イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

リモート時代の無力感や挫折感を乗り越える (リモート時代と縄文と私 4/10)

2020-06-30 | 第四章「愛とゆるし」

  6月は昨日で終わったが、いろいろ変化のあった月だった。そして、時にはかなりのストレスを感じたことも。朝の目覚めのときに、なんとなく深い悲しみのような感情を感じてぞっとしたことも。そんな日々は、思わず口から自分にとって古い口癖のような呪い?のような言葉が出てくる。こうした鬱状態に近いことはいろいろな方が体験されると思うが、U先生の「生き甲斐の心理学」の学徒たる私は、特に朝のなんともいえない感情について味わいつつ、この感情について思い巡らした。

 大げさに言うと無力感とか挫折感なのだろうか。気持ちの良い感情ではないが、この本物の感情は表面的に「おまえは駄目だ」と叫んでいるようではあるが、何か「大切なことを忘れているのでないか」とか、「前に進むための考え方を整理したら」とか、深いところで呟いてくれているようでもある。静かに手を合わせて一人祈っていると、ふと解決の糸口が。

 人は無力感や挫折感に陥ったときに絶望するだけなのだろうか?死期を悟っていた仏教徒でもあった祖父は、数日前まで朝は仏壇の前で手を合わせていた。身近な祖先の霊や仏様と語り、ある日、あの世が垣間見えたと言って喜んでいた。私の場合はカトリックであるので神様に語る。自分に頼れないときはなおさら、人は信頼できる神仏に親しく祈るのだろう。

 人間はどんな人であっても、皆限界がある。わかりやすいところでは生死があるが、誰もいつの間にか生まれ、いつの間にか死ぬ。私は縄文時代のことを一生懸命勉強しているが、当時の人は100%身体は朽ち、あの世に旅立ってしまっている。100%である。生の世界は少しは知っているが、死の世界はいろいろな説はあっても不可知である。そして、そうだからこそ、多くの人は神仏や死後の魂を信じ、アイデンティティを固めて心を納め、新たな一歩を歩み出す。

 私は6月の後半になって、この大きな社会の変化の中で、IT技術を学び直す必要を感じ始めた。ある意味野蛮なリモート時代の生き抜く術なのだから。「生き甲斐の心理学」の学徒であり、縄文小説家?であっても、必要なことなのだろう。さらに、温故知新ではないが、自然災害や疫病と社会のことなどに興味を持ち、こうした、「リモート時代と縄文と私」なるテーマを考えているわけである。

 最近の科学技術の進歩で古環境の解明がどんどん進み、例えば縄文時代早期や前期は温暖化、中期以降特に後期、晩期は冷涼化が激しいなどということだけではなく、年縞測定や花粉分析などで精密さも格段についてきている。さらに、2-3年など短期的な変動についても火山との関係が明らかになりつつあるようだ。火山関連の環境史の本(歴史を変えた火山噴火 刀水書房 石弘之著 2012年)を読んでいたら、私が興味をもっている、日本列島の3500年前ごろや飛鳥・白鳳時代にも、地球規模の火山爆発による影響があったようで。その変革の時代に大きな遠因になっていたことに驚いた。

 今の時代、この数ヶ月の日本列島。大きく痛みを伴いつつも変容している。コンピュータウィルスなどの問題など小さなことのように、オンライン・リモート化の波は激しく、技術革新というか変化はすさまじい。新しい物を取り入れるところは日本の縄文時代からのお家芸なのだろう。一方、自粛警察という言葉が有名になるほど、ある種の思考停止と同質性指向、保守性も健全?なのかもしれない。私がIT技術をつけなくっちゃと思うこともそうした流れにのっているからかもしれない。

 今から3500年前も時代の変曲点であった。まだまだ勉強中であるが土器一つをとっても、粗製土器や精製土器が現れたり、加曽利B式が広範囲にわたって受け入れられる。まるで自粛警察のようだ。その他、祭儀なども大きく変容し独特の文化が展開していく。前回お話したように日本が東と西に分かれて文化が変容し始めるのもこの頃からという説すらある。技術革新がすさまじいなか、同じような思考停止と同質化志向もあったのかもしれない。

