イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分を大切にする心理学と最古の漆糸製品・・・ (自己実現、今も昔も 5/10)

2020-10-29 | 旅・雑記帳

 自分を大切にするとは何か?結構難しい問題であり大事なはずだが、体系的に習う機会は少ないようだ。そんなことを言う私も、自分を大事にすることを深く考え、実践しだしたのは生き甲斐の心理学を学び始めてからで、せいぜい15年くらいである。

 テレビを見ていると、身体の健康情報にあふれている。確かに身体を大事にするのは大切で日本中でコンセンサスがなされていると思う。

 次に自分を大切にするといっても、自分だけのエゴイズムに陥るのではなく、他者や環境も同じように大切にしようということがある。伝統宗教やきちっとした哲学者はそのことをよく語る。盆や正月になれば、聖所で手を合わせことは、今の日本でも普通にあるが、自分の魂(単なる肉体だけでなく死んでも残る何か)を大事にすることと関係が深いと思う。

 そして、もう一つ心理学が対象とする領域がある。自分の生きてきた個人史、生育史だ。

 日々の生活の中である嫌なできごとに出会うと、その出来事に重なって自分の過去のできごとの記憶が蠢き、過度に感情を高ぶらせたり、判断力を奪ったりすることがある。ただでさえ嫌なことが今あるのだから、過去の出来事で加速されれば誰でも過度の防衛機制を働かせてしまう。

 自分の過去の生育史で起こったできごと。それはある意味動かしがたいことである。しかし、そのできごとはその時の自分の解釈(例えば6歳の時の解釈)からの感情と強く結びついている。そして、その解釈が変われば、缶詰の中にあった感情は解き放たれ、明るい感情に変わったりする。そして、あのことを経験したから今の自分があったのだと、肯定的に出来事を捉えられるようになる。

 この年になると、利害関係から離れて友人や親しい人と過去を楽しく語り合ったりするが、その語らいの中から、過去の新事実が判明して(自分の解釈が偏ってい)嫌だったと感じたことが雲散霧消したという経験が増えてくる。皆さんはいかがだろうか?

 この領域は、結構自分の幼い頃とか青年時代といった人生のはじめの頃の思いこみが多い。そして、生き甲斐の心理学を学ぶとこうした時代の出来事に関心が深まり、そして解釈を変えて重荷が少なくなる経験を積み、生き方も健康になってくる。

 こんな風に私は自分のこころ=生育史の発掘作業をやってきたが、この作業をやってくるうちに自分に影響を与えた両親、祖父母、曾祖父母といった過去の歴史にも興味が湧いてきて、ついに縄文時代にも深い興味を持つに至った(笑)。

 コロナ禍で日本の自粛文化がは特異なんだと知りその功罪が気になるが、私の祖父母は東日本、西日本と文化的に違っていたりして日本列島の中の文化の差も気になる。そして、若い頃など東京育ちの私が大阪で営業を経験し文化の差を感じたりもした。何でそうなったのか?意識すると好奇心の渦に巻き込まれる。

 

 さて、先日函館の函館縄文文化交流センターを訪れることができた。著保内野遺跡の国宝中空土偶を見ることが主な目的であったが、見学の中で驚くべきことをいくつか発見した。深謝である。その一つ。漆製品は今まで鳥浜遺跡、東名遺跡、東北・・・いろいろな所で見る機会があったが、漆糸は初めてだった。しかもこの漆糸は世界最古でAMSで9000年前であることが立証されたようだ。

 漆糸については前から聞いてはいたが、現代に伝わっていなかった漆の利用方法で、その重要性についてはあまり意識していなかった。自分の生育史を大事にすると言ったときにも、自分の当時の真実の理解や解釈を妨害していたのは移ろいやすい世の中の常識や倫理観だったりした。漆糸もそれに似て私の中では、デザインとか在る領域では興味あることかもしれないが、所詮廃れた技術と思っていたことがあった。

 歴史も生育史が常識や倫理道徳の影響で変に解釈するがごとく、その時々の歴史観によって強く影響を受けていたように思う。縄文時代も私が学生のころは原始人と言った感じで真面目に勉強する雰囲気ではなかった。また、今でも相当見直され批判されている進歩史観で真実が歪められているように思うこともある。脳科学的には数万年前から人類の脳は殆ど変わっていないと言われているので、縄文時代の遺物の中には現在の私たち以上の芸術や自然理解の証拠があっても全く不思議ではないと思っている。漆糸は何だったのか?単なる装飾品の一つ以上の小宇宙があったのではないだろうか?漆糸製品を身につけた人の埋葬。そこには何か普遍的な真善美が隠れているようにも思う。もっとめがねを外して(それだと私は見えないが(笑))謙虚に考える必要があるようにも思う。 

(自己実現、今も昔も 5/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------


遺跡公園で幸福感を得る!(自己実現、今も昔も 4/10)

2020-10-21 | 第九章「愛」

 先日の北海道旅行は思い出深いものであったが、その中でも洞爺湖に近い入江貝塚公園はとても印象的であった。15日の午前10時過ぎに到着したのだが、温かい日差しの中で公園には近くの保育園からの可愛い子供で賑わっていた。

