U先生のブログを読んでいたら、愛の原型に影響を与える体験の知識として、父母の愛や初恋が一般には大きいというお話があった。愛の原型は、愛し愛されるやりかた(人それぞれ違うものだ)に大きな影響を与える大切な体験だ。「生き甲斐の心理学」では、テキスト自体もこの難しい話題を正面から取り上げている。U先生が愛の心理学的問題を現代の大きな問題とされていることの表れなのだろう。
さて、昨日は宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」という童話をたまたま読んだ。遠野に行くときに東北線と釜石線が交差する花巻を通ったが、そこが賢治の故郷であり、この童話の舞台だ。この童話は東北線の信号機(男性のシグナル)と釜石線(当時は軽便鉄道)の信号機(女性のシグナレス)との不思議な恋物語なのだ。微妙な場所に固定されている2人が、事件にあい恋が破れそうになるが、2人の祈りが通じて空の4つ星のかなたで添い遂げられるという話だ。愛とともに祈りも考えさせられる美しい童話である。
自分の初恋の体験はどうか、様々な体験が合成されているように感じているが、その一つに7歳のときのアラスカでの不思議な体験(日本語の初恋のイメージとちょっと違う)がある。隣に住んでいたBさんで、恐らく私より2-3歳年上だったようだ。引っ越ししてきたときに、前住人の庭に人参を植えていて、それを採りにきたところで、父母が話しかけ友達になって行った。冬になると、真っ暗な夜中?に登校するようになるアラスカ。そして、雪の降った後、登校時に側溝に落ちそうになったことがある。北国の側溝は深く危険なのを知らなかったからだ。その時Bさんに助けられ危うく命拾いをした。そんなこともあり、Bさんが近くの男の子に苛められていたときに、得意の相撲の技で助けた記憶がある。そこまではかっこよかったが、その男の子とお兄さんが、一人で歩いているとき御礼参り?にきて、惨めにボディーブロウを浴びせられたことも。
当時は、同じ庶民であっても、日本は随分貧しかった。Bさんの家で、Bさんが吹くクライネットには驚いた。日本ではせいぜいハーモニカくらいだったからだ。それでもBさんは、日本語にも興味がわいたようで、私も日本語のイチ、ニ、サン・・を教えたことがある。そして、隣の遊び友達として、次第に仲良くなって行った。そんな時、父に突然の帰国命令がやってきて1年もたたないうちにBさんと別れ帰国するることになってしまう。
Bさんに別れる前に、今から考えると実に粗悪な紙で作られていて残念だったが、日本の雑誌の付録をプレゼントしたところ、快く受け取ってくれたことを思い出す。あれから、もう50年以上。時々思い出していたが、Googleのストリートビューで観ることができた。幼いころの記憶をもとに住んでいた場所周辺を観てみたが、かつての家々は取り壊され草が生えるだけ。道も随分きれいになっていて様変わり。当時住んでいた人の多くも町から出て行ったとも聴く。
時間は東北線と釜石線のように何かを隔ててしまう。ただ、残っているのは星になったような愛の原型かもしれない。その意義(ポジティブな意味)は何だったのだろう?
写真は先日とった碇草(イカリソウ)。船の碇のような花をつけるが、正面から見ると十字架のように見える(ちょうど東北線と釜石線が交差するように)
心の健康度 ② 6/10
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