イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

受容する覚悟。縄文人の凄さ・・・ (縄文時代の楽しみ方 2/10)

2020-03-27 | 第五章「和解と平和」

 小池知事の自粛要請が出る前の2-3日。桜を楽しむために縄文遺跡周辺とその近くの公園に車で廻った。写真は東京都稲城市の稲城中央公園の近くだが、この日は多摩ニュータウン遺跡No.9やNo.471のある京王若葉台駅周辺を楽しんだ。5000年前は大河であっただろう多摩川上流の三沢川流域。東博での2018年の縄文展でも出品された東京都埋蔵文化財センターの有名な土偶(ほほえむお化粧土偶)が発掘されたところもある。

 さて、発掘の際の報告書や研究者の著書を読んで感動することが最近多くなった。62歳ころから縄文時代に興味をもち、遺跡を訪問するようになって7年くらいだが、やっと専門家のお話が少しは分かるレベルになってきたのかもしれない。逆に言えばまだまだ素人なのであるが。何でも10年間くらいやらないと一人前にはなれないと誰かが言っていたがそうだと思う。

 この2-3日興味を持って感動し続けているのは、縄文の村といっても私たちの想像するような村とは随分違うということだ。村にすむということは血縁関係と関わりがある。ここまでは皆納得できるところだが、そこから先がどうも違うようだ。

 私の生まれ育った家は母方の祖父母がとなりで、親戚もよく来たりしていたので、何か母系的な村に住んでいるようであった(もちろん祖父が家長ではある)。一方、夏になると広島の父方の祖父母の家に幼い頃から行って滞在した。その時期はブドウ畑の収穫期であり、高校野球のラジオ放送を聞きながらお手伝いをしたものだ。親戚の従兄弟も出入りし、縄文時代であれば村人総出で栗拾いをしたりするようなものだったかもしれない。

 ところで、縄文時代は、馴染みのある父系制でも母系制(疑似?)でもなく双系制社会(財産分与が父方母方別々など、また卑弥呼や古代の女性天皇はこうした伝統の片鱗だったかもしれない。双系制の話は別としても、村(多摩の例だが)はひとつの集団ではなく二つの集団、時には複数の集団が一緒に中央広場を囲んで環状住居をなして住んでいたようだ。そして、各々の集団のリーダ級の人(家長?)は中央広場に決められたやり方で埋葬される。

  

 この写真は、八王子市松木の富士見台公園にあった看板。近くにある多摩ニュータウンNo. 107遺跡の縄文時代の発掘現場である。縄文中期後半の320年くらいの期間にできたお墓を上空から見ると白っぽく環状住居ならぬ環状墓抗が見えてくる。これも東西南北の4つの集団に分かれていて、環状のお墓群になっているのが驚きだ。生きているだけでなく魂となって身体を離れても変わらないような願い。

 例えば100人位住む村があるとする。そこに何かの縁で結びついた二つとかのグループが住む。この縁はそれこそ母方とか父方という結びつきもあっただろう。しかし、私は縄文小説を書く中で気づいたのだが、自然災害、部族同士の利害、そんな中では決して単純ではなかったと。例えば、火山災害で難民化したグループを従者のグループとして考え、一つの村に二つのグループを想像した。

 記紀には海幸山幸の話があるが、これを同じ村の人と考えられないだろうか。ある村に漁業をするグループ、狩猟をするグループがあり、文化は違うものの共生する。縄文後期の気候変動の大きい時代には生活を安定させるために、こうした二つのグループの手組みもあったかもしれない。そのために中央広場を持ち共食し、祭儀を共にする。

 縄文時代の共生。それは、多様性を大事にし共生する文化だったように思う。春になるとモンキチョウが萩の花に群がる。植物と動物の不思議な関係など自然界には不思議なカップルが沢山ある。人間と犬などは直ぐにわかるが、例えば今や切実な問題となっている新型コロナウィルスと人間の関係も単純ではない。命を奪うという恐ろしいこともあるが、補うところもある。こんな時代に不謹慎なといわれてしまうが、石弘之著「感染症の世界史」(角川ソフィア文庫2018年)を読んでいたらウィルスが人間を含む哺乳動物の胎児を守っているという学説は定説のようだ。そういうこともあるんだなと思う。

