イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大切な人を支える愛の傾聴!(愛の孤独 8/10)

2012-08-31 | 第四章「愛とゆるし」

 英語が全く話せないA君と向き合い、やっと色紙で接点を見つけ問いかけをした先生。それに対し、不安いっぱいの中で、A君は言葉を返す。「赤」、「黄い」・・・。そして、先生も気を取り直し・・・やっと心理療法の必要にして充分な6条件の4、5番目のステージに入ってきたようだ。

 先生はこのロジャーズの6条件を理論的に当時知っていたかは不明である。1950年台後半の時期であったので、ひょっとしたらロジャースの理論を知っていた可能性はある(ロジャースは1950年台はじめに論文を発表)。それは、ともかく。先生は私の発する「赤」、「黄い」・・・を心をこめて静かに聴いてくれた。途中で遮ったりすることもなく、淡々と。

 その時の、先生の表情は、私の気持ちを反映しているようで、不安げで、私の感情に共感しているようであった。恐らく、その時間は1-2分だったのだろうが、とても長く感じた愛の傾聴の時であった。

 愛の傾聴とは、やはり普段の生活ではなかなかできないものだ。このブログで8月18日から23日にかけてお話した傾聴の6ポイント、①無防備②共感性③受容性④間⑤理解力⑥熱意を意識して傾聴する必要がある。簡易版として、「生き甲斐の心理学」135ページに、その極意が出ているので、こんな感じだと理解していただければ幸いである。

①無防備・・・かまえや、かざりがなくリラックスしていた。

②共感性・・・あたたかみと共感性があった。

③受容性・・・相手のあるがままを受け入れ質問にも嫌みがなかった。

④間・・・・・・・ゆったりと間をおいて応対した。

⑤理解力・・・相手の要点を的確に把握した。

⑥熱意・・・・・相手に興味、関心をもち、かつこれを相手にも態度で示した。

 そして、先生は置かれた私の境遇を感情の深い理解を通し、嫌味のない感情表現で応えてくれたようだ。

 因みに、ロジャースの4,5番目の条件を次に記す。明日で6条件となる。蛇足だが、ロジャースの6条件は、どんな人でも適応できる理論で、むずがっている幼児、不安定な認知症の方、意気消沈している方等、身の回りで応用できる機会は結構多い。ただ、初心者には難しいので、『生き甲斐の心理学』勉強会等で学ぶと力がつく。9月30日(日)にも公開の気楽な勉強会を企画していますのでどうぞ!

http://newsite.npocull.org/wp/wp-content/uploads/2012/08/6ca4e91846ed79b2c0380d16b57a78fd1.pdf

<治療者はクライアントに対して、無条件のPositive Regard(好意、肯定的な配慮と関心)を経験する。>

<治療者はクライアントの内的枠組みについてのempathic(共感的、感情移入的)な理解を経験し、この自らの経験を、クライアントに伝達しようと努力する。>

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不安定な相手に接するとき!(愛の孤独 7/10)

2012-08-30 | 第四章「愛とゆるし」

 むづかしい人を支援していくには、昨日の求愛活動(接点を探る)の覚悟が必要だが、もうひとつポイントがある。相手の不安定さを、あたたかく見つめることだと思う。

 当たり前のことでは?と思われるかたも多いと思うが、これには深い意味があるのだ。まず、人は不安定な時は、普段なら判るようなことが心の防衛のメカニズムで見えなくなっている。では、その見えない回答は、相手側から見えるかというと、実は判らないと考えたほうが良い。自分と相手の生育史の違いは、実は決定的であり、近い関係にあっても、外れるものだ(運よく同じようなものでも微妙にちがう)。従って、心の世界では、寄り添い支援するスタンスが大事になる。

 さて、昨日の続きを、この観点で見てみよう。英語が全く分からないA君に対し、先生は接点を探る。それが色紙で言葉がけをすることであった。そしてA君(私だが)は反応する。「あか」、「黄い」・・・A君は意を決し、自分が知っていることを話しはじめる。

 しかし、不安定なA君は、まだ回答が全く見えていない。その証拠に、緊張しきっている、何となく投げやりに言葉を発している。日本語を話す無意味さを幼いなりに気付いてはいるのだろう。

 この時、先生は、どう感じたのだろう。おそらく、A君と程度は違うかもしれないが不安定だったと思う。ただ、大人の先生はA君より安定していて、A君の不安定さを暖かく見守ろうとする余裕があったに違いない。さらにロジャースの3つめのポイント、自分のこころの安定度をしっかり確認していたかもしれない。それで次のステップにうつることができたのだろう。

