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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

一つ年をとり。自分の歴史を慈しむ・・・(心の世界は今も縄文時代も 9/10)

2020-09-11 | 第四章「愛とゆるし」

 年齢の数え方は生まれた日を起点にするのが今の日本の数え方だが、これは戦後に配給などの関係から変わってからのことで、それまでは一般的には数え年が使われていた。生まれた日に一歳となり。冬至の太陽を送り正月を迎えると、皆一斉に若返って年が一つづつ増える。お年玉をもらったりお餅を年の数だけ食べたりし、正月を祝うのもその長い伝統の影響だろう。

 写真は東京都の多摩境の田端環状積石遺構から見た冬至頃の日没であるが、丹沢の最高峰の蛭ヶ岳にきれいに日が落ちる。縄文後期中葉(3500年くらい前)にこの聖地に墓や環状列石が時間をかけてつくられ、その後700年くらい使い続けられる。環状列石(ストーンサークル)は東日本を中心に各地にあるが、当時の縄文人がすでに太陽暦の知識を持っていたことが分かる。もちろん太陽だけが再生・若返るのではなく、さまざまな再生や若返りのシンボルがある。縄文時代をもっとも代表するシンボルは私は月だと思うが、月は形を変えたり出没時期や場所の独特の軌跡はなんとも美しく感動してしまう。そして、暦も太陽暦だけでなく大潮や夜の暗闇の程度とも深く関係する太陰暦も縄文時代の人は良く理解していたのではないだろうか。神話や伝承にでてくる神や人物の年齢が不自然に大きな数字になっているのも年を数える基準が太陽だけでなく月とも関係していた証の一つのかもしれない。

 祝う方法は異なるかもしれないが、今も昔も誕生日はめでたいものだ。先祖の命のリレーまで考えれば誕生日を迎えることは奇跡的にめでたいが、自分の歴史を真面目に振り返ると気が重くなることもある。様々なネガティブな感情の元は過去にあると言ってもよいほどだ。甚大な自然災害や戦争や紛争、さらに自分自信の失敗など種はいくらでもある。しかし悲観することはない、出来事の解釈を新たにすることで、世界を明るくすることはできる。事実はもちろん変えられないが解釈は変えられる。世の中は生きている限り様々なことが起こり、その時々に適切な判断が迫られるので、過去の嫌な経験は、判断をスムースに進めるためにも、極力明るく解釈をし直したいものだ。自分の過去の歴史を、必要に応じて精査し解釈を変え、前向きに生きることは大事だと思う。

 思い出すのも嫌だった出来事は、一緒に立ち会った人と情報交換をしたりすると、自分の解釈が思い過ごしだったことは結構ある。そうは言っても強烈な災害、戦争など、簡単に解釈の変更などできない重いものがある。

 さて、先日から縄文時代の家の近くにある拠点集落のことを考えていたが、何故そこが拠点として選ばれたのかいろいろ考えていた。聖地というか、そんな不思議な価値についても考えてしまった。TN72環状集落は大栗川と寺沢川の河合で気持ちの良いところに位置する。今でも対岸には禅寺があり神社が脇ににある。

 2年前に京都に立ち寄ったときに鴨川の河合にある下鴨神社のことを思い出した。下鴨神社は縄文土器まで出ている古来からの聖地であるところだが、二つの川が一本の鴨川に統合される河合の森にある。そのイメージは再生であり若返ることにも通じる。そして、下鴨神社を訪れたときに摂社の河合神社で、鴨長明の方丈記とつながることを識った。

 そんなことを想い、今日は方丈記を読見直し、オジサンの愛好する100分de名著まで見てしまった。コロナ禍で勧められてカミューのペストを読んだりしたが、方丈記は短編であるにも関わらず日本を代表する災害文学とも言えるだろう。鴨長明が一人で経験した、とんでもない大火、飢饉、竜巻、地震。さらに下鴨神社の禰宜も夢ではなかった鴨長明の没落と信仰の人生。生き甲斐の心理学でカールロジャースの19の命題を学ぶが、それが無常と言う言葉がつながるようでびっくりした。無常は再生なのだろう。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

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心の世界は今も縄文時代も 9/10 

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2 コメント

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金生遺跡は太陽暦をつくる (やかたしんぞう)
2021-01-06 19:35:17
金生遺跡は縄文代の国立太陽運行観測天文台である
金生遺跡は縄文人がカレンダーを作るため太陽運行の観測を行っていた。
冬至からの日の出の変化が正確に観察できるように配置されているこの遺跡からは
太陽運行を正確に知ることが出来ることが分りました。
つまり太陽暦を作っていた

冬至の日、茅が岳からの日の出はピークから下がった右肩にある2つ目の瘤辺りから出る。
日の出は山の稜線を日毎に下がってゆき、最も下がったところが冬至当日である。
次の日からは一日ごとに日の出は稜線を上りそれは太陽が1日ごとに強まることを文句なく見せている。つまり茅が岳からの冬至日からの日の出は、太陽の回復を見る装置だった。
他方、西の甲斐駒ヶ岳右肩への日の入りは、ピークから少し下がった窪み辺りに夕日が落ちる。
冬至からは日一日と稜線を下がったところに夕日が落ちていく。
こちらは冬至からの日数を数えるカウンターとなっていて、南アルプスのギザギザの稜線に引き継がれて、春分から夏至まで山稜で日数を数え続けることが出来るようだ。
巨大な山を利用したカレンダーと云うことになる。
夏至からは行きとは少し変る夕日の位置を冬至まで正確に数えられる。
こうして春分、夏至、秋分、冬至のような季節は、間違えること無く知りうる。
そればかりではない、もしもの天候悪化の際には東西にある茅が岳と甲斐駒で太陽観測機会を失う確率を二分の一に下げている。
日本の地理的中心位置にある金生遺跡は縄文民族の国立太陽運行観測天文台で有ったのかと思う
このような場所が他にあるとは思えないから、世界中から最適地域を探してこの位置を見つけたのでは無いだろうか。このような特徴的な場所に この冬至の配石は作られていた。

20万年前に起きたとされる八ヶ岳山体崩壊の地形の先には富士山が見えているこの眺望は
何時の日か起こる富士山の山体崩壊の姿を見るかの錯覚に陥る。
この雄大な景観を南北の軸にした中に、東に茅が岳、西に甲斐駒という地形の中央部に作られた金生遺跡 この絶妙なポジションは何だろうか
芸術的とも云えるこのような場所に太陽運行観測天文台を設けた縄文人の知恵には驚嘆の他有りません、圧倒されてしまいます。
ここまで思い至るまで一体何日掛かてしまったのか 縄文人には敵わない。
日本国内に、いや世界にこんな贅沢な太陽暦の観測施設は二つとあるだろうか。
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Unknown (hiroyuki-mori051201)
2021-06-30 17:31:55
ありがとうございました。今度注意して見てみます!
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