 欧米の国々、世界中の国々は新型コロナウィルスを敵視し戦時体制を組む。それに対し日本は平和憲法の縛りで不思議なほどゆるく対応している。今の状況では日本も戦時体制を組む方が良いのかもしれないが、そのふるまい方は独特だ。明治維新の前の幕藩体制の時に列国から日本の主権がどこか見えにくかったのと同じだ。まあ、命あっての・・であるのできちっとした現実に基づき覚悟を決めて対応してもらいたい。ただ、共生とは何か生物多様性とは何かは、私たちも考え続けなければならないと思う。

 さて、この共生を考えるとき。私が「生き甲斐の心理学」から学ぶことは受容ということである。よく、傾聴の話の中で、受容と共感、そして純粋と一致がでてくる。この3つを押さえると傾聴になるという。中でもこの受容は分かりにくい。私もそうだったが賛同することと思ってしまう。しかしそうではなく、相手の立場を深いところで理解し、相手をゆるすと言ってもよいのだろう。世の中傾聴とかコーチングとかで受容と言葉は良く聴くし、傾聴訓練などをしていくと受容なんて簡単・・・と思うようになる。しかし、受容というのはそんなテクニックの問題とは違うようだ。

 U先生の「生き甲斐の心理学」のブログに次のような一節がある。「現実を、森羅万象の解釈を、きちんと受けとめるには、相当の覚悟が必要ですが、私を含めた凡人は、ついつい現実を避けて、逃避的な夢に走ります。そうしないと厳しい現実に耐えられないからです。」(2007年8月21日)U先生が凡人とは思わないが、この覚悟という意味はとても深い。生命体、あるいは魂の問題と言ってもよいのだろうか。

 私たちの縄文時代の祖先は、強烈な火山爆発、地震、津波、・・・もちろん気象変化による食糧難もあっただろう。あるいは複雑な人間(人間集団)関係や疫病もあったと思う。そんな中でも命のバトンを後世に残しここに至っている。私は思うのだが不思議なほどに彼らは受容性があったのだと思う。そうでなければ10,000年以上の文化は崩壊しただろう。私たちは受容性についても学ぶ必要があるようだ。

縄文時代の楽しみ方 2/10 

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縄文遺跡を妄想しつつ、多摩の散歩を楽しむ(縄文時代の楽しみ方1/10)

2020-03-20 | 第二章「五感と体感」

 先日、この数年で開発が進んだ為に昔の面影が消えていく多摩ニュータウンの縄文遺跡を散策した。新コロナの影響で、高齢者は人混みを避けたほうが良いというので、この散策は久しぶりの楽しいひとときであった。訪れた場所は中央大学多摩キャンパスの近くで、最近道や公園が整備され、バスが通り始め住民も増加している地域だ。ただ、その中に縄文遺跡が眠っていることを知っている方は多くはない。もう6-7年経つが、縄文時代に興味を持ち、初めてこのあたりを訪ねた時は、この遺跡についても殆ど知識がないことが幸いして、知識優先ではなく五感体感で湧き上がる感情を今より楽しんだかもしれない。殆ど人通りがなく淋しいが懐かしいような場所だった。

   

多摩ニュータウンNo.446遺跡の南東側にある神社。道祖神が祀られている。

 

 
446遺跡の西に位置する多摩ニュータウンNo.446B遺跡あたりにある小さな公園。

 

  

二つの遺跡の真ん中を走る沖ノ谷戸公園の北側の愛宕神社。近くに八王子でも有名な富士山や丹沢山系が望める丘がある。私の好きな一帯である。

 この多摩ニュータウン446遺跡と446B遺跡周辺は、3年前に上梓した「縄文小説 森と海と月 5000年前の祖先の愛と魂」の主人公が生まれ育った場所でもある。446遺跡は環状集落で同時期に6つの小グループ12軒の楕円(長軸135m、短軸75m)をなす竪穴式住居群により構成されていて、約5000年前ごろに20年くらい使われていた集落だ(安孫子昭二著 小林達雄監修 縄文中期集落の景観 2011年 参照)。今と比べて縄文海進で大きな川であった大栗川の左岸に位置する舌状地だ。近くには多摩ニュータウン遺跡72といった多摩ニュータウン地区で最大の村があり、こうした446遺跡のような村がどのように生まれ短期で廃絶されていったかは興味深いところである。

 約5000年前頃は、富士山や諏訪湖を巡るように、関東西南部、中部高地を中心に同じような芋類や雑穀を基盤とした文化があったようで、富士眉月弧文化圏と呼んでいる研究者もいらっしゃる(富士見町井戸尻考古館 井戸尻第9集 2019年 参照)。拙書はその文化圏の物語なのであるが、今度八王子市で講座の講師をすることもあり、自分の小説とその元となった「生き甲斐の心理学」の論文も再読し、遺跡周辺を確認することもできた。

