イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文街道を妄想する!(愛と縄文 4/10)

2015-06-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

  小学校のころ、ヤジさんキタさんの東海道53次の本を夢中で読んだ記憶がある。自分の楽しい旅のイメージには、どうもこの本の影響が大きいように思えてならない。

 さて、縄文小説をますます浮世離れして書いている私だが(この2-3年大新聞の購読はやめ、テレビも殆ど見ない)、このところ、歴史小説は系図があり、年表があればできると思っていたのは間違いだと気付いた。街道が必要なのだ。燃えよ剣などは、甲州街道が重要なポイントになっているが、縄文小説でも主人公が同じ場所にいてもつまらないので、同じように街道(陸路、海路)を行きすると、それもリアルに実に楽しくなる。そんなことで、いろいろ調べてみた。

 ところが、これが実に深い。古街道研究家の宮田太郎氏の資料や本を読んだりすると(縄文時代は少ないが)、いろいろイメージが湧いてくる。縄文時代は、街道はよく判っていないが、流通が盛んであったことは判っている。八ヶ岳の黒曜石が三内丸山で発見されたり、山陰の糸魚川産のヒスイが多摩でみつかったり平気でしているのだ。また、縄文中期には富士山を囲むように神奈川、多摩、山梨、信州といった文化圏があることも判っている。その裏には、当然ながら大動脈としての街道はずなのだ。

 今と違って、旅のリスクが高いと思われる縄文時代。しかも馬とかの乗り物もおそらくなく、徒歩か舟かというような時代。その中で、様々なモノが流通され、ドラマも沢山生まれる。当然貨幣などもなく、また、文化も部族単位で今以上に複雑だっただろう時代、命がけの流通は、街道をとおして劇的に行われた筈だ。街道沿いには、有名な縄文の集落が並ぶ。街道自体も当時の祖先が智恵を絞って計画し作り維持したはずだ。この隠れた知恵はどんなにか意味のあるものだろうか。

 縄文街道に興味ある方はいませんか?

愛と縄文 4/10

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テナガザルの母子を見つつ!(愛と縄文 3/10)

2015-06-29 | 第八章「魂と聖霊」

 先日の多摩動物公園で、シロテテナガザルの赤ちゃんセンを初めて見ることが出来た。お母さんのテナガザルのお腹に張り付いてぴったりしている姿は何とも微笑ましい。

   

 このテナガザル、多摩動物公園では比較的最近に来園し、また、有名なオラウータンと比べると地味なのであるが、絶滅危惧種だそうでとても貴重なのだ。

 現在の人類がひょっとすると、絶滅を見届ける可能性があるともいわれる種だそうだ。ヒト上科に属し、2000万年~1600万年前にヒトの祖先から分化したそうだが、大切にしなければと思う。

 現世人類のホモサピエンスは20万年くらい前に分化したとされているが、近い種であるネアンデルタール人は3万年前くらいまで生きていたとようだ。さらに、最近はネアンデルタール人とヒトとの混血もあったという説がでてきた。それによると1-4%くらいの遺伝子を引き継いでいるともいう。まあ、いろいろな説がありよくわからないが、ネアンデルタール人が火をつかい、また埋葬時に花を手向けていたという証拠もあるようで興味がつきない。

 ヒトとネアンデルタール人も含め、霊長類を思索することは大事なことだと私は思う。霊長類のことを知ると、ヒトへの理解が深まるように思うからだ。しかし、縄文人もニホンザル他に遭遇したと思う、縄文以前の旧石器時代にはネアンデルタール人とも遭遇したと思う、その時祖先は何を感じ、どう反応したのだろうか?

愛と縄文 3/10

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縄文人は魂をどう考えていたか?(愛と縄文 2/10)

2015-06-28 | 第八章「魂と聖霊」

 夏至が過ぎ、ますます気候は夏に向かって突進しているようだ。梅雨とはいえ晴れ間の日差しは、もう夏以上だ!

