イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ときに、自分にご褒美を!

2009-04-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 20才代。就職をして一年くらい新人生活を送ったあと、大阪に転勤になった。独身で、身の周りのものも少なく、段ボール箱の5-6個程度で簡単に引っ越しした(結婚すると引っ越しが極端に大変になるので、そのシンプルさがとても懐かしい)。

 大阪では独身寮などなかったので、食事も自分で調達する必要があり大変であった。

 そんな時、一人の苦労人の大先輩から、「独身生活では、メリハリをつけ、たまには一人でビフテキ(私の当時の好物)を食べることも必要。」と教えて頂いた。

 このアドバイスはなかなか適切で、落ち込んだ時など、自分で景気づけに好物を食べリ、本当にフレッシュできた。

 仕事は、他人からの期待や自分自身で作った目標との戦いであり、現実の自分は常に叱咤され疲れてしまうことも。理想と現実のギャップによる暗い感情の日々が続くことも。

 そんな時、楽しくありのままの自分そのものを実感し、暖かく受け入れリフレッシュする。

 若い頃と違い、今はビフテキを食べたいと思わないが、自分自身を褒めてあげることは大事なことだと思う。人間誰しも存在するだけで基本は有難い存在なのだから。

<理想と凶器 4/4>

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そのままで充分美しいつつじ!

2009-04-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 つつじが咲き、花水木も咲き、わたしの住む地域は花が溢れている。 

 道端の良く見かけるような、つつじであっても、ゆっくりと花弁を見ると、なんと美しいものかと感動する。地球上のあらゆる生命が、基本的には同じ構造のDNAからなりたっているのに、なんと多様で美しいのだろうかと感動する。

 この世が、サイコロをふるよう確率論的な世界ではなく、Something Greatが基本的に慈しみ深く支配されているのだなとふと感じる。

 しかし、つつじの花のような素晴らしい世界がある一方、人間の作り出す世界の悲しさを、最近よく感じてしまう。

 経済ニュースでは、A社が大規模なリストラ策を発表し、投資家に好感されて株価上昇とあったりする。たまたまA社に勤めている知人が、何か月前かに、悲惨なリストラ策に関わり嘆いていたことを思い出し、何か変な気分になる。

 立場や視点、関わる深さによって、評価は変わるものなのだ。

 今年になって、観た若松孝二監督作品「実録 連合赤軍 あさま山荘への道」もいろいろ考えさせられた。理想を信じても、あまりにも悲惨なことになってしまう世界をかいまみたようである。

 理想が凶器にかわること。こうした歴史的事件もあるが、日常のささいなことでも、結構ある。身の丈にあった、身体感覚といったようなもの、こうした場合の安全弁として重要なのだろう。

 思考・感情・行動がバランスよく回転し、他者肯定・自己肯定的であり、日々生きがいを感じたいものだが。

 しかし、つつじは、何も難しいことを考える風でもなく、そのままで充分美しい。

<理想と凶器 2/4>

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理想が凶器になる前に!

2009-04-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 自己肯定、他者肯定のスタンスが暮らしの中のカウンセラーの重要なポイントだと、U先生から学んだが、これが意外と難しい。特に、他者肯定的な行動の中に他者否定が潜在したりする。

 私ももう50歳台の良い年なのに、若いころの血気盛んなころの癖のようなものが、時折出てくる。

 最近は、ペトロ・ネメシュギ神父の著書に影響されて、天に昇る気持ちになるのは良いが、その思想が、自分の理想領域(こうあるべきだ)を硬直化させ(実は身についてないので)、いつの間にか他者を否定的に見たり感じたりしてしまう。

 そんな自分を昨日感じたのだ。勿論、ペトロ・ネメシュギ神父の問題ではなく、自分の個人的な問題である。自分の中の防衛機制の問題であろう。

 自分のこころの奥に気づかない、自己否定や他者否定の要素があり、形を変えて噴出するようだ。優越感、尊大感というのであろうか・・・それを、感じた時は自分への注意信号だ。

 自分の中の思考・感情・行動のバランスを崩す前に、こころを落ち着かせ、祈ろう。人の身体は神の神殿。そんなことを想いながら。

<理想と凶器 1/4>

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行動のかげの思考や感情!

