イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

明るい縄文短編小説でも書こうか・・(2/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-01-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

人生は不思議な巡り合いで紡がれていくようである。

昨年はWebマガジンに「縄文時代の愛と魂」お題で、小説ではなくある研究会での講演内容を骨格にエッセイ(自分なりに学術的基盤もつくる意味があったが)を毎月投稿し始めた。その活動もあり、当初の第2段の小説はだいぶ遅れてしまった。ただ、縄文時代の人々がどういうアイデンティティをもっていたかについては、かなり自分なりに理解できたところがある。私は幼児洗礼を授かったカトリック信徒であるが、日本文化においては井上洋治神父などの研究はあるものの、今だ根無し草のような感じを持っていて、それゆえ日本の原型の縄文時代に憧れを持ったところがあった。人類は20万年前にアフリカで誕生し、6−7万年前にアフリカを出立して世界に散らばったという説は、遺伝子科学の進展でほぼ定説化されている。縄文文化も東アジアだけでなく世界の文化の一部であり、同時並行の世界では農耕文化が始まってくるが、縄文時代は狩猟採取文化の発展形の特異な文化を継続し、その文化の骨格であるアイデンティティの解釈は、縄文時代の理解を深めるだけでなく今後の社会の構築にも役に立つのではないかと感じ始めている。

一方、20年以上U先生から学び続けている「生き甲斐の心理学」は、比較宗教学や文化人類学を取り入れた臨床心理学であり、縄文時代のアイデンティティの解釈には相性が良く大いに役立っている。10年20年とご一緒に学んできた心理学の学友の皆さんと、日本人の心の原型などを縄文時代を話題に取り上げることは刺激的であった。さらに、人生は生まれ落ちてから死ぬまで、いろいろな出来事に遭遇し悲喜こもごも揺れるが、死ぬときには自分の過去を見渡しすべてを受け入れ感謝のなかで明るく逝きたいと思っているがどうだろうか。ところが、今年の初夢は富士山などは出なかったが、そんな願いをかなえてくれるような明るい夢であった。

そして、不思議な出会いから、いつできるか分からない長編小説(泣き)をさておいて、地域や子供さんを意識した短編小説を急遽書くことに決めた。私の生まれは都心のほうであるが、もう多摩に住んで30年以上経つ。なにか恩返しをしたいのである。

2/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。
テキストにご興味のある方はお問合せください。

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 


変化がある辰年のような時代を生き抜くには・・(1/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-01-26 | 第四章「愛とゆるし」

今年は元旦に能登半島地震と航空機事故があり、いつもと違う正月を迎えた。新年会で「辰年は大きな変化がある年」そんな挨拶に耳を澄ませたことも。人は大きな変化のある時に悩み、時に自分で背負いきれなくなり心の病に陥ることが多い。

元旦の事件のように運命的な事件に巻き込まれるとき。あるいは人生の大きな節目のとき、そして今日お話ししたい異文化に遭遇したとき。こうした時はかつての自分なりの常識がなりたたず、途方に暮れてしまうことも多い。その中でこころの健康を保ち生き抜くには、心のオアシスを見つけ育てていくことかもしれない。戦ってばかりいると人間は意外に簡単に参ってしまう。

心のオアシスはこうした時には、殆ど見えにくいが確実にあるはずだ。ちょっとした他者の善意にほっとするとき、普段ではなんだそんなものとネガティブにとらえていることが輝く。ちょっとした感謝と満足のこころが意外にもオアシスとなる。このオアシスを育てていくことで、新しい状況に適応できる生き方が生まれてくるようだ。

縄文時代の人々のことに想いを馳せると、もちろん今の時代に通じるような、恥の文化や穢れと禊の文化などが綿々と伝わってくることもあるが、人生の節目節目で行われたとおもうようなイレズミや後期になると抜歯などもあり、また、今の時代は科学的知識などは豊富だが、縄文時代を生きるには数百の植物や何十という動物などの知識も逆に必要で、ポンと私が縄文時代に飛び込んだらどのようになるのかと不安になる。縄文時代は明らかに違う異文化なのである。

異文化体験は最近は国際化が進み、多くの外国人をいろいろなところで見ることが多くなったが、ただ、毎日外国人と共に暮らすような生活はどうなのだろうか。また外国人ではなくても、日本の各地方ごとの独自の文化もあり、一緒に生活をする事態になって驚くこともある。私の場合も7歳の時に約1年アラスカで暮らしたことがある。

今でも忘れがたい経験の一つは英語が全くできない状態で、現地の小学校の女教師とのはじめての交流がある。父親とも別れ一人で教室に入り、低学年なのでクラスメートは勝手に中で活動していたが、机をはさんで先生と向き合った。先生は私の英語能力をみようと思ったのか、優しいまなざしで赤とか黄色の色紙を出して何色かを問うた。何も答えられず私は失望したが、先生は心配げな表情を浮かべても優しそうな眼差しを投げかけてくれた。それに背中をおされ意を決して「あか、きいろ」と答えた。そのときの自分の発した虚ろな言葉の響きを今でも覚えている。しかし、理解できない日本語を聞いた先生は、とたんに明るい顔をして私をクラスの生徒に日本語が話せる新入生として、明るく紹介してくれた。それが大きな励みで私はスムースに現地に溶け込んで行った。



