イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

純粋に「今ここ」を生きる!

2007-10-31 | 第十章「今ここでの恩寵」

 幼いころ、よく柱時計を見つめていたことを記憶している。一時間ごとに、時の数だけ柱時計が鳴り、30分を示す時は一回鳴った。

 じっと短針と長針を、今鳴るかと見つめていた。長針が12時の位置を指し、時計が生き物のように鳴る様は、感動的な一瞬であった。

 父にしかられ、30分正座をさせられたときもあったが、その時も柱時計を見つめていた。時間がゆっくりと滞り、30分が長く感じた。

 当時(約50年前)の家の中は、今と比べるとテレビもパソコンも、ましてゲーム機も無く殺風景だった。そんなこともあり柱時計の印象が強かったのだと思う。

 大人になると、「今ここ」より、明日のことや、過去の出来事のことを考えることがずっと多くなった。会社から家に戻っても、仕事のことが頭を離れず、妻から呆れられた。

 生き甲斐の心理学を学び、過去や未来も大事だが、今ここが大変重要であることを学んだ。「今ここ」はリアルな感情の表出する場であり、その背景の自分の理想と現実認識の、思考や行動のリアルな場である。

 リアルな感情を体感するとき、自分の真実を発見することもある。感情は倫理道徳で理解するものではなく、光や音に反応するセンサーのように考え、ちょっと距離を置くのが良いようだ。怒り、ウツ、錯乱、不安・・・いろいろな感情があるが、それを感じてその意味を倫理道徳を離れ、思索することは大変重要である。

 幼い頃、純粋に今ここを生きていた。歳をとった今、幼い頃に戻れるわけではないが、沸き起こる感情を意識化し、自分の真実を見つめる作業は、よりよく生きるために重要な気がする。

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愛の修行!

2007-10-30 | 第九章「愛」

 秋の夕暮れに見えた、美しい雲。一仕事を終えてほっとした時でもあった。

 少年のころは、忍者のまんがを読んで影響されたのか、忍者の修行を夢見た。忍者はちょっと無理であったが、身体を使う遊びや体育は好きであった。小学校のときの特異科目は体育と図工!

 中学校も進学校であったが、長距離走なども得意であった。ただ、歳をとるとともにスポーツへの関心は無くなり今に至っている。

 スポーツなどの修行はちょっとあきらめ気味であるが、生き甲斐の心理学の修行は大切にしたい。そして、それにも関係するが、愛の修行をまじめにやっていきたい。

 神(心の親)を愛すること、人(隣人も自分も)を真に愛すること、・・・・・

 しかも、人知れず。

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月の光清ければ・・・・

2007-10-29 | 第九章「愛」

 昨晩は友人と、府中市内で十八夜の月を楽しんだ。寺院の上に月の光が清く輝き、身震いするようであった。空気も冴え、月も優しいイメージというより、お酒でいえば辛口といったイメージであった。

 先ほど、何気なく良寛さんの詩歌集を読んでいたら、びっくりするほどその時の気分を言語化した詩歌があった。

 「ひさかたの 月の光の清ければ 照らしぬきけり 唐も大和も 昔も今も うそもまことも 闇も光も」

 月の光、明星の光、そんな光を見ていると、自分が意識できる世界の時空を超えた存在を感じてしまう。

 月は秋の夜の楽しみかもしれない。

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日々の感情とのお付き合い!

2007-10-28 | 第九章「愛」

 台風で昨日は大雨であったが、今日は清清しい朝を迎えた。ベランダに出ると、ちょっと肌寒いが、空気がとても爽やかであった。朝の光が鉢植えの草木を照らすと、透明な光が満ち溢れる。

 ベットから起きる時は、今日のことを考えて、ちょっと憂鬱な気分であったが、朝の光ですっきりと満たされる。机の上には、読みかけの本が8冊おいてある。

 心理学関係の著書が2冊、経済関係の本が2冊、生物学関係の本が2冊、歴史関係の本が2冊。今更ながら、興味の範囲が広く分散しているのに気付く。ただ、こうした読書が、すべて心理療法の世界やこれからの生き方に繋がっている。分散しているようで、昔と比べ?統合されているアイデンティティである。

 今日一日がこれから始まる、朝起きてから、寝るまでの一日の心の動き、感情の動きはどうだろうと思い浮かべる。まあ、昨日と同様90%以上が不安感だろうなと思う。私は、外見はとにかく結構不安感に満ち溢れているのである。

 ただあの、天才ゲーテでさえ、75年の人生のうち幸福であったのは一ヵ月程度といっている。あとは苦痛と重荷であったと1824年に認めている。私も不安感だけはゲーテなみかもしれない。

 自分や他人の感情に興味を持ち始めたのは、生き甲斐の心理学を学んでからであった。以前は理性、ロジックが中心で、感情はどちらかというと本格的に学んだこともなく判らなかった

 感情をいろいろ観察し思索することで、いろんなことを発見する。全ての感情が真実を含んだ、何かのサインであると考えると神秘的にも思える。

 理屈ではなく、感情を通し自分を、他人を見つめていく人生の意味、いまは確信している。

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何で生き続けてこられたか!

2007-10-27 | 第九章「愛」

 今、こうして生きていることを思う。食事をし水分を補給し、息をして酸素を取り込み、日々飛び回って活動する。心臓は規則正しく鼓動し、自分のDNAはその不思議な2重螺旋の構造をもって、自己再生を休むことなく行っている。

 自分のこころの歴史も凄まじい。この世に生を受けて、56年たつが、乳幼児期、幼児期、青年期等を辿って今に至っている。その間、様々な人生の問題が、絶え間なくやってきている。今もこれからも、同様に様々な問題がやってくるに違いない。

 何で56年間生き続けてきたのか?と普段問わない質問を、自分に投げかけてみる。生きてきたのは当たり前と言わないで欲しい。すると、いろいろ見えてくるものがある。

 40億年に上る生命の歴史や、神仏の世界いろいろ考えることはあるが、こころの問題に今回は焦点を当てる。何故、あの困難なときに、乗り越えることが出来たのか。問題を悪い方向でなく、良い方向に導くことが出来たかなど。

 人それぞれ、生き続けるノウハウを持っていると思うが、私の場合は7歳のころの様々な出来事が大切だったと思う。そのころに体験したことが、希望力、人への信頼感、自立性を充分養ってくれたように思う。

 そして、もうひとつのポイントは、窮地で見得やプライドで内に籠もることもなく、最良な人に最適な相談ができ、助けて頂いたことも大きい。

 先日の十三夜のお月様を思い出す。天に感謝である。

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