イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の家庭で、傾聴は上手だったかな?(縄文からの風 ② 10/10)

2015-01-31 | 第二章「五感と体感」

 縄文時代の竪穴式住居は建て替えをしたりするが、中には廃屋となり、さらにその廃屋に家族の遺体が埋葬されていることもあるようだ。(写真は国立歴史民俗博物館のレプリカの展示。縄文時代の家族を考える素晴らしいスポットだ。)

 夫婦と子供、そして祖母といった4人家族が埋葬されていたり。

 関東では土地が酸性なので、殆どの場合は骨も残らないが、いくつかの偶然がかさなるとこのように骨が綺麗に残ることがあるようだ。以前ご紹介したが2012年の市ヶ谷の縄文人などがそうである。

 さて、そうした縄文時代の家族。どんな会話があったのだろうか?意地悪な祖母、真面目すぎる父、おしゃべりで一言が多い母、何を考えているか判らない思春期に入った息子・・・

 今であれば、皆自分のスマホを覗いて殆どが会話のない家族も成り立つだろうが、当時は(特に縄文後期以降)生活が厳しく、皆で仲良く暮らさなければ生き抜くこともできなかったのではと思う。お互いの心の状態にも心を配り、ロジャースの6条件など生き甲斐の心理学を学ばなくても傾聴が身についていたりしたかもしれない。

 しかし、傾聴のポイントである、受容と共感と純粋と一致。家族では意外に難しかったりする。かえって家族以外の人とのほうが傾聴ができたり。それは先入観の問題があるかもしれない。古い仲でも、時に相手の立場を受容したり、相手の気持ちに共感したり・・・そんな時間を意識することも大事だと思う。因みに本日のU先生の傾聴に関するブログは素晴らしく、いろいろ考えさせていただいた。ありがとうございます。

縄文からの風② 10/10

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一体感を持って、難局を切り抜ける!(縄文からの風 ② 9/10)

2015-01-30 | 第二章「五感と体感」

 マッサンのエマちゃんも厳しい事実を突きつけられて大変だが、暖かい家庭や小学校の仲間に助けられ元気になっていけそうだ。

 フロイトの心の防衛機制でいうと、同一化というのが適当かもしれない。自分とグループとか、そういうものと一体化することで心の安定を得る機制である。私自身の今までの生育史を勉強しても、この同一化に助けられたことは山ほどある。

 生き甲斐の心理学のU先生は、「今までよく生き延びてこられましたね・・・」と勉強会でよく口にされる。ちょっと大げさでは、と昔は思ったものだが、学びを深めるほど、自分にも確かに大きな危機があり、それを乗り切ったこともあったなと一人で感心するようになってきた。そして、その時の立役者はたいていの場合、心の防衛機制なのだ。それにより、心のバランスを保ち適切に難局を切り抜けたりしているのだ。

 縄文時代も、こうした同一化は強力にあったようだ。それを感じるのは土器の文様だ。文様の背後には、神話というか思想や宗教があり、特定のデザインを特定の地域・時期で使うのも何かあるようだ。そして、時にある文様を破棄し、一斉に新しい文様を採用することも。集団のアイデンティティや同一化に関わることだと思う。

 その文様は、恐らく土器だけでなく服装の柄とか装飾品(当時は、耳飾り等実に豊富だったらしい。漆も黒や赤があり、いろいろ使われたのだろう)木器等にも展開されたのだろう。集団の文様が統一化されることで、心の防衛機制がうまく作動し、厳しい時代や環境から心の平安を得、構成員はイキイキと生き抜くことができたのだろう。

 さて、話は変わるが来る3月14日(土)。「生き甲斐の心理学府中勉強会」を開催することになった。11時から大国魂神社周辺を見学し、昼食をとり(以上はオプション)、13:00~16:00に勉強会を府中市中央文化センターで開催する予定だ。この大国魂神社は武蔵の国の由緒ある神社であるが、燃えよ剣(司馬遼太郎)のバックに出てくると教えられて、今読み始めている。そういえば、この新撰組も、その出で立ちは独特で有名だ。同一化は、日本史にもきっと大きな影響を与えているに違いない。

