イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不安感を理解して、長生きの秘訣・平安感を手にしましょう!(時の旅① 2/10)

2013-09-30 | 第七章「光と復活体」

 縄文時代を一挙に飛び越し、現世人類に近かった原人やネアンデルタール人について、昨日は想いをはせていた。いろいろな学説があるが、現世人類が東アジアや日本に到着したのは3万年前とか言われているが、人間に近いネアンデルタール人は3万5千年前に絶滅したとも言われるし、身体の小さかったホモ・フロレシエンシス(原人)は1万7千年前に絶滅したとも言われている。われわれの現世人類の歴史からしても、現世人類にごく近かった種が絶滅したのは、ごく最近の出来事のようだ。

 遠野物語の山男などの話にも、こうした種の話が、どこかにあったかもしれない。そんなことを妄想したりした。

 人間に近い、こうした種が滅びるのは理由があり、基本的には生き抜けないほどの厳しい環境(低温、食糧不足、競争等)があったのだろう。逆に言えば、そんな中でも生き抜いてきた我らの祖先は凄かったのだろう。そして、今では500万年とか前に祖先から別れたチンパンジーとか、さらに以前に別れた、オラウータン、ゴリラ、テナガザルしか見ることはできない。

 さて、不安感は、毎日直面する感情である。例えば、身近な福島の原発事故による汚染や健康被害等の不安感は日常化しているかのようだ。しかし、先日テレビを見ていたら1954年の第五福竜丸の時の放射能問題が放映されていた。当時もマグロの汚染の問題が非常に深刻だったことをあらためて知ったのだ。当時に食卓のマグロが放射能汚染で廃棄された事実があったことを知らなかったのである。こうした、人類が自分で起こした放射能問題はこの100年位のものであるが、長い歴史をみると、地球ができるころにウラン等の物質が臨界寸前になったことがあったようだ。今のような地球になったのも、そのとき大規模な核爆発にならなかったからだ。歴史の中には、様々な放射性物質の不安のたねが隠れているようだ。

 不安感は、生き甲斐の心理学で学ぶと、その人の持つ理想と現実(意識、無意識があるが)のギャップから生じることがわかる。そして、知識の量や質、解釈の問題から不安感は変動するようだ。もちろん、不安感は平安感のためのシグナルと見ることもでき、偉大な宗教家・哲学者は、不安感に負けず平安感をこの世にもたらす知恵を授けてくれた。確かに、不安感に対処する方法如何で、打ちのめされることなく、イキイキと平安感も時々いただき生き抜くこともできるようだ。

 不安感には、過去の不安感、現在の不安感、将来の不安感と分類できる。今の不安感はとにかく、過去の不安感や将来の不安感に心囚われるのは、私の経験上では意味があるとは思えない。ときに冷蔵庫の掃除ではないが、過去の不安、将来の不安などは掃除をして身軽になる必要があるようだ。

 時の旅① 2/10

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日本語はひ、ふ、み もあればイチ、ニ、サンもある不思議!(時の旅① 1/10)

2013-09-29 | 第七章「光と復活体」

 最近、縄文語とかの関係する本を読んでいて、はっとしたのだが、日本語には数詞が二系統あるということだ。英語などには、そんなことはないようだが、どうだろう?イチ、ニ、サンは中国とか大陸との関係が強いコトバのようだが、ひ、ふ、みはどうだろう?そして、このひ、ふ、みはどうも日本古来の原語のようでもある。

 この原語の数詞を研究されている方もいて、ネットでしらべると、きちっとした数詞の体系があるらしい。そして、何故20をはたち。100をももと呼ぶかもわかる。

 最近の古代言語の研究の話を聴くと、日本語は縄文時代ころの一万年前とかの言語を背骨のようにしているという説があるようだ。この、ひ、ふ、み・・・もそうかもしれない。

 さて、話は変わるが、心理療法では、言語療法もあるが、五感に関係する療法などいろいろある。U先生の生き甲斐の心理学では傾聴やカウンセリングの言語療法も大事にしているので、日本語の研究や詩などの文化も、時間の許す限り勉強したいと思っている。

