イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代のゆるしの神・・・(8/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-28 | 第四章「愛とゆるし」

日本にはキリスト教の十字架の贖罪のような強烈なゆるしの思想がないように感じる時があるが、よく考えてみれば「穢れと禊ぎ」といった、もう確実に文化の一部になったかたちでのゆるしの思想が存在するのだと思う。奈良のお水とり、地元でも大国魂神社のくらやみ祭りは品川で海水を取るところから始まる。伊勢神宮の五十鈴川。奈良の室生寺や長谷寺。千手観音を何故か思い出したりもする。穢れを洗い清める。

もっと昔の縄文時代のゆるしはどうだったか。当然あるに違いないが、よく分からないできた。しかし縄文中期の図像に関する文献を教えて貰い読んでいると、何となく浮かんでくる。水に関する神、千手観音の原型といった神ではなかったかと妄想している。記紀が出来た7世紀のころは政治的な課題のもと神のゆるしはどうも薄弱になったように感じてならない。本来はもっと強烈なゆるしの神であったかもしれないが記紀にも痕跡が残されているように感じる。それは今後の小説の課題としてもっと考えていきたいが。

さて、U先生の生き甲斐の心理学ではどうだろうか。テキストの最初に欧米で心理療法家の中でよく話題になる聖書の一部が取り上げられている。ヨハネ福音書の4章、サマリアの女のはなしである。異邦人の地サマリアのヤコブの井戸のところで出合う訳ありの女性とほんの数分くらいだろうか、短い時間でイエスは女性を癒やし、生き甲斐を悟らせる。これは、カウンセラーの理想ということで結構研究のされていて、私も何回も呼んで勉強させていただいた。

人は罪深いものである。それは年をとればとるほど実感出来る。勿論自戒をこめてだ。本当のゆるしは神仏でしか出来ない領域だと思う。当然今も昔も宗教が生まれ、教団ができる。ただ、これも人間の集団。怪しいとことがある。しかし、不幸をもたらす大きな間違えはあってはならない。健全な教団へのノウハウと知恵は絶対必要であり、また公共的にも適切な抑制方法が確実に必要だと思う。

しかし、その前提として私も人のことではなく自分自身を見つめる必要はあるように思う。生きるのは大変な時代ではあるが、深い意味で自他肯定のスタンス(自分が愛されているように他者を愛す)を意識する必要があるのだろう。

8/10 心理学の世界と縄文

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ (7/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-23 | 第十一章「五感で面白おかしく」

人間にとって理性は大事ではあるが、感情もそれに劣らず大事である。そして、感情・喜怒哀楽の世界と切っても切れないのが視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚といった五感。さらに五感は不思議なことに真善美の世界とも深く繋がるようだ・・・

さて、その大事な五感であるが、縄文時代の文化に親しんでいる私は、豊かな縄文時代の土器に触れたり遺跡に行ったりする中で、彼らの五感の確かさに感動することが多々ある。彼らの温もりを5000年とかの時の流れを越えて感じることすらある。そんな経験の中から、私達は五感の使い方で本当に健全なのかと時々気になるようになってきた。特に、自分の五感からよりも与えられた情報を大切にしすぎているのでは、と。美術展や音楽会に行っても、絵画や楽曲より先に説明書きやプログラムに触れ、それは良いかもしれないが、過度となりプログラムを鑑賞しているのか音楽を鑑賞しているのか分からなくなったりする。食べる味覚の世界もそうだ。実際の味や食感よりワインだったらそのラベルがものをいったりする。昔は口にいれて食べるのを辞めたりしたが、今は賞味期限のラベルで判断したりする。

私はもともとIT企業に長年勤めていたこともあり、デジタル化にはかなりなじんできたほうだ。しかし、この20年間は、U先生から心理学を学び、その影響もあって医療・介護・教育といった世界を身近に見るようになったりした。そんな中、コロナ禍でリモートの世界が拡大し、それは我が身にも及んできた。最近はZoomなどのリモートの世界が本当に身近になりそれなしでは生活が成り立たなくなってしまった。

