イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

他人を理解する? (奈良に行きたい 8/10)

2017-05-31 | 第八章「魂と聖霊」

 この写真は、今年訪れた飛鳥の南、聖なる南北ライン南限の壺阪寺から見た二上山である。持統天皇とも関係が深いお寺ともいわれ、この場所から持統天皇はどのような気持ちで二上山を見たのだろうかと考えると感慨深い。

 ところで、その持統天皇の気持ちであるが、それは生き甲斐の心理学を学べば学ぶほど謎となっている。心理学を学んでいるのだから分かるのではと思われるが、そうでもないのだ。

 以前、私が心理学や生き甲斐の心理学を10年以上学んでいると聴いて。「私の気持ちなんかを見抜けるんでしょうね・・・」、と半分冗談かもしれないが言われる方がいらっしゃる。しかし、自分のことは学ぶことで分かるようになってくるが、他者の場合は大きな壁がますます聳えて来る感じである。

 もう10年以上前であるが、ある勉強会で窓から見える鉄塔について、鉄塔をみてどんな気分になったかを参加者にお聴きしたことがある。それは、いろいろな回答があった。好きと反応する方、怖いと反応するかた、それは人それぞれ別々の身体、成育史、魂をもっていらっしゃるわけで、当然ながら違い、驚いてしまった。

 持統天皇が二上山にどのような感情をもったかは、文献も残っていないので分かりにくいが、例えば『死者の書』を書かれた折口信夫氏だったらどうだろうか。その著作や個人史、評論など沢山あることもある。今朝はWikipediaなどを調べてみたが、なかなか複雑な成育史をお持ちになっていらっしゃる方で、その全貌を知ることはなかなかである。ライフワークになってしまうような難しさなのだろう。

 この他者はなかなか分からないというのは、一つの真実であると思うが、一方平和構築などでも貢献したとされるロジャーズの19の命題の中には、涙がでてくるほどの、人の真実が詰まっている。例えば感情や思考は分かりにくいが、まだ行動は傍から見て分かりやすいが、次の命題がある。

The best vantage point for understanding behavior is from the internal frame of reference of the individual.

 行動を理解するためには、その人の内部照合枠を理解すること・・と言ってよいのだろうか。正常な人も当然だが、認知症や精神を患っていらっしゃる方でも適応できる汎用的な原理である。

 この原理を、他者はともかく、まず自分に当てはめてみると勉強になる。内部的照合枠とは難しい言葉であるが、無意識の世界を含めた自分の枠?を垣間見ることは楽しいものだ(悩むような勉強はしないことも大事だ)。そして、人間の深みをより理解でき理解が深まる。

 この「奈良に行きたい」というタイトルを選んだ行動、その心は?

奈良に行きたい 8/10

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奈良時代だけでないかもしれない入日の信仰 (奈良に行きたい 7/10)

2017-05-28 | 第七章「光と復活体」

 若いころ、湯川秀樹先生の同定理論など、人はなぜ天才的なことを成すことができるのかということに興味深々になった時期があった。そして、湯川秀樹先生と市川喜久弥先生の書かれた天才論を夢中で読んだものだ。ニュートンのような科学者もあれば、空海や荘子などの宗教家、石川啄木などの文学者、俵屋宗達などの芸術家も取り上げられていた。今考えれば、真善美にどこか触れることを成す天才。その創造に至る物語はとても面白かった。

 その若い時の創造理論への興味は、今でも続いている。ただ、対象そのものというより、その時に起こるこころの動き、例えば感情の働きなどに興味は移り、それが生き甲斐の心理学を深く学ぶことに繋がった。世の中は、例えば昨日の片岡山の飢人などを例にとると、そんなことがあり得るだろうか・・・など現象の方にまず関心をもつ方が圧倒的に多い。中世の天動説を否定し地動説を確立していく過程などは、殆どの科学者は天動説のもとに数式を巡らしていて、地動説などは全くの異端だった。眉唾は今でも嫌われたり馬鹿にされるものだ。しかし、現象ではなく心の動きとしてとらえるとどうだろう。

