イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

慈眼、邪眼:きょうはちょっと持統天皇 (10/10 心理学の世界と縄文)

2022-10-06 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文大好きの私であるが、この二日間は1300年前の持統天皇のことについてずっと考えていた。もともと「生き甲斐の心理学」の関係で10年間も持統天皇のことを研究していたこともある。写真は吉野。かつて持統天皇も頻繁に訪れた吉野宮の近くだ。宮廷詩人の柿本人麻呂も持統天皇を称える本当に美しい長歌を残している。

持統天皇は飛鳥時代の女帝で夫の天武天皇の時代から孫の文武天皇のころまで政治的に数々の影響力を残された。律令制の確立、藤原京造営、記紀だけでなく万葉集の編纂にも深く関与された。そして宗教についても仏教だけでなく伊勢神宮の遷宮を確立したとも言われる。これだけの偉業を成した女性天皇。それも傀儡ではなく実力者としてだ。恐らく世界的に見ても傑出した政治家だったと思う。

さて、持統天皇は縄文時代研究にも関係がないとは言えない。U先生から教えてもらった愛読書の「エリアーデ世界宗教事典」で日本の神道の項目を見ると9ページ程度の説明があるが、その約1ページをイザナミ、イザナキを中心とした神話が紹介されている。持統天皇の時代には記紀の編纂が成されたので、その世界にも有名な日本神話にも何らかの影響があったかもしれない。縄文時代のイザナミ・イザナキの神話に最近興味がある私にとっては、胸がときめいてしまう。まあ、神話はこれくらいにしよう。

ところで、持統天皇のことを考えつつ、今気になっていることは、邪眼と慈眼のことである。多摩でも道祖神として路傍の石像が今でも大切にされているが、邪眼と慈眼の思想をどこかに残しているようだ。邪眼、邪気を避け、慈眼を引き寄せたい。それは今も昔も、どの地域でも残されている願いかもしれない。

外に出れば7人の敵とも言われ生き抜くためには、いつも慈眼ということは出来ない。どうしても自己肯定・他者否定の邪眼に傾きがちな世の中だ。「生き甲斐の心理学」を学ぶと、自己肯定・他者肯定の慈眼の大切さはわかるのだが、今は実に難しい時代だ。

5000年前の縄文人、3500年前の縄文人、1300年前の持統天皇、5年前の私、今の私。自他肯定の慈眼が優勢だったか、邪眼が優勢だったか。

まあ、朝起きたときと寝るとき。感謝の心を思いだし、慈眼を心がけよう。

10/10 心理学の世界と縄文

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

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  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ (7/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-23 | 第十一章「五感で面白おかしく」

人間にとって理性は大事ではあるが、感情もそれに劣らず大事である。そして、感情・喜怒哀楽の世界と切っても切れないのが視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚といった五感。さらに五感は不思議なことに真善美の世界とも深く繋がるようだ・・・

さて、その大事な五感であるが、縄文時代の文化に親しんでいる私は、豊かな縄文時代の土器に触れたり遺跡に行ったりする中で、彼らの五感の確かさに感動することが多々ある。彼らの温もりを5000年とかの時の流れを越えて感じることすらある。そんな経験の中から、私達は五感の使い方で本当に健全なのかと時々気になるようになってきた。特に、自分の五感からよりも与えられた情報を大切にしすぎているのでは、と。美術展や音楽会に行っても、絵画や楽曲より先に説明書きやプログラムに触れ、それは良いかもしれないが、過度となりプログラムを鑑賞しているのか音楽を鑑賞しているのか分からなくなったりする。食べる味覚の世界もそうだ。実際の味や食感よりワインだったらそのラベルがものをいったりする。昔は口にいれて食べるのを辞めたりしたが、今は賞味期限のラベルで判断したりする。

私はもともとIT企業に長年勤めていたこともあり、デジタル化にはかなりなじんできたほうだ。しかし、この20年間は、U先生から心理学を学び、その影響もあって医療・介護・教育といった世界を身近に見るようになったりした。そんな中、コロナ禍でリモートの世界が拡大し、それは我が身にも及んできた。最近はZoomなどのリモートの世界が本当に身近になりそれなしでは生活が成り立たなくなってしまった。

そして、あらためてデジタル化の限界も知るようになる。U先生は心理療法の世界でリモートは問題だと早くから言われていた。さらに、私の知人の医者に尋ねても、診断の場においてはリモートは駄目だと断言されていた。なぜ問題なのかも、わたしも遅まきながら気がついてきた。リアルとリモート。五感がうまく作動しないのか、感情の伝わり方がやはりかなり違うのだ。情報という意味ではリモートは手紙やメール、電話などには負けないかもしれないが、伝わるはずの感情はリアルとは随分違う。そんなことであらためて映画などの映像芸術などを見ても、やはりリアルに比べて伝わらない感情の世界を工夫してつたえようとしていることに気づく。

