イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

忘年会・新年会の季節もそろそろ終わる、身体も大切にね!(防衛機制を考える 12/15)

2011-01-31 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今年は、楽しい忘年会・新年会に沢山参加し、結構お酒も飲んだ。そんなことで、ちょっと体重も気になったり、あるいは、ちょっと無防備状態の飲酒の習慣も気になったりする。

 チベット死者の書の80自性は実によくできているが、その中にも、心の働きに≪悪いことをあえて避けず、行おうとする心の働き≫。わかっちゃいるけどやめられない、である。

 フロイトの14の防衛機制では、ちょっと似たものとして退行がある。テキスト(生き甲斐の心理学)によると、退行とは≪現状が苦しいので幼少期に戻って快楽原則にひたりたい心理≫とあり、例としてパチンコや夜尿症があげている。

 自分の経験の中での退行。一番は40歳のころの、テレビゲームがある。会社のある方から、シムシティーの楽しさを教えて頂き始めたのがきっかけで、結構知的お遊びとして家で楽しんだ。しかし、良く考えると、そのころは、仕事、家庭で結構問題が山積している状態で、そんなことをするなら、身体を休めたり、もっと前向きなことをやるべきだった。

 でも、それで、こころのバランスを保ったところもあるようだ。

 しかし、ある時を境にテレビゲームはやめた。やめられた。

 何でやめられたかだが、やはり自己実現の3つのポイント①自分は何か?②生き甲斐は何か?③自分を大切にしているか?この3つの問いかけをどこかでしたのだろう。退行だけでなく、様々な防衛機制を自分でバランスとるためにも、大事な問いかけだと思う。

 こころの防衛機制を考える 12/15

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仲間は、とてもいいもんだ!(防衛機制を考える 11/15)

2011-01-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、府中でボランティアをした。このお仲間に入れていただいたのは、7年近く前のことである。今では気心も通じた仲間で、一つの方向を見ながら活動をするのは楽しいものである。

 生まれてから今まで、思い出せば、誰かと一緒という記憶が大半である。幼友達との遊び、幼稚園、学校生活(小学校の2年の時に一年アラスカの小学校に通った経験もある)、クラブ活動、社会人として組織に参加(私の場合は、純日本的組織もあれば、かなり違う文化の外資系企業の経験も)、労働組合もあれば、マンションの管理組合。勿論、親子をはじめとする、家族の付き合いもある。

 そして、想うのだが、仲間だなぁという感じは良いなと思う。ひょっとすると、天国かと思う時さえある。

 さて、こころに残った本の中で、≪甘えの構造≫という、最近亡くなった土居健郎先生の本があるが、2-3年前に再読したとき、日本人の文化の中に、フロイトの14の防衛機制でいう、同一化と日本文化の関係をいろいろ論じていることを今さらながら知った。

 同一化をテキスト(生き甲斐の心理学)で調べると、≪自分ひとりでは不安なので、自分以外のものと自分が融合した自他一体感をもとうとする事≫とある。

 外国人社会も同一化は当然あると思うが、日本人の眼からして、やはり日本独特の同一化の文化というものがあるように感じてしまう。その日本の文化の起源にも興味があり、NPOの仲間と一緒に古代、奈良時代あたりをいろいろ楽しんでいる。律令制度。官僚制度の始めはどんなものだったのかなど・・・木簡等面白いですね。

 自分にとっての同一化は良い面も沢山あったし、これからもお世話になると思うが、同一化で失敗した経験も沢山ある。自分の本音が判らなくなったり、大切な決断のチャンスを見失ったり揺らいでしまったりする。あるいは、何か変に裏切られたというような悲しみも味わったりする。冷静に考えれば、そういう錯覚・同一化のデメリットに陥らないですむのだが。

 教科書的な言い方になってしまうが、生きる上では、自分が同一化の機制の中にあることをこころの何処かにしまっておく客観性が重要なのだろう。勿論自分の経験からしか学べない。

