イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

故郷を離れて寅さんみたいに生きる!(異文化と愛 ③ 3/10)

2014-10-31 | 第九章「愛」

 寅さんは、16歳の時にタバコを吸っていたところを父に見つかり、大げんかした後で、柴又を出て行き20年戻らなかったという。

 今日のマッサンも、自分の夢であるウィスキー造りの希望が住吉酒造で断ち切らされる。これから先、今までの故郷を捨てて、旅立たなければならないのだろう。それを力づけ見守るエリーさんも、大変な思いをして故郷を捨て日本にやってきている、旅立ちの意味はひょっとしたらマッサンより理解しているかもしれない。

 人生は大なり小なり、愛そのものの魂の貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)なのかなと思う。そして、自分の故郷をどこかで断ち切らなければならないようだ。もちろん、その故郷は愛の原形として離れた後も大切にされ、疲れたときはその泉に触れて元気になれるのだが。個性がイキイキとするためには、故郷を離れる時が必要なのかもしれない。

 さて、自分にとっての故郷からの離れたときはいつだったのだろうか?生まれてから学生時代を送った東京を離れて大阪に単身転勤になったときだったのだろうか?長年勤めた会社を辞めた10年くらい前のことだったのだろうか?それとも、未だにそのような時は来ていないのだろうか?

 よく判らないが、仮に会社を辞めたときとしてみても、いろいろ気付くことがある。残念ながら寅さんのように若いときでなかったので、年に応じて自分のことや周りの人のことは考えての結論だったが。そして、それは個性の美、やむにやまらぬ何かのための行動だったようにも後で考えると思うことがある。

 マッサンの今回のドラマでも、資本家・経営者の個性とぶつかることもある。正しい、正しくないという倫理道徳の問題ではなく、大きな流れとして個性の衝突や、人生の岐路があるように思うのだ。

 寅さんは決してオオクニヌシやヘラクレスのような神話の英雄ではないが、こころを打つ何かをもっている。そして、たとえ見た目には平凡であったりするかもしれないが、その意味はかなり深いように思う。

 そして、寅さんは、縄文の母系社会の伝統を引きずっているのかもしれないと妄想している。多摩の名も知れないい縄文の男達には、故郷を離れて日本各地を旅した寅さん的縄文人もいたと思う。

 私も、マッサンのようになれないが、何か寅さん的に縄文の寅さんみたいに、人生をおくりたいと思う。

 写真は、一昨日の晩にうつした、愛宕神社方向の鉄塔と月である。

異文化と愛 ③ 2/10

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大地の個性とスピリット!(異文化と愛 ③ 2/10)

2014-10-30 | 第九章「愛」

 今日の「マッサン」。株主会議でエリーさんのウィスキーに合う洋食、和食で挽回劇で、ウイスキーが単なるオオムギ原産のアルコール飲料ではなく、生産地の個性(例えば水)を反映し、それ故スピリットという言葉まであることを知った。

 ますます、ウィスキーが好きになってしまう!

 さて、昨日は夕方、堀之内の愛宕神社周辺の富士山定点観察スポットに寄った。想像したとおり、綺麗に夕日が落ちた。ちょうど富士山の右に太陽、左に丹沢の最高峰、蛭ケ岳を抱えるようで、自然の美しい調和を垣間見たようだ。おまけに、三日月も綺麗で・・・

   

  

 

  

 この周辺は縄文遺跡が沢山あるところだが、当時の祖先たちも大地のスピリットを感じ、生き抜いたと思うと胸が熱くなる。愛宕神社は縄文の火の神、カグツチを祀ってもいるし。

 大地の個性を沢山感じさせていただいたが、人の個性とは何んだろうか・・・

 実は昨晩から「寅さんとイエス」(筑摩選書 米田彰男著)を味読しつつ、寅さんのことを考えていた。寅さん映画の魅力の一つは、盆と暮れに日本の様々な土地に旅したり柴又の故郷の話をしてくれることであった。これは、今考えるとかなり縄文的である。そして、当時の男性は、母系社会で妻問い婚だったこともあり、日本各地を渡り歩く男性もいたように思う(この多摩でも、東北北海道の文化の影響だけでなく、霧ヶ峰や神津島の黒曜石、糸井川の翡翠、秋田のアスファルト・・・かなりの交易の記録が残っている)。盆と暮れも夏至と冬至という縄文の宗教的な儀式が行われた特別な時でもあるし。寅さんの仕事も何か不思議、縄文の神官の後裔かもと妄想したりした。

