イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

変化がある辰年のような時代を生き抜くには・・(1/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-01-26 | 第四章「愛とゆるし」

今年は元旦に能登半島地震と航空機事故があり、いつもと違う正月を迎えた。新年会で「辰年は大きな変化がある年」そんな挨拶に耳を澄ませたことも。人は大きな変化のある時に悩み、時に自分で背負いきれなくなり心の病に陥ることが多い。

元旦の事件のように運命的な事件に巻き込まれるとき。あるいは人生の大きな節目のとき、そして今日お話ししたい異文化に遭遇したとき。こうした時はかつての自分なりの常識がなりたたず、途方に暮れてしまうことも多い。その中でこころの健康を保ち生き抜くには、心のオアシスを見つけ育てていくことかもしれない。戦ってばかりいると人間は意外に簡単に参ってしまう。

心のオアシスはこうした時には、殆ど見えにくいが確実にあるはずだ。ちょっとした他者の善意にほっとするとき、普段ではなんだそんなものとネガティブにとらえていることが輝く。ちょっとした感謝と満足のこころが意外にもオアシスとなる。このオアシスを育てていくことで、新しい状況に適応できる生き方が生まれてくるようだ。

縄文時代の人々のことに想いを馳せると、もちろん今の時代に通じるような、恥の文化や穢れと禊の文化などが綿々と伝わってくることもあるが、人生の節目節目で行われたとおもうようなイレズミや後期になると抜歯などもあり、また、今の時代は科学的知識などは豊富だが、縄文時代を生きるには数百の植物や何十という動物などの知識も逆に必要で、ポンと私が縄文時代に飛び込んだらどのようになるのかと不安になる。縄文時代は明らかに違う異文化なのである。

異文化体験は最近は国際化が進み、多くの外国人をいろいろなところで見ることが多くなったが、ただ、毎日外国人と共に暮らすような生活はどうなのだろうか。また外国人ではなくても、日本の各地方ごとの独自の文化もあり、一緒に生活をする事態になって驚くこともある。私の場合も7歳の時に約1年アラスカで暮らしたことがある。

今でも忘れがたい経験の一つは英語が全くできない状態で、現地の小学校の女教師とのはじめての交流がある。父親とも別れ一人で教室に入り、低学年なのでクラスメートは勝手に中で活動していたが、机をはさんで先生と向き合った。先生は私の英語能力をみようと思ったのか、優しいまなざしで赤とか黄色の色紙を出して何色かを問うた。何も答えられず私は失望したが、先生は心配げな表情を浮かべても優しそうな眼差しを投げかけてくれた。それに背中をおされ意を決して「あか、きいろ」と答えた。そのときの自分の発した虚ろな言葉の響きを今でも覚えている。しかし、理解できない日本語を聞いた先生は、とたんに明るい顔をして私をクラスの生徒に日本語が話せる新入生として、明るく紹介してくれた。それが大きな励みで私はスムースに現地に溶け込んで行った。



先生の立場から言えば私を大切に考え、私が恐る恐る発した日本語を好意的にとらえ最大級に感謝と満足の気持ちを伝えてくれたことがある。もちろん、現地のキリスト教文化から導かれた人間観(人の身体は神の神殿)や運営方針が背景にあったかもしれない。また、私の立場からすれば7歳ということで心理学的には疑惑感や罪悪感が湧いても、意志力でもって行動する力が育ち始めていたこともあっただろう。また、母親がクリスチャンだったこともあり、その意味で祈りの世界が近かく、神仏を馬鹿にしなかったのもよかったかもしれない。そして、自分の中の自然治癒力というか適応力が働いて時間とともに溶け込めることができたようだ。

そんな経験もあり、蛇足になるが私は縄文時代の日本列島人を未知の何かではなく、愛そのものの魂を持つ人としてとらえ、同じような祈りを共有する人であることを前提としている。そして、考古学だけでなく学際的な民俗、伝承、神話も大切に勉強して理解を進められたらと願っている。

1/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著・監修2008年第3版 を参考にしています。
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縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

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  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

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 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

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       森裕行




縄文時代の自我を超え出る愛の文化(10/10 縄文世界を感じる時)