先生の立場から言えば私を大切に考え、私が恐る恐る発した日本語を好意的にとらえ最大級に感謝と満足の気持ちを伝えてくれたことがある。もちろん、現地のキリスト教文化から導かれた人間観(人の身体は神の神殿)や運営方針が背景にあったかもしれない。また、私の立場からすれば7歳ということで心理学的には疑惑感や罪悪感が湧いても、意志力でもって行動する力が育ち始めていたこともあっただろう。また、母親がクリスチャンだったこともあり、その意味で祈りの世界が近かく、神仏を馬鹿にしなかったのもよかったかもしれない。そして、自分の中の自然治癒力というか適応力が働いて時間とともに溶け込めることができたようだ。

そんな経験もあり、蛇足になるが私は縄文時代の日本列島人を未知の何かではなく、愛そのものの魂を持つ人としてとらえ、同じような祈りを共有する人であることを前提としている。そして、考古学だけでなく学際的な民俗、伝承、神話も大切に勉強して理解を進められたらと願っている。

1/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著・監修2008年第3版 を参考にしています。
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縄文時代の自我を超え出る愛の文化(10/10 縄文世界を感じる時)

2024-01-06 | 第四章「愛とゆるし」

昨年は縄文時代に一番触れた一年だった。それは土器片であったり、写真のような縄文のランドスケープだったりである。その中でつくづく感じたことは、縄文時代の祖先達の熱い信仰であった。

何時の時代もそうであるが人が大切にするのは、信仰の対象である。祈りを捧げる対象である。そして、そこには真善美が集中して現れるように思う。古代ギリシャの人々は人間の姿は神の似姿という信仰ゆえに、美しい彫刻が作られた。日本の仏像や神像、神社・仏閣も信仰の対象として心をうつものが作られたのだと思う。ところで、縄文時代はどうだろうか。日本だけでなく世界の美術館でもひっぱりだこなのは土偶が一番だ。しかし、私は縄文時代の土偶だけでなく土器も当時の人の信仰の対象であったのではないかと秘かに思っている。火炎土器や水煙紋土器、勝坂土器をはじめ縄文土器の中には一流の美術品が多い。それは、信仰の対象だったのではないだろうか。

鉢巻をした人の顔がある深鉢(長竹遺跡 縄文後期堀之内1式)
写真は埼玉県立歴史と民俗の博物館
「縄文コードをひもとく」 特別展にて筆者撮影

特に、縄文中期の勝坂期(約5000年前)あたりからでてくる、顔面把手付深鉢は誕生土偶を食物の神を器(うつわ)化した土器であり、本質は土偶と同じ信仰の対象である。そして、その信仰は日本神話での男神イザナキと女神イザナミの国産み、神産み神話や黄泉の国の話でわかるとおり、ハイヌウェレ型の地母神信仰であり、死と再生の思想が底流にある。詳しくは、WebマガジンAMORに投稿した記事、特に10話と11話を参照していただければと思う。
縄文時代の愛と魂 | AMOR (webmagazin-amor.jp)

地母神の死と再生の物語を考えると、それは現代の伝統的な諸宗教の教義にも似ていて、例えばキリスト教の十字架の贖罪を思い出す。地母神の死と再生、めぐみの起源。これは例えば今の泥沼化し出口が見えにくくなっている戦争をやめる思想に繋がる。地母神を痛めつける人間を無条件にゆるし、さらにめぐみを与え続ける神。それはきっぱりとゆるす神であり、無条件に愛す神ではないのだろうか。エリクソンの人格形成論で出てくる、罪悪感や劣等感を解決するバックボーンになっていたのではないだろうか。

縄文時代の殺戮その他は、研究が進みつつある分野であり、かつてのように争いや殺戮がない社会というイメージはどうも間違いのようである。しかしながら、農耕・牧畜型の文化とは違い、戦争用の武器を製造していなかったことはほぼ定説であり、殺人も比較的少なかったということは確かなようである。

10,000年以上続いた縄文時代の文化には、こうした地母神の死と再生の思想があり、戦争を忌避し人々の心を安らかにする、自我を超え出るような愛の文化、ゆるしの文化が育まれていたとみるべきではないだろうか。

巻頭の写真は2023年12月22日(冬至)に田端遺跡より丹沢山系の蛭ケ岳に沈む夕日、残照、近くの境川周辺等
筆者撮影編集

9/10 縄文世界を感じる時

AMOR「縄文時代の愛と魂」に(⑪縄文時代の灯火)を掲載しました。こちら

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