イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アイツの本音を受け入れる!(ふれあいの訓練 8/10)

2012-09-30 | 第五章「和解と平和」

 自分の本音も完全に判らないのに、他者の本音を理解するのは至難である。

 「生き甲斐の心理学」を学ぶと、自分の本音も玉ねぎの皮のようになっていることが判ってくる。最近、身に浸みたのは、長年勤めた大企業を辞めて(もう9年になる)、どんどん自分の感じ方が変わってきたということだ。まあ辞めて3年くらいは少なくとも、絶大な影響力が生活の中に浸みついていた感じだ。そして、新しい生き甲斐を育てて行く中で変わってくるが、自分の本音も新しい対象の経験と共に、意外に変わる。

 他者はどうだろう?ロジャースの性格形成論をこの2-3年、勉強してきた。昨年は動物園に足をはこび、人間だけでなく動物において性格形成論は成り立つかを観察した(ロジャースは有機体と表現しているので)。今は、自分と他者は深層心理学の世界では異星人くらい離れているように正直思う。もちろん似ている部分も当然あるが、性格はホントに人それぞれオリジナル。同床異夢の世界なのだ。

 昨日は、自分の6歳の時の心の傷がどういう経過で癒されていったかを理論から考えていたが、これが教育的な場で行われるのではなく、一対一の心理療法の場で行われたらどうだったのだろうかと考えた。自分が自分の本音を探った例なのだが、他者が自分の本音を探るのは至難であると正直思った。遠い過去のことであることも一因。しかし、同意でなくてよいから、こころの底で共感してくれる人であれば可能性はあると思う。

  今日は、話が自分でも難しくなってしまったが、もっと判りやすくまとめたい。

 他者と和解と平和を実現するステップで、他者の本音を受け入れるは、まず「アイツに同意する」ことを念頭においてはいけない。これがコツだと思う。そうではなく、何でそういう現象を生じさせたかの、アイツの背景(本音)に心を寄せることである。おそらく、これは夫婦間でも外交の世界でも同じ。「アイツの本音を受け入れる」とは、アイツの本音にこころを寄せ、もし自分がアイツの立場だったら、ああいう現象を起すだろうな。そう真剣に思える。これが心理療法でも和解でも大事なのだろう。

 ふれあいの訓練 8/10

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ちょっと、軽やかに自己主張!(ふれあいの訓練 7/10)

2012-09-29 | 第五章「和解と平和」

 自分の本音を主張する。簡単なようで抵抗もある。自分のことで恐縮だが、主張して嫌な想いをしたことは沢山ある。特に、幼いころは言葉での主張は苦手であった。

 しかし成長するにつれ、自分の本音をうまく主張することで、自分も変わり、周りも変わる快感?を時々味わえるようになってくる。

 そして、自己を主張することは、「生き甲斐の心理学」でも心の健康や自己実現でもとても大切とされている。

 では、どうしたら、うまく自己主張ができるようになるか。

 ふれあいの訓練でのべてきたように、本音を掴む努力、感情表現の努力・・・その外、テキスト「生き甲斐の心理学」で述べられているれることに沢山ヒントがある。

 そうなのだが、今日は、一つ軽やかで普段忘れがちのワンポイントを紹介してみたい。

 主張の中で、自分の感情を語るということだ。

時によるが、自分の感情(ネガティブであっても)をさりげなく言葉で表現すると、自分にも相手にも不思議な効果があるのだ。如何だろうか?

 ふれあいの訓練 8/10

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好きな木のイメージを大切に!(ふれあいの訓練 6/10)

2012-09-28 | 第五章「和解と平和」

 先日観た映画「天地明察」。日本独自の暦を初めて作った江戸時代の学者、渋川春海の話だが、なかなか楽しかった。そして、楽しいだけでなく勉強にもなった。「生き甲斐の心理学」を学んでいるので、最近どうしても心理学的に何でも観てしまうようで、今回もカオスの混乱の中で、自分の使命というか自己イメージというか、そういうアイデンティティの意味について深く考えさせられた。半分こころの健康を失った算哲が、どのように立ち直るか、今でも大切なテーマなのだ。

 実際、自分の生育史を辿っても、こころの健康が怪しいときは、決まって自分の使命がはっきりせず、自己イメージが混乱しているときだった。いつの間にか脱失して今日に至っているが、今考えてみると、その時々に不思議に陰から支えてくれた人の存在を感じてしまう。算鉄も宮崎あおいさん演じる『えん』さんをはじめ協力者たちの存在も大きかったのだろう・・・。

 さて、そんな映画を観た翌日に、U先生の勉強会に参加した。丁度アイデンティティの問題(持統天皇など)で、自分の好きな木のイメージは何かというテーマがとても楽しかった。混乱の最中、あるイメージを思い出すことで、自分を安定させるというものだ。

