先日、訪れたプラハは、本当に寒かった。デジタルカメラのバッテリーも懐で温めなければ、すぐに放電するほど寒かった。しかし、快晴にも恵まれ、雪で化粧した町は美しく、また、ヴィート大聖堂の中に入ると特にミューシャのステンドグラスは心を洗われるような気がした。
さて、昨日の続きにもなるが、ロロ・メイの「愛と意志」に愛の西欧の伝統的な考え方(定義といってもいいかもしれない)が4とおり紹介されていた。とても判り易かったので、以下転載してみる。
西欧の伝統には、四種類の愛がある。その第一は、セックスないし快楽、リビドーと呼ばれるもの。第二はエロスであって、生産ないし創造せんとする愛の衝動ーギリシャ人がのべているように、より高い存在形態およびより高められた関係へ向かおうとする衝動(urge)である。第三のものは、フィリア(philia=愛情)ないし友情であって、兄弟的愛である。第四のものはアガペないしラテン系の人がいうカリタス(caritas)であって、他人の幸福に献身する愛であって、その原型は人間に対する神の愛である。すべて、人間の体験する本格的な愛の様態は、以上四種の愛がいろいろな割り合いに混じり合ったものである。(愛と意志 ロロ・メイ著 小野泰博訳 誠信書房 38ページ)
なるほどと思うが、日本の伝統の愛とはどうなんだろうかとも思う(古代の日本を勉強しているので興味深々)。それはさておき、この4つの愛の考え方も深いものがある。自分の今まで実感してきた愛を時系列的に成育史的に、この4種類のスペクトラムで考察すると、どうなるだろう?そんなことも考えた。年をとってくるとアガペー・カリタス志向になるのかな?
自分の中に湧きおこる愛の実感、現象。それは、簡単に塗り分けられるものではないように思う。
恋は水色という音楽があったが、愛は何色なのだろうか?いろいろ変化するようにも思うし、何か特別なブルーという感じもする。
ひょっとすると玉虫色なのではないだろうか? 生き甲斐の心理学では、あなたが考える愛が愛と、玉虫色の定義をしているし。
性格を考える 3/10