 明日は、寅さんと個性について、もう少し考えてみたい。

異文化と愛 ③ 2/10

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個性の美を探究する楽しみを!(異文化と愛 ③ 1/10)

2014-10-29 | 第九章「愛」

 「マッサン」も株主総会の場面で今週のヤマ場のようだ。マッサンのストレートな個性でスコットランドの12年物のウィスキーをストレートで振舞ったところ株主から大変な反響!

 恐らくマッサンのストレートな性格が日本で初めてのウィスキー造りに貢献したのだと思うが、その個性を評価する人はドラマの中では多くはないようだ。そして、恐らくマッサン自身も自分の個性、個性の美に気付いていないかもしれない(エリーさんは別にして)。

 さて、旧約聖書の創世記は私は好きでよく読むが、その中で、神が世界を動植物そして人間を創造し、よしとし満足する場面が得に好きだ。生命もいろいろあり、鳥もいれば爬虫類も、魚もいる。それが、そのまま良しとされるのだから、恐らく魚に鳥のように飛んで欲しいとは思わず、植物に歩いて欲しいとは思わなかったのだろう。それぞれの生命の個性をきっと良しとされたのだろう。

 多分、それは個々の人間にも当てはまるのではないかと思う。ところが、その個性の美は親ですら、呪ったりすることがある。飛べないことを怒られる魚(トビウオさんは別として)のような悲劇がこの世にあると思う。

 U先生の「生き甲斐の心理学」で大切にされている3つの問いかけ。「私は何のために生きているのか」、「生き甲斐は何か?」、「自分(心、身体、魂)を大切にしているか?」は暗に「あなたの個性の美は何か?」と問いかけているように今日は思えてならない。

 そして、この観点は自分の生育史をポジティブに捉えなおすときにとても役にたつようだ。何となく憂鬱になるような幼いころの出来事を自分を責める材料にするのは簡単だが、そんな自分が今生きている意味を考えると、ふと違った意味が観えることがある。

 これは縄文という自分の文化の起源を考える上でも同じかもしれない。古事記や日本書紀で語られる神話も記述者にとって難解な縄文語の語りなのだろう。今一つ読んでも判らない。へんてこな固有名詞(意味が分からない)があったり。それを、外国語のように読み解く必要があるかもしれない(ある研究者はアイヌ語で解釈しなおしている)。

 縄文土器などを見ても、カエルや水生動物などが出てくると違和感が増す。しかし、その文化的背景を努力して知れば知るほど(中国の文化と結びつけたり)、祖父母の残した文化的個性、日本の心の個性が観えてくるようにも思う。

異文化と愛 ③ 1/10

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上方向のストレスと下方向のストレス!(異文化と愛 ② 10/10)

2014-10-28 | 第九章「愛」

 昔よくポジティブ思考という言葉を聴いた。そして、その言説を聴いて、しばらく試してみるがうまくいかないので元に戻る。そんなことを若いころ繰り返したように思う。

 そのことを良く考えてみると、自分の理想と現実のギャップがありで暗い感情・ストレス曲線が起こるわけだが、それを、あれやこれやとこねくり廻しても自分ではなかなかうまく行かない。また、現実にある暗い感情・ストレス曲線の重みに深く沈み込んで、理想や現実のギャップを思考する気力も失せてしまうのが本当で。ポジティブ思考の何か前提が欠落していたようだ。

 さて、今朝の「マッサン」。経営の問題でウィスキー造りへ踏み出せない住吉酒造の経営者に対し、マッサンとエリーさんの反応に考えさせられた。ウィスキー造りに踏み出せない住吉酒造という現実に対して、マッサンはヤケ酒を飲んだりするが、同じストレスの中でもエリーさんはしっかりとささえ、大株主に乗り込んでいく。

 信じる力はストレスを上向きに捉え、バネとして働く。同じストレスでも、信じる力が弱いと現状を変える力にならず、単にストレス曲線を下り詰めて行くのだと思う(悪くすると、病的になる)。ポジティブ思考というが、せんじ詰めれば、この信じる力が必要なのだと思う。