2024-01-06 | 第四章「愛とゆるし」

昨年は縄文時代に一番触れた一年だった。それは土器片であったり、写真のような縄文のランドスケープだったりである。その中でつくづく感じたことは、縄文時代の祖先達の熱い信仰であった。

何時の時代もそうであるが人が大切にするのは、信仰の対象である。祈りを捧げる対象である。そして、そこには真善美が集中して現れるように思う。古代ギリシャの人々は人間の姿は神の似姿という信仰ゆえに、美しい彫刻が作られた。日本の仏像や神像、神社・仏閣も信仰の対象として心をうつものが作られたのだと思う。ところで、縄文時代はどうだろうか。日本だけでなく世界の美術館でもひっぱりだこなのは土偶が一番だ。しかし、私は縄文時代の土偶だけでなく土器も当時の人の信仰の対象であったのではないかと秘かに思っている。火炎土器や水煙紋土器、勝坂土器をはじめ縄文土器の中には一流の美術品が多い。それは、信仰の対象だったのではないだろうか。

鉢巻をした人の顔がある深鉢(長竹遺跡 縄文後期堀之内1式)
写真は埼玉県立歴史と民俗の博物館
「縄文コードをひもとく」 特別展にて筆者撮影

特に、縄文中期の勝坂期(約5000年前)あたりからでてくる、顔面把手付深鉢は誕生土偶を食物の神を器(うつわ)化した土器であり、本質は土偶と同じ信仰の対象である。そして、その信仰は日本神話での男神イザナキと女神イザナミの国産み、神産み神話や黄泉の国の話でわかるとおり、ハイヌウェレ型の地母神信仰であり、死と再生の思想が底流にある。詳しくは、WebマガジンAMORに投稿した記事、特に10話と11話を参照していただければと思う。
縄文時代の愛と魂 | AMOR (webmagazin-amor.jp)

地母神の死と再生の物語を考えると、それは現代の伝統的な諸宗教の教義にも似ていて、例えばキリスト教の十字架の贖罪を思い出す。地母神の死と再生、めぐみの起源。これは例えば今の泥沼化し出口が見えにくくなっている戦争をやめる思想に繋がる。地母神を痛めつける人間を無条件にゆるし、さらにめぐみを与え続ける神。それはきっぱりとゆるす神であり、無条件に愛す神ではないのだろうか。エリクソンの人格形成論で出てくる、罪悪感や劣等感を解決するバックボーンになっていたのではないだろうか。

縄文時代の殺戮その他は、研究が進みつつある分野であり、かつてのように争いや殺戮がない社会というイメージはどうも間違いのようである。しかしながら、農耕・牧畜型の文化とは違い、戦争用の武器を製造していなかったことはほぼ定説であり、殺人も比較的少なかったということは確かなようである。

10,000年以上続いた縄文時代の文化には、こうした地母神の死と再生の思想があり、戦争を忌避し人々の心を安らかにする、自我を超え出るような愛の文化、ゆるしの文化が育まれていたとみるべきではないだろうか。

巻頭の写真は2023年12月22日(冬至)に田端遺跡より丹沢山系の蛭ケ岳に沈む夕日、残照、近くの境川周辺等
筆者撮影編集

9/10 縄文世界を感じる時

AMOR「縄文時代の愛と魂」に(⑪縄文時代の灯火)を掲載しました。こちら

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恥の文化の寅さん・・・(6/10 縄文世界を感じる時)

2023-11-01 | 第四章「愛とゆるし」

小学校の2年の夏。私はアラスカの小学校に突然転校した。学校に父が付き添ってくれたが、学級に入れば英語の全く話せない私は黙っているだけ。そんな私に担任の女教師は色紙を見せて何色かと問う。英語は全くわからないのでもちろん黙っていた。しかし、悲しそうな眼をするので、私のできる唯一のこと。日本語で話すことを決心した。

わからない日本語に失望するかと思っていたので、自分の発した日本語はうつろに聞こえた。しかし、次の瞬間、先生は明るい顔になり、クラスの皆に日本語をはなす私をうれしそうに紹介してくれた。なんという優しい女教師を感動したが、今になって考えると文化の差といえるかもしれない。