この入江貝塚は、縄文前期の終わり頃から縄文後晩期までの遺跡であり、特に私が昔から興味をもっていたのは、約4000年前の20歳弱と考えられる女性の遺骨が貝塚から見つかったことで。恐らくポリオに思春期に罹り、それ以降10年くらいだろうか寝たきりとなって介護されて生き抜いたことが遺骨から分かったのである。

縄文時代の死生観は、特に縄文中期は中央広場の墓地を囲むように村の住居が並んであり、死者と隣り合わせに住んでいたことや、後晩期になっても配石遺構や周堤墓などの状況から、死者を丁寧に埋葬したり、祈りの空間を大切にしつつ、死者の魂を大切にしていたことが見えてくる。

縄文時代はもっと死が身近で、ちょっとお隣に死者・魂がいるという感じだったように思う。そもそも平均寿命が短く、日常的に人の死があふれていたし、漁労や狩猟などを通じ動物の死もあふれていたのであろう。

入江貝塚公園には保育園の子供あふれ、私もマスクをしつつも一緒に子供と楽しい会話をしたりするなかで、何か時空を越えた喜びというか希望がふつふつと湧き起こってきたようだった。私の魂が喜こび、入江貝塚の縄文時代の祖先の魂も一緒に喜んでいる感じがしたのである。

 

土で屋根を葺いた竪穴式住居

 この数日、自分の真善美に関わる感情の世界を思索しているが、入江貝塚公園での体感は、私のさまざまな善意の原形と重なっていることに関係しているようで、興味深いことであった。高齢者となり自分の死が近づく中で、このような体感を得ることは貴重だと思う。

(自己実現、今も昔も 4/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------


悔いのない人生をどうイメージし何に気をつけるか?(自己実現、今も昔も 3/10)

2020-10-12 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 円環は人類にとって大切なシンボルであり、縄文時代の環状集落やストーンサークルもそうだが、今の伝統宗教でも良く出てくる。某所でカトリックのラビリンスをやらせていただいたが、のんびりと円環の中央に向かう迷路のような道を、瞑想しつつのんびり歩き真ん中にたどり着くと、そこでは天国をイメージするらしい。

 悔いの無い人生とは何かと考えると、どうしても一つXXX,二つ目XXX・・といったように条件を浮かべがちな私だが、それより人生の終端は至福の幸福感といった感情をイメージしたほうが良いのかもしれない。そして、そうした幸福感はラビリンスではないが、日常の中で時々垣間見られることもあるのだと思う。感情の世界は単純な時間の矢の世界ではなく多次元的で非常におもしろい。

 さて、日常の大半は大変な世界でネガティブな感情に満ちているようだ。朝起きてからも、暗いニュースや、遅刻しないかと時計を見るのもストレス。結構大変だ。さらに、今後を決める選択肢ににも満ちてるように思う。新しい幸福な出会いや泥沼への問題の糸口は、意外に小さい選択から始まる。前期高齢者となった私のこれまでの人生を考えると、いろいろな場面で人生を左右するようば選択をしてきたことが分かる。その結果が今となっているのだが、その時々の選択は、特に大人になってからは自分で選んだつもりであるが、この生き甲斐の心理学を長年学んでみると、結構、自分のこころの仕組みである防衛機制の影響を強く受けていることが分かってくる。

 その防衛機制は文化的な部分で、普段は意識しないと分からない源から来ているものもある。コロナ禍になって、外国と日本の違いが何となくテレビなどを通じて見聞きするが、例えば日本の自粛文化は世界的にみても実に稀な現象なのだろう。そうした特徴はいくつもあると思うが、これからの私たちのことを考えると、良いものもあるかもしれないが、問題になるものもある。そんなに簡単に変わるものではないかもしれないが、変わらなければ大変という領域もあるのだろう。

 自分の人生を忖度や自粛文化で奥底の本音と違う方向に追いやるより、悔いの無い人生の到達先の至福をもとめ、人生を選択出来たらと思う。私の場合まずは生き甲斐の心理学の学びを深めることなのだろう。

(自己実現、今も昔も 3/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------


コロナ禍での不安感から温かいものが・・(自己実現、今も昔も 2/10)

2020-10-09 | 第三章「無意識の世界」

悔いのない人生を歩むために何をするか。綿密な事業計画を理性的につくる。20年前の私であればそうしたかもしれない。もちろん、そういうやり方も悪いわけではないが、U先生の生き甲斐の心理学を20年近く学んだ私は、少し考えを変えた。それは、五感・体感も含めた感情の世界のほうが頭で考えることより自己実現には役立つという考えだ。自分の無意識の世界とのつながりが五感・体感も含めた感情の世界のほうが意識の世界・理性よりあるように思えるからだ。

感情。特に、日々の様々な森羅万象から舞い降りてくる不安感。これは、私に何かを伝えようとしているように思えてならない。自分の無意識の世界から、自分の内なる何かが伝えようとしていることが不安感に託される。キリスト教文化的に言えば、それは聖霊からのメッセージと言うかもしれない。

