全になりなさい。」というイエスの言葉がある。この真の意味を考えていくと、自己肯定・他者肯定の思想に行きつくように思う。

 「あなたがた」の中には私だけでなく、殺人鬼も含まれるかもしれない。

 しかし、なかなか思想を本当に身につけるのは難しい。反省することが沢山ある。

<自己否定、他者否定 6/6>

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「菜の花畑の笑顔と銃弾」 の感動!

2009-02-24 | 第四章「愛とゆるし」

 昨晩は久し振りにNHKテレビの「菜の花畑の笑顔と銃弾 」をじっくり観た。アフガニスタンの荒地に現地の方と水路を通し、農業支援をしてきたNGO職員の伊藤和也さんが、昨年8月に殺害されるまでのドキュメンタリーである。

 荒野に水路を通し、そして信じられないような美しい菜の花畑で、子供たちの笑顔を撮った写真が印象的であった。荒地が一面黄色の菜の花畑になり、そこで子供たちと至福の時をもつ。よかったなと胸が熱くなった。復興支援とは、こういう喜びがあるのかと思った。

 アフガニスタンで、復興に尽力する人々がいる一方、実に自己否定・他者否定を絵にかいたような犯罪者もいる。そしてそのような人を生みだす、政治的状況。伊藤和也氏もそのような犯罪者に殺害されたのだろうか。

 最近史記を読んでいるが、その史記を見ても、40万人を生き埋めにしたとか、一族郎党が処刑されたとか、焚書坑儒で儒者が沢山殺害されたなど、沢山の人の死が描かれている。

 イラクや9.11などの悲惨な最近の事件や戦争を思い浮かべても、この世は昔も今も涙の谷なんだとあらためて実感してしまう。

 自分のことを振り返っても、自己肯定・他者肯定の世界にいられる時は意外と少ないようである。ちょっとしたきっかけで、簡単に自己否定や他者否定の世界にいってしまうし、場合により絶望してしまうことも。

 さて、NHKのタイトル「菜の花畑の笑顔と銃弾  」は、とても印象深い対比である。「銃弾」というこの世の悲惨が溢れていても、菜の花畑の至福の時もあるということなのだろう。

 身近なところには、至福の時の可能性がある。ほんのちょっとした今という時。

 世の中絶望することはない。どんな時でも、至福の時の可能性は残されている。

<自己否定・他者否定 5/6>

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