日本には独特の文化がある。甘えの構造、侘び寂び、・・・その中に恥の文化がある。同じようにできないことを恥るというのだろうか。皆が英語で話せる中で話せないことは、その基準でかんがえると恥である。個性の美を宝のように褒めることは余りしない。しかし、これは日本の独特の文化なのかなと思う。これは、一つのあら捜しのようでネガティブなようだが、モノづくりや品質といった面では非常にプラスに働く。この文化の原型は縄文時代まで辿れるのだろうか。縄文土器の底に、葉っぱの跡やアンギンの跡がある土器がときどきある。轆轤のない時代に土器を回転させるための簡単な道具が跡を残したのである。が、そうでない綺麗にふき取った土器のが多いという。縄文時代にまでも恥の文化があったのかもしれない。

ところで、こうした恥の文化は、他人だけでなく自分のあら捜しをする眼を育ててしまう。すると何となく息がつまってくる。そんな中で私の好きな松竹の寅さん映画を思い出した。寅さんは恥の文化の反対のキャラクター。個性の美は一流かもしれないがあら捜しにはお手上げで、すぐプイとあてのない旅に出てしまう。そして、旅先で、個性の美を大切にしてくれるマドンナに出会う・・・

行き詰っているときに、個性の美を大切にし、あら捜しをしない。そういう複眼が大事だと時々思うことがある。

ところで縄文時代には寅さんのような人はいたのだろうか。恥の文化があればいたように思うのだが。縄文の寅さん!

6/10 縄文世界を感じる時

AMOR「縄文時代の愛と魂」に(⑨縄文時代人の信仰)を掲載しました。こちら

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真夏の読書は糸川英夫さん?から・・・(縄文世界を感じるとき② 9/10)

2023-08-03 | 第四章「愛とゆるし」

散歩がてら近くの古本屋さんをよく利用するのだが、先日寄ったらなんと8月いっぱいで閉店とのこと。この地に引っ越ししてから20年近くお世話になった本屋さんだけになんとも残念。本が売れなくなり、コロナの影響そして物価高。厳しい時代である。

ささやかな本屋さんへのお礼にでもと本を選ぶ。選んだのは糸川英夫氏の「日本創成論」(講談社 1990)。先月だろうか国分寺に用事があって行ったときに早稲田実業の前に糸川英夫さんの記念碑を見たのが遠因だったかもしれない。そして、パラパラと目次を読んで買うことを決めた。第一章がナルキッソスの話(人類の歴史は自己愛の問題の歴史ともいえる)、第二章が科学者の話(ハイゼンベルクをはじめ世界的な科学者の寄っているもの、理系のケンブリッジ大学の詳細)、第三章が日本に必要な第3のポイントについて(これは哲学というか宗教というかそういう領域)・・・最後は拝金主義との決別であった。30年前のわたしと言えば、きっと同じように目次を読んでも絶対買わない拝金主義者であった。そして今の世の中は30年前には想像もできない状態。バブルは弾け、コロナやウクライナ紛争で大変な時代。若者の自殺者がこんなに多い国は世界にあるのだろうか。読んでみると。そんな時代の処方箋がすでに30年前に書かれていたようだった。根源的なことを考えることの大事さというのだろうか。甘えの構造で思考停止するのは・・・

ところで、この数週間私は縄文時代の土偶。子抱き土偶を中心にいろいろ思索をしてきた。縄文時代は平均寿命が30歳程度という生きるのが大変な時代。この時代にハイヌヴェレ型の宗教があったようだ。日本ではオオゲツヒメとかウケモチノカミで有名。日本ではどういうわけか精霊信仰のように捉えられている。そこでエリアーデ世界宗教辞典を引いて調べてみると、これは先史宗教の項目ではなく密儀宗教として扱われていた。・・・神の殺害は、原初的時間から歴史的時間への移行を表し、死、植物の摂取、さらに男女両性によって子供をつくる必要性によって歴史的時間が特徴づけられる。犠牲となる神は「最初の死者」であり、この神はあらゆる有益な植物と月に変身する。・・・(エリアーデ世界宗教辞典 ミルチャ・エリアーデ ヨアン・P・クリアーノ 奥山倫明訳 せりか書房  1997 92-93ページより)

