イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分自身になること!

2007-11-30 | 第十章「今ここでの恩寵」

 幼稚園に通っていた、5歳の或る日のことを何故か思い出す。

 マジックインクか何かの小さな長い箱をつなげ、小さなボタンを車輪にして、幼稚園の一室で汽車を作ろうとしていた。うまくできない、そして、どこか無力感を抱きしめながらも、作っていた。

 子供のころは、いろいろなファンタジーというか、何かになる(同一化)夢にあふれていた。刀や、ピストルのおもちゃは強いヒーローに。相撲や野球をしながら、当時のスターであった、稲生や栃錦に。そしてスーパーマンといったように。

 母親から分離していく過程で、不安解消のために同一化という防衛機制を働かせているのだろう。

 その中にあって、素朴に何か汽車のようなものを作ろうとしていた。ただひとりで工夫して作るということは、新しい不思議な魅力であった。

 大学生になり、自分の専攻を決めようとしていた時期、従兄から貰った本に痛く感激した。当時同志社大学教授であった、市川亀久弥氏の本であった。氏はさなぎが蝶に変態する過程を図式化し、創造工学という新しい分野を開発されていた。

 そのこともあり、創造工学は無かったが、管理工学を専攻し実験心理学や行動科学を学んだ。そして、その延長で、コンピュータ関連の仕事についた。

 ただ、今から考えると、数式化できない創造というものの実体をもっと知りたかったし、こころの問題を、もっと学びたかった。本来は文科系志向の人間であった。

 今考えると創造とは、生きがいの一つの側面でもある。50歳に近ついたときに、U先生と出会った。私が求めていた「生きがい支援の心理学」の勉強が始まった。

 人それぞれ、自分の中に本当の使命といったものが隠されているように思う。それを日々のリアルな生活の中から、変なレッテルや変な同一化への欲求に負けないで、こつこつと掘り出していくのが人生なのだろう。

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自然の美を愛でる!

2007-11-28 | 第十章「今ここでの恩寵」

 早朝に仕事場に行く途中に見た空の雲。その美しさに、思わずシャッターを切った。何気ない日常の中で、美に遭遇する楽しさを知ったのは、わりと最近である。ブログに掲載するために携帯で写真を撮り始めてからかもしれない。

 肉眼どおりに美しく撮れることは少ないが、画像処理などで、近づけることができるので嬉しい。

 花、紅葉、黄葉、空、雲、川、海、月、太陽、星・・自然はなんて美しいんだと思う。美に遭遇すると、自然の美を通して、何かが自分を優しく語っているように思う。

 科学を知ってしまった私たちは、古代の祖父母と違って、もっとクールに自然を眺めてしまうと思うが。それでも、何か統合された、Something Greatを感じてしまうのは変であろうか。

 自然の美は、今ここで遭遇した私の経験かも知れないが、同じような光景をはるか昔の祖父母などが見たと思うと、厳粛な気持ちになる。

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働くことは善?

2007-11-27 | 第十章「今ここでの恩寵」

 父は67歳で亡くなる直前まで会社の仕事をしていた。まじめで親分肌で、義を大事にしていた。欠点もあったが、私にとっては偉大な父であった。

 4年前に私が会社を辞める時、一番心理的に揺れた原因は、まじめに会社や家庭に尽くしてきた父のことであったと思う。

 父が決めたわけではないが、自分のアイデンティティは、幼いころからのサラリーマンとしての父との同一化がベースであったと思う。そして経済的、社会的に安定している路線からの逸脱は、予想外に揺れた。

 それまでの仕事のし甲斐、遊びのし甲斐等・・、をある意味で捨てて、地味な生きがい追及の旅に出たようだ。そんな旅を思い立ち実行した理由はいくつかあるが、6-8年前に起こった私的ないくつかの事件中で、「人生は紙一重!生きているのではなく、生かされている。」、そんな思いが一つのばねになったと思う。

