イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

しっかり平安感を感じるスポット!(感情の世界⑫)

2010-05-31 | 第八章「魂と聖霊」
 10代、20代のころ、修学旅行や観光見物で京都や奈良などに行ったりし、その良さを表面的知識の面で判ったつもりであったが、本当に納得し、深い平安感を味わっていたかは何とも言えない。

 40代、50代となり、ちょっと苦労も経験し、何か自分の生き方の質が変わってから、平安感は味わえるようになってきたようだ。先日も筑波山に出かけたが、筑波山神社がある山の中を歩きながら、深い平安感を味わったりした。平安感を感じることは人生の喜びだと思う。

 神社仏閣などで、最近思うのは、祖先達も同じように平安感を感じたのだろうということである。時や若干の景色は変わっても、基本的に、同じような平安感を感じるというような・・・自分は、日本人で良かったと想ったりする。

 さて、10代や20代のころ、何故なかなか平安感を味わえなかったのだろうかと考えた。

 生き甲斐の心理学では、明るい感情(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)より良く感じるためには次の3つの要素を大事にしよう、と学ぶ。

 1.健全なアイデンティティ。生き方に二兎追うような矛盾がない。
 2.健全な防衛機制。例えば、感謝のこころがあるなど。
 3.健全な現実吟味力。日常の中で現実に即した判断が的確など。

 心理学用語なので、馴染みのない方は途方に暮れてしまうと思う(私も10年前に生き甲斐の心理学を学び始める前はそうだった)。そこで、この3つを自分の経験の中から、紹介してしていきたい。

 (このシリーズは「生き甲斐の心理学」(5章6章を参考にしています。U先生ありがとうございます。)

感情の世界⑫(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 13/60)

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明るい感情・階段だ!(感情の世界⑪)

2010-05-30 | 第八章「魂と聖霊」
《大人になれば、何か人生の目的を決めて、それに向かってまい進する。それが人生に真面目に取り組む道であり、幸福への道である》。この考え方は、いつの間にか身につけ、空気の存在のように疑うこともなかった。

 それが、ある日突然、その当たり前が違って見えるようになった。そして、《生き甲斐の心理学》を10年前から学びはじめ、段々それを言葉で表現できるようになってきた。理論も大切なのだろう。

何が変わったか。一つは、上記の幸福への道は、自分で幸福の目標を決めることだが、そんな目標に100%到達することは皆無であるということだ。ひょっとすると、死ぬまで到達できない。

 そして、これまでお話した理論で、感情が理想と現実のギャップとすると。常に暗い感情が基調になってしまう。

 目標中心の人生観。幸福の条件中心の人生観は、場合によって理想故に凶器となり、こころの健康すら奪うことがある。理想の仕事、理想の家族、理想の・・・。また、その理性的に決めた目標事態も正しいものか意外と怪しい。今は激動の時代でもある。10年前の常識は今随分変わった。

 人間の存在は、いつ死ぬか判らない儚いものでもある。父も人間ドックで健康に大変留意する人であったが、突然の病魔にあっけなく逝ってしまった。だれでも、そういう存在なのだろう。そんな中で、幸福の目標だけで生きるのは危険かもしれない。

 さて、ある日体験したのは、明るい統御感だった。身体の快感とは違う、こころの底からの明るい感情であった。その感情を体験するときは、何か大きな目標を達成したわけでもなかった。難しい難問が解けたわけでもなかった。ありのままの自分。ただ、存在するだけの自分が大きな喜びに包まれたのだった。

 読者の皆様は、既にお気づきなのだと思う。幸福への道は、目標設定だけでなく、感情(明るい感情)も充分考慮しなければならないということだと思う。幸福の条件のほかに幸福感など豊かな明るい感情の世界もあるのだ。

 明るい感情を獲得するのは、考え方次第で意外に簡単だ。野の花に感動したり、写真のブナの樹を見て嬉しく感じたりする。日常のちょっとした中に、天上の喜びを感じる。

 暗い感情の階段(ストレス曲線)。不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱の5段階と同様に、明るい感情(幸福曲線)を生き甲斐の心理学では5段階設定している。平安、友好的感情、健康感、幸福感、統御感である。

 明るい感情も暗い感情と同様に階段になっており、明るい感情の獲得はちょっとした訓練が必要とされている。私も一学徒であり、判らないところが沢山あるが、しばらく明るい感情についてご一緒に考えてみませんか。

 筑波山で見かけたが写真のブナの樹、清浄な雨水を吸いながら、天に向かって立つ姿は、杉とも異なり、何か豊穣な生命の神秘を語っているようだ。

(このシリーズは「生き甲斐の心理学」(5章6章を参考にしています。U先生ありがとうございます。)

感情の世界⑪(見えないものを観る、聞こえないものを聴く) 12/60)

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楽しい遠足の前の眠れぬ夜!(感情の世界⑩)

2010-05-29 | 第八章「魂と聖霊」
 昨日は、筑波山にバス旅行の楽しい一日であった。初めて筑波山に登ったり、霞ヶ浦で白鳥を観たり、そして筑波宇宙センターで最先端の技術見学をしたりした。