 これは日本という国ができた6-8世紀にも当てはまりそうだ。内外の混乱と戦争、律令制や大陸文化の受容、推古天皇、皇極天皇、持統天皇といった女帝も大活躍。特に持統天皇の功績はすさまじいと思う。

 こうした日本列島の精神構造ができたのはいつのころだろうか。現代の民族学においても影響力を及ぼしている学者に、故岡正雄氏がいる。戦前から戦後にかけて、世界で活躍した民族学者で、記紀を分析して、日本には5つの文化が合流しているという説をたてられた。詳しくは「岡正雄論文集 異人その他 他十二編」(岩波文庫 大林太良編)。もともと日本列島は多民族から成り立っていることは明白なのであるが、それが、今回のリモートの時代への変化で見るように不思議な適応の仕方をしているようだ。U先生は日本人の特性として、①汚れと禊ぎ ②もののあはれ ③恥の文化 ④甘えの構造 ⑤わびとさび ⑥幽玄の美 を挙げられている。一昔前はよく論じられたりして、私も「甘えの構造」(土居建郎著 弘文堂)や「菊と刀」(ベネディクト著)などを読んだ時期があったが、最近は映画「日々是好日」などを見て和んだりした。記紀の伊弉諾の黄泉の国探索は有名であるが、その後汚れを取り除き禊ぎをするシーンは印象的である。汚れと禊ぎの原点だ。時々、こうした日本の心の文化を思い出し、自分の中に流れる縄文時代からの贈り物を思うと、ふと助けられることがある。COVID19やコンピュータウィルスに悩まされた私たちは、時には神社仏閣・教会、あるいは滝や川・・・とおのおののところで禊ぎをする必要があるかもしれない(笑)。

それから、もう一つ。

 火山噴火や異常気象などを考えるために温故知新するには、リアルな文献もベースにした歴史がありがたい。最近、NHKで「大化改新」という歴史ドラマを拝見する機会があったが、蘇我入鹿が雨乞いに失敗したが、天智天皇の母である皇極天皇が成功し、恵みの雨が降り庶民から大いに感謝されて圧倒的な権威に満ちあふれたシーンがあった。先の例にあげた私の中にも見え隠れした無力感や挫折感。そんな中で蠢いている庶民や、祭司(巫女)としての仕事をするものの、人間である皇極天皇の心のうち。それは千年以上の時を超えて響いてくる。記紀などに描かれる古代の様々な記録はとても大事だなあとつくづく思う。

 さらに、雨が降らないという大きなストレス、鬱状態からの脱出というのも興味深い見所であった。雨乞いに成功することにより、世界が天と地のごとく変わるような心の変化がある。泣いたカラスがもう笑うではないが、鬱状態から一気に幸福感に変わるのである。

 先の私の暗い感情も、不安、怒りを上り詰め、さらにちょっと病的な身体症状(食欲がなくなったり、寝られなくなったり)を超え、鬱状態くらいまで行っていたかもしれない。しかし、暗い感情の反対に明るい感情が隠れている。不安には平安感。怒りには友好的感情、身体症状には健康感。そして鬱状態には幸福感。追い詰められて鬱状態になっているときに解決への雨が降る。それで一挙に鬱状態が幸福感へ切り替わる。日常の中では得がたい感情である幸福感は、このように鬱状態のご褒美のようなところがあるのだ。

 これからも、こうした時代なので、死ぬまでに私も無力感や挫折感に悩まされたり、時には鬱状態に陥ることもあると思う。生きている限り、私たちが通り抜けなければならないつらい感情はなくなるわけにはいかない。それは、縄文時代の祖先も白鳳時代の祖先も、江戸時代の祖先も同じ。ポイントは、暗い感情を意識化すること。さらに感情の底に気づかされるということ。

 暗い感情の反対に同質の明るい感情、幸福感があると信じることも大切だと思う。自己肯定・他者肯定のスタンスを思い出し、希望をもつことは大事かもしれない。

リモート時代と縄文と私 4/10 

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大木のイメージで混乱の時代を生き抜く (リモート時代と縄文と私 3/10)

