イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ハワイでのんびり、元気をもらう!(厳しい時代をたのしく生きる 1/10)

2012-07-31 | 第三章「無意識の世界」

 約一週間、ハワイで楽しく過ごさせていただきました。今回は身内の仕事の関係でバリバリの現役の方ともお話する機会があり、厳しい仕事の現実をあらためて認識しました。今の時代は大変!

 いつの時代も楽ではないのですが、やはり現在は厳しい競争と激しい変化。私が30歳台40歳台に経験した以上に、厳しい時代だと実感です。思えば、日本の自死者がもう十年以上3万人を越え続けているのも、こうした厳しい在り方と無縁ではなさそうです。

 そして、その厳しい時代の対極としてのハワイ。気候は爽やかで心地よく、海も動植物も豊で美しく、そして人も天使のよう。ここは天国か?

 私は、ハワイに少年のころ、新婚のころ、壮年の家族旅行と過去3回行く機会がありました。しかし、過去3回の旅行と比べ、今回は最も楽しかった(かつての楽しい思い出も良かったが)。それは、さまざまな要素がありますが、U先生の「生き甲斐の心理学」の理論からすると、自己実現の領域がより健全になってきていることかもしれません。

 3つの問いかけが、この自己実現では大切にされています。①何のために生きているか?②生き甲斐はあるか?③自分の身体、生育史、魂を大切にしているか?の三つです。そして、この3点を忘れないようにしていると、何かが変わってくる。

 今回の旅行では、ちょっと事情があり、精力的に歩き回れなかったのですが、知人から勧められた箒木蓬生さんの「聖灰の暗号」という小説を読むことができました。13世紀のフランス、カタリ派への宗教弾圧を題材にした推理小説で、以前読んだ教科書的なダン・ブラウンの「天使と悪魔」とは違った意味で、宗教や心理学の問題を考えました。それは信じて見えるもの、見えないものという視点に関することです。

 おそらく、私が4回訪れたハワイも、時代と共に変わってるのでしょうが、変わらない部分、自然などの風土があるはずです。それなのに、その印象が違う。それは、受け取る側の問題だったかもしれません。何かに囚われることは、人の常だと思いますが、それにより見えるもの見えなくなるものも変わってくる。

 ある方が言われてましたが、ハワイから帰ると、それこそ毎日7人の敵。そんな状況が現実なのでしょう。ただ、受け取り方、解釈の仕方一つでその意味も変わってきます。極端な例ですが、日本にもいらしたポーランド人のコルベ神父は、アウシュビッツで身代わりになり飢餓室で亡くなるのですが、その飢餓室の中でさえ、同室の方とミサを行ったそうです。厳しい状況下でも、幸福感と無縁でない。不思議な人間の特質と思うのですが如何でしょうか。

 毎日がハワイは当然ムリですが、考え方ひとつで、身近な現象から幸福感(ちょっとした)を得る。3つの問いかけと共に、忘れてはいけないことだと思います。

 厳しい時代をたのしく生きる 1/10

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知ったもん勝ち、こころの健康尺度!(みんなの性格形成論 10/10)

2012-07-23 | 第三章「無意識の世界」

 最近、太り気味で体調がちょっと気になっている。この一週間も体重計に乗って、少しは痩せたかなと気にしている。暑い日に、冷たい飲み物を沢山取ったり、辛いものを食べると、胃腸の調子が悪くなりちょっと痩せたり。甘いものや、食事の量を考えないでいると太ったり。適量を意識し制限をすると、わずかに痩せたり。

 これは、身体の話であるが、こころも実は同じようである。ロジャースの性格形成論の中には、細かくではないが心の健康に関することが命題11で載っている。こんな感じである。

 1.自分が問題なく受け入れられることは受け容れ、自分の糧となっていく。

 2.全く自分と接点がないようなことは、全く受け入れられず、気にもならない。

 3.中間的なものは、不安な存在で意識に登るが、受け入れられなかったり、あるいは、だましだまし人の意見を借りて受け容れる。そんな感じである。

 そして、カール・ロジャースは、こうした状態を図る尺度を考案した。プロセス・スケールと呼ばれるもので臨床系の実務者に世界的に愛用されている。ただ、これは、訓練次第で誰もが身に着けることができるので、生き甲斐の心理学を学ぶときに大切にされ、私も学び、生活の中で役立てることができる。

