イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

理解されるより理解する、でも日本人はね!(ゆるしと受容をのんびり考える 1/10)

2010-11-30 | 第四章「愛とゆるし」
 昨日は、のんびりとAさんと一緒に食事をした。そのうち、先日亡くなったBさんの話題となった。いろいろ話題が多かったBさんであったが、Aさんは葬儀の時にBさんの知人と話している中に、Bさんの知らざる一面を始めて知ったそうだ。そして、Bさんが何故、あのような行動をとっていたかを理解された。

 「Bさんは何とひどいことをする人だと思っていたが、それは一面しか知らないからだった。」

 日本人は奥ゆかしく、何でも話す人は少ない。察し、察せられの文化は今でも残っている。理詰めの文化と違う。

 「訳ありの人」だから・・・そんな風に理解できないことも暖かく見守り、敢えて聴かない。そんな文化なのだろう。

 心理療法で有名な、カールロジャスの19の命題の中に、命題7がある。これを思い出すと、人間(さまざまな病気の方を含む)でも動物や植物でも、日常の中で出くわすストレスを緩和できる。

命題7:行動を理解するために、もっとも有利な観点は、その個人自身の内部的照合枠(internal frame of reference)から得られるものである。

 
ゆるしと受容をのんびり考える 1/10

人気blogランキング・・クリック応援お願いしますね!  

 

幸福曲線をゆっくり育てる!!(生きる意味を感情から考える 10/10)

2010-11-29 | 第四章「愛とゆるし」
人が身体とこころ(成育史からなるもの)と魂からなるとすると、感情は何処から湧いてくるのだろうか。身体から来る感情、こころからくる感情、そして魂から来る感情と分類できるかもしれない。

 日常の中で、これは何処からくる感情なのだろう。時どき思い出してゆったりと過ごすと、いろいろ発見があるようだ。

 さて、暗い感情を生き甲斐の心理学ではストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)と呼び、それが理想と現実のギャップから生じるので、道しるべのように使え大事にしている。

 一方、明るい感情は暗い感情と対として、幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)と捉えている。日々の生活の中では、幸福曲線はなかなか得られないものである。ゲーテは確か70歳の全人生の中で平安感は一ヶ月くらいと言っていた。特に統御感は難しいようだ。

 自分の経験でも、統御感を始めて得たのは中年(1999年)であった。その時のことは今でも覚えている。こんな感情が人生にあるなんて、何と素晴らしいと正直想った。

 幸福曲線を得るためには、3つの条件が必要とされている。①アイデンティティの統合 ②現実吟味力が健全 ③防衛機制を上手に使いセルフコントロールしている

 この3つの条件を踏まえて日々を送ることは、生きる意味を感情から考えることでもある。この重要な意味あいを、恥ずかしながらやっと判り始めて来たところだ。

 写真は、あるカトリック教会の紅葉。

生きる意味を感情から考える 9/10

人気blogランキング・・クリック応援お願いしますね!  

 


 

解釈の世界をピョンピョン!(生きる意味を感情から考える 9/10)

2010-11-28 | 第四章「愛とゆるし」
生き甲斐の心理学の勉強会で、時どき、原初感情の勉強をするとき、一つの決めた対象が好きか嫌いか、怖いか怖くないかを尋ねることがある。

 以前、窓から見える鉄塔についてお聴きしたが、千差万別であった。鉄塔は好きだ、嫌だ、健康が、景観が・・・それだけで話が盛り上がった。

 Aという情報に触れた。Bという情報に触れた。幼いころ・・・など人それぞれの成育史の違いが背景にあるし、解釈に人それぞれの傾向があったりする。そして、それが個々の感情に反映する。

 さて、11月も終わりに近づき、クリスマス準備や年末モードが本格化する。街も、すでにクリスマス気分である。先日は、来年の年賀状の準備の話を友人とした。来年の干支はウサギ。人それぞれの想いがあり、きっとこれから思い悩むのだろう。元旦はどんなウサギと出会うことができるのだろう?

 因みに、私はウサギ年である。

 幼いころから、まわりからどちらかというと、ウサギは悪く言われた。私はウサギ年だから、根気がないのかなとか、そういう自己イメージもいつのまにか持つようになった(深層に食い込む自己イメージは結構影響を与えるようだ)。小学生の時は、ウサギを家で飼ったが、親近感をもって育てたが、ある日突然死んでしまった。そんな、経験もあった。

 そんなことからか、ウサギにはちょっと暗い印象もあったが、40歳台のとき、畑の中から絵本から出て来たようなウサギに出くわしたことがあった。その時は、思わず追いかけてしまった。

 何か、純粋で楽しい存在を発見したようだった。自分のウサギのイメージはその辺から変わってきたかもしれない。

 ウサギは、自分のこころの中をぴょんぴょんと飛び回る。暗くなったり明るくなったり。その変化を楽しむのがウサギ流なのかも。解釈は自由である。

生きる意味を感情から考える 9/10

人気blogランキング・・クリック応援お願いしますね!  