 それから、天才への興味というより(事例は別にして)、私を含めたどこにでもいそうな人々のことが気になるようになった。誰でも所謂大きな不幸に見舞われたりすると、人生観が大きく変わったりするものだ。それは、本当に心を動かされる。

 さて、写真は4年前に天の香久山の麓から畝傍山の入日をとったものである。そして、それから私は小高い天香久山を登り、舒明天皇の歌のある看板を見て、畝傍山方面に落ちる春分のころの美しい入日に見入った。

  

 舒明天皇は推古天皇の孫世代にあたる方であるので、四天王寺の西門はお彼岸の中日海側の極楽東門に向かうという信仰を当然知っていたのだろう。この信仰は熊野の補陀落渡海にも通ずるもののようだ。平家の壇ノ浦の悲劇にも通じているようだ。厳しいこの世から、平安のあの世へ・・・勿論、この思想の背景には縄文時代からの信仰の流れがあったと思う。私の住む多摩でも、冬至に丹沢の最高峰の蛭ケ岳に入日が入る土地にストーンサークルが縄文後期に作られていたりする。

 この世(ストレス曲線)からあの世(幸福曲線)にどのように変わっていくのか、とても興味があるこころの世界の話だ。何故、そのようなことが起こるのだろうか。

奈良に行きたい 7/10

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堂々巡りをする盆地の世界から (奈良に行きたい 6/10)r1

2017-05-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 写真は奈良盆地から見ると、山の向こうの海に開けかける地である太子町の聖徳太子廟に行ったときの写真である。この時には、次の写真の方形墳(仏教伝道と関係があるとされている)、推古天皇陵にも行った。奈良盆地の古墳と違い何か風が違ったように思った。

 

 この時代と次の白鳳時代は、日本は国際的な時代であったようだ。例えば駱駝が日本に贈られたとの記述は推古天皇の時代など6-7世紀に4件あるそうだが、その後は1000年くらい日本人は駱駝を列島でみることはなかったようだ。江戸時代になってやっと駱駝がくる。ちょっと妄想的に考えてみると、駱駝ちゃんがシルクロードからくる時代は政権が港や平野、海外を何らかの形で強く意識していたように思うし、そうでない時代は奈良盆地や京都盆地?の山に囲まれた時代であったようにも思う。

 6世紀と言えば駱駝ではないが、次に引用した記事に今朝驚いた。出典は何だと思われるだろうか?

 「墓の場所に行って見ましたところ、つき固めて埋めたところは動いておりませんのに、墓を開いて見ますと、屍骨(かばね)はもうなくなっており、衣服だけが畳んで棺(ひつぎ)の上に置いてありました」

 私などは、新約聖書から引用したのではと思ってしまうが、これは日本書紀の推古天皇のときの有名な片岡山の飢人から引用したものだ(日本書紀Ⅲ 中公クラシックス 井上光貞監訳 笹山晴生訳 2003年 27ページ)。政治状況などを調べると現代と当時の6-7世紀は意外に似ている。日本が白村江の戦いを繰り返さないことを祈ってしまう。

 さて、私はこのところ、何か盆地の中にいるような気分を味わっているようだ。一生懸命に動いているのだが、殆ど停滞しているようであり、勿論安定はしていて心地は良いのだが、方向感覚がつかみにくい。これでよいかとマグマのように疑惑感が湧きおこる。

 これを、生き甲斐の心理学の理論から見てみると、十四の防衛機制(フロイト)と関係しているようにも思う。山々に囲まれ、本来見えるものが見えない世界だ・・・そして、堂々巡りのような思考・感情・行動に悩まされがちだ。

 こうしたときどうするか。やはり、何かを信じて進むというか、待つことが大事なのだろう。源信が二上山とも思える山の向こうから西の夕日を浴びて阿弥陀がにょきっと到来することをイメージしたように。恵みはもってくるというより、やってくるものかもしれない。