 もうひとつは、父の老後のビジョンに触れていたことがあったと思う。父は会社を退職して、生まれ故郷で社会貢献しようと考えていた。それは、郷里や実家を離れて暮らした父の贖罪意識のようなものに繋がるように、今は思う。今となっては儚い夢であるが、そんな父をめぐる解釈が、自分を解放させてくれた。

 自分にとっての生きがい。これは、決して抽象的な会社や家族や共同体ではない。我と汝といった関係性から生まれる何かのようである。同志と私、妻と私、子供と私、友人と私、そして神と私といったように・・・

 今ここを生きながら、生きがいの旅は、直線的に真の善に向かうのではなく、らせん状に少しずつ善に向かって行くようである。防衛機制は人を守り安定させるが、成長を妨げることもある。ちょっと寂しいが、より良く生きるための真理なのかもしれない。

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人の道を教える前にちょっと!

2007-11-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 1951年生まれの私は、学校で倫理道徳をきっちり教えてもらったことはなかった。ただ、両親や祖父母をはじめとする親戚、学校や地域やカトリック教会の中で、何となく倫理道徳を学んできたように思う。

 子供を育てるようになり、そして子供が難しい時期に差し掛かった時、一度昔からの孔子や東洋思想を読み返したことがあった。今考えると、反動形成などの防衛機制でいっぱいだった。

 二宮金次郎が薪を背負い読んだ大学も読んだ。

 今、その頃に買った大学を取り出し、パラパラめくると、「・・心ここに在らざれば、視れども、見えず、聴けども、聞こえず、食えども、その味わいを知らず。これを身に修るは、その心を正すに在りという。・・」の一説が目に留まる。

 その時は気がつかなかった一節であるが、ハッとした。若い時は、この修身の一節のとおり、私自身が心ここに在らざれば・・の心境であり、憤怒の情などに包まれていた。

 身が修まっていなかった自分は、子供にうまく教育できるわけは無かった。

 数千年前の昔に、このような知恵があったことに驚くが、「生きがいの心理学」にも通じることだと思う。「今ここ」を大切にしている中で、自分の本音が見えてきたときに、すべては始まる。

 子供は既に成人したが、今自分は身を修めているだろうか?今日はゆったりと考えてみたい。

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遥かなる昔を知ること!

2007-11-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨晩は、府中の大国魂神社の酉の市に行った。

 酉の市は、幼いころ近くの神社で楽しみ、屋台等の思い出は尽きない。今と違い、昔は楽しむことが少なく、酉の市は子供にとって、うきうきする楽しみであった。

 11月23日は勤労感謝の日であるが、二の酉の日でもある。酉の市も関東独自の文化であるが、収穫祭の意味合いもあるという。一年を感謝し、来年を祈るのだろう。熊手商の手締めも響きわたる。今年は景気も良かったのだろう。

 熊手と言えば、宗教学者の中沢新一氏がどこかで、熊手の由来を縄文時代等の日本の古代に遡る、不思議な意味について書かれていたことを思い出す。熊手は大昔からの幸せのシンボルであるようだ。

 たまたま、今、松木武彦氏の「列島創世記」を読みつつあり、丁度環状列石などの記述を読んでいた。縄文中期から後期に、東日本に発生した不思議な文化。この記憶が酉の市にほのかに記憶されているのだろうか。

 歴史言語学という聞き慣れない学問を、先日「5万年前」の中で知ったが、言語もある学者に言わせると、1万5千年前まで遡って研究できるという。無文字文化であった、5世紀から前の日本の歴史、遥かなる昔についての認知考古学等の学問は、最近大きな進歩を遂げている。

 さまざまな問題を抱えている現代。そして、その中の私。「生きがいの心理学」を学ぶ私にとって、遥かなる昔の祖父母の事実を知ることは、今ここで生きる上で貴重なアドバイスを与えてくれると思う。

 拍子木で元気な、商売繁盛への祈りも、太古からの真理が隠されているかもしれない。

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