 今朝のマッサンでは、ウィスキー造りを生き甲斐にするマッサン、キリスト教文化圏で信仰をもっているエリーさん、社長や優子さん、それぞれの信じる力で直訴に及んだわけだが、これからもひと波乱ふた波乱がありそうである。

 さらに、信じる力が試させられるのだと思う。U先生の「生き甲斐の心理学」では、生き甲斐とか、アイデンティティなどの信じる力の源泉を大事にしている。ストレスが多いのはこの世の常であるが、それを上昇方向に使えるか否かは、かなり信じる力によると思われる。

 自分の能力だけで解決できそうなストレスもあり、信じる力は余り問題にならないこともあるが、そうでない時はどうか。ただ、ストレスの重みで破たんしてしまうだけか?私はカトリック信徒であるが、やはり伝統的な宗教(仏教、キリスト教)に触れるのは大切だと思う。実際私の経験でも、そういった時に、日本の思想家や宗教家の本も含めむさぼり読んだ。後から振り返れば、信頼できる宗教家のところに行くほうが速かったかもしれない。まあ・・・

 さて、縄文時代も、前期から中期ごろまでは住みやすかったようだが、後期、晩期は冷涼化の中で人口が激減し祖先は厳しい生活を送ったようだ。そんな中で、縄文のビーナスをはじめ精神文化が深まっていく。まだよく判らないが、四位一体の神のような概念ができたかもしれない。残念ながら、渡来文明の影響もあっただろううが、その本質は後世にうまく残されていない。再度厳しい時代になりそうなこれからであるが、私たちの原点探しの中で縄文文化は価値があると思う。

 縄文晩期には、噴煙をあげていたのだろう。

 かなたの稜線で右は富士山、左は多摩で信仰を集めた丹沢の蛭ケ岳。

異文化と愛 ② 10/10

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日本の女性が強いのは一万年以上前から!(異文化と愛 ② 9/10)

2014-10-27 | 第九章「愛」

 今朝の「マッサン」、夫婦の役割というか女性の強さがテーマでとても面白かった。

 さて、昨日まで都内某所で二泊三日の勉強会に参加していた。U先生の「生き甲斐の心理学」が中心だが伴走は歴史。今回は特に縄文文化であった。そして、本町田遺跡へミニツアーも楽しかった(隣りの市立博物館での江戸時代の着物の展示も拝見し眼の保養も)。

 縄文時代は、日本列島が形成される約12,000年くらい前(四大文明が影も形もないころ)から始まる文化で何と10,000年くらい続く。その後渡来系の文化が流入したりしたものの、今でも立派に日本の文化の中で育まれてきている。

 縄文文化は恐らく当時世界一進んだ文化であり、採取、漁労、狩りなどでの食糧確保で、実に大きな働きをする土器を発明した。その中で、女性の果たした役割は甚大。縄文土器自体も女性が中心となり作ったといわれ、歴然とした母系社会であったようだ。先日行った日本国宝展で観た土偶も縄文のビーナスも合掌土偶も女神だ。

 そして、最近の渡来系の男系文化が入ってからも家庭の財布は奥さんが握るという美風は一万年くらい変わっていないようだ。今でも鍋料理が大切にされたり、御雑煮、御節料理なども縄文からの文化だと指摘する専門家が多い。因みに、漆器も9000年前の遺跡からも見つかり、立派な縄文文化である。そして、日本語そのものも、縄文からの文化遺産と考えるのは間違いがないようだ。

 縄文文化は引き継がれ、私たちの生育史にも大きな影響を与えている。多分、縄文を理解せずして日本人を理解することは不可能であろう。宗教という点でも、地母神を反映している縄文の土偶(女神)は、その後様々な宗教が渡来しても影響を受けつつも、基本が変わらないところがある。観音信仰もマリア様が崇められるのも、そんな文化が流れているところがありそうだ。ヨーロッパでデメーテルが大事にされているように基層文化なのだろう。

 マッサンでの奥さんたちの会話、男性の不甲斐なさ?や危うさは、内助の功パワー。意外に1万年くらい変わらないかもしれない。

異文化と愛 ② 9/10

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