イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

傾聴、祈り、日本語!(こころを聴く! 9/10)

2016-01-30 | 第九章「愛」

 大人になり、難しい選択の場に立たされたり、不条理な死とか病、あるいは出来事に遭遇すると、祈りを意識することが多くなるようだ。そして、不思議な出会いとか何か意味がある偶然というか、そんなことに出会ったりすると、若いころは分からなかった信仰の意味が見えてくるようになってくる。

 傾聴する場合、相手の事情や自分の生き方などいろいろ想いが湧いてくるが、難しい困難を抱えている相手と難しい状況を語り合っているとき、自分の力量をはるかに超えた困難に、サムシング・グレイトを意識したり、ひたすら祈ったりするのは自然だと思う。

 人間のこころは果てしない人類の歴史の中で作られ、何か原型的な鋳型とか傾向というようなものがあり、いくら科学が発達したところで、縄文時代の祖先と大差ない同じような信仰に回帰するように思う。死と再生の希求・信仰などは、形は違っても脈々と数千年、数万年といった単位で人類の歴史を刻んでいると思う。

 さて、昨日から自分の想いを言語化する時に生じる変な抵抗感について考えている。今まで特に意識したことがなかったのだが、たまたま、自分の中の変な抵抗感があり、言霊文化の中にいるんだなと、ちょっと感動したのだった。

 話は飛ぶが、国際会議で寡黙になりがちの日本人は、言挙げしない特殊な言葉に対する感性を残しているからかもしれない。以前、このブログでも万葉集の中に、言霊文化が確実に残り表現されていることをお話ししたが、文字の導入を一万年以上(世界の大半が書き言葉を導入した後でも)、ひたすら縄文文化の中で拒否してきた。それは、原始的で劣った祖先が単に文字の良さを知らなかったということではなかったと思う。縄文の基本理念と文字導入が相いれなかったのではないか。そして、その感性が言挙げしない文化と関係している。

 そして、欧米のようにカウンセリングや心理療法が、多くの精神科のお医者様の過度ともいえる薬療法のように根づかないのも、そんな風土と関係があるかもしれない。しかし、世の中はどんどん欧米的グローバリズムに傾斜しているので、100年以上の経験を積んだ臨床心理学のエッセンスは日本流に形を変えて導入しなければならないと思うのだが。

こころを聴く 9/10

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燃える!(こころを聴く! 8/10)

2016-01-29 | 第二章「五感と体感」

 縄文貝塚に燃えれば、殆ど脚光を浴びていない博物館に、八王子から都心をとおり千葉まで見学に行ってしまう。

 富士山に燃えれば、いつも気にしていて、富士山が眼に入ればシャッターをきってしまう。

 「生き甲斐の心理学」に燃えれば、毎日のようにブログを書きつづけいつのまにか10年以上たってしまう。

 本心から燃える、不思議な興味を持つ、当然好きだからでもある。

 さて、困っている人を支援する(自分が困っていることもあるが)傾聴の6つのポイントの最後は熱意である。相手のことに強い関心を持ち、相手を当然大切にする。次の約束を気にしていて時計ばかり見て居たりするわけもない。当然ながら、相手は安心して心を開いていける。

 もちろん、人はどんな時でもどんな場所でもどんな他者をも単純に好きになることはできない。したがって、その人の持つ哲学や信仰・人間観が大事になる。このあたりを言う人は余りいないが重要だと思う。

こころを聴く 8/10

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感情でつながる世界!(こころを聴く 7/10)

2016-01-28 | 第二章「五感と体感」

 加曾利貝塚博物館のカソリーヌとの写真!

 昨日は八王子から都心を超え千葉の加曾利貝塚博物館に行ってきた。関東は日本でも有数の貝塚遺跡の地で、昨年から中里遺跡、大森貝塚と周り、最近は縄文時代に時間を割くことが厳しくなってきているものの、貝塚関係の講演は欠かさず月一回くらいは参加し、有名な加曾利貝塚へ是非と思っていたのが実現したのだ。

 この加曾利貝塚博物館は巨大な馬蹄形貝塚(国指定遺跡)に隣接しており、また実際に敷地を歩くと縄文時代の貝殻がころがっているところが見られる素晴らしいところ。考古学の醍醐味を理解する絶好の場所のようだ。

 

犬の遺骨の遺骨のレプリカ 

 オオイヌノフグリも咲いていました。八王子と違ってもう春の気配が!

 

 

 今回、一番印象的だったのは、レプリカだったが縄文犬の遺骨が見られたことだった。貝塚は中里遺跡等加工所型の遺跡は別にして、食べ物の残りかす(貝殻、骨)だけでなく、生活の中で大切にされた犬や人間の遺体までも丁寧に葬られた。恐らく、縄文時代の死と復活の思想・信仰が底流にあったのだろうが、詳しくはわからない。

 遺骨といえば、日本では土地が火山灰で酸性のため、普通土に埋められた遺骨はすぐ溶けてしまい残らない。それが貝塚のようなアルカリ性の場所では奇跡的に保存される。貝塚といえば人骨との遭遇と、最近はDNA分析等が進歩しているので、期待する学者も多い。

