イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

2006-03-31 | 2006年度(1/13まで)
 傷ついているひとの会話の中に棘を感じることが多い。<そんなこと判っているのよ。><なにいってんの。><あなたって冷たいのね。>。そんな時、一緒に感情的になるのではなく、この方は傷ついているのだと思えるかが大切だと、気がついた。不思議なこととに、それだけで、相手は落ち着いてくることが多い。

 自分に棘があるとき、それをいち早く教えてくれるのは、意外と動物だ。先日も突然、親しい犬からヘンな泣き声でほえられた。その日は、ある知人が突然亡くなられて動揺しており、どこかに棘があったのかもしれない。不思議なことである。

エジプト

2006-03-28 | 2006年度(1/13まで)
 先ほど、NHKの教育テレビの「アラビア語入門」の年間最後の番組をたまたま見た。アルファタが若い女性を意味していることなど、感激して拝見した。22ヶ国で使われているアラビア語。英語だと、ハワイのロケシーンなどが出てくるが、なんとエジプトのカイロのロケシーン。すごいですね。

 最近、旧約聖書の脱エジプトの話題にたびたび遭遇した。肥沃な土地であるエジプトを脱出し、砂漠等の困難にあえて挑戦したモーゼ達の話だ。また最近買った、中沢新一先生の「リアルであること」の中に象徴的な意味で、エジプトについて書かれていた。

 そして、今日のアラビア語。
新しい何かが、春と共にやってくる予感で楽しくなる一日だった。
 

本田美奈子さんの「誰も寝てはならぬ」

2006-03-26 | 2006年度(1/13まで)
 荒川静香さんの金メダル受賞で有名になった、トゥーランドットの特集を、本日の「題名の無い音楽会」でやっていた。その中で、本田美奈子さんの「誰も寝てはならぬ」をお聴ききしたが、感動の余り涙がでてしまった。

 先日の個人的な悲報のせいもあるとも思うが、美しいメロディから死に触れるリアリティを感じたのだと思う。

 早速、レンタルショップで本田美奈子さんのアルバムを借りた。
今日は「チベットの死者の書」でも読みながら、アルバムを聞いていたい。

顔をしかめて祈るとき

2006-03-25 | 2006年度(1/13まで)
 神が私を純粋に愛しており、私がその愛をストレートに受け入れ、そして、その愛を神にむけるなら、私の顔がしかめつらになることは無いだろう。
 一週間前に、モーツアルトの8枚組みの全集的なCDを頻繁に聞いていたら、あるとき自分の祈りが不自然であることに気がつき、そして上記の考えを持つにいたった。宗教心理学の勉強の影響もあるかもしれない。

 顔をしかめて祈るようなとき、私はどうだろうか?きっと、ストレスの多い状態で、人に嫌われているだろう。もちろん自己嫌悪の感情がどこかにあるに違いない。

 突然の悲報を聞き、今日は一日ブルーであった。その方のために祈ろうとおもいつつ今まできてしまった。

 今日は、顔をしかめないで祈りたい。

丑三つ時

2006-03-23 | 2006年度(1/13まで)
 怖がりである私であるが、7歳のころのアラスカに住んでいたころの怖さが印象的である。小さな水上飛行機で、雲の中をシトカに向かって飛んだとき。パルプ工場から断崖の道路(その時はそう感じたが、実際は不明)を霧の中で自宅に向かったとき。夜中に眼をさましたら、両親はパーティに行っておらず、時計が午前2時を指していたとき。

 こんなことを思い出したのは、昨日眼を覚ましたときに午前2時であったためで、久しぶりにぞくっとしたからだ。
 怖さは何を教えようとしているのだろうかと考えてみた。いくつか本当に怖い思いをした経験があるが、怖い中で勇気を出して行動し乗り越え、ほっとしたときの安心感がたまらないと思う。つまり、怖さは勇気をだして行動せよと私に教えているのかもしれない。エクソシストなどの怖い映画がまた見たくなった。