2020-06-22 | 第四章「愛とゆるし」

 緊急事態宣言が終わって前と同じような世界に戻るかと思いきや、なんともシュールな世界に。この3ヶ月で今まで聞いたことがなかったソーシャルディスタンスを意識したレイアウト、暑くなってのマスク、Zoomなどが日常的に使われ、IT技術が以前にまして幅をきかせ初めている。数ヶ月でこんなに変わり、これからも同様に激しく変わっていくのだろうか。

 生命体としての人間は、当然ながら身体を持ち、他の生命と同じく五感体感で、この世を生きていく。しかし、COVID-19のおかげでで物理的に人との距離をとらざるを得なくなり、五感・体感を激しく制限される日々を強いられている。そして、マイクとカメラをもつスマホやパソコンでの仕事、一緒に映画を見るのではなく一人でテレビを見たりする時間が増える。人との出会いも、会話は少なくなり、初めての人との出会いも喜びであったはずなのに、長い自粛生活で鬱陶しく感じたりしてはっとしたり。様々な職種で激変が生じている。ネガティブに捉える人もいるが水を得た魚のように活発に我が道を行く人もいる。

 新型コロナウィルスは人間の身体の外から侵入する。特に鼻や口、目といった粘膜が危険らしい。また身体の外に口や排泄器などからウィルスがまき散らされる。しかも、病識がない状態でまき散らされるというところが実にやっかいだ。そんな変な伝染病は今までにあったのだろうか?体感ベースで理解ができない。

 薬師池公園 亀の3密が気になる!?

 ところが、ウィルスはそれだけではなかった。数ヶ月の全世界的なリモート指向は、日本でも劇的に進みテレワークは当たり前になりつつある。そして、急激な変化の中でセキュリティまで配慮する余裕のなかったのか、コンピュータウィルスが猛威を振ってる。ウィルスとは実によく名付けたものである。攻撃対象が有機体と無機物の差が歴然とあるのに本質を見抜いている・・・

 コンピュータの目や鼻、口の粘膜にあたるところは何処だろうか。それは、メールやSNSで送られるメッセージ、Webでのクリックだったりだろう。最近よく耳にするZoomも招かざる参加者が入室する。そして、8桁以上のパスワードも作り方もあるが破られ様々な悪さをしてシステムを破壊する。遠い昔の銀行の4桁のパスワードは誕生日はやめた方が良いくらいであったが、今は英語の大文字小文字、数字に特殊文字を使って8桁以上など、さらに時々変更しなければならない。それでも安心できないのでスマホをつかっての本人確認までが常識となりつつある。

 LINE, Facebook, Instagram, twitter。 さらにZoomやmessenger roomといったスマホやパソコンでのSNSツールはCOVID19で残された3密?がゆるされる分野であったが、こちらも同じような脅威にさらされていたのである。

 しかし、なぜウィルスがこのように人であってもコンピュータであっても跋扈する時代になったのだろうか。コンピュータは最近だがウィルスの歴史はずいぶん古いようだ。文明化による自然破壊との関係を指摘する人もいるようだが、確かに、人間が自然を破壊していくことが災いをもたらしているのは事実のようだ。コンピュータウィルスの問題も、光があれば陰があるように人間のこころが産んだある側面である気がする。

 ところで、10,000年以上といわれる縄文時代に、私たちと同じようにリモートを強いられた時代があったようだ。文字が使われなかった文化で文献が残っているわけではないが、考古学の世界を調べてみると縄文中期末ごろから縄文後期にかけて住み方がずいぶん変わるのは事実のようだ。環状集落は縄文時代中期(1000年くらい続いた)を中心にして住み方として日本人の2LDKみたいに有名だったようだ。輪のように家族だけでなく仲間と寄り添って暮らす。それが大体4000年くらい前に終わり、どうも離散して暮らし始める。その全容はわかりにくいが本当のようだ。ただ、アイデンティティ(宗教や信条)は後期になっても墓址、積石遺構、環状盛土遺構などを考えても中期の輪の基本は変わらず、引き継いでいるところがある。縄文後期、暮らし方が3密ではなくなり、リモート?になったのではないだろうか。その原因は冷涼化や火山噴火などによる環境の悪化という説もあるが、何らかの感染症があったのではないか私は妄想している。状況は変わっても歴史は繰り返しているのかもしれない。この4000年前後は日本列島だけでなく、世界的にも大変化の時代で大陸では、新石器時代から青銅器時代に加速して向かう。厳しい環境は文明を進展させるが、一方自然破壊によるのか感染症が蔓延したのでは?

