イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大イチョウのささやき(9/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-06-03 | 第二章「五感と体感」

 約20年前に八王子市に引っ越ししてから、いつも愛でていた大イチョウ。八王子市由木東市民センターのそばにあり、樹齢500年とも言われる。かつては神社の境内にあったそうだが、神社は移設され今は大イチョウだけが残る。この大イチョウのそばの由木東市民センターは、尾根に近く見晴らしがすばらしいので良く利用させて頂いたが、次第にこの清々しい地域の由来に興味が湧くようになってきた。

 やがて、縄文時代に興味を持つようになり、このイチョウの近くに多摩ニュータウン64遺跡があることがわかり、調査報告書を読んだりした。中期と後期(前半の堀之内期)の住居址が二つ見つかり、大イチョウのそばに柄鏡形敷石住居が発掘されたことを知った。その住居址の入口はほぼ真西の向きにあり、春分や秋分の入日が住居の中に差し込むようになっていたようだ。日本独特のあの世観と繋がるのか、甲信地方の同族を意識したのか興味が湧くが、3800年前の祖先は答えてくれそうにない。建物は中心の石囲炉から柄部にかけて部分的に敷石が施されているが,奥から入口方向に馬蹄形の敷石がないところには網代状の敷物が敷かれていたようである。床面積は8.5㎡。6畳にも満たない住居。ここで住人はどのような暮らしをし、精神生活を送っていたのかますます気になる。

 このところ、「わび・さび」の文化についていろいろ考えている。今より縄文時代がより身近だった茶道や禅の発祥の時代も気になるが、世阿弥の芸能の世界、和歌や俳句の世界も気になる。特に何百種類の植物や動物に囲まれて、小林達雄氏の縄文カレンダーではないが、五感体感で季節を感じながらの祖先の暮らしは、恐らく歌や言葉が今よりも魂の輝きに満ちていたのだろうと想像してしまう。

 芭蕉の『古池や蛙飛び込む水の音』について若いころから学校で学んだりしたが、どうも意味がよくわからなかった。それが縄文に凝り東北旅行・青森旅行をする段となり、太宰治の「津軽」を読んで初めて腑に落ちたのだった。学校では古池がどうとか余韻とか風流とかよくわからない説明を聞かされたように思う。しかし真相は日常のなかでの何か貧しいぼちゃりというような音。そこに太宰は芭蕉の名句の意味を重ねたようだ。

 私も青森旅行の時、竜飛岬近くで断崖絶壁上で濃霧に見舞われ、不安の中で車を運転している時、遠くに微かに鳴いている鶯の声を聴いた時の不思議な気持ちにはっとした覚えがあった。五感は浮遊する観念の世界を泳いでいるこころを、今ここの世界に引き戻し、聖なるものとの出会いに導く。私はカトリック信徒なので聖霊のささやきなのであるが、別の信仰を持っている方、あるいは縄文時代の人々も何かを感じるのだろう。

 大イチョウは、今何かを風のなかでささやいているのかな・・・。

9/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

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       森裕行

 

 


国内の異文化結婚、何か寅さんを思い浮かべる・・・(7/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-04-07 | 第二章「五感と体感」

私の祖父母は文字通り東男と京女であった。当時は非常に珍しかっただろうに、夫婦円満で私の母が東京で生まれた。そして、東京で母は育ち、西日本生まれの父と結婚し東京に住むようになった。その後、私は東京に生まれ育ったが、西日本生まれの妻と大阪で結婚した。こうして三代にわたり正月には丸餅と角餅の葛藤(郷にあって郷に従うのだが本音は?)があったことになる。しかし、つい最近まで、そのこと自体が特別なことと全く感じていなかった。

しかし網野義彦氏の「東と西の語る日本の歴史」をパラパラみていたら、東と西が結婚する確率はせいぜい10%くらいだそうで(昭和42年)ふつうは東は東、西は西どうし、明治や平成でその確率は変わるのだろうが、3代にわたり東と西が結婚するのはこの10%の確率を仮定すると、えいやで3代にわたる東西婚は0.1%となり、非常に珍しいことになるようだ。

さて、その異文化の影響はいかにということだが。小学校低学年で約1年アラスカに行った頃の私のことが、両親の持っていた手紙から随分昔のことだが残されていた。戦後間もない1950年代後半の日本に住んでいた私は内向的で神経質な性格で、両親も随分心配したようだ。ところがアラスカで約1年過ごすころになると。内向的なところは変わらないまでも、漫画ばかり読み勉強などはほったからしで、父などは余りのずぼらさにあきれ果て、将来を危うんだそうだ。同じ個性を持った私が環境の違いだけとは言わないまでも評価がこうも変わるのか。おそらく両親も祖父母もどこかで笑みを浮かべていたに違いない。

神経質で甲高いのが、ずぼらでノンビリ。・・・日本とアラスカの文化の違いは当然あるが、東日本と西日本の文化の差も結構ある。経験された方はお分かりだと思う。そして、その違いに翻弄される姿は何かおかしい話題になる。関西でたぬきを頼んだら全然想像とちがったなどなど。