 まあ、甘えるときと、甘えてはならないときをきちっと把握するということなのだろうか。

こころの防衛機制を考える 11/15

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あこがれのクジャク様、羽を広げてくだされ!(防衛機制を考える 10/15)

2011-01-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 多摩動物公園で孔雀に出会い、美しく羽を広げている写真をとりたいと思うが、なかなかそういう機会は得られない。でも、ひょっとしたら、という憧れが何処かにあり、動物園に行く時の一つの動機になっている。

 何かに憧れる。私は、同年代の1951年生まれの会に参加しているが、同年齢は成育史上共通の憧れの対象もあるようである。女性であれば、タイガーズのジュリーさん、男性であれば・・・私も、大学生のころ、一時天地真理さんに憧れ、昨日述べた短編小説を書いたときは、ペンネームを虹森マリオとしたものだ。

 私は洗礼名にマリアが含まれていて、その男性形のマリオをニックネームにしている。学生時代は、無意識にマリアを考えたかもしれないが、確実に天地真理のマリの方を強く意識していたと思う。

 さて、こころの防衛機制の中に、置き換えというものがある。テキストを引用すると、≪坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心理、あるいは、理科教師に好意をもつ生徒が理科が好きになる心理。≫とある。チベット死者の書の80自性にも、≪得たいと思っても得ることができない対象に執着する心の働き≫とある。

 そういった、こころの働き。自分でも意外なほど、苦境の時でもこころを健全に保つ働きをしていたことに気づく。馬鹿にできないのだ。勿論、こうした働きは、個人の成長を阻害したり、現状把握を狂わせるデメリットもあるが。

  こころの防衛機制を考える 10/15

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より綺麗に咲こう!(防衛機制を考える 9/15)

2011-01-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、うきうき太極拳のポスターとチラシを完成させた。成果が明確な仕事というのは、やって楽しい。ちょっと高価なワインを買って、祝杯もあげてしまった。

 そして、今朝もベランダの忘れな草を撮影する。接眼レンズだと、ピントがなかなか合わず、苦労したが、2枚ほど、良い写真が撮れる。小さい花であるが、本当にいろいろ。元気に咲く花もあれば、元気でない花も。

 昨年から、ずっと少しづつ読んでいる、ある神父さんのキリスト論の影響もあるが、人生は何だろうと今さらながら考えてしまう。人生は、チラシ完成と喜ぶ一面もあるが、時間の流れの中で見知らぬ所に流されていくような、怖い一面もある。

 今日は、こころの防衛機制の昇華について語りたい。

 昇華は、自分の欲求を自分の納得できる方法で発散させることとある(生き甲斐の心理学より引用)。自分の成育史を考えると、青春時代のことが思い出される。失意と混乱の高校生から大学教養過程を経て、専門課程に進んだころであった。工学部の友達が中心で、短編小説の文集を作ったことがある。

 自分でも読むのが気恥ずかしくなる文章であったが、恐らくそれを書くことにより、自分を統合したように思う。小説で昇華したのである。

 それから、就職し、結婚し、やがて子供にも恵まれ、仕事も順調であった。でも、40歳台になると、いろいろなことにぶつかるようになる。そして、ある時期哲学書を読んだり、昔の自分のことを思い出し、青春時代に書いた小説を読んだことがあった。

 その時に驚いた、おそらく20年前の小説の中で描いたことが、何一つ変わっていないように感じたからであった。心理学的に言えば自己構造が、余り変わっていない。その後、40歳台の後半に不思議なことから、その自己構造は大幅に変わってしまう。その変わるきっかけは、自分の昇華にどこか気づいたこともあったかもしれない。

 昇華は、青春時代の中で生きるための大切な防衛機制であったが、それは、40歳台になると、自分の成長の障害そのものになる。そういうことがありえるのだ。

 自分がどこかで、昇華しているということに気づく。変に罪悪感をもったり劣等感を持つ必要もなく、単に事実として認めるだけであるが、大切だと思う。昇華だけでなく、他の防衛機制も同じだが・・・

 しかし、昨晩のワインは美味かった!

こころの防衛機制を考える 9/15

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