 筑波からの帰途のバスでは、宇宙食(お酒)を楽しく飲み、宇宙遊泳状態であった。素晴らしい人達との一日は実に楽しかった。感謝感謝の一日であった。

 さて、一昨日は、遠足の前の日状態で眠れなかった。私は寝付きが極めて良いのであるが、この日はどうも寝付きが悪かった。遠足の前の日のようであった。

 ≪生き甲斐の心理学≫では、沢山ある暗い感情を5つに分類する。不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱。このシリーズでは既に不安、怒り、ウツ、錯乱は取り上げたが。身体症状はまだであった。

 不安のまま、原因がそのままであると、暗い感情は怒りとなり、そして身体症状までアップグレードする。私の場合、昔から、心配事が身体に出がちであった。自律神経がまいってしまうのだろう。

 今思い出すと、内科に行ったり整形外科に行ったりした中に、こころの問題から身体症状に出たものも幾つかあったようだ。眠れないのも、そのうちのひとつのように思う。

 しかし、遠足の前日は何故寝つきにくくなるのだろうか?楽しい一日を明日に控え、明日を大事にしたいために寝ることに意識が集中し、それが心配の種になるのだろうか、明日の楽しさという健康感が寝られないという身体症状を誘発するのだろうか。

 楽しいイベントの前日に良く寝られるために、どうしたらよいか?理屈は兎に角、どなたか対処療法をそっと教えくださいね!明日も楽しいことがあるので・・・

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≪サクラン感≫から素晴らしい世界へ!(感情の世界⑨)

2010-05-28 | 第八章「魂と聖霊」
 暗い感情は、不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱と問題を放置すると、どんどんアップグレードしていく。その最終が錯乱感である。触れる世界がバラバラの錯乱である。

 ただ、暗い他の感情と同じように、意識、無意識の中での理想と現実のギャップから生じるのは同じである。自分にとって、印象に残る錯乱感はどうだったかと問われるといくつか思い出すが、ワースト3は次の3つだ。

1.17歳の時に、今までカトリックの信仰をもっていたが、ニーチェのツラツーストラは各語り  きを読み、神は死んだと思った。何でこんな世界に生きているのかと錯乱。信じるものが消え  た時だった。
2.28年務めた会社を辞める時。約1年辞める準備をして、こころの準備が出来ていたと思って  いたが、いざ辞める時に錯乱。
3.10年くらい前に健康診断で心配したとき。

 これらは、実際に取り乱すというより、自分の中に生じた錯乱感の強烈な思い出である。

 共通なのは、意識的、無意識的に今まで信じていたものが無くなったり、不確かになる。例えば信仰とか会社とか健康とかである。自分の今まで意識・無意識的に信じていた土台が消えてしまうときは、錯乱しやすいのだろう。

 ただ、錯乱感をふり返ってみると、自分の強烈な錯乱感ほど、自分は何の為に生きているのかと、自分のアイデンティティを考えるきっかけとなり、長い目でみれば、より深く人生の意味を考えるチャンスであった。そして、次にめぐり合う掛け替えのない統御感への道である。

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≪ゆううつ≫は幸福への道しるべ!(感情の世界⑧)

2010-05-27 | 第八章「魂と聖霊」
 ≪ゆううつ≫という感情を、昨晩から時折感じている。朝目覚めても、何かずっとベットの中にずっと居たい気分というか、そんな風な感情(といっても、今日は軽いものだ)である。不思議なことに、そろそろ暗い感情でウツを取り上げようかなと考えていたので、ラッキーなのかもしれないが。

 この今朝の≪ゆううつ≫を始めて味わったのは、どんな場面であったのだろうか?いろいろな≪ゆううつ≫が思い出される。人間関係。自分の人望。親から褒めらないこと。体力。学業。将来。それぞれ、その原型の記憶があるようだ。

 今日の≪ゆううつ≫。思い当たる一つの原型があった。8歳のころである。丁度アラスカから帰国して、しばらくしてのことであった。対人関係のちょっとした問題で、異文化ギャップから生じた自分の思い違いが原因だったが、どうもそれ以降の自分の人生に、暗い影を残してきたようだ。

 ある似た状況の中で、その原型が作動し、自分をゆがめているようだった。8歳のころの理解力・解釈(今から考えるとちょっと変)が深層を不合理に支配しているようだった。

 ≪ゆううつ≫は、無意識と意識それぞれにある、理想と現実のギャップから生じる。そして、その≪ゆううつ≫を解消するには、理想を下げるか現実を受け入れるかにある。意外と簡単な話である。
 
 過去の生育史がもとの、この≪ゆううつ≫は、良きと思うことをやっても、文化や状況によっては驚くべきことに、受け入れられることも受け入れられないこともある。そういう事実を深層で受け入れられずにいた為のようだ。その原型に関わったAさんに、理想を追っても空しいことに気づく。それが重要なようだ。

 そんな、気付きが今日の≪ゆううつ≫からあった。今は、ちょっと晴れやかな写真の≪幸福≫の気分。

(このシリーズは「生き甲斐の心理学」(5章6章を参考にしています。U先生ありがとうございます。)

感情の世界⑧(見えないものを観る、聞こえないものを聴く) 9/60)

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