さて、縄文時代の文化は、戦後岡本太郎さん等芸術家によって発見されたと言ってもよいかもしれない。そして、縄文ブームのような現象が最近起こっている。これは日本だけでなく世界も注目しているようである。また、私も縄文時代に凝り始めてまだ10年も経っていないが、先輩諸氏の熱烈な思いは縄文土器に触ったり、遺構・遺物に五感で直接的に経験していく中で育まれてきたと思っている。

縄文土器。その破片でも良いがそれに触れた瞬間に、何千年か前にその土器を作った人と繋がる。それは五感をとおし、何か真善美を感じる瞬間と言っても良いかもしれない。運が良いことに、縄文時代の情報は、最近分かってきたことが多くなってきたとはいえ、日々の生活で触れる情報過多とも言える世界とは一線を画している。いつ、どこで、だれが何の為に、どのように、何をしたか・・など5W1Hは全くはっきりしない。従って五感でしっかり事物に触れることが認識の基盤に据えられる可能性が高いのだ。

それで良いならいいが、私は生き残るためにも、あるいは真善美に近づきつつ心豊かな人生を送るにも、五感を本当に大事にして生きることが大事だと思う。縄文文化は10,000年以上続いたといわれるが、日本の約1,300年程度の文化、勿論西欧の文化もそうだが大丈夫なのであろうか。

五感体感を大切にすること。感情の世界も大事にすること。これがこれから益々大事になると思う。昔は書を捨て旅に出ようなどと言われたが、今はどうでも良い他人の情報を捨てて、縄文人のように本物に触れよう・・かな。

7/10 心理学の世界と縄文

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神仏と親密になる・・今も縄文時代も (6/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-21 | 第十一章「五感で面白おかしく」

まだ、銀杏が色づく季節ではないが、真っ黄色な銀杏を見ると、校庭の大銀杏が黄葉し美しかった高校生の時の幸せ感を思い出す。入学し、校風に触れ秋には文化祭などを堪能したりした。祖父も同じ高校に通っていたこともあり入学を喜んでくれたが、美しい秋が過ぎ冬になると老衰で亡くなった。それから卒業までの2年間は良い意味でも悪い意味でも激動の時期だった。当時は学生運動の盛んな時であり、高校でもバリケードが築かれたり、ロックアウトが長期間行われた。高校の印象はあの幸せ感から手のひら返しで、冷たい無力感となってしまった。

あれから、半世紀がたつがこの出来事は、私の場合はアイデンティティの問題にも影響したようだ。その一つとし、高校に入ったころは信じていた神仏との関係が変わった。神仏(人によっては哲学)は人のバックボーンして大事なのであるが、昨日お話したプロセススケールの7番目の親密になることを恐れる傾向があり、高校での不幸な出来事は無意識の世界に残り、神仏や哲学と親密になることをどこかで恐れさせるようになったようである。

伝統的な宗教において、神仏は本来人と結構親密なものである。これはキリスト教の三位一体(父と子と聖霊)の神様でも仏様でも、精霊などでも似ているのではないだろうか。私の限られた経験でも、祖父母は自宅の神棚や仏壇にお参りするのは毎日かかさなかった。母は伯母は毎週日曜日にはカトリック教会に行ってミサをあずかった。それは義務とか形式というより生活の一部で、神仏との親密さに他ならないと思う。

私と言えば、40歳代後半からカトリックの信仰に復帰した親密さは戻った。しかし、より親密な人も世の中には存在していることにも気がついた。

キリストが父なる神にむかって「アッパ、アラム語でお父ちゃん」と親密に祈るような親密性。私はここ一つ淡泊なのである。今考えると多感な高校生の時の出来事が無意識の世界に作用し、親密になることを抑制していたのかもしれない。まあ、今は年をとり、だんだんお迎えがくるのも近くなってきたせいか(笑)、親密さは日ごとに増してきているようにも思う。

さて、八王子には日本に一つしか発見されていない子抱き土偶が出土している。土偶の母の頭は残念ながら欠落しているが、横座りの母親が子供を実にしっかり抱えている土偶なのである。この子抱土偶と似た造形にサンピエトロ大聖堂のピエタ像がある。子抱土偶の子供のお顔が縄文中期の女神のお顔に似ているので、神との近さを表すのはやはり母子像なのかもしれない。ひょっとすると、このようなイメージは旧石器時代、ホモサピエンスが世界に拡散する前にあったかもしれない。

6/10 心理学の世界と縄文

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親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-19 | 第十一章「五感で面白おかしく」

「生き甲斐の心理学」を20年くらい学んできたが、私と貴方の関係のしかたに過去の心の傷というか、そういったことが原因となり親密になりそうになると避けたりする現象を学んだ。