そして、あらためてデジタル化の限界も知るようになる。U先生は心理療法の世界でリモートは問題だと早くから言われていた。さらに、私の知人の医者に尋ねても、診断の場においてはリモートは駄目だと断言されていた。なぜ問題なのかも、わたしも遅まきながら気がついてきた。リアルとリモート。五感がうまく作動しないのか、感情の伝わり方がやはりかなり違うのだ。情報という意味ではリモートは手紙やメール、電話などには負けないかもしれないが、伝わるはずの感情はリアルとは随分違う。そんなことであらためて映画などの映像芸術などを見ても、やはりリアルに比べて伝わらない感情の世界を工夫してつたえようとしていることに気づく。

さて、縄文時代の文化は、戦後岡本太郎さん等芸術家によって発見されたと言ってもよいかもしれない。そして、縄文ブームのような現象が最近起こっている。これは日本だけでなく世界も注目しているようである。また、私も縄文時代に凝り始めてまだ10年も経っていないが、先輩諸氏の熱烈な思いは縄文土器に触ったり、遺構・遺物に五感で直接的に経験していく中で育まれてきたと思っている。

縄文土器。その破片でも良いがそれに触れた瞬間に、何千年か前にその土器を作った人と繋がる。それは五感をとおし、何か真善美を感じる瞬間と言っても良いかもしれない。運が良いことに、縄文時代の情報は、最近分かってきたことが多くなってきたとはいえ、日々の生活で触れる情報過多とも言える世界とは一線を画している。いつ、どこで、だれが何の為に、どのように、何をしたか・・など5W1Hは全くはっきりしない。従って五感でしっかり事物に触れることが認識の基盤に据えられる可能性が高いのだ。

それで良いならいいが、私は生き残るためにも、あるいは真善美に近づきつつ心豊かな人生を送るにも、五感を本当に大事にして生きることが大事だと思う。縄文文化は10,000年以上続いたといわれるが、日本の約1,300年程度の文化、勿論西欧の文化もそうだが大丈夫なのであろうか。

五感体感を大切にすること。感情の世界も大事にすること。これがこれから益々大事になると思う。昔は書を捨て旅に出ようなどと言われたが、今はどうでも良い他人の情報を捨てて、縄文人のように本物に触れよう・・かな。

7/10 心理学の世界と縄文

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神仏と親密になる・・今も縄文時代も (6/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-21 | 第十一章「五感で面白おかしく」

まだ、銀杏が色づく季節ではないが、真っ黄色な銀杏を見ると、校庭の大銀杏が黄葉し美しかった高校生の時の幸せ感を思い出す。入学し、校風に触れ秋には文化祭などを堪能したりした。祖父も同じ高校に通っていたこともあり入学を喜んでくれたが、美しい秋が過ぎ冬になると老衰で亡くなった。それから卒業までの2年間は良い意味でも悪い意味でも激動の時期だった。当時は学生運動の盛んな時であり、高校でもバリケードが築かれたり、ロックアウトが長期間行われた。高校の印象はあの幸せ感から手のひら返しで、冷たい無力感となってしまった。

あれから、半世紀がたつがこの出来事は、私の場合はアイデンティティの問題にも影響したようだ。その一つとし、高校に入ったころは信じていた神仏との関係が変わった。神仏(人によっては哲学)は人のバックボーンして大事なのであるが、昨日お話したプロセススケールの7番目の親密になることを恐れる傾向があり、高校での不幸な出来事は無意識の世界に残り、神仏や哲学と親密になることをどこかで恐れさせるようになったようである。

伝統的な宗教において、神仏は本来人と結構親密なものである。これはキリスト教の三位一体(父と子と聖霊)の神様でも仏様でも、精霊などでも似ているのではないだろうか。私の限られた経験でも、祖父母は自宅の神棚や仏壇にお参りするのは毎日かかさなかった。母は伯母は毎週日曜日にはカトリック教会に行ってミサをあずかった。それは義務とか形式というより生活の一部で、神仏との親密さに他ならないと思う。