 奈良に行きたい 6/10

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四天王寺を忘れていました・・(奈良に行きたい 5/10)

2017-05-25 | 第五章「和解と平和」

 私は関西に5年住んだ経験がある。そして、若い時は奈良や京都に出かけることが多かったが、なんと四天王寺には行かずじまいだった。そして、初めて四天王寺に行ったのは最近の2013年だった。

 とても庶民的な親しみの持てる一面のあるお寺なのだが、ご本像を拝見したときには鳥肌がたつような感情・感動を覚えた。

 この四天王寺であるが、仏教寺院としては飛鳥寺(法興寺)と同じころに建立され、日本書記には蘇我氏と物部氏との戦争と深いかかわりがあるように書かれている。そして、現実にその場所は大阪の上町台地(古代は、大阪平野の多くは海底であり、この上町大地は半島のような場所だった)の上にあり、西の海に沈む入日が美しい特別な意味のあった土地柄のようだ。出雲大社が伊勢神宮と反対に西の海に面し特別な意味をもっていたように。それは、物部氏等への鎮魂の寺、平和を願う寺だったに違いない。

 さて、二上山の近くを通る大和川を下ると難波の方に出る。大津皇子の墓所は怨霊封じなど特別な意味のある二上山にあり、死者の書の書き出しの不気味さと結末の極上の幸福感の二極を想ってしまう。

 世の中には光と影があるが、生き甲斐の心理学を学ぶと、感情の世界も光と影のようなところがあることに気づく。不安感と平安感、怒りと友好的感情、身体症状と健康感、ウツと幸福感、錯乱と統御感。影が深いほど光というか有難みも大きい。暗い感情を越えていくと突如明るい感情になることを経験されたことはないだろうか?

 世の中には嫌なことも沢山あるが、後で考えると幸福感を得るために必要だったかなと思うときがあるようだ。

奈良に行きたい 5/10

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自分の限界、人間の限界・・・(奈良に行きたい 4/10)

2017-05-24 | 第四章「愛とゆるし」

 若いころは劣等感はあるにしろ、自分の限界をどの程度把握していたかは疑問だ。ある意味生意気だったのだろう。それが、中年、老年期となりさまざまな限界が見えて来る。初めは、それに変に抵抗していたように思うが、ある日、その抵抗がどうもおかしいと思うようになった。

 限界を知り、それをありのままに迎え受容する。それは、あきらめるという意味も少しはあるにせよ、その限界の中での積極的な一歩を踏み出すことでもありそうだ。

 10年前に行った、比叡山の横川。同じ延暦寺なのであるが、根本中道などと違い殆ど観光客とも出会わない地であった。横川の僧都を当時は源氏物語の浮船を読んで知ったが、実際に行ってみて自殺を試みた浮船を救う人が横川に住んでいたというのは、とても自然だと感じた。今から考えると横川は豊かな縄文からつづく森の文化を背負っているかのようだ。

 生き甲斐の心理学を学び始めたこと、U先生からコップの水のたとえを聴いた。コップに水が半分くらいしか残ってない時、二つのとらえ方があるという。一つは、もう半分しかないと嘆く解釈。もう一つは、まだ半分もあると幸せになる解釈だ。ふと考えると、半分しかないという解釈には、念力でもっと増やしてやろうというような気負いが、どこかに存在するかもしれない。そこまで言わなくても、自分の限界を受容できていないことは確かだ、その気負いは反対に絶望に通じてしまう。

 半分もあるというのは、逆に自分の限界を知りつつ、何か感謝とか恵みとかを感じるスタンスかもしれない。感謝は、不思議なもので、自分の中に不思議な余裕をもたらすように思う。こころの自由といったらよいかが生まれる。

  比叡山の横川にいったのは、何か数年前のように感じていたが、もう10年経っていた。また、行ってみたい。 

奈良に行きたい 4/10

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