イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

気分よく読書!

2009-06-29 | 第八章「魂と聖霊」

 この2か月、落ち着いて一冊を読み切るというより、いろいろ興味が移るたびに、あの本この本と渡り歩くように本を読んでいる。

 その中で、自分をストレス曲線(暗い感情)に追い込むような本。逆に幸福曲線(明るい感情)に解放してくれる本の性格についてぼんやりと考えるようになった。

 ストレス曲線に自分を追い込むような本ばかり読み続けていると、自分の堪忍袋の限界に近づき、ほっとおくと体調までおかしくなるような気がした。一方、反対に幸福曲線に解放してくれる本は、ストレス曲線に追い込まれようとする時に読むと、ほっとする。

 今は、U先生の勉強会のこともあり、日本神話に関する本を読んでいるが、同じテーマでも、著者により自分をストレス曲線に追い込むもの(自分の思考の自由さを奪われる感じ)、幸福曲線へ解放するものとある。著者の人間観により左右するのかもしれない。

 最近、幸福曲線へ解放してくれる代表的な本としては、小林隆彰氏(比叡山延暦寺執行)の「比叡の心」があった。私はカトリック信徒であるが、あたたかい気分になると同時にとても勉強になった。織田信長焼き打ちの評価など、びっくりする解釈で目から鱗であった。

 本を読むとき、自分の感情や体感を確かめながら、健康的な読書をするのは、本好きの人にとって大切かもしれない。

<自由 2/4>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。

 


何処にゆくの?

2009-06-28 | 第八章「魂と聖霊」

 鳥がいる。何処から来たのか、何処へゆくのか判らないが。

 今住んでいるところには、鶯をはじめ、綺麗な声でなく鳥が来る。先日、これは外来種で・・・と名前を聴いたが、すぐ忘れてしまった。老人力が付いてくると、つまらないことを忘れて良い反面、必要なことも忘れて、ちょっと残念でもある。

 何処から来て、何処にゆくのか。日本だけではなく、私の知らない大陸の方をゆききするのかもしれない。鳥は自由である。

 人も、考えてみれば、身体が亡くなったあと、魂はどこに行くのだろうか。身近な鳥と似ているかもしれない。私たちの祖先達も、死後のことに想いを巡らし、神話に結晶した。それは、今私達が考える以上に深く。下手な解釈を越えた智恵が隠されているかもしれない。

<自由 1/4>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。

 


日本の文化という壁・・・

2009-06-27 | 第八章「魂と聖霊」

 イザナキの冥界探訪問でのイザナミの恥辱と怒りと別れの話。読み継がれている源氏物語での浮舟の宇治川に身を投げるまでのこころの動き。沖縄線での女性も含めた集団自決。そして、この十年続く日本人の自殺者の30,000人突破の事実。 

 日本の文化、日本人の深層を流れるものは何だろうか。戦後、外国のある学者から恥の文化と言われたが、その本質は最近の激変する社会の中でもさほど変わらないかもしれない。

 一方、レオン・パジェスの日本切支丹宗門史を読むと、女性も含め磔刑後、一年以上刑場にそのまま晒される、みじめな処刑にも関わらず、殉教を遂げる人たちもいた。恥の文化では説明つかないケースも確かにある(恥の文化なので、そのような残酷な処刑方法となったのかもしれないが)。

 先日、雨の中を歩いていると、百合の花が綺麗に咲いていた。はっと思い写真を写したが、家で良く見ていると、花の中に転々とアリがいた。

 雨の中、ちょっと不思議な気がした。

 いつの間にか自分の中にも、身体の一部のようになっている日本の文化。それも関わらず、コツコツと活動することで、明るい希望が差し込むことを祈りたい。解釈が変わると世界が変わるということもある。

<死の問題 4/4>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。 


ちょっとそこまで!