 12軒(6グループ)の住居はどのような人達で構成されているのか。中央広場には家長と思しき人々の墓地や厨房施設があり、特別な意味があったようだ。様々な祭儀も行われたのだろう。どのような宗教を信じ、どのように生きていたのか。この遺跡や近接の母村といえる72遺跡では、富士眉月弧文化圏(おそらく、同じような言語、同じような宗教や出自を持つ)の中で、どのような機能を担っていたのだろうか。海と山を繋ぐような場所でもあり、交易上でも要所だったかもしれない。そんな好奇心から小説が生まれたようだ。

 小説を書く動機はまだ他にもあった。U先生の「生き甲斐の心理学」を学び論文を書く補助として小説が発想されたのだ。「生き甲斐の心理学」は約100年の伝統をもつ西欧の臨床心理学の伝統から生まれてきている。なじみ深い学者としては、カール・ロジャース、フロイト、ユング、エリクソンなどが挙げられる。現代の心理学であるから、宗教の世界とは一線を画すが、魂の存在をどのように考え、信じることで何が見え何が見えなくなるかなどは研究テーマになる。そして、それに興味を覚え、小説を書き始めたのだった。どのような魂を信じているかにより見えてくる世界は違ってくると思うが、例えば愛そのものといった魂はどうだろうか。縄文時代を研究すると、本格的な戦争はなかったことは多くの学者から指摘されているし、北海道の入江遺跡からでた若い女性のがポリオを患っていたと推測できることから、何か福祉思想さえあったのではないかとも思えたのだ。

 好きな人を大事にすることは、誰にでもできることだが、利害が衝突したり、嫌いな相手と向き合う場合にどう振る舞うかは大いに悩むところである。それは感情の問題であるが、実は人間をどう考えるかという哲学・宗教のエリアのようである。英語を学ぶと日本のこころに相当する言葉でMind, Soul, Heartなどがある。昔なんだかややこしいと思ったことがある。しかし、U先生の次の式は比較文化や比較宗教学の影響もあると言われているがとても分かりやすい。

A=B(X+Y)

    Aは全体としてのある人
 Bは死んで身体から離れる生命体。愛そのもの。
 Xは生育史からなる心。
 Yは身体そのもの。

この式の人間観はどんな人の中にも愛そのものの魂が宿っているというもので。そうした魂をどこかに持つ人間は、それだけで大いなる価値があることになる。

 U先生のブログには、このBを信じることで、「嫌な他者が減り、周囲に友好的な関係が増えるほどに、何故か幸せ感が増えてきます。愛である魂を信じると人生が爽やかに、新鮮に見えてきます。」(生き甲斐の心理学 自分に驚く! 2007/8/10)という一節がある。

 このことは、今までの経験の中でいくつか思い当たるところがあり本当だと思う。短期ではあったが福祉の仕事をしていたときには、日々意識することで何かが変わるように感じたものだ。

 さて、遺跡周辺を散歩していると、5000年前の人達を3年前に描いた拙書をいろいろ思い出す。気候変動や疫病、人間関係で苦しんだ登場人物は私の分身のような気がする。

 この地に、ある時期から12軒、100人程度の人が住み始める。そして、家を一度建て替えたりした後で、恐らく数十年後に村を捨てて別の場所(72遺跡?)に移り去り、村は廃絶される。その経緯には何があったのだろう。彼らの住んでいた縄文中期には、祖先はいろいろな足跡を残している、報道され脚光を浴びた有名な遺跡も少なくない。500年くらい続いた水産物加工所と目される北区の中里貝塚。鋭い切れ味のある黒曜石の原産地、星糞峠の鷹山遺跡群。刺激的な研究対象とされる中部高原の遺跡や遺物。富士山の噴火時に地中に残された遺物出有名な上中丸遺跡。あるいは貴重な人骨が発見された加賀町2丁目遺跡。もちろん他にもいろいろあるが、そうした出来事を結んで紡いだみたくなった。

 少し話しを戻そう。数十年という期間に誕生と廃絶という事件があった村。何があったのだろう。もちろん具体的な証拠が得られないため謎のままなのであるが、小説にはなる。拙書ではあることが原因としたが、今の新型コロナウィルスで頭がいっぱいだったら、疫病などを原因として話しを展開したかもしれない。

