イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

本当の回答は本人の中にある!

2008-06-30 | 第七章「光と復活体」

一卵性双生児でDNA的に一致している二人ですら、個性の違いは明確にでてくるといわれる。個性とは何か?良く考えると非常に不思議なものであり、一般的に考えられている環境や遺伝の影響以外の要素が将来見つかるかもしれない。

さてここでは、その不思議な個性を持っている人間にとっての、人生の様々な問題の回答のありかについて考えてみる。

生き甲斐の心理学では、回答は自分の中に確実にあると学ぶ。もちろん、自問自答しても、回答がこころの仕組みである防衛機制などの問題で、見えにくくなっていて、親切な方の支援も重要でもあることも確かである。しかし、真に重要な問題は、本人が自分で見つけるという考えは真実だと思う。

私もそうであったが、回答は自分の中ではなく、親や上司、相談者の中にあり、いろいろ相談する中で、教えてくれるものというふうに考える人もいる。確かに、交通ルール、数学の解答などは、同じロジックで考え客観的な回答があるというようであり、○×問題のように、明確なものもある。しかし、通常生きている中で生じ、人生を左右するような問題は、自分の中に発見するのが自然だと思う。悩んでいる当事者が問題解決に一番近いことは、経験上たしかである。人生の選択の問題。学校、就職、結婚、・・・考えるといろいろでてくる。

今の世の中、本人の意思決定やその意志決定支援プロセスはどれほど大切にされているだろうか?この2-3日自戒を含め考えていることである。

<海3/4>

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秘密の時間、秘密の場所そして秘密の宝物!

2008-06-29 | 第七章「光と復活体」

 幼い頃の記憶は断片的で、殆ど消失しているようであるが、7歳の時のアラスカのシトカでの体験は、不思議なほど残っている。生き甲斐の心理学を勉強しているために、今まで、自分の感情の原型をそこに求めたり、成育史を追っかけて行ったりした。

 確かに、人格形成の軌跡の一端が見えたりする。ただ、フロイトから始まる現代の臨床心理学の100年の伝統では、大切な宝物を見失ってしまっているのではないかと、ふと思ったりする。いろいろ過去のことを穿っているより、例えばアラスカ・シトカの自然そのものが、自分にとって本当の宝物だったのではと思うことがある。

 YouTubeの存在を教えてもらい、シトカ関係の情報を探してみると、ABCニュースや個人の観光の記録、観光PRのために作られたのではと思うビデオ・・・様々な動画があった。

 現在は人口が10,000人を切る町であり、どのシトカを紹介している動画も、町の中心地である、赤い屋根の老人ホーム(銅像がありパイオニア・ハウスと呼ばれていた)、ロシア正教の聖ミカエル教会(1960年代に火事で焼失し立て直されている)、ホエール・ウォッチング(ハワイも有名であるが、アラスカも有名、幼い頃に父親と海岸から眺めた)、島が沢山見える海岸、山々・・・

 7歳の当時、小学校から家に帰宅する道の近くに、ちょっとした岩があり、秘密の宝物の隠せるところがあった。海岸で波に洗われ、摩耗し小石のようになったガラスの破片やきらきら光る安物の子供向け宝石などを密かに隠した。

 今の自分にとっては、秘密の宝物は、アラスカ・シトカの五感で感じた記憶なのであろうか?

<海2/4>

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大嫌いな人を少し好きになる方法!

2008-06-28 | 第七章「光と復活体」

 5月から月に一度、江ノ島の近くの腰越というところに出かけ、カウンセリングの勉強会に参加している。写真は今月行ったときのもので、天候が悪く、高い波が押し寄せていた。

 暗い感情は、微かな不安からスタートし、次には怒りへ発展する。ただ、この怒りの感情も、怒る自分をそのまま受け入れ、その怒りを自分で傾聴すると思いがけない発見がある。場合によれば友好的感情に移れる。

 昨日は、「生き甲斐の心理学」のテキストに従って、嫌いだと思う相手について、ノートにその理由を正直に書き連ねてみた。5-6行書くと、大体書いたかなという気分になり、それをのんびりと読み返してみる。

 確かに、嫌いなのも無理はないなと優しく受容する。さらに、背後にある、考え方、私の常識を考察してみる。面白いほどに、自分の相手に対する期待があぶりだされる。こんな理想領域をもっていたのか、好きになれるはずはないと変に感心する。

 そして、さらに何でそんな考え方が生まれたかを思索する。ここで人間をどう観るかが本当に重要だと思う。身体、こころ(成育史からなる)、魂。この三つの要素を考えてみると、身体が嫌っているところ、成育史上に身につけた自分の常識が嫌っているところが判る。愛そのものの魂は、決して嫌っていない(そのように定義したからかもしれないが)。

 こうしたプロセスの中で、怒りを友好的感情に少しでも転換できればと思う。

 蛇足になるが、魂をどう考えるかは、プラトンをはじめ多くの学者や哲学者、宗教家が考えてきたテーマである。日本人の祖先も考え、現代の世界保健機構WHOでも魂のケアについてのべられている。日本でもターミナルケアやスピリチュアルケアへの関心は高くなりつつあるが、もっと真剣に議論されて良いと思う。私は、カトリックの神学者J・ドージャ氏の「神のめぐみとは」(カトリック全書23)を愛読している。

<海1/4>

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古くて新しい愛された記憶!