 当初私は縄文後期は変な時代で謎だらけ、抜歯の習慣が進行する呪術がまかり通るオカルト的な世界をふと感じたりしていたが、輪の思想が継続していたりすることを見て、そうではなく生き方の根幹であるアイデンティティは中期と同じで健全だったと思うようになった。逆に今私たちが生きているのも、そのときの祖先のおかげではないかとも。

 こうした生活の激変の時代。多くの人は不安な毎日を過ごし、特に仕事をしている人は過酷な現実を突きつけられる。私も例外ではなく、ストレスを感じる日々を送った。急激に変化する環境(ビジネスもあるだろうし、生活スタイルも)の中で、気にかかることが増えてくる。不安なことが起きてもその日のうちに解決し、怒っても身体に来ること(寝られなくなる、食欲などが低下)がなければ問題がないと、自分の心の健康状態を把握しているつもりだが、1-2日同じ問題が頭の中で堂々巡りし始めるのは赤信号である。

 そういうときは、目先の問題もさることながら、あえてリラックスできる時間をつくってのんびりすることが大事なようだ。そして、自分を俯瞰するように①何のために生きているか?②生きがいは何か?③自分を大事にしているか?とU先生が教えてくれた3つの自問自答を思い出しつつ祈りの時を持つ。すると、意外に短時間で方向が定まったりするものだ。今回は夜の電車に揺られて20分くらいだっただろうか。優しいA さんのメールを見ていたら、もつれた糸がほぐれるようにアイデンティティが定まり、目先の問題はどうでも良くなった。不安の解消である。表面的な問題の背後には意外に自分の柱がふらついていることがある。

 不安感は理想と現実のギャップと考えると良い。怒りも身体症状も鬱も錯乱も、その人のもつ理想と現実のギャップである。ただ、怒りや鬱の中にいると、理想や現実を吟味する余裕がなくなる。あくまでのんびりとリラックスして、仕事の終わった電車の中とか、風呂の中・・・そんなときに祈りつつ、自分の身の丈の領域に子猫のようにかわいくなった不安を置く。

 人生は忙しくしていると、いろいろな方向を同時に目指したりする。A、B、C。しかし、能力があり健康で若ければできるかもしれないが、年取った私などはどこかに無理を生じているようなのである。こんな時、Aをあきらめ、B,Cを中心に再統合するといったことは大事なのだ。ネガティブな感情が渦巻いている時はそのような判断はなかなかできないものであるが、のんびりとしていたり祈っていたりすると、不思議にひらめくものである。アルキメデスが風呂の中でひらめいたように何かが頭の中にやってきて、そして統合され一気にネガティブな感情は減少する

 

 縄文時代の中期から後期(4,000年前を中心いして)にかけて、祖先は住み慣れた環状集落を放棄する。よっぽどの理由があったのだろう。数千年の歴史のある住み方を変えていくのである。中期には、家の戸を開けると、向こう側に村の人の家が見え、その間の中央広場には倉庫や家族の墓があったりし、自分の今の命をこえて遙か昔から遙か先の魂の世界まで見通すような生活が広がっていた。それは、現代にも確実に存在する宗教的な世界のひとつであることは間違いない。そして、理想的な生活ができなくなり環状集落が解体する。しかし、輪をなして住むことができなくなったあとも、大事な宗教を思い起こすかのごとく、例えば環状の親族の墓址や配石に祈りをこめながら、二至二分のときなどの聖なる日を目指し、多大な労力をかけてモニュメントを築いたりする。そして祝日には(例えば夏至)かつての仲間が遠方からも顔をそろえる。

 私はカトリック信者であるが、その気持ちは何となくわかるような気がする。青春時代には神を信じていなかったためか、信じている人は理解不能だと感じた時期があったが、一度何かを信じる世界に入ると、その気持ちはとてもわかるようになる。