 因みに、今日の第2と第3のポイントをロジャースの言葉で述べると次のようになる。

 <クライアントと呼ばれるその中の一人は、不調和の状態にあり、傷つけられやすく、または不安定な状態にある>

 <治療者と呼ばれる第2に人は、その二人の関係の中で、調和を保ち、統合された状態にいる(純粋と一致)>

 愛の孤独 7/10

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見えない壁を突き破れ!(愛の孤独 6/10)

2012-08-29 | 第四章「愛とゆるし」

 難しい状態の人を避けるのはたやすいが、何らかの支援をしたり、いっしょに楽しく暮したりするのは簡単ではない。

 ただ、世の中にはどんな悪条件の中でも、職業的に壁を乗り越え支援をする先輩たちがいて、そのノウハウが定式化されている。それは心理療法の必要にして十分な6つの条件として、カールロジャースにより提唱され、カウンセリングや心理療法の現場で実際に愛用されている。

 さて、昨日のブログの続きで私の7歳の事例を考えてみよう。まずは私と逆の立場の先生になってみよう。

 自分(40歳台の米国女性)は小学校1年の先生である。生徒が15人くらいのクラスの担任であるが、ある日、英語の全くできないA君が部屋にやってくる。まずは、クラスの中に溶け込んでほしいと思うが心配である。

 ちょうど、他の生徒は色紙での工作をやっているので、A君と話てみよう。緊張させないように、教室の隅に、机を挟んで同じ目線で向き合う。「こんにちは?名前は? どこから来たの?」。優しく声をかけてもA君は、全く答えない、どうも全く英語ができないようだ。皆さんだったらどうですか?先のブログでお話した①無防備②共感性③受容性④間⑤理解力⑥熱意も大事だとしても、何をしたら良いのか?

 実際にあったことを述べてみたい。ふと、先生は今クラスで色紙をつかって工作をしているのを思い出した。手元には色紙がいくつかある。そこでA君に赤い色紙をさし、"Red"、黄色い色紙を指して、"Yellow"。。と声をかけてみた。そしたら、A君は怪訝な顔をしていたものの、ふと思い切ったように”Aka”、”Ki”と応えるではないか。意味は分からないが日本語で色を表しているようだ。

 今日は、ここまでのポイントを考えてみたい。実は、この色紙で問いかけたことが、6つの条件の最初の一つ、<二人の個人が、心理的接触の状態にある>(つまり世の中で、良くつかわれるラポール)ができたのだ。

 優しい心遣いや眼差し、これも重要ではあるが、やはり、色紙を使っての問いかけ(ちょうど、先生が熟慮して進めていたクラスでの作業につながる)が大切で、何か壁を突破した。

 テキスト『生き甲斐の心理学』(28ページ)には、「自分の心のここに触れてください、と親しい人に求愛しましょう。そして触れてもらったときの連帯感が<二人の個人が、心理的接触の状態にある>と心理学ではいいます。」とある。

 先生の求愛があり、そしてA君(私)の求愛が色紙で始まる。

 因みに、ラポールは表面的なものはいざ知らず、本当のラポールは結構難しい。ある種の覚悟をもとにした試行錯誤(求愛活動)がないとできない。表面的な『面従腹背』の壁(ちょっと極端な表現だが)を突破する原動力は何だろう。

 愛の孤独 6/10

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むづかしい人との付き合い方!(愛の孤独 5/10)

2012-08-28 | 第四章「愛とゆるし」

 いつも『愛の原型』に触れることができる生活がおくれれば幸せだが、世の中そうはいかない。大切な人が居なくなったり、他者から冷たく責められたり、あるいは仕事上、むづかしい人と接する必要があったり、難問が続出するのが常である。

 『愛の原型』から離れ、愛の孤独を感じる生活。あるいは、愛し愛されること自体が判らなくなる生活もあるようだ。そして、時には変になることも。現代はそうした危険に満ち溢れているようだ。

 私もこの夏、あることで次の傾向がでてきた自分に愕然とした。<他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する>。これも、考えてみれば愛の孤独の問題だ。実はこれが、昨日の『愛の原型』の再確認の作業にも繋がっている(これは蛇足かもしれないが)。

 むづかしい状態に置かれる自分、あるいはむづかしい状態の他者。そうした人とどう付き合うか。その臨床心理的方法がロジャースの6条件である。先に傾聴等の6つのポイントを述べたが、これも別の切り口のポイントで、合わせて身につければ鬼に金棒だ。