 今年の夏は、関西の勉強会参加をはじめ旅行を考えている。春には関西に行き、長屋王の邸宅の跡にもか行ったが、日本の怨霊について最近いろいろ思索をていて、今年の夏のテーマかなと考えている。お化けの話は夏の風物しだし。

 日本の怨霊思想は、奈良時代、平安時代は首都を変更するくらいの影響力(桓武天皇など)があったようだ。東京でも平将門の首塚など現代でも恐れられている。しかし、鎮魂の思想もあり、ストレス曲線が幸福曲線に見事に変わるような心理学的にみても納得がいくような話も好きだ。日本は怨霊思想というより本質は鎮魂思想かもしれない。

 さて、こうした怨霊思想など、縄文時代はどうだったのだろうか?人によると屈葬とか土偶とか・・・今の価値判断で違和感を感じるものは直ぐに恐ろしい霊とか魂と結び付けがちだが、本当にそうなのだろうか?私は、狩猟・漁撈・採取文化の延長の縄文文化は、弥生以降の時代よりよほど穏やかではなかったかと思う。しかし、魂を信じている文化であり、当然ながら怨霊の思想もあったと思う。

 ただ、解決のない怨霊したい放題ということではなく、魂の本質は愛そのもの・・・そんな性善説的な鎮魂思想が裏にあるように思う。

 世界の宗教の大半は、ヒトは神の似姿・・・といった思想があり、ヒトにはどんな人も愛そのものが隠れているかもしれないと考える。世界の潮流の死刑廃止などの流れもそこから来ている。そして、そういった宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)の元の文化として、メソポタミアの最古の文字に記された宗教がある。今から5200年前ごろからだが、その中には神人同形論的な後の宗教の原型的な思想もあるのだ。そして、古メソポタミア文明と並行して存在していた縄文文化も同じ定住文化でもあり、同じような性善説があったのではないかと妄想している。

 魂は愛そのものである。そんなニュアンスがどこかにあり、縄文時代の正中線になっている。私はそう思うのだ。

 怨霊も、しっかりと鎮魂することで成仏したり(後の世の言い方だと)・・・いろいろである。

 人間は、私もそうだがあらゆる間違いをしでかす可能性があり、また、間違いをしでかす。しかし、それを受容していく、鎮魂する思想があるのだと思う。縄文時代の宗教は残念ながら文字がないためはっきり判らない。しかし、当時の遺跡を検討することで、その手がかりをつかめたら・・・そんな風に今日も妄想し励んでいるている。

愛と縄文 2/10

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誕生と死を大切にする・・・(愛と縄文 1/10)

2015-06-27 | 第八章「魂と聖霊」

 私も還暦を過ぎて、来年は誰が決めたか前期高齢者になってしまう。死が気になる年だが、自分の魂について最近は生き甲斐の心理学の影響やキリスト教の影響でよく考える。縄文の遺跡についても、当然埋葬は気になるが、もう一つヒトの誕生も魂に関係して気になる。

 そして、縄文―魂(宗教)-心理学、こんな図式になるのだろうか?まあ、いろいろ考えてしまう。

 さて、今日ひっかかっている問題は、縄文時代に見られる胞衣壺(奈良時代はポピュラーだったようだ)のような風習だ。これは、竪穴式住居の展示を見られたからなら、時々縄文時代の一時期、入口付近がちょっと盛り上がり、そこに壺というか土器が埋められていて、それが、どうも胞衣とか生後間もない子供だったと推定されている・・・という説明だ。普通の成人は別にしっかり埋葬だれるのだが、これはイエの中に埋葬される特別な風習のようだ。

 ヒトが亡くなるときは身体と魂が別れるということが直観的に判るので、再生を祈って埋葬する(墓石等に象徴される)のが基本だが、誕生の時も、ヒトは自分の身体だけでなく、紐帯、胎盤などと共に生まれてくるので、魂を想定した場合、魂を含む身体自身も神秘だが、紐帯や胎盤(出産と同時に土に返っていく)も神秘の延長にあると考えるのは当然だろう。そして、胎盤やへその緒のあつかいは、当然ながら丁寧になるのだろう。