 最後に、もう一つ大事なことを。

 大きな変化があるときは自分を何かの大木とイメージしてみることは大事だと思う。神社などに行くとしめ縄を張った神木を見ることが多いが、自分が好きな大木を意識し、それを自分と重ねることは大事だと思う。ひょろひょろの木とか風になびく草に自分を重ねてはならない。大木が条件。私は銀杏の大木が好きである。高校の校庭に大木があった印象が強烈だった。そして、何となく自分のイメージと重ねてみる。秋に黄色い葉を風でゆったりと落とす。銀杏の独特の異臭も今ではどこか懐かしい、その匂いが逆に元気にさせてくれるようでもある。不完全だらけであっても大木になれる。大木(写真は奈良阪のけやき)のイメージは自分を自分として成長させてくれるエネルギーとなるようだ。この大木のイメージについてはU先生のDVD「元気で生きる」に詳しい。厳しい環境の中で生き抜く。そんなときはつまらない劣等感や疑惑感を払拭しつつ、大木のように進むのが良いのだろう(傲慢という意味ではなく)。

 きっと、縄文の祖先たちも大木が好きだったのでは。

リモート時代と縄文と私 3/10 

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髪を整える道具を観ながら・・・(リモート時代と縄文と私 2/10)

2020-06-10 | 第四章「愛とゆるし」

 緊急事態宣言の最中に自分の髪のケアについて考え、新たな一歩を踏み始めた人も多いようだ。奥様に手伝ってもらって髪を整える方、自分ですきバサミなどをつかって散髪した方、どうせ自宅にいるだけだからと何もしない方・・・

 そして、今緊急事態宣言が解除されても、いったん始まった変化は止まらないところがある。私も今後のことを考えてすきバサミを買ってしまった。そして、少し試しながらふと机の中の黒曜石に目がとまった。そして、髪を黒曜石で切れるか試してみたが、当たり前に切れる。恐らくかなりの確率で縄文時代の祖先達は黒曜石を髪の手入れにも使ったのだと思う。しかし、どのように散髪し、どのような形状のものを使ったのだろうか?髪は神秘的なところがあるので、高度な髪結いを行う名人もいたかもしれない。妄想は尽きない。

 時代の変曲点。それは緩慢にやってくるのではなく、嵐のようにやってくる。今回のCOVID-19もそうだったかもしれない。自分のことを考えても1月の時点と6月の時点で、今まで考えてないような変化があった。

〇気功・太極拳サークル  
 1月 月二回の公共施設を借りての練習
 6月 毎週1回のZoomによる練習

〇生き甲斐の心理学勉強会 
 1月 新宿の公共施設を使っての勉強会
 6月 Zoomを使っての勉強会

〇外出          
 1月と6月を比べると1/2、1/3

〇マスク・散髪・食事   
    1月 使い捨てマスク、床屋さん
    6月 手作りマスク、すきバサミ

〇食事          
    1月 外食が結構あった。新年会もあり
 6月 自宅での食事が増える
    同世代の飲み会が無くなった。

 これはほんの一端だが、仕事やプライベートの生活の変化は凄まじく、もう元の状況には戻れないと感じている。例え、新型コロナのワクチンができたと仮定しても、ZoomなどIT依存や可愛い手作りマスクがなくなるとは思えないがどうだろうか。

 テレビを何となく見ていたら、IT業界の経営者が「デジタルシフト」という言葉を使っていた。最近の株価を見ているとそんな期待があるのだと思うが、信じられない回復基調だ。ただ、大きな変化は私たち庶民に痛みをもたらす。そして、時代は今まで無視されていたような点に光をあてはじめたように感じている。

 今日は老人ホームで暮らす母に会った。新型コロナの影響で3ヶ月以上面会不可が続いたがやっと会えたのだ。この老人ホームでは、思いがけず関係者のご努力でZoomで面会ができるようになり、大変有難かった。ただ、今日のように実際に五感・体感の下で会う感動にはとてもではないが及ばない。生があり死があり、五感・体感があり魂のある人間。社会のうねりは、一見便利な道具のもとで、さらなに何か生きにくくなる方向になるのだろうか。以前、携帯が普及しはじめたころは、何と便利だと絶賛したものの。24時間いろいろ追っかけられて、確かに効率?はよくなったかもしれないが、疲れがたまるのが実態だったかのように。

