イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛って何?

2007-09-30 | 第九章「愛」

カリタスカウンセリングを学び始めて、カリタスがラテン語で愛を意味するので、愛についていろいろ考えた。今でも、いろいろ考える。

また、カウンセリング勉強会でも時折、愛の定義等を訊かれる。哲学的、宗教的に様々な定義や考え方がある。心理療法の本などには、愛に似ているが愛ではないとか、いろいろ愛について書いてある本もある。それも愛を思索する上では役にたつ。

自分なりに愛の理解を深める。それは大切なことだが、一般に人々の考え感じる愛は本当に様々、千差万別であることも確かである。

そして、敢えてその人の思索した愛の内容を問わない立場もある。複雑な思考を検討するのではなく、信じる愛を通して見えてきたこと、見えなくなってきたことを検討するのである。

幼い頃、みかんの汁で書いた文字を火鉢で炙り出して遊んだ。私の信じている愛は、いったいどういうものを炙り出すのだろうか?

(「生き甲斐の心理学」植村高雄著を参考にしました。)

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哲学がいっしょ!

2007-09-29 | 第九章「愛」

先日の総裁選で敗退したA氏が、内閣人事で「哲学が違うから」ということで入閣を固辞したという。その真偽はとにかく、A氏の言葉は私にとってハッとすることがあった。

若い頃は、無我夢中で仕事をし、組織の理念や哲学などは半分どうでもよかった。

中年になり、より責任の重い仕事をするようになると、表面的な部分より、理念や哲学が気になってくる。本音と理念、哲学の関わりが重要だなと思い始める。

某NXX放送の今日終了した連続ドラマは老舗旅館の話で、楽しんで見たが企業理念についても考えさせられた。

今、私はサラリーマンをやめて、あるNPO法人の仕事に関わっている。そこで良いのは、一緒に仕事をする仲間と哲学を共有していることである。

哲学を共有できない組織に深入りすることは、人生の折り返し点を過ぎた私にはできそうにない。逆に言えば、哲学を共有できる仕事仲間がいることの幸せということかもしれない。

先日訪れた比叡山。最澄は12年籠山の後、遣唐使の一員として出航し、当初は失敗して九州に訪れ宇佐神社などを訪問し見聞を広めたという。

さらに再出発して、中国天台山にめでたく到着した。麓の国清寺は比叡山に似た聖地だったようである。その時の感激と同志の交わりを想像すると胸が熱くなる。

最澄と桓武天皇、この関係も哲学・宗教の共有が大きかったかもしれない。

哲学・宗教の共有を想いながら今日も、秋の夜半を楽しみたい。

(「最澄を辿る」 永井路子、清原恵光著 講談社を参考にしました。)

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燃える燃えない・・・

2007-09-28 | 第九章「愛」

仕事をする時、自らを追い込みモチベートさせるように頑張る人がいる。背水の陣はその典型だ。随分前にある方とお話をしたときに、自らを鼓舞激励していく姿に感動を覚えたことがある。

今は、自らを燃え立たせるには、本音の動機が重要だと思う。しかし、本音の動機があっても燃えるか燃えないかは微妙である。

燃えるためには、それなりのやり方があるようだ。火種という本音の動機があっても、それだけでは足りないようである。火種を絶やさないよく燃えるもの、風などの環境、そして本格的に燃えるための燃料・・・

今までの人生で燃えたときを思い出す。やはり、若いときは純粋に燃えたように思う。40代となるといろいろ打算が働き、いつの間にか自らに水を差したこともある。

現在の仕事、いつまでできるか判らないが、やはり燃えなければならないと思う。感情・思考・行動の円環をうまく転がすのだ。

満月であった今日の月、こころが洗われるように美しかった。

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愛と生命!

2007-09-27 | 第九章「愛」

昨晩は曇って月が見られなかったが、今日27日は満月であり名月を見られれば本当に嬉しい。写真は、25日の夜半に月をベランダの桔梗と一緒に撮った写真である。

人間の眼はよく出来ていて、微妙な月の表情をきちっと確認できる。また実際は小さな月が大きく見えるなど人間の感覚も素晴らしいが、カメラはその点まだまだまだである。

お月様を見ていると、昔のうさぎが月で餅つきをしている話を思い出すが、もうひとつ、学生のころに人類初の月面着陸のことも思い出す。

アポロで、常識どおり月には生命がおらず、ただ月の岩石から地球の誕生が46億年前であったことがわかった。

地球に到着した宇宙飛行士は検疫のため、結構時間をとってからカメラの前に現れた記憶がある。検疫?月から地球外の生命体を持ち込まない配慮のためであった。

地球の生命は、46億年の歴史の中で無機物から有機物への変化が一度だけ起こったか、地球外から持ち込まれたか非常に興味のある論争がある。

秋の夜長、生命起源論の歴史を読んで楽しんでいる。宗教・思想と科学的事実、非常に刺激的である。

起源がまだよく解明されていない私たち人間。ただ、名月を優しい気持ちでのんびり楽しむことができる幸せがある。

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観える観えない・・・

2007-09-26 | 第九章「愛」

ある時、機会があり座禅をさせていただいた。全くの素人であったが、説明を受け正式な場所で短時間であったが座禅をさせていただいた。

半眼で座り前方の床と、前に座っている方が見えていたが。しばらく座っていたとき、その光景が床とか人といった意味から離れ、純粋の景色に観えた。はっとした。これは雑念であったのだろうか・・・

私は、よくいろいろなことに悩む。それは、それだけの理由があり、自分が観えている世界だけを考えると行き詰まるのだ。昔はそんな自分を呪ったが。今は、生き甲斐の心理学のお陰で、そんな自分に愛おしささえ感じる。

愛は時に自分で作った「意味」を氷解させる。そして、背後にあり観えなかったことが観えはじめる。

人との出会い、親しく語らうひと時、そして思いがけない行き違いと仲たがい。そんないくつかの過去の出来事を、この観える、観えないで考えると優しい気持ちになれる。

Aさん、Bさん、Cさん・・・いろいろごめんね!

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