 私たちの縄文時代の祖先は、5万年前とか6万年前にアフリカとかアラビアあたりから世界に拡散していった。しかし、それはホモ・サピエンスだけでなく他の生物も引き連れていったようだ。最近の遺伝子科学の進歩により、ピロリ菌、ハシカ、成人T細胞白血病なども引き連れていったようだ(感染症の世界史 石弘行著 角川ソフィア文庫 2018年 参照)。人口密度が上がると疫病がはやりやすくなるらしい。446遺跡は72遺跡にくらべると狭く、疫病が原因だった可能性も捨てきれない。

 平和な日常が大いに変わり疫病が起こる。そうした中で、魂を信じる人、信じない人、当時もいろいろな人がいたと思うが、どのように事態は進行したのだろう?

 今の時代も、世界各地で、混乱で暗くなる人もいるが、一方で90歳台でスマホでお友達と楽しくビデオ通話をされている方もいらっしゃる。事態に悲観するひともいるが、明るく立ち向かう人もいらっしゃる。事態をどう受容し、どう解釈して行動するかが鍵だと思うがどうだろう。

 緊張し真面目すぎると受容も解釈も不自由になる。のんびりと鼻歌がでるようだと自由が訪れる。とはいえ思い通りに自分をコントロールすることは難しい。やはり、等身大でやるべきことをやり、後はケセラセラで神仏を頼むのが私の場合は良いようだ。

縄文時代の楽しみ方 1/10 

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困難の中でも明るく生きるには?(縄文時代もおもしろおかしく 10/10)

2020-03-13 | 第九章「愛」

 最近は新型コロナでいろいろなことが大きく変わり、また、日々変化し落ち着かない状況だ。コロナ疲れという言葉が出てくるが、確かにそういった状況があるかもしれない。しかし、こうしたときにも意外に動揺せず、明るく生きる人もいれば、必要以上に暗くなってしまう人もいる。

 所詮、個人の問題なのであるが、U先生のブログを読んでいたら、個人の生育史の影響もあるものの、ひとつの身についた習慣があるかどうか、が分かれ道のようであった。

 その鍵とは・・「自分は何の為に生きているか」を自問自答する習慣だ。自問自答で自分のアイデンティティがある程度定まると、心の深部からイキイキとした願望が生まれ、どんな環境にあっても、溌剌と生きる力が生まれる。深いところから湧き起こる願望は、まるで生命力そのもののようだ。

 私たちの縄文時代の祖先も、例外ではなく私たちとおなじだったと思う。そして、確実に「自分は何の為に生きているか」を自問自答する人もいたと思う。その片鱗は結構残っている。

 このところ、東京国立博物館で行われた「出雲と大和」展のことをたまにしかお会いできない人と、楽しく語りあうことが立て続きあった。夢中で観たので東博の閉館時間が直ぐにやってきて、見切れなかったという印象も同じだった。

 私が特に印象的だったのは、出雲の展示だった。宇豆柱(柱跡)などの巨木文化の片鱗は当然としても、貝輪など豊かな縄文時代からの伝統を見られたことは良かった。今でも東北弁系の方言を残す出雲。1万年以上の縄文文化が今でも色濃く引き継がれていると確信できた。環状住宅やストーンサークル・・円は盛んに用いられたシンボルだが、それは貝輪とも繋がるのだろうか。

 さて、日本書紀や古事記に書かれている日本神話は、研究者によると近隣の様々な文化からの神話の寄せ集めのようなところがあるようだ。その中には縄文時代から引き継がれてきた神話も沢山あると思う。

 例えば、イザナミ(女神)・イザナギ(男神)の冥界下りの話などは、縄文土器の図柄との関係など、思わず妄想してしまうことがある。イザナミはお産で火の神(カグツチ)を産んで亡くなるが、怒ったイザナキはカグツチを切り捨て、黄泉の国にいるイザナミを追っていく、激しいイザナキの純粋な願望の現れだ。香炉型土器といわれるものは、何かカグチチを彷彿してしまう。

 それから、黄泉の住人となった自分を見るなという願いを裏切るイザナキに、追撃するイザナミの怒りも凄い。こうした願望を善悪の尺度で見るのではなく生命力の現れとして咀嚼するとどうだろうか。私たちの命も、こうした激しさを本来もっているのだと思う。

