イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

早く寝るにかぎる!

2009-11-30 | 第二章「五感と体感」

日々刻々と変わる、自分を中心した世界。

今日は、啄木の次の詩が身にしみる時が・・・

 

眼《め》閉《と》づれど、

心にうかぶ何もなし。

さびしくも、また、眼をあけるかな。

 

こういうときは、早く寝るに限るようだ。明日の朝の明るい感情を祈りつつ・・・

(「五感から」13/16)

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創造性の不思議!

2009-11-29 | 第二章「五感と体感」

 啄木が結核で亡くなるころの話を聴くと、胸が締め付けられるようである。医者に払う金もなく薬も底をついたりする。友人の金田一京助が熱い友情の中でお金を渡した時に流す啄木と妻・節子の涙。若山牧水が、出版社に掛け合い、「悲しき玩具」を出版できるように奔走したこと(啄木の死後に出版されるが)。

 その悲惨な状況の中で、生まれる素晴らしい、詩集「悲しき玩具」。この詩集が生まれる時の一つの啄木の思考として、以前にもあげたが、次の一節がある。

 「人は誰でも、その時が過ぎてしまえば間もなく忘れるやうな、(省略)、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験してゐる。多くの人はそれを軽蔑してゐる。軽蔑しないまでも殆ど無関心にエスケープしてゐる。しかしいのちを愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。」

 そして、ほんの瞬間といってもよい、こころの奥から表出する感情を言語化する。

起きてみて、

また直ぐ寝たくなる時の

力なき眼に愛でしチュリップ!

 人は、如何に病んでも、深い意味での自己実現ができるのだと、励まされる。生き甲斐の心理学からいうと、アイデンティティの統合、こころの防衛機制、現実吟味力、この3つが極めて正常に働き、無意識の意識化がどんどん進むという状態なのだろうか。

 以前述べた、イキイキ度(七つのストランズ)が総合的に高い状態でもあるのだろう。そうでなければ、こころに過る感情を正確につかみ言語化などできない。先の一説は、カールロジャーズの到達した一つの境地に似てさえいる。

 これから、4回、啄木の「悲しき玩具」を材料に、五感を考えていきたい。

(「五感から」12/16)

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アベマリアを歌う!

2009-11-28 | 第二章「五感と体感」

 五感を大切にすることは、決して受身で感覚を楽しむだけではない。

 最近、好きで良く聞いていた、アベマリア(カッチーノ、シューベルト、グノーなど)であるが、教会で誘われて、ちょっと合唱のサークルに参加してしまった。

 合唱は、高校時代に年一回の合唱祭で練習し、歌った経験程度で、本当に久しぶりであった。余りに音楽の世界から離れ、楽譜もろくに読めなくなっており、そういえばフェルマーターなんてあったな。と、思い出すくらいであった。

 しかし、下手なりに、声を出して名曲を歌うことは気持ちが良い愉悦の一時である!

 これが、一つの刺激となってしまったのか、YouTubeであれやこれ、名演奏を見たり聴いたり、時を忘れてしまった。この週末は音楽を楽しもう。

 因みに、五感と心理療法はかなり関係が深く、音楽療法、絵画鑑賞療法、ワイン鑑賞療法など沢山ある。何故、関係が深いか。非常に楽しい思索のテーマでもある。

(「五感から」 11/16)

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日々出会い、変わる喜び!

2009-11-27 | 第二章「五感と体感」

 本質が同じものとの出会いから、新しい理論を生み出したり、そのものの理解を深めたりする。こういう経験は、こころの奥の奥から、喜びが湧き出す。殆ど神秘的な世界といえるかもしれない。

 ニュートンのリンゴとか、パスツールのペニシリンと比べ遥かに微小の話、自分の身の丈での話をちょっとしたい。技術的な話を少しさせていただくが、判らないところは飛ばし(自分も概要しか記憶がない!)、その喜びをすこしでもご理解いただければ幸いである。

 大学生の時、計量心理学のモデルとして、レンズモデルを扱ったことがあった。レンズモデルは数理統計学の重回帰モデルが二つくっついたようなモデルである。数式を見てもエレガントだなという感じはしたが、それを使って実験をする時(学習の研究)、どのような指標を考えるかが問題であった。

 統計の本をいろいろ読んでいる中で、多変量の統計の様々な指標を3次元的に図示することができることを見つけた(例えば相関係数が角度情報のように)。そして、レンズモデルを図で表しているうちに、三平方の定理を使って、レンズモデルを表現できることが分かった。これは、研究室でF先生や仲間とワイワイと中学生でもできる幾何の問題を解いていったのだが、本当に楽しくそれが解けたときは驚いた。同じユークリット空間での話なのがポイントだった。

 図で表現することで、今度は、数式の展開だけでは判らなかった指標の意味付けができて、レンズモデルの理解と実験でどの指標を使うかが明確になった経験がある。視覚的に見ればすぐに判る。

 私のささやかな経験であったが、その時の喜びと感動は特別であった。F先生と喜びを分かち合ったのも楽しかった。

 自分の人生を振り返ってみると、こうした閃きのような経験というのは、いくつかあることに気づく。巨大なものから、微小なものまで。アイデアから悩みの中のサトリや気づきまで。・・・形式はこのケースのような客観的なものもあるが、ごく個人的主観的なものもある。ただ、元を辿れば自分が深くかかわる世界そのものなのであろう。

 様々な出会いから、そして、不思議な導き(これを、高密度デジタル情報というか、聖霊のささやきというか判らないが)の中で、悔いのない人生に最終的に辿り着けば良いな・・・と思う。

(「五感から」 10/16)

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心理療法と先端技術開発手法が繋がる時!

2009-11-26 | 第二章「五感と体感」

 私には、心理学的なものに惹かれた時期が二回ある。一つは従兄弟に教えられて、市川亀久弥先生の創造工学に出会い、その魅力に魅せられて、工学部の専攻を管理工学にし、計量心理学や実験心理学に熱中した時期である。卒論のテーマは「非線形関数の直観的学習」であった。

 もうひとつは、カトリックの信仰を深めてから、10年近く前に始めた心理療法の勉強。特にU先生のオックスフォード流「生き甲斐の心理学」は強烈で、6年前に会社を辞める一つのきっかけでもあり、今NPOで教育活動を行っている源泉である。

 ただ、この二つの勉強は、一つは工学の分野。一つは心理療法や予防医学と私の中では別のもので決して繋がらなかった。

 2年前くらいのことであったか、知人のAさんに「生き甲斐の心理学」を紹介したことがあった。その時の雑談の中でAさんは創造理論TRIZの話をしてくれた。そのことで、昔の創造工学のことを思い出し、従兄弟とも行き来が増えた。

 そして、一昨日「図解でわかる等価変換理論」(日刊工業新聞社)を求め読んだ。その6章(技術開発に役立つ理論と手法を学ぼう)を読んでいたとき、今まで学んできた心理療法の世界と極めて似ていることに気づいた。

 創造的なアイデアと、悩みの中での気づきは、ある意味で同じようなものなのである(これも等価変換理論にのっとっているのだろう)。そして、そうしたものへのアプローチ方法も当然似てくる。

 自分にとって、この気づきは不思議な体感であった。

 広い視点の確立は、自分にとって新たな展望を生み希望が膨らむ。

(「五感から」 9/16)

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