 

天上のもぐら・・・明るく生きる!(生きる意味を感情から考える 8/10)

2010-11-27 | 第四章「愛とゆるし」
 多摩動物公園に年間パスポートをもとめ、頻繁に行くようになると、いろいろビックリすることがでてくる。最近の発見は、≪もぐらのおうち≫である。

 もぐらが土の中で生活している様を観るのかな?と思っていたら、頭上注意の標識があったりし、チューブのようなものが頭上に張り巡らしている。それでも、それが何を意味するのか良く判らなかったが、先日行ったときに、そのチューブ状の中にモグラが登場し、結構速く移動するのだ。

 もぐらが、天井、天上を駆け巡る!自分のモグラ像が音を立てて崩壊した時であった。これだけでないが、自分の成育史のなかで作られた概念が、如何に危ういものか、解釈の危うさ・・・そんなことを気付かせていただいた。

 これは、何も動物園だけではない。今、古代史関係に凝っていて、天上の虹≪持統天皇物語≫(里中満智子著)を読んでいるが、古代の知識もそうである。中学・高校のころに学んだ歴史は随分古くなりつつあるようだ。例えば、藤原京が平城京や平安京より広大な土地に作られたという仮説も現実味を帯びているそうだ。

 また、マンガと馬鹿にできない、哲学的な会話も登場する。次の穂積皇子と額田王(ヌカタノオオキミ)の会話はアイデンティティの問題を考えていた私には、ショックであった。でも1300年前にも、こんな会話がされていた可能性は大きい。この考え方は聖書にもあるし・・・


穂積皇子
≪「独占したい」とか「もっと愛されたい」とか願わなかったのですか?≫

額田王
≪願うのは欲でしょう≫
≪人を愛するのは「愛する自分」が存在しているからでしょう≫
≪自分にとってはまず自分があって恋がはじまるー≫
≪ならばなにひとつ見返りがなくても恋は成立するわ≫

天上の虹⑮第43章より

こんなふうに、動物園やマンガで自分を新しくさせていると、自分の感情も明るくなっていくことに気づく。本物の明るい感情は、暗い感情を得るより遥かに難しいようだが、こうした心の整理や統合も貴重な糧なのだ。

生きる意味を感情から考える 8/10

人気blogランキング・・クリック応援お願いしますね!  

 


感情は魂の言語、でも言語を使うためには訓練!(生きる意味を感情から考える 7/10)

2010-11-26 | 第四章「愛とゆるし」
 知人のお薦めで、ある本を読んでいたら、「感情は魂の言語」という言葉があった。なかなか含蓄のある言葉であり、いろいろ考えてしまう。

 五感から伝わる感情(本物の)は確かに、今ここでの自分のリアルであり、思考する自分より遥かに真理を語っているようだ。

 確かに、生まれてから今まで、自分の感情に日常的に触れてはいる。ただ、その感情を受け取る自分が、その感情を言語のように意味あるものにできるかは別問題だと思う。

 自分の感情を自分の感情として受容することは、結構訓練がいるのだ。怒っている自分、嫉妬している自分、高慢になっている自分、子供以上に敏感に不安に慄いている自分、・・・感情自体はそれこそ無色透明の言語のようで、善悪も美醜も真偽もないのだろう。ただ、それを感じる自分が、自分を受容出来ず。怒る自分は悪いとか、びくびくする自分は男らしくない、嫉妬する自分は醜いなどとその場で瞬時解釈し裁いてしまう(条件反射みたいに)。これが良くない。

 せっかく語りかけてきても、拒んではコミュニケーションができない。自分はただ一人、世界の中心点にいる。

 その自覚が柱となって、感情を受容し、それを意味ある解釈に結びつける。怒る自分は、理由があって怒るのだ・・・何故か?その感情はどういうものか?感情は深いところから湧き起っている。その根源を勇気を出して覗いてみる。意外に愛が隠れていたりする。

 昨日の一日。外で仕事をしたり・・・いろいろであった。当然ながら、朝から寝るまでの一日は、ストレスを感じたり、楽になったり、強度のストレスを感じたり、一時錯乱したり、それを受容したり・・・波乱万丈であった。昨日はやはり対人関係がストレスの原因。

 生き甲斐の心理学を勉強していくと、こういう対人問題では、他人を変えようとするより、自分を変える方向がとても大切だと気づくようだ。結局近道なのだ。自分が変わって他人も変わる。どうも、そういう言い方も良くないかもしれない。自分が変わってくると、解釈も変わるし、行動も知覚も変わる。その変化に付随して他人も変わるかもしれない。

 感情言語の達人になることは、人生を豊かにするために本当に大切だと思う。

生きる意味を感情から考える 7/10

人気blogランキング・・クリック応援お願いしますね!