 さて、我が家でもワンちゃんがいるが、人と犬との関係は実に古く、犬は最古の家畜といわれる。

 そして、人と犬との交流は、共存関係にあり運命を共にしたこともあっただろう。今も5000年前も犬は言葉を発せぬものの、暖かい感情で交流できるようだ。そして、カソリーナのゆるキャラ。頭に加曾利式土器を被っているのが何とも哲学的だ。

 さて、傾聴の話に戻るが、傾聴の6つのポイントの一つは感情の理解。通常、私もIT大企業でビジネスを経験したが、話をするときの一番のポイントは事実の確認であったり、理路であったりで、相手の感情を中心に聞く習慣は殆どなかった。もちろん、臨床心理学の基本の感情の理解についてもお寒い状態。

 しかし、困難な問題に遭遇している人を支援したりもする「生き甲斐の心理学」では、傾聴を大事にする。その場合、傾聴する相手が最先端の学者であったり、さまざまな特別な問題を扱っていて、困難さの理路や事実を同じ土俵で理解することは不可能に近い。その面で素人の私とは交流にならないことが多い。

 ただ、こころの問題は理路より感情が真実に接近するのに役立つので、感情をとおしていろいろ相手を理解できる。

 猟で傷つき痛がっている犬と交流するのに言葉は不要。辛さを理解し、優しいぬくもりと看病なのでしょう。傾聴も似たところがある。

 

 加曾利貝塚からの帰り道、東山魁夷記念館に寄った。わたしの好きな日本画家で、今までも信州等に絵画を観に行ったりしたが、晩年の「夕星」の傑作も展示しており感動した。しかし、この日本画。外来からの画に対し奈良時代くらいから大和絵、日本画などと伝統的な絵画を意識した言葉であった。ひょっとすると縄文時代くらいから、日本画の伝統が脈々と流れているのかもしれない。美しい森や、フィヨルドのある海岸・・・まるで縄文のイメージなのだろうか・・・そんな不思議な感覚をもってしまった。

 帰途の富士山もきれいだった。

こころを聴く 7/10

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機を見るに敏!(こころを聴く6/10)

2016-01-27 | 第十章「今ここでの恩寵」

大栗川沿いでのいつもの水鳥ウォッチングを昨日したが、堰のところで4羽の水鳥が仲良く泳いでいた。見ているとその中の一羽が堰になんとなく近づき、あわや落ちるかというタイミングで飛び立った。

 

それを見た他の水鳥も、「これは面白い」と思ったのか、つぎつぎに堰でのスリルを楽しみつつ飛び立って行った。

 

こんな風景に出会い・知覚し感動したのも、ちょうど私が間について考えていたからかもしれない。

傾聴では当然ながら大きなテーマだ。どんなタイミングで何を話すか、何をお聴きするか、一方的な、押しつけっぽい傾聴はうまくいかないものだ。

もう一つ、大事な人生でも間は大切だ。例えば私は年末に縄文小説を論文の中で書いたが、いつかこれを本にしたいと考えている。しかし、何時、どんなタイミングで、あるいはどういう風にアレンジして、何のために・・・

機を観て敏という言葉がある。機はさまざまな要素があり、人それぞれにとって機は異なるかもしれない。そして、事前には誰にも正解はわからないものだと思う。そして、それは縄文時代も今も変わらないだろう。機をどのように見るかは、結構神秘的なことのように思う。

しかし、水鳥のように自然体で機をこなしたいものだ。

こころを聴く 6/10

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暖かいこころで共感してもらうと落ち着くものだ!(こころを聴く 4/10)

2016-01-25 | 第四章「愛とゆるし」

 今年になってカメラが壊れ、修理で戻ってほっとしたところだったが、今朝携帯を洗濯機で洗ってしまった!あっというまに、私自身が困難な人になってしまったようだ。

 さっそく、いろいろ準備をして先ほどショップに駆け付けた。運よく今回は手元に代替え用の携帯があったため、簡単に切り替えていただいて自分の回線の普及はすぐにでき、費用的にも最小限で済んだ。

 しかし、ショップでのベテランの店員さんとの会話がとても楽しかった。困難な人になってしまった私であったが迅速に対応していただき、水没事件に対しても実に暖かく共感的であった。洗濯機事故についてはかなり事故が頻発しているのか?いろいろ話してくれた。だいたい、夫がポケットにいれたままで洗濯機に入れ、それを奥様が見過ごして洗うというパターンが多いようで、夫が妻を何故チェックしなかったかと怒り、妻は夫に大切なものをポケットにいれたままにしてと怒り喧嘩してからの来店になるようだ。かならず・・・と言われていたが。

 私は何も言わなかったが、実は我が家では今回は争いはおこらなかった。私が一言言おうとすると・・・、それを観ていた娘が「感情転移しないでね。」などと・・・。心理学の勉強を家族に吹聴してきた効果がここに。しかし、喧嘩はしないまでも、心の健康度(プロセススケール)は低下していたが、娘の共感的言葉(これからショップにいったりし大変だねなど)になにか心が回復したからだ。

 暖かい共感的態度は、決して賛同することではない。困難な事態やこころを親身に理解し、上から目線でなく共感することなのだ。そういうことであれば、そういう状況であれば、そのような感情になっても当然至極。理解できますね・・・と暖かい心をちょっと表現することだ。

こころを聴く 4/10

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