 言語はもともと6-7万年前に現世人類の祖先が出アフリカをはたして、世界に散らばったときは、ひとつの言語だったようだ。その言語も、最近の研究によると、アフリカのサン族の舌打ち言語に近いとの説もあり興味深い。

 何百年、何千年、時には何万年という歴史のある言語。今まで何気なくつかっていたコトバにそんな歴史があるのかと思うだけで、何か暖かい気持ちになる。

 時の旅① 1/10  

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らせん状に成長する!(旅と真善美③ 10/10)

2013-09-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

先週は、天気がよかったこともあり、中秋の名月・満月をはさんでの月の満ち欠けがよく観察できた。

月が満ちてきて、ある時点からかけ始める。細密な写真映像を確認しつつ、満ち欠けが満月の時点で反転する不思議を観察できた。月の出も一日で50分28秒と遅くなるのも、考えてみれば不思議だ。仕事があるので、いつもじっくり見られるのは夜も更けてからだったが、その都度見える場所が違うので、ちょっと刺激的。

こんな月を科学の知識が少なかった(頭脳は現代人と同じようだと思うが)古代人はどのように考え、月を受容してきたのだろうか。恐らく、その時々の合理的知識を駆使して月を受容してきたに違いない。縄文土器の太陰的世界観など、今となっては推測するだけの世界だが、奥の深さを感じる。

月は、太陽から見れば、太陽の周りを地球の重力の影響もあり、地球をも周りながらで少しらせん軌道を描いて回っているのだろうが、地球からは何か周期的ではあるが不思議な動きに見えるのだ。

さて、自分の生育史を振り返ると、月の不思議な再生のドラマではないが、同じようなドラマあるように感じる。最盛の時が過ぎ、絶対的に見えていたものが色あせ、かつてないような不安感が襲ってくる、そして、それを時々のテーマを克服していくと、最盛の時を迎え次の不安が襲ってくる・・・

エリクソンの人格形成論は、著名な心理学の理論であるが、感覚的に捉えてみると、とても螺旋的だ。実際は複雑なのだろうが、人の成長に伴い何かネガティブな感情が生まれ、それがテーマに相応しい努力のもとにポジティブな感情も経験するようになる。それが済むと次の段階のネガティブな感情が生じる・・・そんな風にだ。

そして、本人は意識するかは別にして、ネガティブ(不信感、恥辱・疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感・・・)とポジティブの感情(基本的信頼、自律性、自発性、勤勉性、自己統合感・・・)のゆらぎの中で、希望する力、意志力、目的志向性、技能、忠誠心・・・が育っていく。朝顔の花が、一朝一夕に花開くのではなく、芽が出て、らせん状に弦を伸ばし、最後に花が咲くようにだ。

 可愛い子には旅をさせよということわざがあるが、人の中にあるらせん状の力、自然治癒の力を信じることも大事なのだろう。

 旅と真善美③ 10/10

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ハギを想い、日本人のルーツに想いをはせる!(旅と真善美③ 9/10)

2013-09-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は八王子勉強会であった。夏休みがあり、二ヶ月ぶりでメンバーが再会を喜び、生き甲斐の心理学の勉強を楽しんだ。

 その中で、意外に盛り上がったのは日本人の起源の話であった。この十年の遺伝子の研究で、考古学や比較言語学などとの学際的研究成果が凄いのだ。

 写真のハギも、一昨日も勉強会で話題となったが、奈良時代の万葉集ではハギが一番歌われているそうだ。桜や梅、桃ではないのが、ちょっと不思議。上代古代語から縄文語を推定したりする研究もあるが、このハギが何故、当時の人の意識に一番上がった花だったのだろうか?考えてしまう。ハギの生命力はすごく、荒地(山火事のあとなど)にも真っ先に根付く植物だそうだ。古代の人の心を捉えた一つかもしれない。

