イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分を大切にすること・・・(生育史を楽しむ 2/10)

2017-01-31 | 第九章「愛」

 「自分を大切にする」というとエゴイスティックな自己愛と勘違いされてしまいそうだが、もっと広い意味で自分を大切にすることで、それには大きな意味がありそうだ。

 今の世の中で、自分を大切にするというと身体の健康に眼が行くことが多いようだ。それも実に大事だが、U先生の生き甲斐の心理学を学んでいくと、自分の生育史(臨床心理学の領域)と、自分の魂(宗教・哲学の領域)も実に大切なことが分かってくる。

 さて、最近映画「沈黙」について、知人から様々な意見をお聞きすることが多くなった。なるほど、そういう見方もあるのかとか、いろいろ考えさせられ、それこそ生育史からくる多様なご意見だが、自分を大切にする・・・という観点から考えても、沈黙は身体の問題、魂の問題、生育史(文化を含む)の問題が浮き上がり、とても考えさせられる。

 そして今朝は、日本書紀に記載された6世紀の仏教伝来のことについて、中村修也氏の「古代飛鳥の真相」(学研M文庫2009年)に触発されて思索させていただいた。宗教の伝来は教義そのものより僧侶や宣教師が重要な働きをする。蘇我馬子の加護もあり、日本で最初に僧尼が養成される(日本には巫女の文化があるのか、その辺は実に興味深い)。そして、その僧尼たちは、物部氏などの反対もあり、鞭打ちを受けたり受難するが、やがて百済に修行に出かけるなどの活動をする。政治と信仰、こうした関係の中で宗教の受容は、仏教もキリスト教も似たところがありそうだ。

生育史を楽しむ 2/10

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「撫でる」と「撫ぜる」 (生育史を楽しむ 1/10)

2017-01-29 | 第一章「意識と知覚」

 今日、久しぶりに孫と娘と一緒に歓談をしていたが、その時に孫を撫ぜていて、「撫ぜる」といったところ、「撫でる」が正しいと妻や娘、孫にまでに言われてしまった。多勢に無勢なので、少し反発してネットでと調べてみると、本来は撫でるが正しいが、日本全国で撫ぜるという方言?も流通しているとのことだった。

 東京でも、その方言もあるという。私は撫ぜるという言葉のほうが、触感を感じるので正解かと思っていたが、そういう意見もあるが撫でるが本来であるようだった。

 私が、「撫ぜる」とし、妻や娘、孫が「撫でる」としたのは考えてみると、生育史の違いのようであった。どうも私のみが両親、あるいは祖父母、母の影響で「撫ぜる」が正しいと思うようになり、妻や娘たちはそれぞれの生育史で「撫でる」派になったようだ。

 思い出してみると、私も幼いころに祖母が「みどり」を「あお」と言っていて、祖母がおかしいと言った覚えがある。今思えば、明治の人が「みどり」を「あお」と表現しても間違いではないが、当時は家でも学校でも「みどり」が圧倒的になっていたのだろう。

 言葉は環境により時代により変化するもので、良し悪しは本来ないと思う。しかし、人が発する言葉には、何とも言えない深い生育史の影がついていて、ある時代の肌触りを感じてしまう。

 さて、自己実現を考える上で、自分の生育史をどう感じ、どう受け取っていくかは大切なことだと思う。ここで、しばらく生育史の問題をしっとりと考えてみたい。

生育史を楽しむ 1/10

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他者を解釈するのは難しい・・・(自己実現 10/10)

2017-01-28 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は半日かけて、渋谷の國學院大學博物館の火焔型土器の特別展に行った。縄文が見直され始めた火焔型土器。国宝も展示されていて、じっくり拝見でき良かったが、私にとっては何か謎めいたものが残った。

 火焔型土器といっても、それは何を意図して作られたのか。それが言葉は先行していても良くわからないことが大きい。これは他の縄文中期の土器の大半と比べてもそうなのであるが、意味が解らないものに接して、なにか戸惑うのはおかしいことなのだろうか。おまけに、個人的には同じ時期の土器でも山梨県立博物館などで見た他の地域の土器のが美しいようにさえ思えた。これは個人の好みの問題かもしれないが。

 さて、火焔型土器もそうだが歴史本に素直になれないところがある。この数日、立て続けに中村修也氏の天智天皇関係の本「天智天皇と東アジア」、「偽りの対価海進」を読ませていただいた。以前、遠山美都男氏の「日本書紀の虚構と史実」、「天智と持統」を読んだことがあり、今まで知っていた、日本書紀の記述の沿った歴史観(7-8世紀)の問題を改めて確認した。いくら当時の最高権威をもって編纂した書物でも問題があると。