私と言えば、40歳代後半からカトリックの信仰に復帰した親密さは戻った。しかし、より親密な人も世の中には存在していることにも気がついた。

キリストが父なる神にむかって「アッパ、アラム語でお父ちゃん」と親密に祈るような親密性。私はここ一つ淡泊なのである。今考えると多感な高校生の時の出来事が無意識の世界に作用し、親密になることを抑制していたのかもしれない。まあ、今は年をとり、だんだんお迎えがくるのも近くなってきたせいか(笑)、親密さは日ごとに増してきているようにも思う。

さて、八王子には日本に一つしか発見されていない子抱き土偶が出土している。土偶の母の頭は残念ながら欠落しているが、横座りの母親が子供を実にしっかり抱えている土偶なのである。この子抱土偶と似た造形にサンピエトロ大聖堂のピエタ像がある。子抱土偶の子供のお顔が縄文中期の女神のお顔に似ているので、神との近さを表すのはやはり母子像なのかもしれない。ひょっとすると、このようなイメージは旧石器時代、ホモサピエンスが世界に拡散する前にあったかもしれない。

6/10 心理学の世界と縄文

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親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-19 | 第十一章「五感で面白おかしく」

「生き甲斐の心理学」を20年くらい学んできたが、私と貴方の関係のしかたに過去の心の傷というか、そういったことが原因となり親密になりそうになると避けたりする現象を学んだ。

関係は、親子、友人、男女、神仏・・・いろいろあるように思う。また、心の傷?となるような過去の出来事と背後の感情・・疑惑感、罪悪感、劣等感・・もある。

年をとってからの傷は、年齢を重ねるうちに思い出して簡単に大人の解釈で、「それも自分の成長の糧になったな」などと思い返したりするが、幼いころのことは、無意識の中で残るものも多いと思う。しかし、記憶に上るものの中には無理のない範囲でのんびり自分と対話をする中で、幼いころに缶詰のように当時の解釈で固定化されイメージを解放することも出来るようであった。

今思い出しているのは劣等感に関するものであるが、劣等感というのは人を謙虚にし学びを育んだりするものとして大切だが。時には自信喪失を招くだけでなくいろいろな人間関係に暗い影を落とすこともあるようだ。小学校から思春期、青春時代の思い出はいろいろあるが、関係の仕方に悪い影響を与えることもあるようだ。しかし、広い世界に触れていろいろな幸福感を体験する中で固執的な思いから解放されることもあるようだ。啄木の次の有名な歌は、かなり他面的な歌であるが、この多様な幸福感ということでも納得できる。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

先週、楽しい語らいの中で自動車教習所の話題があった。昔、私は非常に運転は苦手で、学生時代にはせっかく教習所に通ったものの挫折した経験まであった。当時は随分個性豊か(笑)な教官も多かったようだ。

さて、縄文時代を学ぶ中で、下手な土器のことを思い出した。昨年だったか、制作途中で何となく歪んだりした、下手な土器の展示を2カ所で見たが、何となく親しみも持てる歪んだ土器などは、一説によると土器作りの工房などで外に出せない土器として、ちょっとした道具として使ったのではないかとか、いろいろな推測があるようだ。

実際は本人に訊いて見ないと分からない問題で、今も縄文人も同じだと思うが、劣等感の原因となったり、あるいはうまく処理ができず関係の仕方に悪い影響を与えた可能性もあるかもしれない。その土器制作者は、失敗をバネに土器作りの名人になったかもしれないし、別の畑の漆職人になったかもしれない。その痛手で男嫌いになったが、最終的にはめでたく結婚をしたり、あるいは神官になったかもしれない。さまざまな妄想は今日も健在である。

5/10 心理学の世界と縄文

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天国や極楽のイメージは大事・・今も縄文時代も(4/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-14 | 第四章「愛とゆるし」