2009-04-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 私は青年時代に本来は決めるべき、自分の宗教や思想を、明確に選ばず、40歳台まで過ごしてしまった。それでも何とかなるのが日本文化の良いところでもあるが、たまたま外資系企業に籍を置いたこともあり、外人と接する機会も結構あり、はっとしたこともあった。

 ビジネスでは宗教とか政治の話は避けるようにと教科書にはあるが、実際は食事を一緒にするにも、ユダヤ教、ヒンズー教、キリスト教といろいろ違うので、気配りをすることになる。自分の宗教が何かくらいは話さないと、普通の生活もできない。

 私はもともと幼児洗礼のカトリック信徒であるが、若い頃は、日本的に宗教が極めてあいまいな時期を過ごした。プライベートの場で「宗教は?」と聞かれ、当時関心が高かった「仏教」と答えたりした。

 「では、菜食主義なのか?」などと、細かく聞かれ、答えに窮したこともあった(英語がうまくなかったこともあり)。宗教を信じるのが当たり前の世界から見ると、当時の自分の行動は変に見えたかもしれない。

 信じる宗教や思想により、食べるという基本的な行動すら変わる。<思考・感情・行動>は連動し、相互に影響を与えるという心理学で学んだことを改めて思い起こす。

 大多数が特定の宗教を持っている社会と、そうでない社会。もちろん、特定の宗教を信じていない人の行動も、あるパターン(行動)をとる。オバマ大統領の就任演説の中でNon Believerという言葉が、キリスト教とヒンズー教徒、イスラム教徒とともに出てきた。

 Non Believerは、神仏を信じないという信仰をもつ人達のことなのだろう(神仏が居ないことを科学的に証明した人もいないと思うので)。日本の場合、Non believerも少ないようで、米国や欧米とかなり違うだろう。

 さて、日本の自殺者が年間30、000人を超え続け、ちょっとした戦争どころではない死者を出している。世界でも最も悲惨な状態の中にあるのが事実である。自殺という<行動>をとる背景の<思考・感情>はどうなのだろうか。

 <生き甲斐の心理学>の普及活動で、役に立てることもあるように思う。

 <自分をみつめる 4/4>

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ときどき点検:自分の思考・思想・哲学!

2009-04-26 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 久し振りの晴天!風がちょっと強いが、気持ちの良い日曜日である。

 この一週間の感情生活を振り返ると(自分の感情の流れを意識して生活するのは、カウンセリングや生き甲斐の心理学を学ぶなかで、覚えたことであるが。)、今週は、何とざわついた一週間であっただろうかと思った。

 2-3年ぶりの携帯の機種変更で、新しい機能に驚愕したり、日々の仕事などで瑣末なストレス。一見充実しているように見えるものの、今まで感じなかった、空しさを感じ、どこか浮ついた浅い喜びのようなもの(偽りの感情?)を、意識して避けたこともあった。

 昨晩は妻と外出し帰りがけに、駐車場でバッテリーが上がり困っていた方から、たまたま助けを求められた。簡単なことであったので、お手伝いをした。事が終わり帰ろうとしたら、お礼だと言われお金を手渡された、その時のやり取りと感情の流れが嫌に気になっている。

 何か物質的な事柄の過剰さに、嫌悪感を感じるのだ。それも、いままで気にならないことが、気になっている。

 今のざわついたストレスの原因の一つは、恐らくこの一か月近く少しずつ読んでいた、カトリック神学者のペトロ・メネシュギ神父の影響が強いのであろう。今まで様々なカトリックに対する理解しにくかったことが氷解し、豊な平安感に包まれたことが何回もあった。その反面、日常の中で新しいストレスが登場する。

 現代は、感情や気分を重視する、癒し的なものが流行っているが、きちっとしたロジカルな思考(体系的な思想や神学の理解)が本当は大切なのだろう。感情は理想と現実の差異から生じると考えれば、当たり前であるが。

 特に、感情労働(人との関わりが多い職業)をする方にとって、感情と密接な関係にある自分の思考体系をときどき点検するのは意味があることだろう。

 <自分をみつめる 3/4>

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