ところで縄文時代。縄文中期文化は同じ村におそらく出自が異なるなどの異文化の人々が住み分ける双分制であったことが知られている。もちろん合理的は双分制のメリットがあったのだと思うが、それ以上の双分制の村の特徴があったのではないだろうか。

私は寅さんの映画が好きであるが、寅さんは東日本を旅することもあるにはあるが、西日本の旅をするときのが多く印象深い。つまりちょっとした異文化での自由さというのだろうか。そして、そこに生まれる笑い。寅さんというトリックスターによる笑い。それは、心の統合にいたる回路なのかもしれない。

7/10 縄文時代をどう解釈するか

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縄文時代の人たちとの接し方 (5/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-03-05 | 第二章「五感と体感」

文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。

しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューしたり検証してもらったりするという。文献だけだとすでに時間が経ち陳腐化していたり、間違いだったりすることがあるように私は感じる。

また、宗教は身体性(五感体感)と深く関係していると言われる。ある宗教を知りたいと思えば、神社仏閣・教会などに出向き、実際に宗教者や信徒から案内してもらったりすることが大事かもしれない。邪眼と慈眼という言葉があるが、邪眼では一般に相手も戸惑うし自分でもフィルターにより不健全な思考しかできないものだ。

縄文時代の宗教を学ぶことにも、何かこうした他宗教の研究方法が応用できるように思う。まずは邪眼を捨て慈眼で接することだ。特に今私が研究している縄文中期(5000年くらい前)の中部高地と関東西南部は、死者と環状の村の中で共存するような形態をとり、その魂観も弥生以降の怨霊などの思想とは異なるという学説もある。さらに地母神信仰は慈悲にあふれているようで邪眼になりにくいので助かる。そして、今では昔の面影はなくなっているかもしれないが遺跡に出向き、土器や土偶などの遺物に接したりするのは大事だ。特に土器などは博物館によっては触らしてくれるし、縄文の村のような当時の植生を意識した場所が併設されていて五感で味わえることができる。

さらに、遺跡の遺物の整理作業などに従事できれば、実際の土器片などに嫌というほど扱わせていただける。このような接し方の延長にプロの仕事があるわけであるが、私の場合は残念ながら年をとりすぎた。

ただ、残念がるのも考え物で、死んであの世で実際の作者にあったり、当時の宗教家にあったりできるかもしれない。・・それは冗談としても、五感体感を深めて縄文時代と接することで、当時の人々が見えていたものが見えてくる可能性が高まると思うが、皆さまはどう思いますか。

5/10 縄文時代をどう解釈するか

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自分を知るために縄文を学ぶ・・・(4/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-02-19 | 第二章「五感と体感」

U先生から比較宗教学や文化人類学の影響を受けた臨床心理学の「生き甲斐の心理学」を学び続け、NPOに所属しその普及活動もさせていただいている。そんなことでU先生の「生き甲斐の心理学」のテキストは何回も読み返しているが、奥が深いので読むたびに何か発見がある。今日も何か新鮮な一文を見つけて感動してしまった。それは、人は自分の本音がなかなかつかめないということ。学術用語で自己覚知の話である。

生きていくと、利害得失や倫理観、プライド・・・そんなことにこころを奪われ、自分の本音が見えなくなる。本音とは深い意味がここではあり、生命体の核心にある知恵とも言えるかもしれない。それは真善美にも通じ、人生でぶつかる問題解決への道でもあろう。

そして、この本音が見えない時(もやもやする時)に助けてくれるもの、それについてテキスト78Pは次のように答えている。
「・・・もやもやする気持ちは何?と苦しむことがあります。理由が分からないが、気分が悪いとか。・・・親友がその気持ちを的確に表現してくれたり、小説、音楽、絵、香等の契機から、その理由が意識化できたことがありませんか?このように人は自分の事でありながら、本音が把握できない事があるものです。」

もやもやが消えていくのは、大切な人からのちょっとした囁き、五感からの知覚が大きな契機になる。確かにそうだなと思う。

ところで、私は10年くらい前から縄文に興味を持つようになり、そのうち2年くらいの時間をかけて縄文小説を7年前に上梓した。その後、「生き甲斐の心理学」の勉強もすすみ、縄文時代の勉強も拍車がかかってくる。そして、この1ー2年は縄文時代の研究も実際に遺物に触れたりすることや、縄文仲間も増えたこともあり、何か新しい領域に入ってしまったようで、縄文を見たり聞いたり触れたりする中で、新しい自分の出会うというか、自分を知るというか、オーと悟ることが多くなったようだ。

それは、私の幼い頃から青年時代くらいまでの生育史と密接につながっているようにも思う。夏休みになると広島県の父の郷里で葡萄畑の手伝いをしたが、土間や五右衛門風呂、ぽっとんトイレ・・当時はそんなものかというところだが、それが土器に触れたりすることとどこかで無意識につながってくるのだろうか、自分自身を知ることが多くなってきたように感じている。まさしく、「縄文を学ぶことで、自分の本音が見えてくる」

