イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

まさか~の時でも・・・(この世を考える 10/10)

2012-12-31 | 第八章「魂と聖霊」

 今年も今日で終わります。いろいろなことがあったのですが、健康で平穏無事に暮らせたことに感謝です。

 ただ、この世には信じられないことが時々起こるようです。長い歴史を想えば何があってもおかしくない世界かもしれません。自分の拙い経験を考えても、まさか~はありました。

 いろいろなまさか~はありますが、命の危険に関することもあるようです。こうした時に茫然として何もしない心理も経験しましたが(事態は確実に深刻になる)、命を大事にして必要な行動をする経験もしました。

 非日常的な事態で、私のような気が小さい人間は茫然自失するだけかと想像するのですが。私の経験では、こうした時に意外にも必要な行動がとれることもあるようです。。その時は無我夢中ですが、後で考えると驚くような。火事場の馬鹿力という言葉がありますが、それも何かを表しているのかもしれません。

 「有機体は、一つの体制化された全体として、この現象の場に反応する。」はロジャースの性格形成論の命題3ですが、まさしく、このとおりです。私たちが今存在するのも、祖先達が何千何万世代の中で、この命題3で生き抜いたおかげなんでしょう。

 先日、釜石市の小学生、中学生が驚異的に津波を生き残ったドキュメントが放映されていました。それは、人間の強靭な生命力を引き出す備えともいえるのではとおもいました。命題3のベクトルを活かした。

 来年は、どんな年になるかわかりません。もちろん、まさか~もあるかもしれません。その事態に、命題3が大活躍するかもしれません。そして、聖霊といった信仰の世界も大事だとも思います。

 この世を考える 10/10

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他人ではなく自分を「生きる」!(この世を考える 9/10)

2012-12-30 | 第八章「魂と聖霊」

 黒沢明の「生きる」という映画は印象的な映画だった。市役所の役人がガンに罹り、余命を感じつつ人が変わったように良い仕事をするという話である。

  生きるということが、反対のリアルな死を意識することで新たにされるという話でもある。  

  こころの健康を考える時に、一つの大切な柱がある。U先生の「生き甲斐の心理学」では、自己実現の領域とされるものである。�自分とは何か?�生き甲斐は何か?�自分を大切にしているか?(魂、生育史、身体)の三つの自分への問いかけとも言える。  

  それは、まさに「生きる」ということのポイントでもある。

  しかし、自分を考えても、なかなかポイントをつけない。それは性格形成論を考えると納得する。人は自分を生きるという傾向もあるが、他人(の価値)を生きるという傾向もあるからだ(ロジャースの性格形成論命題10)。 他人の作った価値を自分で作った価値と錯覚するのだ。

  時には、自分を生きるということに想いを馳せるのは良いことのようだ。他人を生きるのは、日々の表面的な生活では波風が立たず、平穏であるが、深層心理的には不健康。反対に、自分を生きるのは、波風がたっても、こころは自由。

この世を考える 9/10  

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解放される旅に出よう!(この世を考える 8/10)

2012-12-29 | 第八章「魂と聖霊」

 2012年は、私の個人史上、かつてないほど旅をした一年であった。そして、それは解放を考えるよい機会であった。

 旅の醍醐味は解放である。実際に行ってみて、ぼわっとした思いをリアルにすることで解放し、悠久の世界から見ればどうでもよいことに翻弄されてる日常性から解放され、等身大の旅人になる。

 ハンガリーでは、大聖堂で一人祈りを捧げている老女に感動した。冷戦時代には信仰の自由すらなかった時代を生き抜いた迫力。

 オーストリアではフロイトの使った寝椅子を触った。現代の臨床心理学の100年(程度)の歴史を実感した瞬間だった。

 チェコでは、厳寒の中に大学生のときに熱中したカフカの家に行った。リアルな家と自分の学生時代の妄想の違い。

 台北では、大伯父さんの墓を訪ねた。20歳代で新しく植民地になった台湾に行き、インフラとしての教育に情熱を燃やす中、暴徒に惨殺された芝山岩事件・被災者の一人だった。時代の流れの中で、その墓地は聖地になったり、憎悪され破壊の対象になったり、守り再建される対象になったり数奇な運命を辿る。親切な台湾人の案内でお参りができた時、大伯父さんも喜んでいたようだ。