 身体だったら、体温計、脈を図ったり血圧を測ったり、そんなことで状態が判るが、こころの状態もプロセス・スケールで判るのだ。

 プロセス・スケールは7種類(1.感情の個人的意味づけ 2.体験過程 3.不一致 4.自己の伝達 5.体験の解釈 6.問題に対する関係 7.関係の仕方)があり、生き甲斐の心理学ではそれぞれ3段階(高、中、低)評価する。

 詳しくは説明できないが、例えば「一房の葡萄」の「僕」の状態は、次のようである。テキスト「生き甲斐の心理学」をお持ちの方は136ページ等をご覧いただければ理解が増すと思う。

 絵具を盗む前:

 1.感情と個人的意味づけ: 低  (恐らくあるはずの、ジムへの嫉妬感情が感じられない、自分のものとは思えない)

 2.体験過程: 低 

 3.不一致: 低

 4.自己の伝達: 低 (最後にはにかみ屋だったことを告白している)

 5.構成概念: 低 (絵具に対する固執など)

 6.問題に対する関係: 低

 7.関係の仕方: 低

 

 小説の最後の状態

 1.感情と個人的意味づけ: 中 (少しいい子になったということで、感情の存在が判ったのでは?)

 2.体験過: 中

 3.不一致: 中

 4.自己の伝達: 中 (少し、はにかみ屋でなくなった)

 5.体験の解釈: 中 (絵具に対する固執がなくなっている。)

 6.問題に対する関係: 中

 7:関係の仕方: 低 (先生との関係が、いまだに避けられているようなニュアンスを感じて)

 

 全体的に低から中に改善されている。自分自身のことを考えても、日々の生活の中、いろいろなことが起こり、時に低になったりするも当然ある。ただ、「生き甲斐の心理学」を学んでくると、低ー>中ー>高に流れやすくなるようだ。逆に、高ー>中ー>低の流れもあるのだが、こういう時は問題である。

 9月30日(日)午後14:00~16:30 八王子の駅前のクリエイトホールで「生き甲斐の心理学」を楽しく学ぶ会を開催する予定である。是非とも、ご参加いただければ幸いです。

 みんなの性格形成論 10/10

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 p.s. 7月24日から30日まで夏休みの外出のため、連載を休みます。

 


他人の眼が気になる・・・でも自分は自分!(みんなの性格形成理論 9/10)

2012-07-22 | 第三章「無意識の世界」

 孫娘は3歳になる。人の成長は凄いもので、数か月前には見せなかった疑惑の表情などを時として見せる。自分にだけかなと思い周りに訊いてみると、自分だけでなく外の人にも同じように疑惑の表情を見せるという。

 今回は、ロジャースの性格形成論を扱っているが、生き甲斐の心理学でもう一つ学んでいるエリクソンの理論では、2-4歳になると疑惑・恥辱と共に自律性と意志力が芽生えるそうだ。急に大人のような疑惑の目を見せても、暖かく見守ってあげたい。

 さて、疑惑が生まれるのも、世の中は、自分だけでなく他人がいるからなのだろう。U先生から深層心理学では「自分以外の他人は驚きの対象」と考えているんだと教えていただいた。へえ~と思ったものだが、子供を観察していると納得する。自分の大昔の記憶を辿ってみても、自分のしたいようにすると、親をはじめ他人は何か言ったり、時には叱ったりされたものだ。

 気持ちよく、お腹を出していると、雷様がおへそを取りに来る・・・とか。・・・すると、いい子だねとか。・・・すると、いつもと違って厳しく窘められたりする。その時は、訳が分からず、30年後にわかったりすることも。