 個人的に、天智天皇陵、天武・持統天皇陵、難波京跡、孝徳天皇陵、鬼ノ城などで感じた経験も加味すると、天武朝で作られた日本書紀の記述が、壬申の乱で敵側だった大友皇子(天智天皇の実子)を歪めて書く(解釈)ことは大いにあると思うようになった。冷酷なマキャベリストと思っていた天智天皇は、意外にもそうではないようだ。

 この確信は私の1-2年の経験にある。持統天皇が作った天武・持統天皇陵の真北に天智天皇陵があることに気づいたことが一番だ。天智天皇の娘・持統天皇が作ったので当たり前かもしれないが、持統天皇が父にどこか理想像を描いていたということだ。持統天皇は大友皇子の近江政権と戦ったのは確かだが、天智天皇には尊敬の念をもっていたのではないか。

 歴史もそうだが、他者を評価したりすること、他者を解釈することを、日常のなかで気楽にする。しかし、実際は実に難しいことだ、他者分析は自己分析と比べると格段に難しい。

 自己実現の道は、そうした他者にふられないで、自分のこころをより確かめつつ歩むほうが良いようだ。と言っても、その道も実に険しい。

自己実現 10/10

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運命と自己実現・・・(自己実現 9/10)

2017-01-26 | 第九章「愛」

 昨日は話題の映画・沈黙を観た。大作であったが、最初から最後まで居眠りすることもなく一気に観ることができた。良い映画だった。

 このところ、ギリシャ悲劇を読んでいたこともあり、今回は運命と自己実現という、不思議な組み合わせを考えた。

 自己実現というと、言葉のニュアンスからか運命という言葉を忘れてしまうところがある。

 人は生まれてから亡くなるまで、運命に翻弄さえるのが普通である。綺麗に思い通りの人生を歩む人は殆どないようだ。キチジロウのように五島で17世紀に生まれ、不思議な運命の中を生き抜いた人もいる。井上さまのような迫害する側の武士もいる。ポルトガルから日本に命がけで来て、棄教する宣教師もいる。

 ただ、その運命が左右する人生にあっても、何かを選択し何かになっていく道があるように思える。それが自己実現の道ではないだろうか。

 運が良いことに、私はその自己実現の道を探すためのU先生の生き甲斐の心理学に出会えた。それも運命のひとつなのだろう。それは、大書店で平積みにされるような心理学の本ではない。ただ、一つのA4の紙に描くことができる系統図からなる羅針盤のような知識である。だから、おそらく踏み絵を踏むか否かという現場で使えるのだと思う。もちろん、知らなくてもキチジロウのように生き抜く人もいる。

自己実現 9/10

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役にたつ勉強とは?・・・(自己実現 8/10)

2017-01-24 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 最近ギリシャに凝っている。高校生のころにプラトンとか勉強をし、頭の片隅にあるものの自分とのつながりがあまりなく興味は殆ど持てなかった。それが、最近・・・縄文小説を書くことで、縄文時代の状況をまじめに勉強しはじめたことで変わってきた。自分のこころの仕組み->自分のルーツ->日本の古代史->縄文文化->メソポタミアややギリシャ、エジプト、旧約聖書、中国、インド

 日本ではさほど脚光を浴びていないが縄文晩期の土器や遮光土偶などは、欧米の博物館では人気者だそうだ。それは、独自の美術的価値もあるが、その同時代にギリシャ文化があるのではないかと私は密かに思っている。

 ピタゴラスが活躍していた時代、ソフォクレスが活躍していた時代・・・欧米人にとっては、その心の故郷の時期に、縄文晩期の美の世界が結び付く。それと似たようなことが、私に起ったようなのだ。

 話しは変わるが、昨日、久しぶりに某大学の文学の講義を聴かせていただいた。若い学生さんに交じって勉強したのだが、その学生さんたちは実学的な学部の学生さんだった。しかし、内容は純文学の世界。

 私も学生のころは実学で有名な大学で実学を選考したのだが、教養過程があり理科系ではあったが、文学とか哲学なども学んだ。当時は学生運動が盛んな頃で、また学生も授業にでるより、麻雀などをすることも多かったが、学生のクラブ活動で自主的に読書会に参加したことを思い出す。

 私の場合はドイツ文学関係で、ヘルダーリンやヘッセ、リルケなどをよく読みよく語った。それが役にたったか?特に卒業してからの会社生活で役にたったか?

 もちろん、コンピュータの知識、英語、品質管理や統計の知識、管理会計の知識なども実務の中では役に立つ。しかし、後で考えると、実務の世界は競争もあり、最先端的なところが要求され、学びなおすことのほうが多かったようだ。そして、意外にも役に立たなそうな文学とか歴史、哲学などが、大事だったように感じている。

 すこしまとまりがない話になってしまったが、勉強の本質は、自分が中心であるところの経験を積むことだと思う(ロジャースの第1の命題)。その場その場の周りの要請から、浅く勉強することもあるが、自分が中心であるところ・・・ということは押さえたほうが良い。それが身につく勉強方法だとも言える。

自己実現 8/10

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