2008-06-27 | 第七章「光と復活体」

 幼い頃の、愛された記憶。父の胡坐の中で、夕食をいっしょに食べた記憶。母に背負われた(おんぶ)記憶。様々な記憶が思い出される。

 こうした愛の名場面の中で、どれが重要かを時々考える。愛の原型ということである。三年前、二年前、一年前と微妙に変化してきているように思う。過去のことでも、今の自分が変わってくれば、過去の解釈も変わってくる。

 今の私は、7歳の時のアラスカ、シトカのひとつの記憶にこだわっている。

 シトカにはパルプ工場の建設で、日本からも2-3の家族がこの町に住んでいたが、私が英語が全く分からないこと。また人種的な問題もあったかもしれないが、ネイティブ(クリンギット族)の子弟が多く通う小さな小学校にはじめは転入した。

 担任の女性の先生もネイティブのようであった。そこで、全く英語ができない私が、クラスに溶け込むことができたのは、その先生の愛の力だったように思う。

 ところが、経緯は良く分からないが、父がその小学校より、近くの白人も沢山通っている小学校のが良いということで、やっとなれたばかりであったが、また転校することになった。

 それを授業中に知った、先生とクラスメートはとても淋しがり、何と私に、さまざまな色のチョークなどを詰めたプレゼントを贈ってくれた。その時の先生の淋しげな顔と、優しい顔は今でも忘れられない。

 この時の断片的な記憶をもとに、前後の文脈も含め、当時の幼い私の解釈、学生時代の時の解釈、そして今の解釈と様々な機会で反芻され、その解釈にともなう感情を産んできたように思う。

 どう自分が自分を解釈し、そして自分に対する基本的な感情を生みだしてくるかということがおぼろげながら見えてくる。学生時代のころの解釈はとても暗かったようだ。

 今は明るく解釈しているが、明るく生き抜いていくには、明るい理性的な解釈が必要だとつくづく思う。

<光4/4>

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秘密の隠れ家で「幸福」に出会う!

2008-06-26 | 第七章「光と復活体」

 先日、下の娘から、昔良く行った秘密の隠れ家に連れてってくれないかといわれ、15年ぶりくらいで、ログハウス風のその喫茶店に行った。

 昔とほとんど変わっていなかったが、入り口の薔薇の花が随分立派になっており、遠ざかっていた年月を感じた。

 娘達が、まだ小学生のころ。私は多摩川沿いの近くに住んでいたこともあり、ジョギングをしたり自転車で遠出した。その中で、この喫茶店を見つけ、娘たちとよくそこに行った。

 中は木製の洞窟のようであり不思議な感覚である。下の娘は、懐かしいその喫茶店に満足し、私たちは当時と変わらない幸福感を感じて家に戻った。秘密の隠れ家といっても、皆知っている場所でもあった。

 想えば、20-15年前ころから、社会は大きく変わっていく。グローバリゼーションの大波がやってきたのだ。その中で、多くの人の幼いころからの夢というか、「幸福の条件」は破たんして行ったのではないか。自殺者が30,000人を越えること10年以上である。

 大丈夫と思っていた会社がリストラを始めたりする。安心していた老後も不安となる。子供たちの成長も、昔以上に難しいことが多い。人間関係もそんなに簡単ではない。将来に希望を持てない若い人たちが多くなる。

 世の中、確かに個々人の「幸福の条件」は厳しい試練を受けているようだ。

 私にとっての「幸福の条件」はどうであったか?1999年を境に、大きく変わってきていることは確かである。生きがいの心理学を勉強しだしたのも、28年勤めた会社を辞めたのも、社会教育の分野に興味をもったのも・・・自分で捜し求めてきた「幸福の条件」に関係があるようだ。

 楽な道をいくのが「幸福の条件」ではないように思う。自分の死を想いつつ、逆に幸福の条件を考える。

 ただ、どんな環境でも、幸福感は得られるように思う。コルベ神父がアウシュビッツで家族持ちの方の身代わりとなり、飢餓室でなくなる過程で、同室の囚人と賛美歌を歌っていた時は、きっと幸福感の中にいたのだと思う。身体的、精神的な最悪な条件でも、幸福感はきっと得られるのだと思う。

 そんな極端なことは私には無縁だと想うが、娘と行った先日の秘密の隠れ家は、幸福感が漂っていた。

<光3/4>

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