 世界各国の風習も、昔は紐帯や胎盤に関わる風習が当然あったようだが、最近は、日本でさえそうした風習は残念ながら消えつつあるようだ。

 しかし、へその緒を小さな桐箱にいれて大切に保存したりする風習は今でも日本でもあり、誕生にまつわる神秘をどこかで記念しているのだろう。縄文時代から続く、神秘的な風習はこれからも続いていくようにも思える。

 日本人は宗教は信じていなくても魂を信じる人は多いようだ。そして、これは日本の縄文時代から続く誕生と死に関わる風習と関係しているのだろう。

 幼子の幸福を念じる親や共同体の愛。死後の幸福を念じる愛・・・縄文時代も今も変わらないものは変わらない。

愛と縄文 1/10

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縄文人、動物園に行く!(古代人は美を大切にした 10/10)

2015-06-26 | 旅・雑記帳

 この1-2年めっきり行かなくなっていた多摩動物園に、久しぶりに行った。その動機は縄文人の生活をよりよく実感するためで、特に縄文時代には沢山いたであろう動物を中心に見学したのだ。

 そんな不思議な縄文時代のフィルターをかけて動物園に行くと、かなり違った眼で動物をみることになり新鮮だった。

 昆虫館では、蚕とかテグス関係の蛾に興味を持って行ったが、残念ながら会えず(展示の見方がわるく、どこかにいたかもしれないが)、反対にゲンゴロウなど当たり前にいた昆虫が絶滅危惧種に指定されていて驚いた。

 野山に沢山いた、狩りの対象の動物(40種類とも)は結構沢山見ることができた。私の愛していたヒグマのミチは昨年亡くなったそうで、ツキノワグマのソウが若いつややかな毛並みで元気にしていた。シカも元気そうだったし、イノシシのペアもいた(写真が撮れない位置で写真はパス)。ムササビもしっかり観察できた。ヤマネ他げっ歯類は良く見えずパス。ニホンザルも縄文人は食したそうだが、元気に群れていた。キジなどの鳥もしっかりいる。

 

     

 そして、今回はタヌキ山のタヌキをじっくり観察できた。以前行ったときは、3匹とか数も少なく殆ど観察できなかったが、今回は溢れんばかりでしっかり観察。夕方にはタヌキさんも疲れたのかタヌキ寝入りの姿も見てしまった(笑)。

    

 しかし、カワウソは日本カワウソが絶滅して替りなのか、コツメカワウソの展示しかなく、蛇の展示もシマヘビとか2種類くらい。鳥も、フクロウやカワセミ、キジやハト、タカやトキなどはいるものの、縄文時代の多様さは今はない。縄文人は生態系を崩さないように狩りをしたとも言われる(縄文の力 小林達雄編 18P)、そんななか、縄文時代から数千年の時を経て子孫のつくった動物園に来たらどんな感想を縄文人は持つだろう。

   

 絶滅するほど、無秩序に捕りまくったことに驚き

 絶滅しそうな動物が動物園の檻に入れられて見学の対象とされていることに驚き

 ただ、文明の片隅で、へんかもしれないが動物の命を大事にしている場所が確実にあることに救いを見出すかもしれない。

 しかし、多摩動物公園には、縄文人を歓喜させる展示もあった。オーストラリア関係の動物だ。こちらは有袋類の宝庫で、縄文人の来日ルートの一つに南方のスンダ―ランド(氷河期で海退していたころの陸続きの土地)から来た人たちもいることだ。アカカンガルーの毛の生えてない子供がお母さんの袋から出入りしするところなど。なんとも言えない愛らしさだ。きっと縄文人は祖先の苦労や当時伝わっていたかもしれない神話上の動物?を目の当りにして歓喜したかも。

 

古代人は美を大切にした 10/10

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