 ハワイは、夜明けの海岸でオリオンを見つつ立禅をした。

 明日香では真夏に涼しげな畝傍山に登った。昨年の三輪山登山に次ぐ楽しい体験であった。日本の原型(藤原京は原型というより完成というイメージもあるが)が作られた舞台でもある。

 奈良では、聖武天皇や光明子にゆかりのある地を訪れた。早朝の東大寺は気持ちよかった。

 出雲では、出雲博、出雲大社を楽しんだ。日本の古代史を塗り替えつつある出雲の実態に触れてワクワクであった。

 解放される旅は魂の旅でもある。

 この世を考える 8/10

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視ることで、幸せが来たり来なかったり!(この世を考える 7/10)

2012-12-28 | 第八章「魂と聖霊」

 ある小説を読んでいたら、無視ということについて語られていた。無視には、ある人の存在を消そうとする意思、殺意までとは言わないまでも、どこか他者否定の意思が隠れているのだろう。

 日々の生活の中で、視ることに意識をしだしたのは、「生き甲斐の心理学」を学び始めてからだ。カウンセリングや傾聴で大事にされている、ロジャースの6条件を勉強する中で、自分が心底、心が開けたと思う生育史上の事例を考えていると、不思議な経験をいくつか思い出す。一番は、7歳の時のアラスカで、言葉が全く通じない中で私を迎えてくれた小学校の女教師が忘れられない。

 何を言っているのか分からず緊張して黙っているだけの私に、自分の心の中の憂いも鏡のように湛えている眼で視てくれたようだ。それはカウンセリング以上の効果を与えてくれる慈眼だった。それにより、リラックスでき何とかなってしまった経験がある。私も慈眼になっていたのだろう。慈眼は、受容と共感と一致の眼とも言える。

 反対のケース、邪眼もある。私は、写真を撮ることが好きで、動物の写真をよく取る。中でも、チョウチョを撮ることが好きだが、何か心が不安定の時はチョウチョが逃げる。当然写真が撮れない。こうしたことは、言葉に出さないまでも結構日常の中にあるようだ。変な視線を感じた時、生命体はリラックスとは正反対に鎧兜を着込む。

 日々無視したり、無視されたり、視線を感じたり、邪眼になったり慈眼になったり、いろいろあるが、視線を思索し自他肯定を目指すと、何か良いようだ。幸せへの近道なのだろう。

 この世を考える 7/10

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「待つ」!(この世を考える 6/10)

2012-12-27 | 第八章「魂と聖霊」

 年をとってくると、時間の過ぎていくのが速く感じるようだ。10歳未満、10代、20代、30代、40代・・・。時間に対する感受性が弱まってくるのかもしれない。そして、それは悪い面もあるが、良い面もある。良い面は待つことが得意になってくることだろうか。

 昨日から読んでいた「逢はなくもあやし」(坂東眞砂子著)のテーマは「待つ」であった。持統天皇も登場する。夫が訪れることを待っていた古代の女性・持統天皇。夫の天武天皇が崩御され、その後に持統天皇により作られた藤原京。藤原京の朱雀門近く、都の真南には、夫(天武天皇)が眠る大内陵が今でもある。その陵で、夫が妻を待っていた。

 持統天皇だけでなく、誰も待つことが多い。祈っても願っても、事態は変わらず時間が経ち待つだけという時もある。

 大学生のころ、宗教の問題で悩んでいたころ、知人のO氏が次のような詩を見せてもらったことがある。その言葉は40年くらいたった今でも覚えている。

 「・・・待つのです 待つのです 恵の時の到来を・・・」

 1-2年で、いや10-20年そのような時はやってこなかったが、不思議なことに、ある時に突然やってきた。私が賢くなったわけでもなく、ありのままの現在形の自分を体感した時とも言えるかもしれない。

 生き甲斐の心理学では、ロジャースの命題1(個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。)のエッセンス、「自分は自分」ということを大切にしている。経験の世界は揺らめき、変化しても自分という視座は変わらない。

 待つことでいらいらしたり、何かに囚われることはあっても、「自分は自分」という柱はしなやかだ。

 この世を考える 6/10

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