人は何故、生命をいただき生きるのか?これは今でも大事な哲学的な問いかけだが、現代ではそんなWhyを発する人はほとんどなくテレビを見ればおいしいものを食べる番組が実に多い(私も見てしまうが)。しかし、5000年前などの日本列島ではこうした問いかけによる祭儀が何百年も行われてきたのだ。わたしたちの祖先は今と違って哲学的だったのである。それゆえに生き抜いたのだろう。糸川英夫さん、現代日本を嘆くことはないかもしれない、強烈な哲学のDNAが我々に残されてる。

縄文時代の子抱き土偶についてAMORにも投稿しました。リンクはこちら

縄文世界を感じるとき② 9/10

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難問をどう越えて行くか・・・(縄文世界を感じるとき② 2/10)

2023-04-27 | 第四章「愛とゆるし」

スーダンからの日本人の脱出の状況などが報道されると、どこか他人事ではあるけど、人の存在の危うさ、ありようにふと気が付かされたりする。

我々の日常でも問題が次々にやってきて、それに対し対応していく。しかし、時にかつて宿題にしていたような問題が、突然別の形で現れ難問となり、立ちはだかってくることがある。当然だが困り果てていると、前回の「旅」の話ではないが、自分の殻というか自己概念がちょっとしたことから崩れ、新しい世界が開けることがある。こうした現象を100年くらいの短い歴史しかないけど、現代の心理学は捉え役にたつ公式化をしている。カール・ロジャースの人格形成論などがそうだ。これは国際会議などでも使われホモサピエンス共通の非常に普遍性が高いものとされているようだが、私は気楽な小説家なのでそれを縄文時代にも当てはめて妄想してしまう。それは兎に角、難問に立ち向かうときは次のような手順になるようだ。

人には背骨があり大事な身体を支えているが、同じように人の心を支えるアイデンティティが必要である。意外に人は脆い。その支えは宗教とか思想のようなものであり、自分の中で育て身に着け、かつ更新・革新していくようなところがある。

次に、人が現実にどう向き合い、その中から解決へのヒントを見つけなければならないということがある。北風と太陽の例ではないが、自分の守ろう守ろうとしているときはそれができない。こころの窓を開ける必要がある。峠の茶屋?・・ホッとするひと時が大事だ。ニュートンがパンデミックの時に公園でリンゴが落ちるのを見て・・そんなことが大事なのだろう。愛や慈愛を感じることも解決のカギだ。

そして、最後はそのヒントを現実に合わせて、しなやかにどう展開するかである。ニュートンは知性化し、縄文人は非常に微妙なデザインの変化を昇華で表現し(編年?)、・・・ちょっとしたこともあるが大きな変化に繋がることもある。しなやかに・・・フロイトが発見した14の防衛機制にそのヒントが隠されているようだ。

U先生の「生き甲斐の心理学」でいうと、アイデンティティの統合、現実吟味力、防衛機制ということだろうか。恐らく、こうしたことは生きる上で、より良く生きる上で大切なのだと思う。

今の世の中も、現状はかなり厳しいが、10,000年を超えるといわれる縄文時代も難問は次々に祖先に突き付けられたのだと思う。場合によれば喜界カルデラの爆発など私たちが想像もできないほどの自然災害などもあったのは事実であり、それを越えてきた縄文人の底力に以上のような心理的(もう魂の世界かもしれないが)なプロセスが隠されていると思うのはおかしいだろうか。

その具体的なことは文献も残っておらず殆ど分からないのだが、遺物を①真善美②喜怒哀楽の感情③五感体感の面でとらえなおすことが近道ではないか。土器などは①は意図する意味、芸術性・・・②は表現された感情③鑑賞する側も触覚や視覚、聴覚などから何かを得ることは・・・かつて持統天皇について、万葉集の巻1が持統天皇が編集したということがほぼ定説なので、その観点も含めて①②③の面で分析したことがあったが新しい認識を得たように思う。縄文時代の遺物は各段に難しいと思うが手がかりはあるように思うし、五感という意味では新鮮な面がある。

そして、もう一つ。意外に知られていないが、他者分析は自己分析が深まってないとできないのではないかということだ。縄文時代の旅をする一方、私は自分の生育史の旅もしているようだ。ALWAYS三丁目の夕日ではないが、昭和20年30年40年台の四ツ谷・曙橋のことをよく思い出す。そして、当時は受け入れられない雑多な社会が今はだんだんここちよくなってきている。

縄文世界を感じるとき② 2/10

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