イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

1951年、変な時代に生まれたのか?

2008-01-31 | 第二章「五感と体感」

 私は1951年に生まれたが、同世代の方々の考え方、感じ方、生き方にとても興味がある。同じような歴史環境に生まれ、育ち、生活し、そしてやがてはこの世から旅立つ。

 そんなこともあり、ミクシィで1951年生まれの会というコミュニティを立ち上げたが、参加していただける方がいらっしゃっり発展し続けている。感動である。

 ここでは、1951年生まれの私たちが、どのような特徴をもち、混乱したり、しっかり生き抜いてきたりしたかを考察したい。

 1951年生まれの人は、終戦後約5年目に受胎し、約6年目に誕生する。

 終戦後の6年間は食糧不足、農地改革、シベリア抑留者の帰還開始、日本国憲法制定、極東軍事裁判、湯川秀樹氏のノーベル賞受賞、下山事件、朝鮮戦争勃発、マッカーサーの罷免、日米安全保障条約調印と大きな変化の期間であった。

 そして、戦後のベビーブーム世代からちょっと遅れて誕生した。

 都内の病院で夜中に誕生した私であるが、翌朝には祖母が東京の工事事務所の父の所に駆けつけ、「生まれたよ!」と叫んだそうである。その光景を想うと胸が熱くなる。携帯電話はもちろん、電話もほとんどなかった時代だった。

 当時の時代を想うとき、ひとつの不思議な事件が気になった。アナタハン事件である。サイパン島の近くの島に、一人の女性と32名の男性(漁船が攻撃され沈没し生き残った)が終戦を知らず孤島で暮らした事件である。1951年に全員(20名)日本に無事戻るが、本来の配偶者が再婚し、悲劇を経験された方も多かったようだ。映画化された事件でもある。

 終戦時の、混乱と男女の姿を象徴しているように思う。そんな時代に生を受けることは、どういう意味を持つのだろうか?もちろん人それぞれの誕生で一般論は難しいが・・・

<同世代1/4>

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戦争を知っている世代をリアルに想う!

2008-01-30 | 第二章「五感と体感」

 学生のころ、フォークソングの「戦争を知らない子供たち」をよく口ずさんだものであった。当時は、大人と言えばだいたい戦争経験者であった。戦場に出かけた方はもちろん大変であるが、空襲にあったり、戦後の厳しい食糧難を経験した方も多い。

 父母も、直接戦争に出かけはしなかったが、父は終戦の時(1945年8月15日)が20歳、母は16歳であった。終戦の時に父母が何歳であったか今まで知らなかったが、今日このブログのために計算し、妙にリアルに戦争を実感した。

 皆さんも、大事な方の終戦の時の年齢を計算し、昔話などから当時を想像すると思わぬ発見がある。

 もちろん、若い父母が存在しなければ、私は存在しなかったことになるので不思議でもある。

 エリクソンの人格形成理論で父母たちのことを考えたり、最近、書店で様々な自分史年表関係の書籍で当時の環境を読み進めると、さらに、リアルに父母のことを感じるようになれる。

 父母たちの世代も高齢者となり、おばさん、おじさんの訃報をよく聴くようになってきた。

 父はずいぶん前に亡くなったが、亡くなる前の1年の記憶は、今でも意外とはっきりしている。入院したころの父、酒好きであったが止められていたので、良くノンアルコールビールを買って行ったこと。一時退院して、家族で父の郷里に戻り楽しい夏休みを送ったこと。

 後から、日記で夏休みの時点ですでに父は死を覚悟していたことが判った。そんな夏休みに、父と私でほんの30分くらい、二人だけで岬の上にある、もう誰も行かない荒れ果てた神社にお参りした。父が行こうというのであった。そこは、父によれば、同級生たちが出征するときに必ずお詣りにいった神社だった。

 戦争にも運よく行かず、一方で多くの友達を戦争で亡くした父は、死を前にして当時のことで心残りがあったのだろう。そんな夏を過ごし、秋になり、無理をして仕事に出かけ、それが元だったか急に亡くなった。

 高齢者に接することが多い最近であるが、戦争のインパクトは大きいようだ。ただ、戦争の様々な傷を、逆にばねにして、亡くなる直前まで考え方、感じ方がしっかりし、悠然と死を迎えられる方もいる。

 戦争を知らない私は、どのように人生の最後を迎えるのであろうか?

<父母の世代3/3>

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奈良のおじさん、吉野で死す!