 ところで、大きな変革期というと私の脳裏には2つの時代が浮かんでくる。一つは持統天皇の時代。所謂、大化改新の年に生まれ、日本という律令国家が誕生する時代に活躍した政治家・持統天皇。その行動範囲は記録で調べてみると、大和の国にとどまらず九州から東国まで広範囲だ。どのような風景を女帝は見てきたのだろうか。

 もう一つの縄文後期中葉(3500年前のころ)この時代にも持統天皇のような時代の人は何人か存在したのだと思うが、文字文化を受け入れなかった縄文文化にはその記録はない。しかし、当時については考古学者の努力で研究が進んでいるようで、私は門外漢ではあるが研究書を貪り読んでいる(どこまで理解しているかは訊かないでほしい(笑))。何が面白いかというと、時代が下って弥生時代(最近は3000年前から始まるという説になってきたようだ)は西日本から米の水稲栽培が始まるが、東日本は米の水稲栽培が結構遅れる。昨年であったかある考古学の先生が言われていたが、西日本では銅鐸が祭りの時に使われるようになっていくが、東日本ではそれに対応する祭りでは土偶が使われていたとのことだった。そうした東西の文化の一つの原型ができたのが、3500年くらいからという説に興味津々である。

 何で私が縄文に拘りつづけているか。私は日本では珍しいキリスト教、カトリックの幼児洗礼を授かり、青春時代から暫くカトリックから離れていたものの、年を取るに従ってカトリックに戻って行った。日本人の心は、かつて日本人ブームもあり、随分外国と異なっているように研究された時期がある。U先生によると、日本人の心の特性(外国から見て変に感じる)は①汚れと禊ぎ②恥の文化③もののあはれ④甘えの構造⑤幽玄の美⑥侘びと寂・・・だそうだ。今回のCOVID19でも欧米から見ると、あきれるような緩い制限で整然と自粛できたのも、こうした6つの要素と無縁では無いと思う。
 少し話しを戻そう。そうした世界的には特異な日本の中で人口の1%にも満たないキリスト教に何故なれたのか?しかも、キリスト教は日本の厳しい禁教の時代もくぐり抜け500年近く連綿と信仰を根付かせている。それは、文化の根にキリスト教の根と繋がる何かがあるのではないか。それを縄文後期の探索をしつつ楽しく妄想している。

  時代の変革期。その時代は大きな痛みを伴うのだと思う。具体的には私たちの中にある各々の理想と現実のギャップが開き、つまり当たり前のことがなくなりストレスが多い状況。そんな時は新たな理想とか現実の受け止め方を模索する時期でもあるのだろう。

 怒りを感じる。持統天皇の時代に怒りを感じた人々、縄文時代後期に怒りを感じた人々と何か連帯感を感じてしまう。今回の巣ごもりの時期に、私は自分のうちに怒りを招く深層の問題の一つを解決したように思う。いつの時代の人も例えば食べるという行為がある。命を得るために他の命を滅ぼすというのが食の実相だと思う。それをどうゆるすのか。恐らくそれには人間の側だけでは解決できない深淵がある。神仏の存在。それがその種の怒りを解く鍵になるのかもしれない。


 そして、自分の心のうちを自分で傾聴する大事さ。受容と共感と一致でと簡単に言うが、簡単ではない。それは祈りの世界に通じるものがあるようだ。

リモート時代と縄文と私 2/10 

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リモート時代?にこそ生き甲斐を(リモート時代と縄文と私 1/10)

2020-06-04 | 第四章「愛とゆるし」

 緊急事態宣言後の今週。久しぶりに東京都埋蔵文化財センター・縄文の村を見学させていただいたり、本当に何ヶ月ぶりかで新宿に行ったりした。展示を見るにも入り口で体温測定をし、記名を求められるものものしさ。昔は気楽に入った家電屋さんも、入り口でフェースシールド姿の方に案内を受けたりで、少し過剰なまでの防疫体制を見せつけられてしまったようだ。