 身近なところであるが、使い捨てマスクのことがある。花粉症の私は既に備蓄していたのでまだあるが、だんだん少なくなるマスクに不安感を覚える。

 この不安は私だけでもなく、一般的なもののようだ。ネットやテレビなどでも盛んに手製マスクが話題になる。ところが、私は使い捨てマスクの再生という禁じ手にあやしく興味をもち、殺菌・洗濯のやりかたを工夫したり、昨日は皺を伸ばすためにアイロンはどうかなど愚かに挑戦してしまった(温度が高いと溶けることがわかった)。今の文化なら使い捨てであるが、縄文人だったらゆるせないことではないのか?そんなことが動機である。今のところうまく行っていないが、試行錯誤は結構楽しい。私の願望の行方はどうなるのだろうか。

 「何の為に生きているか?」この自問自答はもちろん回答は簡単に分かるものではないが、自問自答が深まれば深まるほど、回りの環境に振り回されず、環境の中で楽しく自分流をあゆむようになる気がする。

 もう一つ、新型コロナウイルスのワクチンや治療薬の話はいろいろ聞くが、それでおしまいだ。自分が開発するわけでないので当然だ。しかし、私は縄文小説の題材にもなるので、伝統的な民間療法のことを調べてしまった。かつては(我が家は今でも)、風邪をひいたら卵酒か梅干しをつかったネギのスープなどで身体を温めてしっかり寝るのが定番だった。縄文時代にもお酒はあったということは定説になっている。ならば、今の卵酒のような風邪を直すためのお酒もあって不思議ではない。ニワトコの果汁酒を注口土器などで温めてホットワインのようなものを作ったかもしれない。考古学的に解明される日があればと願うが。5000年前のアルプスでみつかった西洋のアイスマンの身体からはツボ治療の痕跡があった。今でも呼吸器には、このツボといったように治療するので。ひょっとしたら、縄文人もそうした知識を併用していたかもしれない。考古学的には証拠がない話だと思うが、縄文時代の祖先についてあれこれ考えるのは楽しい。

 自分のアイデンティティをその時その時に深め、自分のできることをする。そして、あとは私の母もよく口ずさんでいた、「ケ・セラ・セラ」。なるようになれと神仏にゆだねる。これは、今も昔も変わらないことかもしれない。

 最後に、5月に八王子市の生涯学習センター主催次の講座を担当することになりました。ご興味のある方は申し込んでいただければと思います。新型コロナが終息することを祈りつつ。チラシの外部リンク

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長い時の流れで変わるもの、変わらないもの(縄文時代もおもしろおかしく 9/10)

2020-03-06 | 第五章「和解と平和」

 新型コロナウィルス感染症の話が朝から晩まで・・・こんな一週間を好きな生き甲斐の心理学や縄文時代の研究もせず、野暮用の中で過ごした。そして、自分が自分でなくなるような気持ちの中で、今日は久しぶりに好きな世界に舞い戻っている。

 しかし、この新型コロナ騒動、環境の激変の中で人それぞれの個性が良い意味であぶり出されるように思える。

 例えばAさんは心優しい方であるためか、モノを捨てられず溜め込む傾向のある方だった。少し前はこの時代にあったミニマリストというか断捨離派の人に押され、回りからいろいろ言われ小さくなっていた。しかし、突然スーパーからいろいろなモノが消える激変の時となると、何でもホイと出されるので、急に温かく見られ出した。

 私はどうだろうか。幼い頃から、どうも発掘型の傾向が顕著だったようだ。幼い頃から友達と遊ぶのも嫌いではなかったが、一人で庭の動植物に触れたり土を掘ったりして遊んでいた。それが、青春期になると心理学や文学、創造工学といった、自分の心の中を探る(発掘する?)世界に興味を持つように。その延長で人間相手のマーケティングや営業の仕事にも深入りするが、行き着く先は生き甲斐の心理学の世界だった。

 U先生から通信制の私塾で生き甲斐の心理学を19年前から学ぶようになり、5年前にU先生の指導で論文を書いたが、その付録に書いたのが縄文小説「森と海と月 5千年前の祖先の愛と魂」の原型だった。縄文小説は小説家になりたいから書いたのではなく、心の発掘途上の成果物だったのだ。次作も基本的には同じなのだろう。

 さて、私のような発掘型の人は、物理的な閉鎖空間に沢山の人が集まるより、静かに一人でいるのが基本的に好きで、外出しにくい環境は余り苦にならない。また、ホームページを作ったり、ブログを書いたりするので好意的に見られたりする。こうした時に向いているかもしれない。