 今回は、自分が『むづかしい人』であったときに、助けられた事例をふせんに解説していきたい。

 自分が『むづかしい人』であったとき。その原型は次の時であった。7歳の時に、両親につれられて夏にアラスカのシトカに着き暮らし始めたころだ。当時は、海外旅行も今のようではなく、両親に連れられて米国大使館でパスポートをとりにいき、飛行場では会社の人が大勢送迎に駆けつけてくれた時代である。一方、外地の日本人はまれで、社会も公民権運動の前であらあらしい時代だった。

 全く英語が話せない中、父に連れられて小学校に。そして、これまた全く日本語を理解できない先生と生徒に囲まれる。この不安と孤独の中で、担任の先生は今考えるとロジャースの6条件で接してくれた。特に言葉が自由に通じるわけではないが、何とか私は新しい環境に順応できるようになる。そのポイントを明日から考えてみたい。これは、どんな、むづかしい人でも通じる法則だ。

 愛の孤独 5/10

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『愛の原型』との対話を楽しもう!(愛の孤独 4/10)

2012-08-27 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日、久しぶりにインターネットで「心のともしび」を開け、植村高雄先生の最近のテレビ番組の録画を拝見した。

 http://www.tomoshibi.or.jp/tv/info.html

 そしたら、今の私のテーマそのものを、10. 「愛の原型」をはじめ、2-3の最近の録画で語られていた。時間のある方は是非10~12をご覧になると良いと思う。初めてお聴きするようなことで、とても刺激的であった。

 さて、昨日お話した続きで、私の最近の「愛の原型」ついて述べてみたい。「愛の原型」との対話は、まずは楽しむというスタンスを大切にするところから始まる。そして、時とともに「愛」の思索の変化や、感情の整理とか、そういう変化で、自分の「愛の原型」と思われるものが変わっていく。丁度、今日はどの衣服を着ようか、ネクタイをしようか?などと変化するようなものだ。

 それも、恐怖体験とか、かつては「愛の原型」とは遠くかけ離れていたような経験が、「愛の原型」に変化したりすることも。

 ちょうど夏休みの時期であるが、私の10歳の小学生の夏休みの時。当時は建築の仕事で、しょっちゅう伊豆で仕事をしていた父が、夏休みに東伊豆の今井浜に家族旅行に連れて行ってくれた。

 旅館につくと、父と私は将棋でゲームを楽しく始めた。それは良かったが、そのあとゲームのルールで父と私が激しく口論をし、父に一喝されて、私がメソメソと泣くことに。母も妹もオロオロしていた。楽しい旅行が、何となく恨めしいような旅に。そして、気分を一新するように、家族で海水浴に海岸に出た。丁度、台風が接近してきていて、快晴であるが波が高かった。

 飛び込み台が二つあり、沢山の海水浴の子供や大人が、飛び込み台の周りで楽しんでいた。私も浮き輪をつけ(泳ぎを覚え始めのころだったと思う)、飛び込み台付近を妹と浮いていたが、突然高い波がきて、浮き輪が飛び、私は海中に投げ出された。そして、何と海中の飛び込み台の支柱に挟まれてしまった。

 眼を開けると、海藻のようなものが見えた。不思議な静寂の中を、息を吐き出すこともなく、じっと海中の中に。

 そして、次の瞬間に、私は支柱から引っ張り出され海上に。父が、気が付き、危険な中で救ってくれたのだった。お腹あたりが支柱と接触して擦り傷があったが、それ以外は全くの無事。奇跡的であった。

 そんな怖い思いをしたが、翌朝は台風接近で海はさらにあれ、旅館から見ると海岸の飛び込み台は2台とも波に打ち上げられ倒れていた。父は、それを見ながら憎き飛び込み台め・・・思い知ったか!と呟いていたのを記憶している。

 これは、恐怖体験のようだが、この1-2年何か引っかかっていた。何年か前に実際に今井浜にゆき、父が東伊豆で旅行先に選んだ意味(とても良い場所)に気が付いたこともある。父とのゲームを巡っての喧嘩は、どういう訳か尾を引き、素直に父に感謝するという気持ちがずっと湧かなかった。ただ、愛の思索を深めているうちに、もつれていた感情の整理ができたようだ。

 今では、この記憶は『愛の原型』かなと思う。なんとも言えない父の愛を感じてしまうのだ。

  愛の孤独 4/10

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