 日本人の愛する花は、後代では梅や桜もある。ハギと共通なのは、秋分や春分のころの花ということ、散ることも含めての風情が何か似ている点があるかもしれない。

 そう言えば、「もののあはれ」は日本人の心の特性を端的に表すコトバの一つであるが、ハギのハもアハレのハ。何か関連があるのだろうか。ハギで気になるのは満開の花の散る姿である、散るのチはかなり歴史のふるい縄文時代からの語幹らしく、精霊などの神秘的な意味を指摘する学者もいる。

 急に花札の話を思い出したが、猪とハギのつながりは何だろうか、猪はオーストロネシア系文化との関わりがあるようなのだ。古の記憶が花札に出ているかも???

 ちなみに、ハギは世界的には東アジアや南アジアにも分布していて、南方からの日本への古代の移民と関係が深いかもしれない。

 こんな風に空想しながら、自分達の祖先を想う旅は結構楽しい。

 両親や祖父母のことは知っているが、それを遡る祖先の話は殆ど判らない。ましてや数百代、千代前の祖先とかアフリカを出立しただろう2000世代前?の祖先のことは、いくら遺伝子の研究が進んでも良く判らないだろう。

 しかし、一つ確実に言えることは、私の血の中に過去の祖先の血は流れ、逆に言えば、どんな苦労をしたか判らない祖先が一人でもいなかったら私は存在しなかったという不思議である。両親がいなかったら私が存在しないのと同じことなのである。生命のバトンタッチは極めて不思議。自分の生命の意味を見直すきっかけにもなるようだ。

 旅と真善美③ 8/10

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萩を愛でる小旅行!(旅と真善美③ 8/10)

2013-09-26 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、Kさんの家で萩を愛でようという集まりに招かれて出かけた。あいにく雨であったが、丁度、豊かに繁茂した、必要な世話を施された萩は見頃で、しかも、しっとりとした雨が似合った。その萩を愛でつつ、こころ温まる一日を送ることができて幸せだった。

 昨日のお出かけは旅というほど大げさではないが、日常にもある、ちょっとした非日常=プチ旅は不思議なエネルギーをいただだけるようだ。

 特に、中年を過ぎると、エリクソンの人格形成理論ではないが、何かマンネリズム=停滞感を感じることが多くなるようだ。一昨日も、駅で見つけた福島駐在の仕事情報に何故か惹かれて、今の生活を変えたらどうなるのだろうと真面目に考えたりした。エリクソンの理論では、停滞感は世話の時代、35ー60歳に発現されるとするとされるが、マンネリと世話の不思議な関係を理解しているだけで、とても役にたつ知恵だ。

 福島を思ったのも、なんとなく湧いた停滞感からの世話への渇望かもしれない。

 旅に出たくなる時、何かの停滞感があることが私の場合は多い。日常から旅という非日常に。そこから何かが始まるような期待がどこかにあるのだ。そして、旅にでることで、抽象的な期待はとにかく、何らかの出会いが生まれ、それこそ世話、「オ・モ・テ・ナ・シ」を受ける機会が多くなる。また、旅での道連れに世話、「オ・モ・テ・ナ・シ」をしたりすることも多い。それゆえに、満たされるのではないだろうか。

 さて、昨日の楽しい会合の中で、私が思い出したことがある。福島県の唯一の国宝とも言われる白水阿弥陀堂である。丁度3年前くらい前に訪れ、余りの美しさにブログで「天国をかいま観る場所」をしたためた。そして、ブログの中にもあるが萩も素晴らしかった。震災でしばらく修理をされていたが、昨年くらいから開園されていると聴く。

 中尊寺などにも縁の深い白水阿弥陀堂。

 新しく、旅の企画でもしてみようかな。

 旅と真善美③ 8/10

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