 自分の歴史は、他者が介在する歴史でもあるようだ。そして、勿論、性格はそうした他者とのやり取りを通じて形成される。このあたりの、事情をロジャースは次のように命題9、10で説明している。恐ろしく難解で(原文を見たいというかたは、Wikipediaで見られるが、原文も難解なのでお勧めしない)、日曜日に、ゆったりと難しい文章を解明してみたいという方のみチャレンジください。

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 命題9:環境との相互作用の結果として、とくに、他人との評価的な相互作用の結果として、自己の構造(the structure of self)が--<わたしは>もしくは<わたくしに(を)>の特質や関係についての知覚の、体制化された、流動的な、しかし首尾一貫している概念形成(conceptual-pattern)が、これらの諸概念と結びつけられて諸価値とともに--形成される。

 命題10:いろいろの経験にむすびつけられている諸価値や、自己構造(the self-structure)の一部である諸価値は、ある場合には有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投射され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪められたかたちで知覚されるものである。

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  さて、こうした特性は、それにより幸せになれる恩恵がある。私が記憶している中では、さまざまなしつけや教育というものもあるが、トラウマのような事件で命題8で救われたこともある。小学校の3年ごろ、夏の海水浴場の飛び込み台にひっかかって危うく溺れるところを父に助けられたが、翌朝、その飛び込み台が台風で浜にひっくり返っているのを見て、父が飛び込み台に「ざまーみろ」と言ったことで、何かすっきりした経験がそれかなと思う。

 勿論、その反対に、過度に他人の目線が気になり、それにより一喜一憂するような不安定に陥ったことも。今回の「一房の葡萄」も、だんだんジムの存在が気になるようになり、異常な事態になっていく。これは、昨日のブログで書かせていただいたように、最終的には乗り越えていくが(若い女教師のお蔭もあり)、その途中は実に大変である。

 最後は、ジムとの和解により、変な競争関係が克服され、「僕」に平安が訪れる。それは、バランスを取り戻し、元のように海岸で海や船を見ていた「自分」に戻った時でもある。

 みんなの性格形成論 9/10

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「一房の葡萄」は少年の嫉妬の話!  (みんなの性格形成論 8/10)

2012-07-21 | 第三章「無意識の世界」

 ロジャースの性格形成論の中には、ロジャースの心理療法の神髄の命題(17~19)も載っている。これは、自分の中の暗い感情を統合し成長することで解消していくプロセスでもある。

 ところで、もう一週間以上お付き合いしている「一房の葡萄」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

この話は、主人公の「僕」が何か暗い感情を持っていて、学友のジムの絵具が欲しくなり、盗んでしまう。そういう事件がらスタートする。そしてご存じの展開になるが、最後には若い女教師から一房の葡萄をジムと「僕」が一緒ににいただいて、「その時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。」という。

 どういう暗い感情が統合されたのか?「生き甲斐の心理学」を学ぶと、分析のためのカルテの書き方を勉強するのだが、如何であろうか。

 その暗い感情は、欲しい絵具に対し「なんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれない」ものである。そして、絵具を盗むという強い情動をうむ。また、ジムに対し強烈な疑惑感も感じたりしている。

 そして、短編の半ばくらいから僕の大好きな若い女教師が突如登場する。そして、絵具を盗んだ犯行が友達により発覚し、ジムを含めた友達によって連行され、若い大好きな女教師の前に立たされる。

 私は、初め気付かなかったが、何回か短編を読んでいるうちに、美しい女教師とジム、「僕」が三角関係で、「僕」には嫉妬が無意識に働いていたように思えてならない。そうすると、小説の前半に、「ジムは僕より身長せいが高いくせに、絵はずっと下手へたでした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨(うらやま)しいと思っていました。」という説明が判る。直接的に書いていないが、若い先生を巡ってジムに嫉妬していたのではないだろうか。

 嫉妬というと、ギリシャ神話の女神ヘラを思い出す。奔放なゼウスの度重なる浮気に、強烈に嫉妬し仕返しをする女神である。嫉妬から生まれる強烈な女神の神話を思い出すと、少年が絵具を盗むなどかわいいもののように感じてしまう(でも、無垢な少年ですら犯行に駆り立てる感情と言ってよいかもしれない)。