 電車で日中に移動すると、少し前まで沢山乗られていた年輩の方は激減し、全体的にガランとしている感じ。少し前まで、今年の2月くらいまで見慣れた風景はどこにいったのだろうかと淋しく思う。
 「生き甲斐の心理学」の勉強会開催も会場が急遽閉鎖されて中止になったりで残念。ただ、暗い話ばかりでなく希望を感じる出来事も最近は増えだした。それは情報社会の本格化だ。リモートワークとか、オンラインXXという言葉が当たり前になり。先日もオンライン会議をやりたいと招集すると直ぐに応募をいただける。特に仕事でオンラインになれている方は打てば響く。

  

 しかし、電車の中で急に見かけなくなった高齢者世代。私も法律上は前期高齢者であるが、オンライン会議などはかなり抵抗があるようだ。メールやLINEをされていてもZoomはちょっと・・。特に退職されると仕事でどうしてもやらなければということもなくなり、閉じこもってしまう。

 最近知ったZoomの世界。ちょっと抵抗はあったがやってみると、遠方の知人や友達に気楽に合えたり、気楽な寄り合い的会合では歌や踊り?まで楽しめる。

 別に仕事だけでなく趣味や生き甲斐の世界にも充分使え、知った人は皆喜んでいる。かつて、私も高齢社会の為に何か役にたてばと欧米で普及している、高齢者自立支援のグループリビング建設に憧れたことがあり、福祉の世界に入ったことがあった。その時。障がい者自立支援団体でIT技術に関して非常に積極的であったことを思い出す。障がいを持つ人にとっても、社会とのふれあいは生き甲斐を持つ上でも極めて大事。当然、IT技術を使って人生を豊かにすることは重要なのだ。今のリモート?の状況は、当時の記憶と重なる。

 とは言え、オンライン会議などは無いよりはよっぽど良いけど・・・と、ちょっとした躊躇いの気分が残る。実際にやってみると、良い面はあるがライブではない悲しさがそこにある。「生き甲斐の心理学」で学ぶ、人間の五感・体感に関係する問題なのだ。

 生命体には身体がある。そして人間にも五感・体感を捕まえることができる感覚器がある。最近はセンサー技術が進んで、日常の中でもいろいろ応用されているが、テレビ会議を通じて視覚・聴覚で懐かしい人々を拝見したりはできるが、やはり実際に観たり聴いたりするようには行かない。さらに視覚・聴覚と同じ遠隔感覚である臭覚は残念ながら全く使えない。会場の香りや熱気は臨場感を生むが、それは望んでも無理な話だ。リモート会議ではいつもの自分の家の匂いしかかげない。
 臭覚は「香水」を作る調香師のように研ぎ澄まされている人もいらっしゃるが、例えば魚のサケは数千Kmの海の彼方にある生まれ故郷の川の匂いを察知すると言われる。そして、その不思議とも言える機能は今でも科学的には謎につつまれている。このほか味覚、触覚など、生身の人間のもつ五感・体感の感覚器もリモートでは満足できない。会議を終えてからの美味しいビールや、皆のリアルな気配は望めないのだ。

 こうしたことで勿論無いよりよっぽど良いが、何となく物足りずストレスになるように思う。それ故、私だけでなく家で自粛している方々は、意識して外にでて散歩するなり、自然に触れたり、あるいは美味しい料理を作ったりしたほうが良いかもしれない。そして、身体を持つ生命体としての新型コロナの生活/リモート生活のバランスをとるのである。

 さて、こうした日常の世界/リモート世界から、今日はちょっと飛び出してみる算段をしてみたくなった。

 まず達成感と五感・体感の関係を考えてみよう。例えば、ビールが好きな人であれば、あのときのビールはうまかったとか。美味しい料理が好きという方であれば、あのときの料理は美味しかった・・・そんな名場面を2,3つ思い出してみては如何だろうか。名場面の主役であるビールや料理の裏に、自分の想いが達成されたというような喜びも入っているのではないだろうか?幸福というと、五感・体感からの感情世界もあるが、婚活とか就活、仕事の目標などの計画の達成の具合具合といった面もあるように思う。

 U先生に教えていただきた3Vの法則というのがある。ホップ、ステップ、ジャンプではないが、物事を達成するにはVisualize(見える化というより、五感・体感で目標を夢見ることかもしれない)、Verbalize(言語化)、Vitalize(実行)が必要ということだ。特にVisualizeはこころが躍るようなイメージがあれば、それだけで現実化しやすいと思う。