縄文からの風② 9/10

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愛しているのに愛が伝わらない・・・のは?(縄文からの風 ② 8/10)

2015-01-29 | 第二章「五感と体感」

 昨日の続きで縄文時代の河の神様のことを考えたり、時代は下がるが河や水辺に関係する奪衣婆像や十一面観音のことを考えたりしていた。そして、縄文は新石器時代ということで世界の文化、源流の文化とも深く関係するので、ギリシャ神話の美しいナルキッソスの話も思い浮かべてしまった。ナルキッソスは河の神ケピソスとニンフ・リリオペの子供でもあり、物語の最後には水辺の水仙となるのも象徴的だ。

 ナルキッソスは、ナルシストとして日本でも有名であるが、心の勉強をしている人にとっても自己愛の問題を考える教科書となっている。自分を愛することができるが、他者を愛せないという問題だ。そして、ナルキッソスに恋をしたエコーの悲劇は悲しい。美しいエコーは、女神ヘラに嫉妬されたこともあるが、ナルキッソスに愛されないためにコダマになってしまうのだ。そして、最後にはナルキッソスも水辺のほとりに咲く水仙になってしまうという悲しい話である。

 いつもは、このナルキッソスの話をすると、自己肯定・他者肯定、自己否定・他者肯定、自己肯定・他者否定、自己否定・他者否定の四つのクライテリアを考えたりしてしみじみしたり、自己愛パースナリティ障害のことに想いを寄せるのだが。

 今日は、ちょっと見方を変えて、本当は他者をしっかり愛しているのに愛していないと思ってしまう。・・・そういうエコーのすべてではないが背後にありそうな問題について考えを巡らせたい。

 この問題を考えるとき、「生き甲斐の心理学」のテキストにもあるが、実はしっかり愛しているのに、相手が愛していると感じないとケースに想いを馳せる必要がある。

 これは、実は生育史に謎が秘められている。Aさんにとって、愛と感じるものは、例えばAさんが3歳のころ両親からしてもらった家でのクリスマスパーティが愛の原型だったりする。一方、Bさんにとっては、忙しい家内工業の現場(家)を離れ、皆で楽しく外食した料亭Cでの会食がそうであったりする。こうした場合、AさんがBさんを愛情表現として自宅に招いて、家庭料理をふるまっても、Bさんにとっては、意外と苦痛だったりするのだ。愛の原型の違い。こういうことは、結構あるように思う。

 適切な例ではなかったかもしれないが(単純化しすぎて)、人それぞれ愛の原型は違う。そのことを頭にいれとくと、ヘンに自分を責めたり他人を疑うことも少なくなるようだ。

縄文からの風② 8/10

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身体が調子悪くなったときは、心の休養も・・・(縄文からの風 ② 7/10)

2015-01-28 | 第二章「五感と体感」

 風邪で寝込んでいたが、今日は久しぶりでマッサンの録画を拝見した。今週はマッサンとエリーさんの養女エマちゃんの学校でのいじめや葛藤がテーマであり、小学校低学年の子供の物語のようだ。

 おまえは、両親の子ではない。・・・これは、強烈なメッセージであるが、皆さんも「貴方は川の橋の下から拾ってきた」という衝撃のメッセージを受けた経験があるのではないかと思う。これは、エリアーデによると今でも世界中にある風習のようで、当然新石器時代の縄文の伝統を残した日本にもある習わしなのだと思う。

 私も、このようなメッセージに幼いころ驚き、小さな胸を痛めたものだが、こんなことが何故太古からささやかれたのであろうか?恐らく、これは子供が普通に感じている人間観を越えて、命を形而上学的に捉え死ぬべき運命の人生を生きるための人間観に変わってもらいたいという親の願いがあったのではないかと思う(新石器時代は輪廻観が強いようだが)。まあ、一種のイニシエーションかもしれない。エリアーデによると、川の精霊が人間として生まれてくるという思想らしい。

 エマちゃんの場合は霊や魂の話ではなく、DNA的な問題で極めて深刻な問題であるが、私たちも含め出世の謎はこの世では解決できそうにない謎で、宗教とか哲学の力を借りるしかない。