死のイメージ・・これは信じる宗教や信条、あるいは文化によってかなり違うと思う。最近の経験だがFacebookを私はやっているが、時々訃報が届くことがある。その時Facebookではイイネ、超イイネ、かなしいね、などいろいろ感情をクリックして伝えることができるが、例えば米国の方と、日本人とかを比較すると、日本では考えられないかもしれないが、米国の方は訃報に超イイネで応答する方も結構いらっしゃる。

さらに、最近は自分も経験あるがペットの死ということもある。私も幼い頃から愛犬など何回か亡くしたが、一人一人捉え方が違うと思うが時には、人間以上にショックで引きずったりする。ペットと死後会えるだろうか。

さて、そんな中、恩師U先生から昔紹介された、「天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド」(アンソニー・ディステファーノ著 卓利美奈子訳 主婦の友社)を読み返した。10年以上前に読んだ時はまだ天国?や死が今より迫ってなかったようで感動はいまいちだったように思うが、今回は結構感動した。

この本はキリスト教の教義を基本に書かれたものあるが、なかなか楽しい本で、私にとってはカトリック信徒であることもあるが、救いや気づきが沢山あった。早く天国に行ければとも思ったり。

では仏教、神道などではどうだろう。狭い経験で恐縮だが、父方の祖先が浄土真宗と縁があり、葬儀や法事などで仏説阿弥陀経と接することが多かった。何回も法事を重ねていくうちに、このお経も心にのこる極楽のイメージがでてくる話であることがわかった。

私たちは宗教の有無を問わず、天国や極楽のイメージをきちっと持っているのだろうか。何か欧米などと比べると希薄なような気がするのは私だけなのだろうか。また、30年、50年前といった時代と比べても天国や極楽のイメージは希薄になっているようにも思う。

今は暗い話が世を覆い、テレビなどを一日つけてニュースなどをずっと見ていると、暗い感情が一日を覆いつくし、二日目くらいになると変になってくるように思う。こうした時に、天国や極楽のイメージを少しでも思い出したらどうだろうか。結構救われるのでは。もちろん天国のイメージだけでなく、瞬間的に幸福感を得られるイメージをもっていることは大事だと経験上思う。

さて、縄文時代はどうだったのだろうか。縄文時代の人はどんな死生観を描き、どのような人間観を持っていたのだろうか。文字での神話ははるか後代に残された記紀などの一部に面影を残していると考えられてもいるが、実際の遺跡からの遺物や遺構も語ってくれるようだ。東京などでも、出土した美しいヒスイやメノウ、あるいはお墓に一緒に埋められた副葬品としての注口土器などを見たり、あるいはストーンサークルで美しい景観を縄文人が見たように見ていると、彼らの天国のイメージの一端がその真善美をとおして伝わってくるように感じる。

今は、何故か日本の国葬、イギリスの国葬が話題になり死生観を考える絶好の機会ともいえるが、ついでに縄文時代の祖先の死生観、天国のイメージを考えるのも悪くないと思う。

もちろん大変難しい問題でなかなか分からない、あーあ悪あがきをしてもとも思うが、間もなく死んで天国に行く身であることを忘れないようにしよう。死んだら、縄文時代の例えば150世代前の祖先に簡単にあえる。そうしたら、じっくりと当時の天国観を聴けるだろう。注口土器と天国の関係とか。配石遺構と天国との関係とか。さらに300世代前の祖先は大栗川周辺の環状集落と天国の関係についても語ってくれるかもしれない。今の悪戦苦闘は将来の楽しみにつながるかもしれない(笑)。

まあ、今この世に何故存在したのかわからない人間にとっては、こうした死後の世界を妄想?をすることは決しておかしなことではないと思うし、よりよく生きる上でも大事な事のように思う。

一日の感情生活を暗い感情で埋め尽くさないで、楽しい明るい感情で対抗することも健康の面で大事だし。特に自己肯定・他者肯定になるような笑いが起こると天国にいる気分にもなる。

4/10 心理学の世界と縄文

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