 最近の拙い私の事例では縄文小説を世に出すことがあった。小説を本の形で出そうと思ったのは2013年のころである。出版というとお金と時間がかかるもので何となく諦めてしまう人も多いと思うが。私の場合は縄文人よろしく、すべてを手作り(外注せず)で安上がりに出版しようと考え電子出版技術を研究し、オンディマンド印刷との組み合わせで画期的に費用を抑えて出版できた。これにより、死ぬまで好きなだけ出版することも経済的にできるようになった。これには、様々な方の温かい支援があり、出版を記念してお祝いをしていただいたときの嬉しさや料理の味は忘れがたい。

 これは私のささやかな事例であるが、日本列島の祖先も研究しているので、こうしたことは祖先にも事例があるのではないかと、この2-3日考え続けていた。

 考古学や歴史で取り上げられている祖先の記憶。3-4万年前には野尻湖近くでチームでナウマンゾウを仕留めて安堵し、キャンプ地で皆で祝い感謝の祭儀を行う。こんなこともあったようだ。その時の味はどんなだったのだろうか?
 縄文時代になると環状集落で石を集めて狩りで得た肉などを石焼きや蒸し焼きにしたりする。集積遺構があるものの、おいしさについては謎だ。あるいは豪華な深鉢などでのお祝い料理を食す。これは縄文中期の装飾性の強い深鉢などを見ると伝わってくる。他にも土偶とか・・能面が感情を抜き取って作られているが、実際に演舞するときは生き生きした表情に変わるように、何か秘密があるのかもしれない。集落のメンバーへの愛しみや神々への感謝・祝福。ただ、残念ながら敢えて文字を持つことを拒否したのではと私は思うのだが、文字のない文化であり、臨場感のある再現はしにくい。

 日本列島できちっとした国ができ、日本の文字表記が完成したのは7世紀末から8世紀になるようだ。大宝律令ができたころなのであろうか。このころの女帝・持統天皇(上皇)は藤原京建設等で今の日本の土台を作った大政治家として辣腕をふるった。しかし、最晩年には壬申の乱でともに戦った東国を訪れて、元の部下達を慰労する。夫である天武天皇と共に伊勢との関係も深かったので、特別の想いがあるのだろうか、次の歌を万葉集に残している。

 万葉集2-162の歌は次である。天武天皇の一連の挽歌の最後に掲載されているが、西暦694年に持統天皇が藤原京で天皇となった時のころの歌だ。

 天皇の崩(かむあが)りましし後の八年の九月九日、奉為(おほみため)の御斎会の夜、夢の裏に習ひ賜ふ御歌一首

明日香の 浄御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の伊勢の国は 沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かほれる国に うまこり あやにともしき 高照らす 日の御子
 
 後半を訳すと「伊勢の国は 沖の藻も なびいている波に(うまこり)むしょうにおしたいしている(高照らす)日の御子」となる。
この中で、枕詞(あや)にかかる「うまこり」は美しい(美は「うま」と発音するのか)織物の意で、同意の「綾 (あや) 」と同音の「あや」にかかる。「―あやにともしき」(万・一六二)[補説]「美 (うま) き織り」の音変化した形か。とgoo辞書にある。参照:日本古典文学全集萬葉集1(小学館昭和46年)(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%93%E3%82%8A/
千路に乱れた世を整った綾にしてしまう、神のような天武天皇というイメージを歌った歌である。さらに、この中で「うまこり」という言葉に、美味というニュアンスを感じてしまったが考えすぎであろうか?
 当然のことだが伊勢へも行幸している。歌われている感情は五感・体感とつながり、恐らく天武天皇と一緒に食べられた海の幸などの食事までを思い浮かべてしまうのは行き過ぎであろうか。そして、人生最後の東国への旅で亡き夫の戦友と共に宴を楽しむ。これは、持統天皇の思い描いた旅の実現だったのではあるまいか(3V)。

 まあ、妄想はこのくらいにして、このリモートの時代をどう生きるか、どのような3Vを立てるか。これから考えてみたいところだ。リモートを越えていくVisualizeを意識しつつ。

リモート時代と縄文と私 1/10 

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