イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

迎賓館前で球技はご法度!

2007-01-13 | 2006年度(1/13まで)

先日、四谷見付の近くの迎賓館前の広場を通りがかった。「球技禁止」の標識があり、警備の車まで止まっていた。今でも迎賓館前の広場で球技をする人がいるのだなと思った。

今から40年以上前、私が小学校の高学年の時。ここで、放課後友達と野球をやったものである。楽しく遊んだ覚えがあるが、誰かに注意されてしぶしぶやめた思い出がある。勿論、当時は今のように重々しい警備体制はなかったように記憶している。

時は経ち、世の中は大きく変わる。変わらない場所や迎賓館の意味、変わらない通りがかる人の動機(球技)、そして変わった警備があるというのも面白いものである。

2007年1月、今まで一年書き続けたブログを見直したいと思った。もう少し、その場限りでなく、ちょっと体系的に取り組んでみたい。うまく行くかは不明である。

変わるべきでないものを残し、変わるべきものを変えるといったところであろうか。

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イチゴって不思議な果物!

2007-01-12 | 2006年度(1/13まで)

ベランダのイチゴが大きくなり色付き始めてきた。沢山取れるわけでないが、家族、一人数個は口に入る予定である。昨年、甘い砂糖のようなイチゴができて感激したので、妻のイチゴづくりには力が入っている。

イチゴの果実は夏の季語であるが、イチゴの花は春の季語である。

現代俳句歳時記(角川春樹編)を見ると名句があった。

花の芯すでに苺のかたちなす (飴山 實作)

確かに、花の芯が大きくなり、イチゴに成長する様がはっきり見える。そして、イチゴの表面のプチプチが実はイチゴの実であり、果肉のような食べる部分が「果たく」といい、とうもろこしの芯の様なものだそうだ。

ケーキやジャムで御馴染みのイチゴ。

ちょっと観察すると不思議なイチゴ!

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積読(つんどく)の深め方!

2007-01-11 | 2006年度(1/13まで)

速読法、精読、多読憧れてしまうが。50歳を過ぎた本好きの私にとっては、遅読と積読がお馴染みである。そこで、今日は積読(つんどく)を考察する。

少し読んで、そのままになっている本。手元にあるだけで25冊もあった。そして、いつも気になっていて速く完読したいと思っている本が8冊。

さらに、今日近くの本屋さんで購入してしまった本が3冊。まだ、読んでいる本があり、何で買うのか、心がちょっと痛むところである。

積読が深まっていく?のは何故だろう、意思が弱いのでは?アイデンティティが混乱しているのでは?そんな自分を責める不安が頭をかすめる。

そんな私に、今日は素敵な言葉を見つけた。まずギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉である。

「万物は流転し何者も止まることなし」 

本を買ったときから自分もどんどん変わっていくのだ!

もう一つ西田幾多郎の言葉。

「主観的統一作業は常に無意識であって、統一の対象となる者が意識内容として現れるのである。」

積読も自分の無意識のご指示ということかもしれない。

ますます積読が深まりそうである。

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(引用は岩波文庫、善の研究 西田幾多郎著)


夕焼け小焼けで日が暮れて!

2007-01-10 | 2006年度(1/13まで)

戦後1960年代、毎日夕方まで外で遊び、一人家路につくときにふと振り返ってみた時の夕焼け。いつの頃かはっきりしないが、空一面がオレンジ色に輝いていた鮮烈な記憶がある。

当時の夕焼は、今八王子で見るより凄かった気がする。都心でスモッグ等、もっと空気が汚れていたためかもしれない。八王子の夕焼は空気が澄んでいる為か、綺麗だがあっさりしているように思う。

八王子市には陣馬街道を陣馬山に向かう途中に夕やけ小やけの里がある。童謡「夕やけ小やけ」は誰でも知っている仲村雨紅作詞の日本の童謡であるが、日本の原風景というか、日本人の古層の信仰といったものまで感じる。

写真は、2006年最後の夕日を撮った写真であるが、大晦日の夕方、日が沈んでいく様をずっと撮っていった。

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懐中電灯で自分を照らす!

2007-01-09 | 2006年度(1/13まで)

昨年は、移送サービスで夜仕事をすることもあって、懐中電灯に時々お世話になった。そんなこともあり、気になって最近、家の懐中電灯を点検したり電池を取り替えたりした。また、懐中電灯、携帯の充電にも使える防災グッツも購入した。

懐中電灯、今まで実用的に使った思い出は殆どない。小学生のころ、兄弟や友達とお化けごっこに使った思い出が一番強烈である。当時のお化けごっこには懐中電灯が定番であったように思う。

顔の下から懐中電灯を当てると、お化けのように陰影がついて怖かったからである。

この年になりお化けごっこは流石にやらなくなったが、懐中電灯の光を浴びて写真を撮るようになった。

写真に撮る時、光の美しさにうっとりした。そして、照らされる自分がどういうものかちょっと考えたりした。生き甲斐支援とか、カウンセリングなどの活動をする自分の奥に、どんなものがあるのだろうか?

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