2008-01-29 | 第二章「五感と体感」

 「母べえ」は良い映画だと思いつつも、作者の死生観にここ一つ承服できなかった。これは、私の信仰の問題でもあり、良い悪いの問題でないのかもしれない。ただ、正直な感想としてはラストシーンがさびしすぎた。

 良い映画の基準の一つは、自分の分身が、映画の中でたくさん出てくるということかもしれない。その意味では、父べえ、母べえ、子供たち、おばさん、奈良のおじさん、隣の炭屋さん、他沢山でてくる。

 生き甲斐の心理学を勉強している自分にとっては、鶴瓶さん演じる、奈良のおじさん、藤岡仙吉が興味深かった。主人公をはじめ、他の登場人物が揃って、時代の中でそれぞれ、しっかり生きているのに、唯一奈良のおじさんが、吉野で自殺とも想像できる死に方をされる。

 時代の考え方(変な言い方だけど)に同一化したり、自分なりの生きる考え方をきちっと持っているわけではなく、街角でトラブルをおこしたり、居候で煙たがれる。考え方、感じ方がちょっと不健康といってよい。

 今の時代も、奈良のおじさん的に、考え方感じ方が不健康な方も少なくない。もちろん時に、自分の中にも奈良のおじさん的な分身も感じられるので人ごとではない。ただ、藤岡仙吉氏は当たり前だが当時の時代環境の影響を強く受け、独自の成育史で生きてきており。時代が反映されていると思う。

 父母の世代は、さまざまな戦争体験の時代である。身近な私の父母はどうなのか、考えを深めてみたい。

<父母の世代2/3>

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「母べえ」を見ながら父母の世代を想う!

2008-01-28 | 第二章「五感と体感」

 日々五感・体感を通じて、現実を生き抜いているのが人間だと思う。その中で、自分の個性の美と周りの環境の相克は、どの時代にあっても激しいものがある。

 「どのように生きるべきか」の自分のアイデンティティの持ち方一つで、人生は大きく変わる。

 周りの環境は、必ずしも個性の美を認めてくれるとは限らない。そして、個人は自分のアイデンティティを適切に見直しつつ生き抜いていく。ただ、心の眼に曇りがあると、どんどん混乱していく。

 なぜ、混乱するかは、人生哲学の問題、防衛機制といったこころの仕組みが大きいとも言われている。

 昨日は吉永小百合さんが主演の、「母べえ」を観た。

 私の父母の世代より少し上の世代ではあるが、父母がよく話していた時代の雰囲気がよくわかる。私の成育史にもっとも影響を与えたのは、父母だと思う。そして、その父母の世代を知るにはとても良い映画であった。個人も大事でが時代背景を五感で知る(疑似体験かもしれないが)ことも重要だと思う。

 父母の世代は、今は80歳台が中心。人生の晩年期を迎えている。

 ここでは、3回、父母の世代を考えながら、人生をより良く生き抜く鍵を考えたい。

<父母の世代1/3>

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137億年の善意!

2008-01-27 | 第二章「五感と体感」

 昨日は、ミクシィのオフ会(インターネット、PCをオフにして出かける会)で楽しく過ごした。今日で運営期間482日のコミュニティで同じ年に生まれた人が集まるコミュニティである。

 この会の設立にもドラマがあった。たまたま初心者の私が、ある思いを持ち立ち上げたが、全く面識のない方々が、1週間もたたないうちに一人、二人と参加していただいた。それから始まったコミュニティで今もこうしてドラマがある。不思議な縁で結ばれた有難い仲間である。

 1951年に生まれ、インターネット、ミクシィを通じて知り合い。お互いの善意を信じて、集う。

 話は変わるが、昨日宇宙図について、ブログに掲載したが思わぬ反響があり、宇宙図を再度眺めたりした。この図を見ていると、私という存在が何か善意で育まれてきたような気がする。

 宇宙が137億年前に誕生する。ビックバンである。当初は11次元あったという説もあるようであるが、今は、この3次元空間と時間の空間の中に、私は何故か投げ入れられ存在している。投げら入れられたように見えるが、137億年の歴史が無ければ、私は存在しなかったに違いない。

 137億年の時間の背後に、私の両親、祖父母をはじめとする祖先があり、46億年の生命の歴史に連なる、さらには宇宙が始まる137億年前まで遡る。これに、Something Great、神仏の善意を感じるのは私だけであろうか?

 投げ入れられた私は、未来に向けて、善意をもって行動したいと思う。

 <真善美4/4>

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