 因みに、外出がしにくい今のような環境では、インターネット文化がかなり進行するのでは無いかと思う(テレワーク、インターネット学習など)。インターネット時代の教育や制度についても一昔前に語っていた元カトリックの司祭であるイヴァン・イリイチの本「コンヴィヴィアリティのための道具」(ちくま学芸文庫 渡辺京二・渡辺梨佐訳 2015)を取り出して再読している。今の時代はいろいろなところに制度疲労があるように思う。もう一度原点に戻り考え直す必要があるのかもしれない。

 閑話休題。自分の傾向と渇望というか個性。それを大事に育てていくのが、人生を豊かにする鍵だと思うし、社会をよくする原動力だとも思う。それを可能にする技術もこの時代整って来ているようだ。スマホなど一昔前のスーパーコンピュータ以上だ。ただ、個性が世の中にうまく受け入れられるかは別だ。物持ちの良い優しい人が、今まで小さくなっていたように。

 さて、新型コロナウィルスで思い出したが、縄文時代の中期(例えば5000年前)に富士山の周辺というか、関東(南西部が中心)甲信地区に一つの文化圏があった。私の住んでいるところもその文化圏だった所で親しみを覚えるが、それが、4300年前ころに激変する。人口も減っているようであり(他の地域に転出したのだろうか)、考古学の一つの謎とされているようだ。自然災害説などいろいろ囁かれるが、疫病だったと言う説も聞いたことがある。疫病は当然ながら縄文時代にもあったと思う。

 そして、今の疫病でもそうかもしれないが、そうした変化の時代に、今まで蔭になっていた人達が一躍中心になることもあったかもしれない。例えば、有名な火炎型土器の次のパターンは、地味な蓋(土器)がつくことも多い土器だった。土器の厚みも薄くなり、用途別に工夫されたりするようになる。

 新型コロナウィルスの今の世相は、疑心暗鬼になって人と人との壁をつくりやすい時代のように思う。変な差別が生まれ、変に自己否定的になったりもする。自己肯定的であり他者肯定的な建設的な雰囲気から遠ざかる(自戒をこめて思う)。その結果、ギスギスしがちになり、電車の中で咳ひとつしても(マスクしてても)回りから睨まれる。人それぞれ生き延びることは大事なので非難はできないが、壁は世の中を変な方向に導きやすい。

 自らの壁を低くし、お互いの個性を大事にしつつ、新たに何かを生む為には何が必要か。生き甲斐の心理学では傾聴の6条件を大事にしているが、それは人間観とも大きく関係する。ある本を読んでいたら、宗教は人の魂の存在を信じるところから始まったとあった。縄文時代の研究者の多くは魂の信仰があったことを指摘している。4300年前の時代に生きて今に命のバトンタッチをした祖先達も壁を低くしてきっと生き抜いたと思う。

 相手の中に、例えば愛そのものの魂があることを信じる。鬼のような相手にもどこかに愛の魂があると信じる。すると、自分の中に自然体が生まれはじめ、相手を受容・共感(賛同とは違い、単に認めること)し始め、会話が豊かに紡がれ始める。

 写真は8000年前の籠が湿地帯なので700以上とか出てきた東名(ひがしみょう)遺跡。当時の籠(再現したもの)といっしょに撮っていただいた記念写真。8000年前の祖先達から、大きな気候変動(日本海に対馬海流が流れ込み、豊かな海になったことも)や大災害(鬼界カルデラで九州を中心とした大被害)、寒冷化、もちろん新型コロナウィルス以上の疫病もあった時代をくぐり抜け、しっかりと命のバトンタッチが行われてきた。時代によって、例えば火炎型土器が数百年の間で、外観が大きく変わる。しかし、変わらない何かもある。縄文土器の代表的な深鉢を囲んで飲食をともにする文化は鍋奉行を今でも残し。狭いが温かい竪穴式住居の文化は海外から揶揄されるウサギ小屋住居を生んだが、結構満足している。籠の伝統も今は少し危なくなってきたが、今後も続くように思う。変わらないものに思いを馳せると何か温かい気持ちになる。

 新型コロナウィルスは本当に大変だが、実際に病で苦しんでいらっしゃる方、混乱の中で困っている方、そして事態の終息、新薬開発を祈りたい。こうした祈りも縄文時代から続いているかもしれないが。

 縄文時代もおもしろおかしく 9/10 

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