 このように考えると、女教師がジムをとりなし、和解させ、無益な競争を解消しようとしたのも理解できる。

 私も実感した経験があるが、嫉妬の感情は競争関係を意識化し、その意味(何のために生きているのか)を深く考え、近視眼的な競争状態から心理的に離脱する(悟る)ことで、かなり解決できるようだ。女教師は、難しい話は一切しなかったが、「一房の葡萄」が聖書を象徴するようで、嫉妬を乗り越えるSomethingを伝授したように思える。

 みんなの性格形成論 8/10

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情動を理解するとホントに世界が変わる!(みんなの性格形成論 7/10)

2012-07-20 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は、午後多摩センターで内田樹氏の「街場の文体論」をやっと入手した。そして、早く読みたいという情動のお蔭で夜の読書が楽しめた。

 この「街場の文体論」文体論というので一流作家の文章読本のイメージを当初持っていたが、無意識の話や情動の話など、今の私の関心そのもののテーマでワクワクしている。

 さて、「街場の文体論」の初めの方に電子書籍が何故はやらないかという問題がでてきた。内田氏によると、紙媒体の書籍は、本の厚みから本のどこら辺を読んでいるのか(半分くらいか、あとちょっとか)が直ぐ判るため、自分の読了した状態や読んでいる今の状態が想像でき、それが情動と繋がってくる。一方電子書籍は、本の厚みがないので、見通しが持ちにくく情動が湧きにくい。良く判るお話であった。

 そうなのである。情動には、ウマの鼻先につるす人参のようで、完成の具体的イメージが大切なのである。そして、それが現状に影響を与える。

 ひつこいと言われるかもしれないが、一房の葡萄にも事例がある。「僕」が絵具を盗むという問題行動にでたのもジムの絵具で「美しい海や船」を「僕」が描くイメージがあればこそである。

 ロジャースの19の命題の中の情動の命題は次のように説明している。臨床心理学の歴史を背負っている文章なので判りにくいが、情動をこれほどきっちり説明している文はない。現象学を基盤にした19の命題は心理学だけでなく、政治、経済、哲学にも影響を与えているといわれるの是非味わっていただきたい。

命題6:情動は前述のような目的指向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追及的様相が完成的様相に関係しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。

 情動は自分の人生にプラスに働くこともあるが、マイナスに働くこともある。情動のかじ取りが上手なら、情動を自己実現のためのエネルギーに転嫁できるが、そうでないと、情動でドライブされた行動で他人を傷つけたり、自分が傷ついたりする。さらに習慣化すれば悪癖になってしまう(命題8だが)。

 自己事例を考えてみよう。私は40歳台のある時期、ストレスの中で、ゲームソフトに一時的だがのめり込み(逃避)、深夜までゲームをしていたことがあった。そんなある日、ふと「自分の人生の時間をこんなことに費やして良いのだろう?」と気づき、それ以降パタッとゲームを辞めた(勿論、それによりプラスの面もあったが、思い切った)。

 また、30歳台のときに体調を崩しタバコをやめた時も、人生でやりたいことがまだあるのに・・・という気持ちが重要なモチベーションであった。

 生き甲斐の心理学で考えると、自己実現の3つの問いかけ。「自分は何のために生まれてきたのか?」。「生き甲斐は何か?」。「自分の魂、生育史、身体を大切にしているか?」が情動の舵取りに大切な問いかけだったと思う。

 ちょっと浮世離れした問いかけに思えるかもしれないが、試されては?

 行動や思考は感情と違い、それ自体では傷つかない(行動や思考の結果として感情を傷つけることは勿論多いが)。従って、自己実現のことを考えたり、自他肯定的な思索をしたりすることが結局は重要ではないか(私のケースだけで一般化はできないが)。自分で納得しなければ始まらない。

 写真の公園の水どりの親子。

 親の姿を見て子が育つのも、こうした自分の将来像をイメージで、情動の助けがあるのだろう。人も親の後ろ姿で育ったり。師の姿。神仏の姿などが、情動を舵取りする上で、完成的様相として大事なのである。

  みんなの性格形成論 7/10

 
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