先日、府中に久しぶりに行った。府中と言えば五月の連休の時の「くらやみ祭り」だ。コロナで久しく行われていないようだが、大国魂神社と府中の森博物館を見学し「くらやみ祭り」を思い出し考えさせられた。
さて、U先生の生き甲斐の心理学を20年以上学ぶことで心の健康についていろいろ学ばせていただいたが、その中の最大のものは「解釈が変わると世界が変わる」ということであった。
誰でも、思い出したくもない幼い頃のことがあったりする。確かに過去の出来事があり、それが心の傷となることがある。その出来事が、自分でも気づかないうちに、無意識的に日常の出来事に重なりネガティブな影響を与えているようなのだ。
それは、出来事自体の問題で変わらないものと思いがちだが、実は出来事の解釈の仕方に問題があり、解釈が変わることでオセロゲームで黒が白に変わるように世界が変わるのである。
家族や幼なじみと気楽に昔の話をしているときに、自分の思い違いであったことにはたと気づき、何十年も人知れず悩んでいたことが氷解したという経験はおありだろうか。その類いのことである。勉強をし自分との傾聴・自問自答で解決することもある。
とはいえ、年をとり思い出せなくなった過去の心の傷もあるようだ。よく分からないが、何かのはずみで不信感に苦しめられたり、疑惑感・罪悪感に悩んだり、劣等感が刺激されたりする。皆様はどうだろうか。人それぞれに傾向があるようで、それに気がつけば、自ずと感情の泥沼化を避けられるように思う。
さらに、人は身体と心(生育史)と魂(宗教や哲学の領域)からなると考えると、それを総合的に癒やすこともあるように思う。それは身近な祭りではないだろうか。感情は密接に五感と関わりがある。祭りで踊ったり、歌ったり、見て楽しみ、音で楽しみ、香りで楽しみ、味覚で楽しみ、歩いたり踊ったり担いだりして触覚で楽しむ。身体と心(生育史)と魂(宗教や哲学の領域)の三つの領域をも。
これは、何千年も繰り返された営みで、現代もそうだが縄文時代でも当然だった。土偶や石棒、釣手土器、土製品・・そういった観点で考えるといろいろ見えてくる。また、これは日本だけではなく、同じホモサピエンスでも共通で世界各国の大規模な祭りやカーニバルなどにも通じるようだ。勿論、日常的に行われる小規模な宗教行事やミサ(私はカトリックなので)も基本は同じだと思う。
7/10 五感と縄文
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」
縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。
入手方法
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四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。
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森裕行
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