 私は、どうも今日の写真のような木をイメージしてしまう。7歳の時に暮らした南東アラスカのシトカの家の裏の木のイメージだ。裏庭では、友達と遊んだりしたが、その木が何か温かく見守るようなに感じたのだ。人には、判りにくいかもしれないが。

 

 今年は、一年前では考えてもみなかった旅行をたくさんした(20年分くらい)。冬は東北から始まり、厳寒の中欧、春は台湾、夏はハワイと奈良、出雲。恵まれていた。その時とった木の写真を、ご紹介しよう。勉強会の時も人それぞれの好きな木のイメージがあったが、皆さんが印象的なのはどれですか?秋には八王子のシンボル銀杏が綺麗であるし、木々が魅力的な季節でもありますが。

 ジュネーブだったか飛行場で。ポプラだろうか、いい味です。

 ハンガリー 。この手前の木はちょっと怖いです。

 台湾 台北の芝山磐にて。樟の大木。数百年の大木。

 ホノルルのバオバブだろうか?

 柳の大木

 東日本大震災の大津波で残った木

ふれあいの訓練 6/10

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さわやかな感情表現を身につける!(ふれあいの訓練 5/10)

2012-09-27 | 第五章「和解と平和」

 自分の感情を意識することの大切さに気付いても、具体的にどうすればよいのか、勉強を始めたことに悩んだが、やはり感情表現と表裏の関係があるようだ。今日は、感情表現について考えてみたい。

 日常の感情表現の良し悪しは、社会生活を送るうえでもろ刃の剣となる。良ければ、生活は快く流れるが、悪ければ、変に恨まれたり、・・・そういうこともある(私も、様々な経験がある)。

 さらに、日本人の文化の特性なのだろうか、感情を表現することは、他の文化と比較しても抑制されがちのようだ。

 しかし、表現しない感情はストレスとなり、こころの健康に良くない。それを、何となく知っている人は、気の置けない人と気楽に自分の感情を表現し、ストレス解消をする。あるいはイメージや芸術と結びつけ楽しむ人も。五感と感情は深いつながりがあるからだ。

 さて、感情表現は社会生活を送るうえでも、こころの健康においても大事なのだが、その表現を改善し,より楽に生活するためにはコツがあるようだ。

 それは、生の感情を意識をする・・・ことである。例えば、あることを経験すると、感情が湧く。通常、それを気に留めず思考したり行動したりで、生の感情を忘れることが多かったが、感情そのものをしっかり味わう、時には振り返える時間を持つと随分違う。

 その感情を実際にどう表現するか、しないかは、その時々だが、生の感情を意識する時間をとると感情表現もだんだん上手になるようだ(フォローアップなどのタイミングもよくなる)。

 時間をとって感情を振り返る(一日の反省の時など)だけでも、あるいは日記を書いたり、撮った写真をみたりする。そんな時でも良いかも。

 そして、感情の湧いた意味を考える。その中で、人生の貴重な方向性に気付いたりすることも。そうなると感情表現というより、人生の方向となってしまうが、そこまで導く知恵が感情の中にはあると思う。

 ふれあいの訓練 5/10

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ハート型のユーカリの葉っぱ!(ふれあいの訓練 4/10)

2012-09-26 | 第五章「和解と平和」

 調布市のフローラルガーデン アンジェは私の好きな場所である。綺麗なお花は勿論だが、孫娘に教えられたことがきっかけで、葉っぱ等にも興味を持つようになった。

 圧巻は、ハート型のユーカリの葉っぱ。多摩動物公園でコアラを観る時以外はユーカリを観ることもないが、アンジェにあり、しかもハート型なのである。この発見でほんわかとした気分に。

 さて、「生き甲斐の心理学」の講座を開催することもあり、このところ「生き甲斐の心理学」とは何だろうと、原点にもどって考えている。昔U先生に教えられて読んだ『思想史の中の臨床心理学』(實川幹朗著)をひっぱりだし読んだ。

 その中にもあったのだが、この100年に急速に発展をとげた臨床心理学の中心概念は何だろうかということだ。私も12年間『生き甲斐の心理学』を学んでいるが、一言でいうと『意識化』なのである。スポットの当たっていない、自分のこころの中を意識することから、病的な部分を治したり予防したりできるのである。

 フロイトは「無意識の意識化」を言ったが、こんなことで病的なことは治るかといわれると不思議に思うが、実際経験してみると、正にそうなのである。

 こころの意識化。生の感情の意識化。思考や行動の意識化。そして、明るく解釈する意志。

 蛇足ですが、下の写真は春に訪れた時の、孫娘が発見した『たくさんの☆』。

 

 ふれあいの訓練 4/10

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