イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

恩人の死

2006-07-27 | 2006年度(1/13まで)
あの時に、あの人に出会わなかったら・・・
あの大問題が奇跡的に解決できなかったのは確実である。

いくら感謝しても足りない一人の恩人が亡くなった。それなのに、どうも実感が湧かない。雑駁なことばかりが頭をかすめる。私は冷たい人間かもしれないと急に不安になる。

肩の力を抜いて、そんな自分を受容しつつ、北の窓を開ける。生活の音がする。鶯も時々鳴いている。丘を緩やかに登る道が見える。


自分と間(距離)をとること

2006-07-25 | 2006年度(1/13まで)
 生き甲斐の心理学の学徒として修行をしている私であるが、最近自分の感情に翻弄されることがあった。植村高雄先生の「生き甲斐の心理学」に傾聴における間(距離)を説明している一節がある。

 「大切な人の話を<間>をあけて、相手の心で傾聴する」

 「大切な人」を「自分」に置き換えてみてみると、感情に翻弄される理由がわかる。悩む自分との<間>が悪い。近づきすぎると、その感情に同一化してしまう。離れすぎると抑制で心の健康に悪い。
 そして、愛をもって相手の心で傾聴していたかも疑問だ。

 せっかちにならず、自分の心を傾聴しよう。

 

白百合の花

2006-07-24 | 2006年度(1/13まで)
 白百合の花が見たいと、この数日散歩しながら、白百合を探していた。自宅の近くに百合が咲いていた記憶があったが、鬼百合ばかりで白百合はない。白百合を探しているときに、鬼百合を見つけると追い討ちを掛けられたようにがっかりする。

 今日の朝、たまたま白百合を見つけた。満足した。

 梅雨なのに、心は爽快な夏のようだった。
 
 

自立は微分的

2006-07-23 | 2006年度(1/13まで)
 人間は死ぬまで成長していくことができると言うと、本当かなと反論する方も多いと思う。私は人間が身体、心、魂で成り立つと考えており、魂まで考えると、人間は死ぬまで成長できると楽天的に考えている。

 そして自立は、本来正しい選択肢を心の底にもっている人間が、自分で決定しながら固有の人生を選びとることで、人間の成長に欠かせないことだと思う。

 今、巷で自立という言葉が使われている中で、結果責任を負いながら物質的成功体験を積んでいくという価値観を感じることがある。

 微分的を成長・変化重視、積分的を実績・量重視と考えると、自立を微分的に考える傾向の人と積分的に考える傾向の人がいるように思う。

 私は、自立は微分的だと思う。

感情とからだ

2006-07-22 | 2006年度(1/13まで)
 日本語には「腹にすえかねる」。「胸が熱くなる」。「喉から手が出る」。「肩をおとす」。「足が重い」など感情と身体の感じを結びつけた表現が豊富にある。ジェンドリンが提唱したフォーカシングは、この身体感覚を大切にして、自分の感情を探る。

 自分の感情を探す?ちょっと奇異に思われる方が多いと思うが、現代心理学では自分の感情に気がつき、大切にすることをとても重視している。

 今、私は結構ストレスが多い状態にある。こんなときの身体感覚と感情の織り成す万華鏡を楽しんでいきたい。