イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分を鍛える他者からの質問!

2009-12-31 | 第三章「無意識の世界」

 40歳になったころだったか・・・海外からのお客様を接待していたときに、「あなたの宗教は何ですか?」と尋ねられたことがあった。

 食事は、ご存じのとおり、宗教によって様々な制限がある。そんなこともあり、食事を一緒にするときは、必ず相手の宗教を意識するのは常識である。ただ、その時はお客様が自分がベジタリアンであることを気にされていたのか、宗教の話が中心となった。

 当時は、私もカトリック教会から相当遠ざかっていたし、父が亡くなったばかりで浄土真宗のお寺に大変お世話になったこともあったので、いい加減に「仏教である。」と回答してしまった。

 ベジタリアンでない仏教徒は馴染みがなかったのか、その方は、日本の仏教に関心を少し持たれたようであったが・・・間もなく話題は変わったが、その時のやり取りは自分にとって忘れがたい会話であった。

 「自分は何のために生きているか?」。この種の問いは、他人から問われるとハッとさせられる。

 勿論、そのような直接的な質問は少ないが、奥ゆかしい日本人でも、間接的にきくことがあるようだ。「何で福祉の道に入ったのか?」。「何でカウンセリングに興味をもったのか?」。などなど。

 さらに、感情を伴った自分に向けての問い(感情だけもあるが)も、別の意味で強烈だ。「自分は何のために生きているか?」。この問いは、他者から日々問われ、そして日々鍛えられ、元気の素になるようだ。

 (日々の感情を豊かにする 13/15)

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ワタシハ何ノタメニ?

2009-12-30 | 第三章「無意識の世界」

 こころの健康を保つために、時どき考える必要のある問いかけが3つあるといわれている。①自分は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分(心、身体、魂)を大切にしているか?です。

 つらつら考えると、今年は、どうも①の問いかけが自分にとって大切な気づきをもたらした。これも、この問いかけを教えてくださったU先生や勉強仲間のお陰と心から感謝している。

 さて、この①の問いかけは、自分のアイデンティティ、人間観・世界観に深く纏わる問いかけ。存在理由は?というのに似ているところもあるが、知的に回答するだけでなく、体感的にも、そう全存在的に回答するような問いかけではないだろうか。たとえ、自分が老いて認知症となったり、判断能力が無くなっても通用するような回答を求められているようである。

 私は今、NPOに所属し「生き甲斐の心理学」を勉強し、暮らしの中のカウンセラーを目指し、また教育事業をしている。その他にも勿論いろいろ活動している。そして、それは全体で生き甲斐となっている。

 その中で、自分のアイデンティティ、人間観を深く思索し、必要とあらば公表できる哲学・宗教といったものは大切。生き甲斐が表面に出ている幹や葉とすれば、地下の根にあたるところなのだろうか。

 生きている中で、幹や葉が問題になることは勿論あるが、やはり根の問題は大きいと思う。感覚的に、身近にあるドロドロとした問題がそれにあたるようだ。そして、そうした問題を自己肯定・他者肯定を意識の中に残し、思索し続けていくと根が鍛えられるのだと思う。

 (日々の感情を豊かにする 12/15)

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赤ちゃんの感情を想いつつ!

2009-12-29 | 第三章「無意識の世界」

 年末。娘と生後6ッカ月の孫娘のかかわりをのんびり見ている。乳幼児の感情表現は、若いころは気にもしなかったが、今は生き甲斐の心理学を勉強しているためか、とても気になる。生まれたころの、お腹が空いた。オムツが不快だ。といった単純なものから、何か母や周りとの距離を測りながら、より複雑なや感情表現などが出てくるようだ。

 母子間の愛情が、基本で。それを源泉に、満たされた時、満たされない時と様々な感情が湧いてきている。そんな感じがする。原初的な感情は二通りとか、8つとか言われるが、基本は愛にまつわる感情が分化してきたものではないかと思う。

 イギリスの心理学者、I. D. サティの「愛憎の起源」(黎明書房)の言説を思い出す。

 様々な感情も、意外と単純な本質から成り立っているのかもしれない。

 (日々の感情を豊かにする 11/15)

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キャッチャー・イン・ザ・ライ

2009-12-28 | 第三章「無意識の世界」

 昨日、村上春樹訳の「The Catcher in the Rye」(J.D.サリンジャー 白水社)を入手した。大学生の時に、野崎孝訳を読んだが、それから40年近くして再読することにしたのだ。村上春樹訳というのもワクワクする。

 大学生になってから、好んで読んだ作家のひとりが、サリンジャーであった。そして、このThe Catcher in the Ryeは、ずっと心のどこかに残っていた気がする。タイトルにもあるThe Catcherは、とても地味だが大切な仕事をする。楽しんでいる子供が崖から落ちるのを静かに防ぐという、不思議な仕事をする人なのだ。

 6年前に長年務めた会社をやめ、新しい世界に飛び込んだが、これも自分のどこかにあった、このThe Catcherなる<理想>が影響を与えていたのかもしれない。

 福祉関係の仕事。教育の仕事。NPOの仕事。ボランティア・・・。

 そんな、自分の<理想>も含め、この年末年始、キャッチャー・イン・ザ・ライを読みながら、のんびり考えてみたい。<理想>は日々の感情生活に大きな影響を与える。

(日々の感情を豊かにする 10/15)

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たまには水やりを!(心、身体、魂を大切に)

2009-12-27 | 第三章「無意識の世界」

 クリスマスの一日、珍しく頭痛がした。インフルエンザかと思ったが、そんな症状はなく、どうしたのかとちょっと気になっていた。

 次の26日の朝、いつもより遅く起き、今日から9連休とはりきった。そして、思いがけないお電話を頂いたり、快調そのものの昼前、椅子にだらっとして、ちょっと身体をひねった瞬間、胸周辺に痛み。軽いギックリ胸(腰より上で)を起こしてしまった。

 大事をとり、それから、まる一日寝ていた。不思議なほどよく寝られた。

 思えば、心と魂は快調であったが、身体は、このところ結構酷使していたようだった。

 心と身体と魂は大切にしなければならない。しているつもりでも、時にきちっと疲労の兆候を掴まなければならない。25日のクリスマスの時の軽い頭痛は、きっと身体からのシグナルだったのだろう。

 今日の、朝、ベランダに行くと、既に妻が水やりをやっていて、草花についた水滴が美しかった。お陰さまで、ギックリのほうも殆ど治っていた。

(日々の感情を豊かにする 9/15)

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