さて、コロナ禍の昨今。親しい人との交流がかなり狭まれてしまった。生き甲斐の心理学の勉強会も新宿でいままで普通に行っていたが、今はZoomに切り替えようと努力している。しかし、オンラインも一見良いようであるが、意識の世界では視覚、聴覚で十分かもしれないが、触覚、味覚、臭覚のないコミュニケーションは同じように創造的になれるだろうか。意識だけでなく無意識の世界まで含めると、私の世界は随分狭まったように思う。臭覚、味覚、触覚といった大事な感官が使えない。サケであったら自分のふるさとの川に帰れなくなるし、指先のパチ二小体を生き生きと使えない触覚不良の日々は心が安まらない。

かつて私は大企業を辞め、職業訓練校で学び資格をいくつか取得して、福祉の仕事を志したことがある。そのころのことを最近よく思い出す。コロナ禍はどうも私にとっては障がい者の世界に似ているようなのだ。高齢者(私もその一員になっている)も障がい者とも見方を変えると言えるが、五感を制限される日々もある意味障がい者の暮らしに近いかもしれない。気軽に一緒に語りビールを飲んだ日々はどこかに行ってしまった。その慢性的になりつつある不安感。障がい感とも言おうか・・・

そして、障がい感の原形という不思議なことを考えてみた。幼い頃は、大人は巨大であり、地面や小石がやけに近い存在であった。歩くのも大人の一歩は巨大で自分は何歩も歩く。私が幼かった1950年代後半は今よりずっと物質的には貧しく。都会の路でも臭い犬の糞がたくさんあり、ハエが飛んでいた。悲惨な光景も結構あったようだ。それは一つの障がい感と呼ばれるような大人になりきらない人間の感情だったかもしれない。

幼少のころ。私の家は普通のサラリーマンであったが、小学校に入ると両親に新しい靴を買ってもらった。住んでいた町の中では私はちょっとお坊ちゃんだったのである。しかし、それが何故か気にくわず、その靴にわざと土をなすりつけて汚くし、登校しようとしたことがあった。その感覚は結構一貫しているところがあり、何となく貧しくなりたいという想いがどこかに隠れ、人生の岐路で自分にささやいていたように思う。まあ、ある時期福祉の世界に飛び込んだのは、その違和感なのだったようだ。そして、今は福祉の仕事をやめてしまったが、コロナ禍の中でその違和感が顔を出し始めているようにも思える。

さて、今は持統天皇と縄文時代のことをいろいろ分析・思索している。

持統天皇の幼少期は恐らく難波津で祖父の石川麻呂や母の越智郎女。時には祖母の斉明天皇と親しく交流したのだと思うが、父の中大兄が石川麻呂を持統天皇が幼少の時に謀殺してしまう。謀殺かどうかは謎な部分があるが母・越智郎女は嘆き悲しみ、それが元で早くなくなるが、渦中で産んだ健皇子(持統天皇の弟)は身体障がいで生まれ、やがて8歳で夭折される。祖母の斉明天皇はこの健皇子を心から慈しんだのであろうか、自分が亡くなる時に健皇子を合葬してほしいと言い残した。やがて斉明天皇は亡くなってしまうが、天皇の意思通りにはならず、現在推定されている斉明天皇と間人皇女の御陵(牽牛子塚古墳)には健皇子は埋葬されていないようだ。いろいろないきさつが在ったと思えるが、持統天皇がどのように健皇子のことを想っていたのだろうか気になる。

ただ、持統天皇は政治家として、日本のさまざまな宗教を大事にされたが、ご個人の宗教は玄奘三蔵に直接あったという道照の影響が強く、仏教ではなかったと私は想像している。天皇として最初に道照和尚とおなじく火葬を選択したというのもそれだ。奈良時代になると仏教がどんどん興隆するが、それはひょっとすると持統天皇。そして、明らかではないが持統天皇の幼少期に原因があるかもしれない。

1300年後の現代にまで影響を及ぼしているという持統天皇の活動の裏に、健皇子の悲惨があったのではないか。そんな気もしている。

(斉明天皇と間人皇女が埋葬されていたとされる)

時代は変わる。縄文時代の障がい者で有名なのは、北海道南部の入江貝塚の入江人骨9号である。札幌医科大学第2解剖学講座の研究で、20歳未満の恐らく女性で、思春期後半にポリオなどの原因で寝たきりになり、数年看病されて生き続けたものの亡くなった方のようだ。文字が残される時代ではなかったので、どのような家族でどのような考えでそのようななったかは全く不明であるが、厳しい環境の縄文時代であって、一人では生きられない人をも大切にされていたということで大きな話題となった。私も衝撃を受け2016年末に上梓した縄文小説に、魂の思想の表れとしてある登場人物に託した。

今も昔も、幼いころの不安感は、何か基調となるような大事なことを知らせてくれるように思う。そして、今のコロナ禍での不自由生活。その中での不安感は何かを語ってくれているようだ。

(自己実現、今も昔も 2/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------