最近は身近な住まいの近くの遺跡についていろいろ謎に取り組むようになった。私の場合は祖先が何を信じ、どのように生活していたかが一番知りたい。1万年以上の縄文時代の流れのなかで、われわれが経験したことがないような災害も悲惨もあっただろう。そのときに生き抜いたのは何故か。

世界的に見れば、氷河期が終わるころから新石器時代が始まる。日本列島は農耕・牧畜といった典型的な文化ではないが宗教的には鳥居龍蔵氏がかつて「日本石器時代民衆の女神信仰」で指摘したように、女神信仰が世界的にあり、日本列島の縄文中期に花開く中央高地から西関東に及ぶ勝坂・井戸尻文化もその一翼を担ったのだと思う。私は記紀の記述や考古学の成果などから、縄文時代の特に中期は女神信仰・地母神信仰があり、想像以上に祖先達はその信仰を基盤に生きていたようだ。

そのような、ちょっと観念的な妄想が頭の中をふらふら横切るようなのだが、一方で田舎での土間の感触、ぽっとんトイレの不思議な空間感覚、五右衛門ぶろの入り方など、五感・体感の部分がざわめくのである。

考古学では余り扱われない、トイレとか、風呂とか、娯楽、鼓や笛、太鼓をともなった歌と踊り・・・ほんわか気分をどう味わったか、歌と踊りはどうだったか、よく寝るための工夫はどうだったか、料理はどのように手間をかけたか。生き甲斐づくりや宗教・アイデンティティの統合にどのような知恵があったか。

実はこういう問題は現代の埋もれた問題でもあり、危機に瀕した日本の様々な問題に何らかの回答を与えることもできるのではないかと妄想している。温故知新・・古くて新しい言葉だ。

4/10 縄文時代をどう解釈するか

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縄文カレンダーとストーンサークル (8/10 縄文世界を感じる時)

2023-11-22 | 第二章「五感と体感」

小林達雄氏の縄文カレンダーを一つの知識として知ったのはもう10年くらい前である。私は少年時代に天文少年であった側面があり、縄文時代の遺跡で一番最初に興味を持ったのはストーンサークルであった。家の近くに田端遺跡があり、冬至に正確に丹沢山系の最高峰である蛭ケ岳に入日が落ちることを知り冬至になるとそわそわするようになった。

確かに、縄文時代の特に後期くらいになると特別の施設をつかって祭儀をすることが多くなってきており、天文の知識もそれ以前の時代とくらべ充実してきたのだと思う。しかし、縄文人を馬鹿にしてはいけない。高度の動植物に関する知識から得られる情報はどうだったのか。私の家の近くには多摩動物公園がある。私はU先生の生き甲斐の心理学を学び、その中でロジャースの人格形成論を学んでいたこともあり、多摩動物園に通った時期があった。その中で知ったこと。5月ごろになると動物園が一斉に華やいでくる。多くの動物の出産の季節なのである。縄文時代であったらウリボウや小鹿の季節。

もちろん動物だけでなく植物も季節の中で生きている。太陽や月の動き・・・その微妙なリズムの中で我々は生きている。人が生まれる時間、死ぬ時間。そのほか微妙な生活のリズムもある。最近はかつての量子力学などの知見が生物学などにもおよび生命の実体が私の若いころと比べると飛躍的に解明されている。「レジリエンスの時代」を前回紹介したが、今の時代、天文学の知識もあるかもしれないが生体時計などの知識も必要なのだろう。

小林達雄氏の縄文カレンダーは、縄文人の感じていた時に迫る一つの重要な概念であるばかりでなく、物理的な時刻でロボットのようになりがちの私たちにとって、五感体感で自然と共に生きるという感覚を再学習するためにも大事なことかもしれない。おそらく縄文時代には野焼きや山焼きが普通に行われていて(詳細は「日本の土」山野井徹著 築地書館 2015年)、その感覚は研ぎ澄まされていたに違いない。

さて、週末になるとキリスト教文化圏では新たな暦の季節になる。まずは冬至と関係も深いと言われているクリスマスが射程に入ってくる。もちろん私も田端遺跡の冬至が頭の片隅に。

そして、今の関心事。土器や土偶につけられた穴の謎。縄文人が信じる信仰ゆえに見えていた何かである。何が見えていたのか。人は信じるものによって(科学技術であれ、宗教であれ・・)見えてくるものが違う。ただ、縄文時代は高度な狩猟採取文化という、ホモサピエンスの文化の基層部分を成すところがあり、その信仰も伝統宗教と無縁のものでもないようだ。さらに、戦争などが普通の今の文化と比べると縄文時代は10000年以上戦争(人を殺傷する目的で作られた武器がない時代)がなかった特異な文化である。それゆえに我々が失ったピュアな何かがあるように思えてならない。

土偶や土器の穴(眼、口、・・・)は何の光をとらえようとしていたのか?縄文人がストーンサークルで何を見ようとしていたのか。日、月、火・・・

8/10 縄文世界を感じる時

AMOR「縄文時代の愛と魂」に(⑨縄文時代人の信仰)を掲載しました。円錐形土偶の穴の考察でもあります。こちら

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