 さて、今日は自分の生育史の研究をしていたのだが、こうした小学校低学年にもある、精神的ショック。こうした時、食欲がなくなるとか、寝られなくなるとか、夢でうなされるとか、・・・まあ、身体的な症状がでることも多いのではないだろうか。私もそうだが、具体的に眼で観える身体症状的な現象に本人も周りもうろたえてしまいがちだが、一つ大事なことがあることをU先生のテキストでも確認した。

 ストレスがかかると、通常は、不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱と暗い感情が亢進(ストレス曲線をのぼる)してくるものだが、身体症状というものは自分や他人から観えるものであることが重要だ。外から観えず、いつのまにかウツ、錯乱と登っていくよりよっぽど良いのである。

 私も、小学校2年の時にアラスカに行った経験があるが、その時に運よく身体症状がでたことがある。そして、それ故、周りから暖かくケアされ、何か判らないうちに元気になっていった(良く寝て、五感をいやし、暖かい愛でいやし・・・)。身体症状は辛いものもあり、それが決していいともいえないが、一つの心のサインとして見ると役に立つ側面もあるのだと思う。もちろん子供だけでなく大人でも老人でも同じである。

縄文からの風② 7/10

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鍋でお粥をすするのは縄文的でしょうね!(縄文からの風 ② 6/10)

2015-01-27 | 第二章「五感と体感」

 このところ食欲がないのでヘンだなと思っていたら、一昨日の晩にお腹の状態が最悪になり、昨日は一日寝込んでしまった。それゆえ、ブログも無断欠席。申し訳ございませんでした。

 そんな訳で昨日の夕方に最寄のお医者さんに行き診察を受けたが、ウィルスがお腹に入ったためとのこと。親切なお医者様で、こうした時は下痢止めはやめて整腸剤を飲み、不足がちなビタミンを補給するため、ポカリスエットなどを飲み水分補給するのが良いとのこと。そして、食欲のないうちは、別に食べなくても構わないで、良くなったらスープとかお粥のようなものを・・・などとアドバイスしていただいた。

 そして、この昼に土鍋のお粥をいただいた。

 醒めない土鍋で温まり、元気になってきたようだ。しかし、土鍋は五感すべてを刺激するようで、元気になる秘訣かもしれない。

 さて、鍋といえば縄文。縄文土器の発掘は15000年~16000年前といわれるが、日本がオリジナルかは不明だそうだ。東アジアのシベリアとか中国でも古い土器が出ているそうである。ただ、世界でもっとも早く作られつくられたのは東アジアであることは確かなようだ。

 土器は初めから煮炊きに用いられたのは確かなようだ。そして、縄文時代は、旧石器時代の狩猟・漁労・採取を一歩越え、栄養価の高いどんぐりや栗、堅果類を煮炊き・あく抜きで食用するのに成功し、縄文中期には人口も30万人を越えるように。これも土器のお蔭といっても良いだろう。当時は、粟粥があったようだが、堅果類を粉にし、魚や肉のつみれ状のものなどを入れて食したりしたのが主流のようだ。

 ナイフ状の調理器具はあったものの、包丁のようなものはなく、代わりに、石皿ですりつぶすことが多かったらしい。民俗学に詳しい小山修三著 「縄文学への道」を読んでいると、当時の食生活をいろいろ推測されている。例えば、今でも私たちの食卓にのぼる、干ものや漬物は当時からあった可能性が高い。またキャリバー型の土器があり、団子を蒸すなどが行われていたようだ。その他、クッキー状のものを蒸し焼きにしたり。当時はグルメであったかもしれない。

 調味料は、塩や酒は当然あっただろうが、その外、味噌や魚醤、酢などはどうだったのだろうか。食生活というのは時代の変化の中でもかなり保守的なところがあるようで、今でも縄文的な土鍋を使う食文化を残しているのが私たちかもしれない。

 日本人の心の世界も保守的なところがあり、縄文的な文化を継承しているところもきっとあるのでは・・・

縄文からの風② 6/10

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