2009-06-25 | 第八章「魂と聖霊」

 この季節、サボテンの花が咲き、いつも意識しないサボテンを意識する。この写真のサボテンも黄色い可憐な花をMさんに頂き、ダメかもと思いつつ挿し木?したところ根付いて、一年でこのよう(ひょうきん)になった。

 生命とは、本当に不思議だ。特にサボテンを観察しているとそう思う。

 最近、日本神話で冥界探訪のオオクニヌシノミコトやイザナキの話をじっくり読んだりしているが、世の中には比較神話学などの研究があり、ギリシャ神話の冥界探訪の神話などと結びつけて研究する方もいらっしゃるようだ。

 そこで、今日は冥界の王ハデスや、ペルセポネやデメーテルの話も読み返してみた。確かに基本的な構造などが日本神話に良く似ている。ギリシャと日本とどうつながるのだろう。

 日本の神話は、記紀が8世紀ごろ登場したので、何となくそんなに古いものではないと思うところがあるが、ギリシャ神話にも似ていたり、オセアニアの神話に似ていたりで、数千年、あるいは数万年の人類の生命の記憶が残されているかもしれない。

 最近のDNAの研究の成果もあり、現在の66億人の現世人類は5万年前にアフリカを出発するなど、はじめは非常に小規模の集団で1か所から広まったことが判ってきている。

 地理的に離れても、外国の神話が伝搬してきたと考えられるが、もともと一緒に住んでいたころ記憶が、気が遠くなるような時間とともに各地に伝搬されてきたと考えることもできるかもしれない。日本の神話もギリシャの神話も共通の祖先からの物語かも(口伝えするうちに伝言ゲームみたいに変わることがあっても)。

 古代の人の死の世界のイメージは、イザナミやハデスの世界と考えると、現代人の死のイメージより、より親しみやすく、何か、死の世界に「ちょっとそこまで!」といった感覚が垣間見られる。

 イザナキがイザナミを追って冥界に行くのは、特にそんなふうである。その後大きな石で冥界がふさがれて冥界と地上は別れてしまうが、もともと簡単に出入りできたかもしれない。

 因みに、死は厳粛なものであるが、「今日はどちらに?」の質問に「ちょっとそこまで」といったふうに、残される人に配慮しつつ、また幸せに大往生をされる方もいらっしゃる。

 死も、解釈の仕方ひとつで変わり、ストレス曲線ととらえることもできるが幸福曲線で捉えることも可能なようだ。

 イキイキと天寿を全うしつつ、死も一つの楽しみとできればと思う。

<死の問題 4/4>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。 


死を想い元気に!

2009-06-24 | 第八章「魂と聖霊」

 死を想え(メメント・モリ)という言葉があるが、この2-3日庄司薫氏の「白鳥の歌は聞こえない、古事記のイザナキの黄泉つ国訪問、オオアナムジ(オオクニヌシノミコト)の根の堅洲国訪問などに想いを巡らしていた。

 死の国のことを考えると暗くなる(沈鬱)と何となく思っていたが、例えば死の国の艱難辛苦の中、スセリヒメの知恵などに助けられて頑張り通すオオクニヌシノミコトの話を追っていくと、実に様々なこころの動きを感じ、逆に元気になるようである。

 因みに、チベット死者の書の80自性の一覧表を見ながら、どのくらい自分のこころが神話を読んで動くのかをみると、日常の生活の中では味わえないほどの沢山の動きがあることが判る。

 日本神話の冥界探訪を読むと、感情生活が逆に活性化し元気になる。勿論、何か、受け入れられない時は、直ぐに止める方が良いようにおもうが。

 オオクニヌシノミコトの場合、恐ろしい死の国で艱難辛苦に出会っても、愛するスセリヒメに助けられたり、ネズミなどの身近な生き物に助けられる。

 日本人が今まで生き抜いてきた一つのエッセンス(愛のストーリー)がつまっているようである(勿論、世界各国にも同様な神話があるが)。

 昨日は、梅雨の晴れ間で暑かったが、雨上がりの中、紫陽花の花が美しかった。

<死の問題 2/4>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。