関係は、親子、友人、男女、神仏・・・いろいろあるように思う。また、心の傷?となるような過去の出来事と背後の感情・・疑惑感、罪悪感、劣等感・・もある。

年をとってからの傷は、年齢を重ねるうちに思い出して簡単に大人の解釈で、「それも自分の成長の糧になったな」などと思い返したりするが、幼いころのことは、無意識の中で残るものも多いと思う。しかし、記憶に上るものの中には無理のない範囲でのんびり自分と対話をする中で、幼いころに缶詰のように当時の解釈で固定化されイメージを解放することも出来るようであった。

今思い出しているのは劣等感に関するものであるが、劣等感というのは人を謙虚にし学びを育んだりするものとして大切だが。時には自信喪失を招くだけでなくいろいろな人間関係に暗い影を落とすこともあるようだ。小学校から思春期、青春時代の思い出はいろいろあるが、関係の仕方に悪い影響を与えることもあるようだ。しかし、広い世界に触れていろいろな幸福感を体験する中で固執的な思いから解放されることもあるようだ。啄木の次の有名な歌は、かなり他面的な歌であるが、この多様な幸福感ということでも納得できる。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

先週、楽しい語らいの中で自動車教習所の話題があった。昔、私は非常に運転は苦手で、学生時代にはせっかく教習所に通ったものの挫折した経験まであった。当時は随分個性豊か(笑)な教官も多かったようだ。

さて、縄文時代を学ぶ中で、下手な土器のことを思い出した。昨年だったか、制作途中で何となく歪んだりした、下手な土器の展示を2カ所で見たが、何となく親しみも持てる歪んだ土器などは、一説によると土器作りの工房などで外に出せない土器として、ちょっとした道具として使ったのではないかとか、いろいろな推測があるようだ。

実際は本人に訊いて見ないと分からない問題で、今も縄文人も同じだと思うが、劣等感の原因となったり、あるいはうまく処理ができず関係の仕方に悪い影響を与えた可能性もあるかもしれない。その土器制作者は、失敗をバネに土器作りの名人になったかもしれないし、別の畑の漆職人になったかもしれない。その痛手で男嫌いになったが、最終的にはめでたく結婚をしたり、あるいは神官になったかもしれない。さまざまな妄想は今日も健在である。

5/10 心理学の世界と縄文

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美しい怒りを胸に納める・・今も縄文時代も (3/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-11 | 第十一章「五感で面白おかしく」

「怒り」について考えている。特に神聖ともいえる怒り。私はカトリックなのであるが、美しい仏像など日本の宗教芸術を見るのが好きだ。穏やかのお顔の仏像もあるが怒る仏像もある。どこだったか奈良のお寺で曼荼羅図を見たが、その時たとえ怒りであっても、その感情の裏には神聖なものがあるように思った。純粋な怒りは美しいのではないだろうか。表面的な体裁を繕った言い訳がましい怒りなど、私を含めた凡人にある怒りと一線を画した怒り。魂(欧米では愛そのもので死ぬと身体から離れる生命体というような定義が多い)の怒りともいえるような。

また、怒りの中には何とも言えぬ自己愛の臭いがするような不健全な怒りもある。今の世の中、どうも美しい怒りが何か隠れがちで、どうも変な怒りが横行するような時代なのかなとも思う。アンガーマネジメントという言葉があるが、どこか違和感を感じる。

さて、このブログでも何回か語ったが、縄文土器の縄文中期の釣手土器の中に、優しい女神像(イザナミか)の何とも愛くるしいお顔で中の灯(カグツチのイメージを想像するが)が何とも印象的なのに、反対側に骸骨のような恐ろしい顔が描かれている土器がある。それはひょっとしたら激しい怒りの表情とも思えるが、それが女神の二面性を表していて聖なる意味合いがどこかに隠れているように感じてならない。このあたりは、最近「山麓考古 18」1995年、田中基先生の論文を読んでの感想だ。

もし、そうした釣手土器が、記紀に描かれているようなイザナミの黄泉の国の神話の一部を表しているとすれば、縄文時代にも神聖な怒りの概念があったとも言えるのではないか。

さらに、いくら神聖な怒りでも、それを放置することは危険であることは経験上言える。神聖な怒りの意味は非常に大事でじっくり考える必要はあるが、とりあえずそれを胸の中に収める(健康的に)必要があると思う。その一つが人類の知恵の防衛機制、フロイトの昇華が一番良いのではないか。それにはイザナミの黄泉の国の神話のように物語の構造をもつ。日本神話だけでなく、ギリシャ神話とか、世界の語り継がれた神話は神聖な怒りの処理のしかたにヒントを与えてくれる。

3/10 心理学の世界と縄文い

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